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6.蓮華の花畑。

 静々と歩いている小さな狐の姿を見ながら、成実も静々と歩いている。

 片側には御簾が下ろされた部屋と、美しい幾何学模様の入った金色の格子の障子。もう片側には先ほど成実が目覚めた庭園が広がっている。

 いくつもの赤い柱に支えられた廊下の屋根には、これまた赤い梁が見え、その梁も等間隔に並んでいる柱も、元々が赤いのでないかというほど内側から滲むような燃える赤で、そしてどれもが同じ木目を見せている。同じ木目を出すことなんてできるのかな? いやいやここは摩訶不思議な世界なんだからこんなことができるのかな。と、キョロキョロと赤い柱や梁を眺めながら、成実は磨きぬかれた廊下をゆっくりと楓に従って歩き進めた。

 長い廊下を右に曲がり左に曲がり、どこまで広いんだろう、こんなの遭難しちゃうよね。と成実が不安げに楓の後をくっついていく。やがて庭の雰囲気も少し変わって、一面の花畑が見えた。薄いピンクのような紫のような色が風に揺れている花畑を見た成実が、思わずその壮大なまでの景色に息を呑んだ。普段あまり花を愛でることがない成実だが、その圧倒的な一種類の花の集まりに心底感心して立ち止まってしまった。先ほど見てきた庭と違って、ここには外との壁などがないのだろうか。どこまでも広がるその花を見入る成実の足が止まり、それに気付いた楓が振り返り声を掛けた。

「どうかしましたか?」

「あ、うん……綺麗だなぁって」

 桃色の空の下でたおやかに揺れる花は、成実も見たことがあるものだった。花言葉も何かで知ったことがある。

「確か、心が和らぐ。だっけか」

「蓮華草の花言葉ですね」

 独り言のように零れた成実の言葉を、楓が拾い上げて愛らしく微笑んだ。金色の瞳が視線を流して蓮華を見つめる。

「このお花は、蓮太郎様のお気に入りの花なんです」

「そうなの?」

「はい。蓮太郎様のお母上の名前が蓮華様で、そして蓮太郎様の「れん」の字も蓮華からきていると聞いています。ですから蓮太郎様はこの花を大切にされて、自分で少しづつ増やしてこられたんです」

 そう語る楓の瞳が優しく細められて、いかに蓮太郎を大切に思っているのかを感じる。そして話を聞くだけで、この花に囲まれて笑っている蓮太郎が見えるようでもあった。

「蓮太郎は、優しいんだねぇ」

 穏やかに笑みを滲ませる金色の瞳を思えば、それだけで成実も微笑んでしまうくらい癒される。不思議な存在だし未だよく分かっていないが、でもあの狐の性格を少しだけ理解し始めているので、今はもう全く怖いだとかいうマイナスの感情はない。

 しかし楓は成実の言ったことにキョトンとした。

「朧様も優しいですよ?」

「……ほんとに?」

 朧のどこが優しいのかは、これも未だ良く分かっていない成実が眉根を寄せながら楓を見下ろすと、見上げてくる蓮太郎と同じ金色の瞳が真剣な色を帯びた。

「ほんとです。僕たちの仕事を手伝ってくださったり、勿論大切にしてくださるし、何よりも蓮太郎を本当に大切になさっておいでです。朧様ほど蓮太郎様のことを考えている方はいません」

 大きな瞳に蓮太郎と朧に対する信頼と愛情を湛えて楓は言い、最後には満開の笑顔で笑って見せた。

「そうなのか……私にはからかってくるし、そんな風には見えないなぁ」

 ぶつぶつと言った成実が首を傾げて考えると、楓が「あぁ」と理解してクスクス笑った。

「朧様の口の悪さや態度の悪さは誰に対しても同じですよ。それは長様相手でも変わりません」

「……ものすごく理解できるわ、それ」

 きっと物怖じしないあの黒い狐のことだから、相手が誰であっても決して態度を変えないだろう。現にあの神社の神であるサクラ相手にもそうだったのだから。しかしそれを咎められたりしないということは、きっと朧のことをみなが評価しているのかもしれない。そう思うと、あの黒い性悪狐にも良い所があるのかもしれないなと、成実は結論付けた。

「ま、そのうち分かるかな」

「はい?」

「ううん。なんでもないよ。あ、ごめんね。足止めちゃって。あんまり綺麗だったからさ」

 成実の視線がもう一度花に向けられ、ニコッと微笑んだ。そんな成実の態度が嬉しかったのか楓もまた幸せそうに微笑んで成実の服の袖をくいっと引っ張り先を促す。

「成実さんが感じたことをそのまま蓮太郎様に伝えて差し上げてください。きっとすごく喜びますから」

 ちょこちょこと歩く楓に手を取られながら歩く成実は、身長差からどうしても前かがみになってしまう。でも楓のあまりにも嬉しそうな様子に成実の顔も自然と笑顔になり、小さな楓に歩幅を合わせて先を進んだ。




