死の黒電話
「死の黒電話って、知ってるか?」
ある夏の日の昼休み。昼食をともにしていた雄一が、頬張った白飯を飲み込まないうちに、もごもごとそんなことを聞いてきた。
怪談好きのこいつのことだ。どうせ、この学校にいくつか存在する眉唾ものの噂話の一つだろう。
その手の話題にあまり興味がない俺は、大げさに咀嚼しながらペットボトルを手に取り、流し込む振りをしてお茶を濁した。
だが、今度は米粒を飛ばさん勢いで同じ質問をしてきた雄一に呆れて、
「一応聞いてやるが、ちゃんと飲み込め。話はそれからだ」
と、行儀の悪いアホを、行儀悪く箸で差す。
雄一は、特に悪びれた様子もなく、半分近く残っていたお茶を一気に飲み干し、何故か得意げな顔をした。
それ、俺のなんだけど……まあ、いいか。
「で? 何なんだその、死の風呂談話ってのは」
「どんな談話だよ、こえぇよ! そうじゃなくて、『死の黒電話』! 最近この学校で噂されてる、新たな怪談さ!」
「黒電話ねぇ……どんな内容なんだ?」
「何でも、この学校のどこかに黒電話があって、突然それに何者かからの電話が掛かってくるらしいんだ」
「で、それに出てしまうとあちら側に連れて行かれる、とかそんな話だろ、どうせ」
「先にオチを言うなよ。まあ、大体そんなところ。でも、その黒電話を見つけたって話はまだないみたい」
それはそうだろう。所詮、根も葉もないただの噂話なんだからな。
予想はしていたが、やっぱり聞いて損した。実に下らない。
やれやれ、と首を振り、最後まで取っておいた唐揚げに箸を伸ばした。
だが、つまんだ瞬間、ジリリリリッ! とけたたましい音が鳴り響き、驚愕のあまり床に落としてしまった。
その様子を見ていた雄一は、ニヤニヤしながら胸ポケットに手を突っ込んだ。
「悪い悪い。俺だわ。もしかして、ドキッとした?」
「ち、違う。いきなりだったからびっくりしただけだ。何だ、その悪趣味な着信音は」
「俺が変えたんじゃない。たぶん、雄二の仕業だ」
そう弁解しながら、何事もなかったかのように電話に出る雄一。
ちなみに、雄二というのはこいつの弟だ。
そう言えば、雄二が通っている中学校で、他人の携帯の着信音を勝手に変えるのが流行っているという話を聞いたな。雄二と仲の良い俺の弟も、身に覚えのない「ドリフのテーマ」を授業中に大音量で流してしまい、おいしいやら恥ずかしいやらと嘆いていたが……。
それはさておき、雄一の奴、つい今し方まで黒電話の怪談話をしていたと言うのに、顔色一つ変えないとはな。
本当は自分で変えたんじゃなかろうか。
などと疑いの視線を向けている間に電話を終えた雄一は、食べ終わっていない弁当を片づけ始めた。
「どうしたんだ?」
「ちょっと急用ができた。早退したって言っといてくれ」
「おい、ちょっと!」
訳を聞く間もなく、雄一はバッグを引っ提げて教室から出て行ってしまった。
電話の内容はさっぱり分からないが、家族に何かあったのだろうか。
独り取り残された俺は、妙な胸騒ぎを感じながら、もはや三秒ルールも無効になった好物を眺めていた。
翌日、雄一は学校を休んだ。
もしかして、昨日の電話は、家族か親戚の訃報を知らせるものだったのだろうか。
だが、それにしては担任も欠席の理由を知らないようだし、あの野郎、サボりか?
などと軽く考えていたのだが……昼休みにかかってきた電話によって、もっと深刻な事情を知ることになる。
その電話は、昨日雄一にかかってきた時と同じように、身に覚えのない黒電話の着信音から始まった。
昨日のこともあって、どうせ弟の仕業だろうと高をくくりながら携帯を開くと、相手はその弟であった。
開口一番、文句を言ってやろうと思ったが、弟は「もしもし」の猶予も与えずに声を張り上げた。
「兄ちゃん! 大変だ! 雄二の兄ちゃんがいなくなった!」
「……は?」
一瞬、何を言っているのか分からなかった。
確かに、雄一は今日休んでいるが、いなくなったってのはどういうことだ? まさか、これも質の悪いイタズラのつもりか?
これは教育が必要だな、と頭を抱えながら背もたれに寄り掛かり、今度こそ文句をつける。
「おいおい。イタズラにしては笑えない冗談だな。俺の携帯に悪趣味な着信音をぶっ込むだけじゃ物足りなかったってのか?」
「え? 着信音? 僕はかまってないよ!」
「嘘吐け。お前以外に誰がいる」
「知らないって! そんなことより、雄二が泣きそうなんだ! 一緒に雄二の兄ちゃん探してよ! 今、高校の校門のところまで来てるからさ!」
その言葉に耳を疑った俺は、携帯を耳から離して、椅子が倒れんばかりの勢いで立ち上がり、窓際に駆け寄って校門の方を見た。
……いた。本当に来てやがる。
わざわざここまで来ているということは、本当にただ事ではないのだろう。
慌てて、何やらぼそぼそと音を発しているスピーカーに再び耳に当てる。
「分かった。すぐそっちに行くから待ってろ」
昼食はまだだったが、食べてから、というわけにもいかない。
ちょうど窓際の席で弁当を広げていた委員長に早退の旨を告げ、バッグを乱暴に引っつかんで足早に教室を出る。
転げ落ちるような勢いで昇降口まで下りると、弟と雄二が中まで入って来ていた。二人とも、今まで見たこともないような深刻な面持ちだ。
彼らの脇を、弁当や購買のパン片手に外へ出ようという生徒達がすり抜けていく。誰も、部外者二人の存在を気にしている様子はない。
まるで、他の奴らにはこの二人が見えていないような反応だが、俺は特に気にもしないで、呼吸を整えてから弟に声を掛けた――
――瞬間、他の生徒達の携帯が、次々と悪趣味な着信音を奏で始めた。
狼狽える俺達高校生を尻目に、二人の中学生はあくまでも無表情で俺に手を差し出し、
「行こう」
とだけ告げた。
何の気なしにつかんだ弟の手は、どういう訳か酷く冷たい。
そして、無感情に見えた顔に、いつの間にか不気味な笑みを貼り付けていた。