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41.神の後悔。

人間に殺された。

 その言葉に朧も蓮太郎も息を呑んだ。自分たちの中で「人間がそんなことを?」という思いがあったからだ。長い時間生きてきて、確かに人間の愚かな言動を見て来たこともあった。戦争というモノをみたときは、こんなばかげたことをしてしまえる人間に対して理解できない感情を持ったこともあったが、それでも二人の狐は人間が好きであり、いい感情を失うこともなく今まで生きていた。朧などは自分の身に流れる人間の血が、それを拒絶するように戦慄を覚えたほどだった。

「なんで、そんなことしたんや……?」

 知らずに声が震えだした朧を気遣うように、そっと蓮太郎が朧の褐色の腕に手を伸ばす。自分でさえ気持ちが揺らいでいるのだから、朧にとってはこの話は衝撃的だろうと思うと、やわからな白い眉を歪めずにはいられなかった。

 サクラはそんな黒い狐をちらりと見た後、普段見せないような冷たい色を見せた。それは銀色の冴え冴えとした月の瞳に、一瞬の闇が垣間見えるような凍てつく色。

「人間は弱くて愚かやからなぁ。自分と違うモノを本能的に怖いと思うんか……私らみたいな力のない代わりに、人間の中には疑うっちゅー気持ちが大きいんか。とにかく、見た目も何もかも違うアヤカシを迫害せな気がすまんかったんちゃうか?」

 声音はどこまでものんきなサクラだが、瞳の中にちらつく闇を見た狐たち二人はさわりと背中が粟立ち、ふさふさとした尻尾が膨らんだ。自分たちが仕える神を本気で怖いとは思ったことはなかったのだが、やはり次元の違う存在は圧倒的に高雅で底知れぬ気配を含んでいる。蓮太郎などは既に泣きそうであったのだが、我慢しきれず小さく悲鳴をもらしてしまう有り様だ。朧は赤い瞳をじっとサクラに縫いとめて言葉を発することはしないが、それでもいつの間にか何かを我慢するように両の手をぎゅっと握りこんでいた。

 ふわり。と、風がそれぞれの髪と装束を撫でて通り過ぎていく。心地いいはずなのに冷たく感じる。サクラは瞳の中に燻る闇をふと潜めて朧を見た。

「勿論、全員が全員って訳やなかった。いくらアヤカシの子かてまだ幼いし可愛い盛りや。ほんの少しの人間は自分の良心もあって、迫害することには反対やったんや」

「ほんなら、そいつらは助けてやったんか……?」

 希望をこめて聞いた朧の言葉に、サクラの首がいとも簡単に横に振られる。

「反対やっただけで、止めんかった」

「…………あ?」

「な、なんでですかっ?」

 今にも食って掛かってきそうなほど、一瞬にして朧が怒気を孕み、蓮太郎はますます泣きそうな顔でサクラを見つめた。二人のそれぞれの反応は性格をよく表していると、こんなときではあるがサクラはつくづく感心したように兄弟の顔を交互に見返した。長い睫毛の下の月の瞳が悲しげに、しかし同情するように少し伏せられた。

「大勢の中で小さな意見を通すんは並大抵のことやない。しかも大半の人間は自分らの都合の悪いことを全部澪らのせいにしよって、まともにモノ考えることも出来んかったんやろう。そんな中で反対なんか言うてみ? 自分らの命まで危険に晒されるやんけ。だからなんも言えんかったっていうことや。ほんま、人間て弱くて愚かやなぁ」

 最後は半ば独り言のようにサクラは零した。長い間、短い命を紡いでいく人間を見てきたサクラにとっては、覚えきれないほどに何かしらのドラマを見てきた。しかし澪のことは、その中でも忘れもしないことだった。

 サクラの守る土地の中でも、いくつかをアヤカシに任せていた時代のこと。たまたまそこを見回りに来たサクラに物怖じせずに澪は走り寄ってきた。人間の世界でアヤカシが生活していることに、さすがのサクラでも驚きを隠せなかったのを覚えている。白銀の髪に白銀の耳と尻尾。小さいながらに秘められた妖力は並大抵のものではなかった。人間を愛してアヤカシを愛している無邪気な心根を、ある日突然人間たちの邪な心が踏みにじったことを後から聞き、なぜもっと早く気付いてやれなかったのかと後悔した日のことも勿論忘れたことはない。そこを統べるのは自分だったはずなのに。そう思うと今でも胸が重たくなる。

