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21.先のことより今でしょう。


 サクラの攻撃を二回もまともに受けてしまった朧が、若干のへっぴり腰でよたよたと神社を後にして数時間。既に日付が変わろうとしている。しかし落ち着かない成実は涼子の部屋で暖を取りながら、なんともいえない気持ちになっていた。

 自分と蓮太郎では何もかも違うと分かっているし、この先二人の関係がどうにかなるとも思っていないのだが、それでも蓮太郎が撫子と結婚してしまうのは耐え難いことだった。

 だが、今の状態では自分は蓮太郎の彼女でもないのだから、本当はこんなことを思うことも、まして、撫子のしてしまったことは褒められたことではないにしろ、邪魔しようとしていることも果たして良かったのか。

 サクラの言葉を聞いて安心した反面、ふと弱くなってしまう気持ちを持て余していた。

 黙り込んでそんなことを考えている成実を、涼子は愛らしい瞳で見つめ、それから飲んでいたココアをテーブルに置いて声をかけた。

「なにをそんなに悩んでるんですか?」

「へ?」

 突然問われて、成実が下げていた視線を持ちあげて涼子を見る。クッションを抱き込むようにして壁にもたれていた自分を、涼子が見つめていたことに初めて気がついた。

「別に、悩んでないよ?」

 お世辞にも笑顔とは言えないような笑みを浮かべて言った成実に、涼子は首を振り小さく笑う。

「成実さん、隠し事できないでしょ」

「え……」

「そんな顔で隠し事ないって言っても説得力ないですよ。……蓮太郎のことなら、朧もサクラさんもいますし大丈夫です」

 にっこりと笑ってそう言った涼子に、成実の心臓が跳ね上がる。どこまでも見透かされている自分がなんだか情けなくなる一方で、知ってくれていることが嬉しくも感じる。先ほども泣いてしまったが、また涙腺が緩くなりそうで、成実は大きく息を吐き出した。

「でもね」

「なんですか?」

「私が蓮太郎を好きでも、どうにもならないじゃない?」

「はい?」

 涼子は成実の言っていることが理解できないといった様子で首を傾げた。さらりと長い涼子の髪が肩を滑るのをぼんやりと眺めながら、半ば独り言のように成実は先を続けた。

「だって……私は人間だし、蓮太郎は狐だし。何もかも違うもの。どう考えたって先なんてないじゃない。それなら、悲しいけどこのまま結婚してしまった方がいいのかなって思ったりなんかしてね……。私は時々蓮太郎の顔を見れるだけで幸せだしさ……」

 顔を見れるだけで幸せ。

 なんてことはあるはずがない。独身の自分が結婚なんてことは今ひとつピンと来ないけど、それでも生涯一緒にいる誓いを立てた相手を、何食わぬ顔して見ていられるほどお人よしでもない。

 まして特別な感情があるなら、なおのこと辛くなるのは目に見えているのに、感情とはまるで違う言葉が、無意識に唇から零れ落ちていた。

 噛みしめるようにして零れたそれを黙って聞いていた涼子が、珍しいほど大きなため息を一つ落とす。それは呆れているようで、その裏に親愛をこめた柔らかいものであったが、それでも弱気になっている成実は何事かと思い目を見張った。

 そんな成実の前で、涼子はふんわりと笑みを滲ませて口を開いた。

「確かに何も問題ないなんて言わないけど、でも好きなのは自由でしょう? そこを否定してしまうのはどうかと思いますよ?」

「そうかなぁ……」

「そうですよ。だって現に朧のお母さんは人間だったんでしょう?」

「そりゃそうかもしれないけど、でも……」

 涼子の言葉も分からないでもないけど、やはりどう考えても成実には前向きに考えることなどできない要素の方が多いような気がする。いくら朧が人間と狐の間に生まれたとは聞いても、それは昔話のような感覚でしかなかった。

