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31.想いの行く末に見える光。


 広い部屋の中で、片膝を立てた大柄の狐が脇息に凭れながら言う。

「たまに帰ってきたと思ったら、こんな日とは……仲良かった義妹のことは本能で分かったんか?」

「こんなことになってたとは思いもしませんでした」

「そうかぁ。まぁこれもなんかの縁やなぁ……」

 いくつも飾られた房や飾りに彩られた白銀の髪を穏やかな風に躍らせ、九つの尻尾をゆらゆらさせて笑う父親に、蓮太郎はそれ以上何も言えなかった。自分よりもどれだけの力を持つか分からない空狐の父の圧倒的存在感は、こうして寛いでいる姿でもひしひしと感じる。白銀の髪に白銀の尻尾であるが、蓮太郎よりも金色を帯びている。それが長寿の証拠だ。

「で? 話があるてなんや?」

 金色の瞳を息子に向けながら、白い大きな狐は煙管を手に取りながら言う。思わず見とれてしまってた蓮太郎はその言葉にハッと我に返った。赤を基調にした艶やかな彫りを施された煙管が、大きな手の中で妙に繊細で小さく見えた。

「あの……」

「ん?」

「えっと……」

 蓮太郎の瞳が正座をした膝の上にある自分の手に落ちる。彷徨うように何度か瞳を持ち上げるが、どうしても自分を見つめてくるもう一つの金色の瞳に結べない。そんな息子をしばらく不思議そうに眺めていた父は、ふと冗談交じりに言葉をかけた。

「なにをもじもじしとんねん。さては好きな子でもできたか? ん?」

「…………へ!?」

 まさしく冗談のつもりだったその言葉に、蓮太郎の瞳が真ん丸く落ちそうなほどに見開かれ、それから烈火のごとく赤面した。あわあわと何かを言おうとして唇だけが動くが、言葉どころか音すら出ない。金魚のようにぱくぱくと口を動かす息子の初めて見る混乱ように、今度は父親の方が唖然として言葉を失うほどだった。

「ほ、ほんまにできたんか? 好きな子が……」

 朧と違って内向的で少しばかり心配していたほどの息子のこの反応。釣られるようい焦る大柄の狐に、蓮太郎がますます赤くなり口ごもるほかできなくなる。そのせいで広い部屋の中に奇妙な沈黙が垂れ込め、なんともいえない雰囲気が生まれてしまった。

 まさか面と向かってそんなことを言われるとは思わなかった蓮太郎は、集まる頬の熱に懸命に深呼吸を繰り返してやり過ごす。しかし考えれば考えるほど、肯定する言葉が出ない。しかも相手は人間ですなんて言えたものではない。やはり自分の決心が軽かったのかと猛省すらし始めて、穴があったら入りたいくらい恥ずかしくて、無意識に頭を畳に落としてしまっていた。

「蓮太郎? なんで頭下げてるねや」

「お父様、申し訳ありません」

「は?」

 突然の息子の態度に父は首をかしげる。蓮太郎は俯いたまままた大きく深呼吸をして、それから混乱して滲む涙を飲み込む。言わなければ。そう何度も胸の中で自分を叱咤しようやく口を開いた。

「僕、好きな人がいます。それで……その人は……優しくて明るくて、可愛くて……それから、小さくて、少し慌てんぼうで、それから……えっと……あの……」

「なんや、どないしたんや」

 あまりにも小さくなっている蓮太郎に、父親の眉が心配そうに寄せられる。それを身体で感じる白い狐は数分の間を置き、何とかの舞台から飛び降りる思いで口にした。

「人間の、女の子です……」

 情けないほど小さく零れた言葉に、息を呑む気配を感じた。自分に期待してくれていた父親の落胆を見せ付けられたような気がして、蓮太郎が俯いた姿勢のままできゅっと目を閉じる。その拍子に堪えていた涙がぱたりと畳に落ちた。

 開け放たれた部屋の中に蓮華の芳香が漂う。自分の母の名前だった大好きな花。その芳香は安心できたのに、今までどれだけ癒されてきたか分からないのに、それなのに今だけは罪悪感のようなものを感じさせる。

 だけど、成実を好きになったことは後悔はしていない。はじめは何でもなかった付き合いの中で、少しずつ育んできた想いは確実に存在する。それをなかったことになんてできない。

朧が言うように、成実が本当に自分を好きなのかは分からないけど、自分が成実を好きなのは変えがたい事実なのだからこの想いを形にしたい。そのためには、このまま同じ狐の中の誰かと結婚してしまうことはできなかった。たとえ成実と上手くいかなくても、成実を忘れるまでは他の人と結婚するつもりもない。中途半端で誰かの未来を請け負うわけにもいかないからだ。一族を守ることもたった一人を守ることも、不器用な蓮太郎は成実を置いてはできない。だからこそ、自分の今心の中にいる存在を父親に話しておきたかった。

 廊下の向こうでは、蓮華がたおやかに揺れている。和やかな可愛らしい花の庭に視線を巡らせて、父親は一つため息を落とした。

「そうかぁ……」

 普段豪快な父親のらしくないほどの呟きに、蓮太郎の肩がひくりと反応したが、頭を上げることはできない。煙管からくゆる紫煙が時折蓮太郎の整った鼻を掠める。

「なるほどなぁ」

 父親はまた呟いた。とてものんきに聞こえるその声は、次第にどこか面白そうな色を含み始める。それが少しずつ確実に笑いになって、くつくつと喉を鳴らす。

「お父様……?」

 先ほどの自分の話に笑う箇所なんかあったかな。きわめて真剣な話をしたつもりなのになぜ父親は笑うのか。全く理解できない蓮太郎が、ずっと下げていた頭を少し上げて盗み見る。すると父親は、立てていた膝に額をくっつけるようにして実に楽しげに笑っているではないか。

