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42.永の別れの前に。


 蓮太郎が普段柔和な表情を浮かべるそれに緊張を滲ませ、朧は普段いたずらっ子のような愛嬌を浮かべるそれに複雑な色を滲ませる。

 太陽の恵みを受けて誇らしげに揺れる稲穂の中に、小さな金の狐は立っていた。

 横顔しか見えないがそこに浮かんでいるのは、先ほどのような妖しさなど欠片もなく、あどけない子供そのままで、同じ狐とは一瞬思えないほどだった。

 小さな背中を流れる黄金の髪に、同じ色の耳と尻尾。耳の辺りに赤い花をあしらって、機嫌良さそうにふさふさとした尻尾をゆっくりと左右に振っている。

 その姿を、兄弟の横で神が懐かしそうに目を細めて見つめた。

「元気そうでよかったわ……」

 独り言のように呟いたサクラは、瑞々しく咲いている花を踏まないようにゆっくりと歩を進めた。自分たちの主が何をするのか分からない兄弟は、ひとまずその場に立ったまま成り行きを見守る。

 サクラの赤い装束が、澪の作り出した世界の風を孕んで優雅に裾を躍らせる。身体の大きさに似合わない圧倒的な存在感は、すぐに澪にも伝わったようで、一瞬信じられないように身体を強張らせて、勢い良く振り返った。

「姉さま……」

「久しいなぁ、澪」

 大きく見開かれた金色の目に自分を確認し、サクラはゆったりとした足取りのまま澪に近づく。稲穂の海を赤い神が渡る様子はお伽話のワンシーンのようだ。

 澪はサクラよりもまだ幾分背が小さい。見上げる金色の瞳が驚いたまま、しかし懐かしさのような、しかしもっと複雑さを滲ませてサクラを見つめ返す。言葉にできない感情が過ぎるのか、その長い睫毛が震えている。

「ええところやなぁ、ここ」

 稲穂を見つめ、遠くに見える山を見つめ、そして天高く広がる空ヘと視線を流してサクラは微笑んだ。夜空に浮かぶ月のような瞳が太陽を受け煌き、妖艶な唇がにっこりと弧を描くが、澪は押し黙ったままで何も返す気配はない。

 サクラは少しの間下ろした視線を澪にとめていたが、やがて諦めたように小さくため息を落とした。

「一人は、さみしいやろ?」

 サクラの言葉に、澪はひくりと肩を震わせた。その金色の瞳に一瞬で吹き上がった憎悪は、離れている朧と蓮太郎も感じ取ってしまえるほどに、劫火に変化していった。

「一人……」

「ん?」

 呟いた澪の言葉が聞こえなかったのか、サクラは首を傾げた。神のさらりとした黒髪が澪から溢れ出る妖力の風に揺らめいた。

「一人にさせたんは、誰ですか? うちから家族を奪ったのは誰ですの……父様も母様も、妹も奪ったのは誰ですの!?」

 われを忘れてしまいそうに、澪の瞳が空を彷徨い、その中に狂気があふれ出してくる。それは先ほどの朧たちに向かっていた感情よりももっと深く濃い、憎しみに悲しみに怒り。焔が澪の全身を包み込んでいく。

 目の前には、今この世界で誰よりも澪を理解しているはずであろうサクラがいるのに、小さな狐はそれをも忘れてしまったのか。おぞましく禍々しい気配に白と黒の狐の背筋が冷たくなった。

「朧……サクラさん、大丈夫ですやろか……」

 金色の瞳を不安げに揺らしながら、蓮太郎は一歩後ろに下がった。しかし朧のほうは真っ直ぐに澪とサクラを見つめたまま、弟の腕を掴む。

「大丈夫や、サクラならあいつを何とかするはずや。お前もちゃんと見とけ。せめてこうしてるのがお前の務めや」

 成実とのことがなければ、きっと二人は澪の存在すら知らぬままに過ごしていただろう。それは幸せであろうことだが、存在を忘れられたこの小さな狐は、そうして二人が過ごしている間も囚われた過去にしがみついて生きていくはずだった。

