トオミの巫女
白亜の大理石からなる神殿。
そこは神代の時代から時間の流れが止まっているかのようだった。
人一人いないかのような、静謐。
ぴんと張り詰めた空気は、神殿が神域に限りなく近いことを感じさせた。
神殿の名前は『時降りの神殿』といった。
神殿の周囲には雄大なる自然が広がっており、何人たりとも訪れることが不可能なほどの険しい山脈と聖なる結界に囲まれ外界との接触を絶っていた。
侵入者を拒むように建つ理由は、その神殿に一人住まう巫女の異能にあった。
1つは、『遠見』。
遥か彼方を見とおす、千里眼。
能力ゆえに巫女は盲となる。
1つは、『透視』。
人の心の声を感じ取る。
能力ゆえに巫女は心を閉ざした。
1つは『到見』。
来るべき未来を予見する。
能力ゆえに巫女は外界との接触を拒む。
巫女はその3つ異能をもって『トオミの巫女』と称されていた・・・・。
巫女の名前はスティーリア。
代々受け継がれるのではなく、たった一人の巫女によって続く名前だった。
スティーリアはその神殿の一室で、紫眼を虚空へと向けていた。
まるで、何かを探るように願うように。
あまりに強大すぎる異能を持つ巫女は外見だけを見れば、幼い少女のようだった。
しかし、少女は神代から生き続ける数少ない神族の一人。
その実年齢は、見かけどおりのものではない。
焦点を結ぶことの無いその瞳は、みたくも無い未来を断片的に映す。
神殿にいる変わらぬ自分の姿。
苦い思いで、目を閉じる。
映像が切り替わった。
ほとんど表情のなかった少女の口元がわずかに笑みの形を作った。
そして、一人の赤髪の戦士が険しい山脈を登っているのを見つめた。
それは、『遠見』の力だった。
「アラヤったら、神力を使えばよいのに。物好きですわね、登ってくるなんて」
先祖がえりのため生粋の神族ではないが、この地上で数少ない同胞。
銀糸を真白の指先で絡めとり、もてあそぶ。
絹のようななめらかな髪は絡むことなく緩やかにほどけた。
神力を使うことを頑なに拒み、あくまで人として生きようとするアラヤ。
好むと好まざるにかかわらず、神力を行使してしまうスティーリアにとって、アラヤの生き方は羨ましい。
少しの妬みと羨望と、ちょっとしたいたずら心がわきあがった。
「すこし位、よいですわよね」
銀の髪が淡くほの白い光を発した。
次の瞬間、スティーリアの前には愕然とした表情をした赤髪の戦士の姿があった。
瞬時に吹き荒れる怒りの感情を『透視』の力を使わずとも感じる。
まっすぐな偽りの無い感情は怒りであれ心地よい。
「あら、また随分男前になりましたわねえ、アラヤ」
神秘的な姿からは想像もつかないような砕けた口調でからかう。
「お前。私が嫌がるのを知っていて神力で神殿まで跳ばしたな」
(お前はますます性格が悪くなったな、スティーリア )
見た目だけは少女の友人に、音声と心の中で苦々しげに告げると、押し殺したような笑いがかえってきた。
「ふふ。だって、早く旅の話を聞きたかったのですもの」
すべての場所を見通せるスティーリアだったが、実際にその場所へ行ったことはない。
そして、おそらく今後も行くことはできない。
自由にその目で見て体感したアラヤの話は、スティーリアにとって新鮮で素敵な宝物だった。
「まったく、私は遊びに来たのではないのだぞ」
口調は怒っていても、『透視』の力で流れ込んでくる心は怒っていない。
穏やかな温かな感情と、かすかに混じる、憐憫。
「アラヤ、哀れんで頂く必要はございませんと、いつも申し上げておりますでしょう?」
友人の優しい心に嬉しさを感じる。
一人で、寂しくは無いのか?
気遣いの声が流れ込んでくる。
「・・・正直、最近は寂しいですわ」
「最近は?」
アラヤは小首をかしげた。
後ろでひとつに結い紐でくくった長い髪が揺れる。
力を使わなくても、訝しげな友人の表情が見えるようだった。
「わたくし、貴方が来てくれるまでずっと一人で気の遠くなるような長い時間を過ごして参りました。
だから、孤独には慣れていると思っていました」
紫の光を取り込まない瞳で、ただ世界を見て、心を読み、未来を予見する。
与えられた役目は長い時間とともに心を麻痺させた。
「でも、感覚が麻痺していただけだったのですね」
眉を寄せ紫の目を閉じる。
「慣れるわけ、無いだろう」
怒ったような口調は何処までも自分を気遣ってくれている。
閉じた瞳に涙がこみ上げそうになった。
「ずっと、この神殿にいるつもりなのか?永遠に」
すさまじい怒りの感情に眉をしかめる。
神殿から出れるわけが無い。
今まで予見したものでは、自分が神殿を離れることを暗示させる予見は無かった。
けれど、未来は定まっているわけではない。
予見した未来は確定するものではなく、いくつかある選択肢だ。
それを選択することによって、未来は無限に広がってゆく。
自分自身が関わることは予見で見ることは少ないが。
「到見では、今のところ」
絶望にも似た思いで、言葉をつむぎだす。
スティーリアの答えに、アラヤため息をついた。
「あまり予見に縛られるな、スティーリア。
お前もいつも言っているだろう、決められた未来は無い、と」
そう、選び行動をおこすのはいつも自分自身の意思なのだと。
いくつか旅の話を聞き、本題に入り、アラヤから預かっていたものを渡した。
幾分か、来たときより沈んだ心で、だが決意を秘めた足取りでアラヤは山を降りていった。
スティーリアは一人残された神殿で、アラヤの言葉を思い返した。
「決められた未来など・・・、無い」
自分自身に言い聞かせるべく、言っていた言葉。
口にしていたときはどこか空々しさを感じていた。
所詮、未来など最初から決まっている。どこかで思っていた。
「不思議ね」
アラヤの口から聞くと、本当のように思えてくる。
そっと目を閉じて、『到見』の力が働くのを感じる。
漆黒の髪を風になびかせた青年と寄り添うように、銀髪の少女が微笑みながら海を渡る。
そのビジョンに弾かれたように瞳を開けた。
自分の願望が見せた幻なのか、それとも・・・・。
スティーリアは自分の体が震えているのを感じた。
歓喜と不安とで。
やがて到来する、運命。
それは、産声をあげたばかりだった。
<おわり>
初めて投稿させていただきます。
短編で、これだけ読んでも抽象的で断片的すぎて良く分からないかと思います。
漆黒の髪の青年は、最後に到見の力を使った時にこの世に生を受けています。
アラヤに関してはまた、書いていきたいと思います。