 少々にぎやかに歩き進めて、あの花畑から少し離れた部屋の前に着くと、楓が成実の手を離して姿勢を正し廊下に正座をした。その改まった様子に成実も習うように正座をする。そのとき、少しだけ頭がふわふわしたような感覚を覚えたが、それは一瞬すぎて成実は気にも止めなかった。

 幾何学模様の刻まれた障子の向こうにいる誰かに向かって、楓が良く通る声で呼びかけた。

「失礼します。お客様をお連れいたしました」

 お客って、と成実は思ったが、ここは下手に口を出さずに楓に任せるべきだと思い、そのまま何も言わずに小さな狐の後姿を眺める。少しだけ間をおいて、中にいた者の声と共に障子が開かれる。

「お客って……そんな予定あった……?」

 音もなく開いたその向こうから、不思議そうな顔をして出てきたのは白い耳と尻尾を持つ金色の瞳が綺麗な蓮太郎だった。今日も真っ白な日本古来の装束に身を包んだ長身の狐が、廊下に座り見上げてくる子狐と人間の成実を見て一瞬言葉を失った。

 穴が開くのではないかというくらい普段から穏やかな瞳を成実に縫い止め、瞬きすらできないようだ。そんな、完全に固まった蓮太郎に対して楓が口を開いた。

「成実さんは向こうの庭で倒れていました。蓮太郎様と朧様とはお知り合いと仰っていましたのでお連れしました」

 そう言った楓の後ろで待機している成実が、蓮太郎の視線を気まずそうに受け入れてぎこちなく愛想笑いを零した。

「……きちゃった。なんて」

 なにその恋人の家にいきなり押しかけた頭の悪そうな彼女みたいな言葉っ。と、自分で自分の言ったことに心の中でツッコミながら蓮太郎を見上げてると、また少しだけふわふわした感じが身体の中で生まれる。先ほどよりも強く。だがやはり一瞬にして消えていく。思わず首を傾げた成実に、ようやく蓮太郎が驚いたまま声を掛けた。

「いらっしゃい……ませ。って、言うてええのですかね、これ……」

 人間がこちらにやってきたことがもう前代未聞過ぎて、蓮太郎がなかなか状況を飲み込めない。一体どうやってこっちに来たのかといえば、それはもう鍵を掛け忘れたであろうこの白い狐のせいなのに、ただぽかんとするだけの蓮太郎に楓が手早く説明をした。

 それを聞いていた蓮太郎の目がますます丸くなり、そして結果楓が想像したとおりの展開だったことを話を聞いていた成実が知り、これまた思わず盛大に呆れてしまった。

 時空を超える不思議な鍵であるお堂を、開けたままにしているなんてどうなのだろうか。幸い入り込んだのが自分だからなんとか平静を保っていられるが、これが全く蓮太郎たちを知らない人間だったらパニックどころではすまなかったはずだ。

 しかしもうすっかり頭を抱え込んでしゃがみこんでいる蓮太郎を見ていると、成実はとてもじゃないが強く怒ることもできないが、呆れてしまうのは止められなかった。何度もため息をついた成実だが、大きな身体を小さくして何度も謝ってくる蓮太郎を見ていると次第におかしくなってきて、いつの間にかクスクスと笑いを零していた。

「もういいよ、そんな謝らなくても」

「でも、迷惑かけてしもうたし……ほんますみません」

 涙目にまでなっている蓮太郎が、これでも気がすまないといったように頭を下げる。

「帰れるんだったら、もうほんとに良いよ?」

「勿論です。帰れます。僕がちゃんと送りますから」

 しゅんとして、尻尾がすっかり丸くなってしまっている蓮太郎が、しっかりとした声音でそう言うと善は急げといわんばかりにすっと立ち上がる。そして成実に向かって手を差し出した。

「じゃあ、早速行きましょう」

 にっこりと笑った蓮太郎を見上げていた成実が、細いが力強そうな狐の手を見て安心したように笑みを浮かべて、その手を取って立ち上がった。

「はい。お願いね」

 そして横で同じように立ち上がった楓にお礼を言おうと視線を流したとき、異変を感じた。

「あれ……?」

 流した視線が楓で止まらずにそのまま流れていく。しかも身体まで浮ついてしまって制御できない。力があっという間に抜けて立っていられなくなって、そのまま視界もおぼろげに反転する。

「ちょ、成実さん!?」

「大丈夫ですか!?」

 暗んでいく意識の中で蓮太郎と楓の焦った声だけが聞こえたが、成実は既にもう、返事ができなかった。

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