 誰からも忘れられて、しかし己だけは忘れることができない過去を抱き締めて、いつ終わるとも知れない日々を繰り返していたはず。

 そう思うと、朧は痛い目に合わせてくれたはずの狐が、哀れに思えて仕方がなかった。

 朧自身、決して家族団らんの中過ごしてきたわけではなかった。母親が死んだとき、周りの人間はこの奇妙な姿をした黒い子供をどうしたものかと悩んだし、それを肌で感じたときは子供ながらに悲しかった。

 自分は要らない子供だったのだろうか。そんな風に思ったことを今でも覚えている。

 だけど朧には父親がいて、そして蓮太郎がいた。それが救いだった。

「あいつにも、せめて友達がおったらなぁ……」

 向かい合い、言葉を交わさなくなったサクラと澪を眺めながら、朧が整った唇からそんな言葉を零した。

「朧?」

「いや。俺にはお父ちゃんにお前に、他にも世話してくれたもんがおったし、友達かておった。けど、あいつにはそんなんがほんまなかったんやろうな。それ考えたらかわいそうやなってな」

 赤い化粧を施した目許を悲しげに歪めて、朧は蓮太郎の腕を掴んでいる手に力をこめた。

「蓮太郎、ありがとうな」

「え……?」

「なんとなく言うてみたくなっただけや」

 悪戯っ子のように、屈託なく朧は笑う。蓮太郎を映し出した赤い瞳には、晴れ渡る温かい色があった。

 蓮太郎はどうしてそんなことを朧が言ったのかイマイチ分からなかったけれど、きっと人間との間に生まれたという共通項がある澪のことを、朧は自分よりも深く考えたのだろうと思った。

 そして感謝の気持ちがあるのは朧だけではない。蓮太郎の瞳も柔らかく細められ、その唇が大好きな兄に向けての感謝の言葉を零す。

「僕の方こそ、いつもありがとうございます」

 にっこりと微笑んだ蓮太郎の耳に、怒号が聞こえたのはその瞬間で、同時に嵐のような強風が二人の周りを薙ぎ払っていった。

 互いの身をかばうように座り込んだ狐たちの鼓膜に、澪の声が届く。暴風が稲穂を揺らし、あまつさえ空に浮かぶ雲すらも吹き飛ばしてしまいそうな勢いだ。

「な……なんや……!?」

 目を開けていることもできない状況だが、それでもなんとか視線を小さな狐と神のほうへ流すと、まるで人形のように感情を落としたサクラを見つけた。

 感情の昂りであたりに風を巻き起こす澪は、頬にいくつもの涙を流し、サクラに今までの鬱積を晴らすように言葉をぶつけている。

 それは決してサクラが受けるべき言葉ではなく、本来ならば朧たちかつての仲間であった狐や、澪の家族を奪った発端となった人間たちが受ける言葉のはずだ。

 しかし澪の感情は振り切れてしまっているのか、誰よりも澪を庇ってくれたサクラにそれを突き刺していく。

 朧と蓮太郎はその場に座り込んだまま、成り行きを見ることしかできない。色の違う二人の瞳が心配そうに見つめる中、サクラは恐ろしいまでに整った容貌に一筋の思いも浮かべず、澪の言葉を正面から受け止める。

 それは今まで澪から断絶されていたとは言え、何もしてこなかった自分の責任だと思っているかのようだった。

 サクラの月の瞳が真っ直ぐに澪を見つめ、そして唇を結んだまま、目の前にいる哀れな狐の感情が鎮まるのを待つ。

 やがて息も絶え絶えの澪は、両手を握り締めて言葉を切らした。あたりは見るも無残な景色に変わり果て、稲穂はすっかり倒れてしまい、サクラの装束も髪も乱れた。愛らしく澪の耳元を飾り立てていた花も落ちてしまっている。

 肩で呼吸を繰り返し、しかしまだ何かを言いたげに小さく動く唇が声を嗄らしたとき、サクラは静かに口を開いた。

「澪。そろそろお前を解放してやらんとあかんと思ってな、今日は来たんや」

「かいほう……?」

 何を言われたのか分からないように、澪はその瞳を眇めた。

「そうや。お前はもういい加減、自然の摂理に戻らんとあかん。不老不死なんて本来ええことやない。そんなもんうちらだけで充分や。お前も気付いてるやろう? 自分がアヤカシやのうて、私らに近くなってしもうたこと。だけどな、それは決してうちらとは違う。お前がこうしていることは、まがい物であって、自然やないねん」