「お父様、なんで笑うんですか。僕……」

 こんなに真剣に考えていた自分がおかしいのかと首を傾げたくなる。大笑いはしないものの、やはり笑いを堪えられないように肩を揺らす自分の父親に、どうしたものかと言葉をかけられない蓮太郎を前によく似た目が不意に止められた。

「蓮太郎、お父ちゃん安心したわー」

「は……?」

「お前今まで浮いた噂の一つもなかったやろ? 男色かとお父ちゃん実は心配しとったんや。朧でも少しは華があったからなぁ」

「お……朧に!?」

 ひょんなことから引き合いに出された朧に蓮太郎が目を丸くする。が父親は当たり前のように頷いた。

「あいつもええ年やないか。少しくらいそんなんあってもおかしないって言うか、なかったお前を心配しとったんやで? だから蓮太郎からそんな話されてお父ちゃんびっくりや」

 からかう口調の中に確実に安心したのと面白がっている色を隠さない父親の顔を、蓮太郎はなんだか無性に気の抜けた顔で見やる。先ほど零れ出た涙を返してくれと言いたいほどだ。

「でもな」

 煙管を咥えながら父親はよいしょと立ち上がる。そのまま少し離れていた蓮太郎の前にどかっと腰を下ろしてまっすぐに視線をぶつける。力強い眼差しを真正面に受け止めた蓮太郎がぴしっと姿勢を正してしまうほど、それは心の中に入り込んで来る。

「人間を好きになったことは、お父ちゃんはどうこう言えん立場や。朧のお母ちゃんかて人間やったんやから」

「……朧のお母様は、どんな人やったんですか」

 見たことのない朧の母親のことは、なぜか聞いてはいけないような気がして今まで口にしたことはなかった。そもそもこんな話をすることもなかったのだから当たり前かもしれない。蓮太郎の問いかけに、懐かしそうに父親は顔を綻ばせた。

「べっぴんさんやったで。巫女さんで、神さんやアヤカシに近い存在やったかも知れんなぁ。お父ちゃんの一目ぼれやった」

「一目ぼれ。お父様が……」

「そうやなぁ。それで縁があって朧が生まれてくれて、短い時間でもお父ちゃんは楽しかったで」

 今からはるか昔の記憶の中に、今でも鮮やかにいるのだろう朧の母親のことを思い出して優しく金色の瞳は細められる。自分の母親とは違う相手を思っているのだが、それが不思議と不快ではない。きっと朧が自分の何よりの理解者であることと、父親が自分も母親もとても大切にしてくれていたことがあるからだろう。

「お前のお母ちゃんにも朧のおかあちゃんにも苦労も迷惑もかけたけど、お父ちゃんにお前も朧も残してくれて、ほんまに感謝してもしきれんわ。ありがとうなぁ、蓮太郎も朧も

 大きな手でわしゃわしゃと頭を撫でられる。幼い子供にするような愛情たっぷりに触れてくる掌に、蓮太郎は思わず頬を緩めた。

「お前の好きにしたらいい」

 撫でてくれる手の気持ちよさに、一瞬なにを言われているのか分からなかった。自分よりも幾分高い位置にある金色の瞳を見上げて、蓮太郎はぽかんと放心した。

「お父ちゃんはこの道を選んだけど、お前まで一緒になることはない。一族をまとめることはしてもらわなあかんけど、結婚相手くらいは好きに選べ」

「え、でも……同じ狐の中やないと……」

 血が薄まってしまうどころか人間の血が交じり合うことは、父親が許しても長老連中が許すはずがない。だから悩んでいたのに。蓮太郎が再び混乱の中に思考をうずめようとしていると、それを払拭するように父親が豪快に笑い飛ばした。

「そんなもん、今はお父ちゃんが一番偉いんやからかまへん。だいたい朧がいい前例やないか。あいつたぶん本気になったら妖力は一番かも知れん」

「朧は、確かに強いですけど……」

「白い狐の中に黒く生まれてしもうて、朧はいらん苦労をしてきたけど、お前がもしその人間と結婚して子供でも生まれたら、その子らは朧が守ってくれる。だから心配いらん」

 行動や言葉遣いでは自分よりも朧に似ている父親の言葉は、まるで朧自身が目の前で言っているような気がする。どこまでも自分は周りの者から守られている。そう感じる蓮太郎が、では自分は何をするべきかを頭の中でぼんやりと考える中、大らかさと明るさを感じさせる笑顔を翳らせて、父親は付け加えた。

「ただ、人間と狐の時間は確実に違うことだけは覚えときや、蓮太郎」

 いつも元気で、何も怖いものなどないような父親の言葉が妙に寂しそうに聞こえたような気がしたが、その瞳の中に見えるなにかとても深い色に、それ以上は何もいえなかった。

 先ほどまでの蓮華の香りが、今は少しだけ癒される香りに変化している。それは自分の中の重たいものが少し解けたからだろうか。優しい金色の瞳を巡らせて、春のような温かい風に揺れる小さな花々を蓮太郎は見つめた。

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