 月の瞳が翳りを帯び、その整った容貌をハッとするほど凍てつくものに変える。サクラの中にも何か澪のことについて思うことがあるのだと、それを見て悟った狐たちは、それ以上サクラに対して言葉を紡ぐのをやめた。口を開けば、過去の愚かな人間たちに向かって吐き出されるはずの言葉を、サクラにぶつけてしまいそうだからというのもあった。

 赤い瞳を歪めたまま、朧は歪に重ねられた岩を見上げた。それは絶妙に重なり合っているが、脆さも感じられる。まるで澪そのもののようだと、今の話を聞いて感じずにはいられなかった。自分を散々痛めつけてくれた相手だけれど、何よりも自分以外にアヤカシと人間の混血がいたことに驚いた。が、心の底では嬉しさを感じているのも正直な思いだ。いつも明るく笑っているが、生まれついての運命に何も苦労がなかったわけではないだけに、朧は先ほどよりも澪に親近感を持ったかのような感覚さえあった。

 蓮太郎もまた、同情せずにはいられないあの金色の狐のことを思い出す。自分は狐の中の恵まれた環境で生まれ育った。朧と比べても、それは明らかだろう。そんな自分が澪が見舞われた出来事を理解できるはずもないのだが、それでも愛する家族を奪われたと仮定しただけでも胸が切られるように痛んで仕方がない。それを何年も何年も心にとどめ、そして一人で暮らしているのは、まだ若く幸せな蓮太郎には想像すらできないことだ。自分たちを殺そうとしたあの狐ことを好きになることは難しいのかもしれないが、そんな過去を持っている澪のことを、今回引き合いに出した長老たちに蓮太郎は自然と怒りを感じる。

人間を忌み嫌っている澪ならば、説得なんてものはできない。それが長老たちの出した答えだったのだ。はなから勝負にもならないことをさせられたのだ。まぁ、長老たちもまさか澪が蓮太郎たちと殺してしまおうとするまでとは思っていないのだろうが。

 考えが至ると、白い狐は無意識に眉根をきゅっと寄せて、普段穏やかな色を滲ませる金色の瞳の奥にちらつく苛立ちと怒りを吹き上がらせた。それを黙ってみていたサクラは、乱れてしまっている蓮太郎の髪を小さな手でわしゃわしゃと乱暴に撫で回した。

「お前も、そんな顔できるんやなぁ」

「……はい?」

 自分ではそんなきつい感情を表に出しているなんて気付かなかった蓮太郎が、瞳を和らげてサクラを見やる。ニヤニヤと楽しそうに笑っている神は、のんきな口調で蓮太郎の頭を撫でながら言った。

「一族なんて面倒なもんをまとめるのは一筋縄ではいかんで。怒ったり宥めたり、しめるところはしめんとあかん。蓮太郎にそんなことができるんか心配やったけど、今の顔見たら大丈夫な気もするわ。朧もおるし、お前がこの先なにを選んでも大丈夫や」

 何の自身なんだろうと思う蓮太郎の瞳がぽかんとしたものになったが、サクラはそれを気にも留めずに、澪がいるだろう場所を見た。

「あの子も可哀想なんやけどな……」

 月の瞳が何かを思うように眇められる。黒髪がふわりふわりと風にそよぐ中、その妖艶な瞳は過去のことを思い出して遠くを見つめた。

 父親は、人間たちに復讐をした。大切な家族を殺された妖狐は自我を失い、その村を殆ど根絶やしにしてしまい、それを咎めた同じ狐たちから迫害され、追放され、その後の行方はとうとう分からないまま時間が過ぎてしまった。子供という生き残りがいたにも関わらず父親の犯した愚かな行動で澪は更に窮地に立たされた。幼かった狐が人間の世界を生きていくのは、人間の子供が一人で生きていくよりも困難だった。自分の責任を感じたサクラは、瀕死の状態でもアヤカシという強靭な生命力のおかげで、なかなか死ぬことのできない澪を助けることにした。