 サクラの顔は変わらず感情を浮かべていない。しかし言葉の中に澪を大切に思い、今まで気にかけてきながら訪ねてこなかったことを詫びていた。

 決して見捨ててしまったわけではなかった。だけど長い間何もしてこなかったことは、見捨てたも同然ではないか。そう言われてしまえばサクラは言い訳はしないつもりだった。

 あの時、遥か昔――澪がサクラを遠ざけるなら、サクラはそれを否定するつもりはなかった。

 だけど、何か困ったとき、辛いとき、知らせてくれればいつでも会いに来るつもりだっただけだ。

 サクラは自分がアヤカシではないこと、そしてアヤカシの世界にあまり深入りすることは絶対的存在以上、好ましいことではないと思ってのことだった。

 だけどそれが間違っていたのかもしれないと、今になってようやく分かった。

 この子はこんなにも苦しんでいたのか。

 誰にも理解されないまま、自分自身でさえ変えてしまうくらいに強い思いを持ち続け、そしてそれから逃れられなくなってしまっている。

 本当ならもうとっくに身も心も生を終えているはずなのに、ただ周りに対する憎しみと家族を求める寂しさだけで生きながらえている。

 サクラの記憶にある澪の髪は美しい白銀だった。耳も尻尾も陽光を受けるとキラキラと輝く美しい色だった。

 それが美しいのに変わりはないが、今は黄金色に輝いている。澪に降り積もった時間の長さが、それだけで簡単に理解できる。

「私が至らんばっかりに、お前の家族をなくさせてしもうた。ごめんな。澪……お前にしてやれることはお前を極楽に送ってやって、きっと待ってるお母ちゃんたちに会わせてやることや」

 サクラは一瞬、泣き出してしまうのではないかと思うような微笑を浮かべた。

 いつも自信に溢れ、妖艶で高雅な雰囲気から想像もできない儚い微笑は、朧も蓮太郎も思わず見入ってしまったほどの表情。澪もサクラのそんな顔は見たことがなかったのか、我にかえったように瞳を瞬いた。

「極楽……」

「そうや。お前にこれ以上悲しんでほしくない。信じられへんかも知れんけど、本心や」

 サクラの長い睫毛に囲まれた瞳がふわりと、朧たちが見たことのないほどに輝いた。同時にサクラの周りに鮮やか過ぎる花が咲き乱れた。それは紫の花で、小さな花弁が美しく神を彩り、そして倒れた稲穂を多い尽くすくらいサクラの周りをたゆたう。

「サクラ……何するんや?」

 花に囲まれて微笑んでいるサクラに、朧が声をかける。ゆっくりと朧に視線を流しながら、神は優美に口を開いた。

「聞こえてへんかったんか? お前のそのでっかい耳は飾りかボケ」

「聞こえてたから聞いてるんやないかあほッ。お前澪をどないするつもりや!」

「何度も同じこと言わすなや。澪を解放してやるんや。これ以上くそじじいどもの思惑にこの子を使わせへん」

 きっぱりと言い切ったサクラの言葉に朧が大きく目を開き、蓮太郎が涙を堪え喉をひくりと動かした。

 解放。極楽に送るとは、つまり澪を殺すことに変わりはない。確かに朧や蓮太郎の何代も前の狐であるならば、こんなに幼い容姿をしているはずはない。それを本来あるべき様に戻してやるというのは、当たり前のことかもしれない。

 だけどサクラが澪を本当に気にかけてきたことは、先ほど話を聞かされたことと、こうして久方ぶりの対面をした様子を見れば分かる。

 澪とサクラの間には、今は失ってしまったとしても、一度は何かしらの縁も絆もあったはずなのに。

 そんな相手を自らの手で殺めてしまうことは、サクラにとって楽しいはずもない。

 澪はただ自分の前に立つ神をじっと、黄金色の瞳で見つめている。その顔には先ほどのサクラと同じで何の感情も滲んでいなかった。

「あかんで。サクラ……それあかんって!」

 朧は考えるよりも先に、そうサクラに投げかけていた。

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