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46.想いを重ねる。

 ふくよかな月が空に浮かぶ時間――静まりかえった境内に騒がしい音が響いた。

 白銀の髪を靡かせた白い狐。金色の瞳が何かを思いつめたように、だけど不安で堪らないといったように揺らいでいるのは、見目麗しく家柄もいいのに、イマイチ自分に自信のない性格のせいだろうか。

 出かけていてちょうど帰ってきた涼子は、境内にいきなり現れたその狐を見て、珍しいほど目を丸くした。だけど少しして花が咲き綻ぶように笑った。

「蓮太郎っ」

 嬉しさに近づいた涼子は、だがその姿を見てギョッとした。いつも整えられた装束を着ている蓮太郎だが、狐たちの世界からこちらに戻ってきた姿は、なぜか埃にまみれて汚れている。だがそれを問う前に、涼子を見つけた蓮太郎が物凄い勢いで口を開いた。

「成実さんいますか!?」

 普段おっとりしている蓮太郎からは考えられないほどの鬼気迫る表情に、少女は食われたようにぽかんと口を開いた。

 そして、長く姿を見せなかった狐に対して、優しい少女であっても文句の一つでも言いたかったであろうが、それらを全て飲み込んで呆れたように微笑んだ。

 この蓮太郎の顔を見れば、文句もなくなってしまった。そんな様子だ。

「今日はまだ来てないわ。でもしょっちゅう来てくれてるから待ってみたら?」

「そ、そうなんですか?」

「当たり前じゃないの。一ヶ月以上も何してたのか知らないけど、ちゃんと謝らないと駄目よ?」

「いっかげつ……」

「そうよ?」

「え……一ヶ月? え、あの……ほんまに? は?」

 蓮太郎の顔が困惑を極める。一ヶ月の意味を知らないわけではないのだが、どうしても理解できない白い狐はへなへなとくず折れた。

「蓮太郎!?」

 涼子が思わず蓮太郎を支えたが、長身の狐を小柄な少女が支えられるはずもなく、蓮太郎ともども玉砂利の上にしゃがみ込んだ。

「もうあきません……」

「え?」

「そんな長いこと会ってないんやったら、僕のこと、もう忘れてるかもしれません……」

 長い睫毛に囲まれた瞳に涙を貯めて、蓮太郎は力なく呟いた。優しげな眉を情けなく寄せた狐の顔を、涼子はしばらく不思議なものを見るように眺めた後、小さくため息を零した。

「何でも勝手に決めてしまうのはよくないわ。ちゃんと成実さんと話をしてからでしょ?」

「でも……僕、何も言わんと……」

「言葉は何度でも伝えられるものよ。大丈夫」

 何百年も生きてきたアヤカシを、涼子はまるで幼子でも相手にしているように言葉を投げかける。

 艶のある蓮太郎の髪の毛を撫でながら、涼子は赤い鳥居の方向へ視線を流した。いつもならもうすぐ成実が来るはずだ。蓮太郎がいない間でも毎日のように夜になるとここへきて、白い狐が姿を現すのを待っていた成実の、ようやくの笑顔が見られる。そう思うと涼子も嬉しくて堪らない。