「サクラさんが、あの人を助けたんですか……?」

 蓮太郎が意外そうに言葉を零した。朧もそれは同じなようで、目を見張ったが言葉を挟むことはしなかった。色の違う瞳を受けたサクラは、長い睫毛を伏せて小さく頷いた。

「まぁ、私がもっと早く何とかしてやったら……澪があんな目に合うこともなかったやろうと思ってなぁ」

 自分でアヤカシの世界に帰る術も持たなかった澪は痩せ細り、体力も気力もなくなり、森の中でただ呼吸を繰り返すくらいの反応しかなかった。それを見つけ出して、サクラはもう一つの澪の世界につれて帰ってやった。

 しかしそれを歓迎するものはいなかった。今では年を重ねて、長老といわれる者たちですら生まれる前。そして今よりずっとアヤカシの数も多く栄えていた頃の話だ。

 誰もが、人間を娶りそして自らの大いなる力で、いくら理由があろうとしてはいけないことをしたかつての自分たちの仲間を責め、そしてそれの子供を仲間と認めることをしなかった。

アヤカシは仲間を人間以上に大切にする。しかしそれは血縁を含む種族の絆が大きいからだ。混じりけのないアヤカシでなければ認めない。それを頑なに守ってきたからこそ、計り知れない時間を脈々とつないでこれた。間違ってはいないが、何ものにもとらわれない神という立場からすれば、いささか頑な過ぎやしないかと、サクラは思う。

 だから、アヤカシの世界でも澪を助けてくれるものはいなかった。それがサクラの見た現実だ。しかし死ぬことはまだ澪にとって先の話だ。少しでも希望があるのならば。サクラはいずれ澪の環境が変わってくれることを願って、この場所に澪を導き、澪だけの世界を造った。小さく哀れな狐に、神は同情した。

「ってことは、ここ作ったんサクラやったんか?」

 紛れもない、幻ではないあの世界を思い出して、朧が驚き、しかし納得した。風も実りも何もかもがあの岩の中で命を持って溢れているのは、澪がいくらアヤカシであってもなしえることではない。サクラがそれを作り出したのなら、それが一番胸の中にすとんと納得できるものだ。しかしサクラは首を横に振った。

「作ったんは私やけど、私は途中から関ってないねん」

「……あの、どういう意味ですか?」

「あの子は途中から私のことも拒みよった。何もかも否定して、それから……死までもを拒み始めてから、あの子だけの力で今の世界を維持してる。思い入れってのは恐ろしいもんでな……あの子はアヤカシでも人間でもない、私らに近くなってしもうてるかも知れん」

 サクラの言葉を聞き、知らぬ間に白と黒の狐に産毛が逆立つような感覚が湧き上がった。それは自分たちよりもずっと長生きの理由を知ったも同じだった。

 思い。念じればそれは何でも可能にしてしまうというのか。

「そんなん、ありなんか……?」

 信じられないといったように、朧の赤い瞳が瞬きを繰り返す。自ら経験したあの妖力の大きさは並み大抵ではなかったのが、まざまざとそれを現実のもだと思い知らせる。蓮太郎は驚きすぎて何も言えなくなってしまったようだ。

「ありも何も、実際澪は死んでへん。それが事実やろ」

 サクラにも、澪の現象は説明のつかないことだった。アヤカシが次元を超えてくるなんてことが初めてなのだから。しかし神は時折澪のことを透かし見るようにしていたので、長い時間会わず、言葉を交わさなくても、ある程度は澪のことを把握していた。

 長い髪を自身の細い指で梳きながら、サクラはふと呟いた。

「邪険にされたのに、都合のいいときだけ使われて、あの子はいつまでたっても不憫やな……そろそろ解放してやらんとな……」

「解放……?」

 何のことかさっぱりわからないその呟きに、黒と白の狐は首をかしげた。静かな山の空気が満ちていく宵闇は、やけに綺麗にそれぞれの視界に映りこんだ。

 しばらく沈黙があったが、不意にサクラは立ち上がり、座り込んでいる狐を見た。

「ほな、いくで」

 なんとものんきに、そして簡単に言った神に、狐たちが目を丸くして同時に返した。

「どこに?」

 その言葉に、サクラは黙ったまま目の前を指差した。それは澪のいる世界への入り口だった。


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