「ちゃんと、蓮太郎の気持ち伝えるんだよ?」

「はい……不安ですけど、頑張ります」

 金色の瞳を鳥居に流しながら蓮太郎は小さく、だけど力強く頷いた。早く会いたくて仕方ない。こんな風に思うのは成実だけだ。だからこの感情を大切にしたい。

 ちゃんと自分の口で伝えて、知りたい。それだけを考えていた。



 今日もまた、会えないのかなぁ。

 そんなことを考えながら、駅の階段を力なく降りた成実は、見慣れた景色を見るともなしに歩く。

 蓮太郎の姿を見なくなって、しょげている期間もけっこう長くなってきた。

 正直、心が折れる寸前だ。

 狐たちには、狐たちの理由がある。それは分かっているつもりだが、やはり姿さえ見ることはできない時間は、とても辛い。

 もうオトナなのだし、聞き分けもよくなっているはずなのに、時々無性に会いたくなって泣いてしまいそうになる。

 こんな感情は今まで持ったことがない。

 いくつか恋愛もしてきたはずなのに。なのに今回は何かが違っているような気がしてならない。

 もともとあっさりとした性格のせいか、誰と付き合っても、別れの時でさえあっさりとしていた。

 ふられることばかりで、それなりに相手を好きだったから、別れた後は落ち込んだことも当然あった。だけど不思議と辛くて悲しくて、泣いてしまう。までのことはなかった。

 きっと自分は感動とか、落胆とかの感情が人より鈍いのかもしれないと、友人や同僚の恋愛話を聞くたびに漠然と思ったこともあった。

 だけど、蓮太郎が相手だと、感情が思わぬ方向に向かってしまう。

 目覚めたときから蓮太郎のことを考え、頬が緩むことしばしば。

 顔を見ることはできた日は、心の底からわきあがる喜びがあった。言葉を交わし、笑い合うだけで世界が変化したかのように満たされた。

 きっと、人間とアヤカシである以上、何かを期待することはできないだろうけど、こうして時間を共有できることだけで奇蹟なんだ。

 だから、贅沢を言ってはいけないんだ。そんなことを思って、切なさと幸せを感じていた。

「でも……なんか疲れたよ……」

 蓮太郎に会えないことが原因なのかは定かではないが、珍しく風邪をひいて熱を出したり、うっかり忘れ物をするようになったりと、どこかぬけている自分にも嫌気がさす。

 情けなく肩を落とした姿は、いくつか老け込んだようにも見えるほどだった。

 暗くなった細い道を歩くのも、もう何度目になるだろうか。お気に入りのバッグをキュッと抱き締めて、赤い鳥居の見える場所まで来た。

 ……行かない方がいいのかもしれない。

 もし今日も会えなかったら。そんなことを考えて、後ろ向きな思考がどんどん深くなる。

「行かないと、会うこともできないんだからね」

 自分に言い聞かせるように大きく息を吐き出して、成実は境内に入った。

 数歩境内に入る――薄暗い、見慣れた景色の中に、成実の視界に、白い姿が浮かび上がるように立っているのが飛び込んできた。

 なぜか乱れた髪にぼろぼろの装束だったが、それでも蓮太郎が持っている、凛と、だけど滲むような優しい雰囲気は損なわれていない。

 夢でも見ている気持ちだった。あんまりにも会いたいと願っているから、とうとう幻覚でも見始めたのかとも。

 だけど、緩やかに風が吹き抜けると、蓮太郎の髪も揺れている。蓮太郎の金色の瞳が、成実を捉えて大きく見張られた。

 息を飲む様子さえ現実的だ。

 ――――これは、夢でも幻覚でもない。

 呆けた脳みそで結論に達した途端、成実の目から大粒の涙が零れた。

 ほんの数メートル先に立っている蓮太郎と、嬉しそうに駆け寄ってくる涼子が滲んで見える。

 涼子に何かを言われて、背中を押され促されるようにその距離を詰める。

 一歩進むだけで心がかき乱されて、メイクが崩れるのもかまわず涙を零す。そんな成実の様子を、蓮太郎もまた泣きそうな顔で見返していた。

 手を伸ばせば届くその距離まで近づき、成実は視線を持ち上げた。

 近づけば、やはり蓮太郎の姿はぼろぼろだった。装束のそこかしこに埃がつき、裾がほつれてしまっている箇所も多い。

 艶のある髪の毛も誇りまみれで、ぼさぼさだ。

 理由を聞きたいけれど、その前に名前を呼びたい。優しい声で返事をしてもらいたい。震える喉で、なんとか大好きな名を呼んだ。

「蓮太郎……」

 小さく呼ばれた蓮太郎は、長い睫毛を湛えたその瞳を、ふんわりと笑みの形に変える。金色のそれは成実を見つめ、たまらなく幸せを浮かび上がらせた。成実の大好きな笑顔。

「はい」

 しっかりと返事をしてくれた蓮太郎に、たくさん聞きたいことがあった。

 どこにいたのか、何をしていたのか、どうしてそんな格好なのか。あちらの世界で何があったのか。今いない朧はどうしたのか。

 泣きながら、だけど会えた喜びで笑顔が浮かぶ。

 その成実の柔らかな唇から、零れた言葉に自分でも驚いた。

「……大好きだよ、蓮太郎」

 隣で立っていた涼子が目を丸くし、蓮太郎は硬直したように息をのんだ。成実は自分に驚きつつも、だけどもう我慢できないように溢れてくる想いを続けた。

「蓮太郎が狐でも何でも、好きだよ。だから、これからも……仲良くしてくれたら嬉しい……」

 将来を語り合うことはできないから、せめて一緒に、くだらない話や楽しい話をしていられる関係でいたい。諦めて会わないという結論は、弱虫だからできなかった。

 言葉を押し出した後、返事が怖くて、成実は視線を玉砂利に上に落とした。

 涼子が少し二人から離れて見守る中、蓮太郎は身動ぎできないように動かない。風に洗われる髪が狐の白い輪郭に踊る。

 しんと、誰も何も言わない境内に、ふわりと青い炎が浮かび上がり黒い狐が姿を表した。赤い瞳が弟に止まり、朧は現れるなり大声を上げた。

「情けない顔してんなや蓮太郎ッ。成実が言うてんねんから返事したれッ」

「お、朧……!?」

 弾かれるように視線を持って行かれた蓮太郎と成実の視界に、こちらはいつもの甚平姿の朧が立っていた。悪戯っ子のようににんまりと笑いながら。

「もうなんも怖いことないやろう。お前には俺もお父ちゃんもついてる」

 朧の赤い瞳には、未来への希望がたくさん溢れていた。蓮太郎への言葉にもそれは充分感じられる。

「それに、成実おったら最高やないか。お前の将来安泰や」

「朧……」

 朧に後押しされるように、蓮太郎の優しい瞳が潤む。キュッと唇を結んで、成実へと向き直った。

 ちゃんと自分の言葉で伝えることから始めないといけないから。

 喉が強張ってしまうそうで、一度深呼吸する。それから大切な言葉を成実へと送った。

「僕も、成実さんが好きです」

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