 まぁ、人外の存在自体が昔話みたいなもんなんだもん。神様ですら信じていなかった自分がまさか狐を好きになるとは、人生何があるか分かったもんじゃないよね。

 成実はクッションに顔をうずめるようにしてがっくりと肩を落とした。もう何について悩んでいるのかも分からなくなりそうだ。仕事以外でこんなに頭を使うこともないので、結局はぐるぐると同じことばかり考えてしまっていて一向に埒が明かない。

 自分の膝ごとクッションを抱え込んで微動だにしなくなったそんな成実を、涼子はまたしばらく黙って見つめていたが、そのうちに花が綻ぶような笑顔を見せた。

「結局、考えるってことは好きなんだから、諦めた方がいいと思いますよ」

「……え?」

 言われたことがわからなくて、成実が顔を上げて涼子を見る。暗く閉ざしていた視界はややぼんやりとしており、何度か瞬きをする。目の前に座っている涼子はにこにこと笑いを湛えていた。

「あ、蓮太郎を諦めろってことじゃなくて、好きなんだって受け入れて、今は先のことなんて考えなくてもいいんじゃないですかってことです」

「でも、それじゃ……」

 お気楽な性格ながら、気楽に好きになったりしないタイプである成実は、自慢ではないが恋愛に関してはとんでもなく不器用だ。自分の気持ちでさえなかなか気づくことができないのだから、それも無理はないのだろうが。涼子の言っていることも間違いではないが、やはり「それじゃあ楽しく簡単にいきましょうか」なんていうことはできない。困惑を滲ませた成実に、涼子はクスクス笑って続けた。

「って言うか、よく考えなくても、成実さんまだ蓮太郎に好きだって言ってないじゃないですか」

「は……?」

「でしょう? 勿論蓮太郎からも何も言われてないでしょう? それなのにこの先のこと考えるのもおかしな話じゃないですか」

「確かに……言ってないけど……って言うかね、涼子ちゃん」

 成実はふと壮大な不安に襲われて、緊張した面持ちで涼子に問うた。

「蓮太郎ってさ」

「はい?」

「蓮太郎って……その……ほんとにね、私のこと、少しは、その……」

 言葉につまってしまって上手く言えなくなった成実の先を、涼子はまさかの思いで引継ぐ。

「私のこと本当に好きなの? って聞きたいんですか?」

「…………そう」

「なるみさん…………」

 真っ赤になって俯いてしまった成実に、涼子は鈍感にも程度は必要ではないかと呆気にとられた。いくら口に出さなくても、あれだけ蓮太郎の仕種やら表情に見え隠れする感情に、どうして本人だけが気付かないのだろうか。まじまじと成実を観察しながら、涼子はだんだんおかしくなってきて必死で笑うのを堪えた。

 肩を震わせて何も言わなくなった涼子を、ちらりと成実は赤い顔のまま見やる。

「なんで、笑うの……?」

「いえ……」

「だって、そんなの信じられないんだもん……そりゃ少しくらい期待しないわけじゃないけど、でも、蓮太郎綺麗だし優しいし、私なんかちびだし見た目だって人並だしさ……」

 誰にでも平等に優しく接しているだろう事は、普段の蓮太郎を見ていれば想像に難くない。それに朧と撫子と、楓たち子狐くらいしか見たことはないが、皆整った顔立ちだし、目の前にいる涼子だって愛らしく可愛い。自分の性格も外見も自信のない成実からすれば、大抵の相手は「綺麗な人」として映る。

 そんな中で、蓮太郎が自分を選んでくれるなんてことは、狐と人間だからという以前に、成実からすれば大問題だった。と、今更ながらにそれに気付く。

 すっかり違う意味でもへこんでしまった成実に、涼子は笑いを何とか治めて声をかけた。

「成実さん可愛いし、なんでそんな自信がないかは私には分かりませんけど、今度蓮太郎に聞いてみればどうですか?」

「聞く……なにを?」

「私のどこが好き? って」

 首を可愛らしく傾げて涼子は言う。その仕種は涼子だから成り立つものであって、そんなこと私がしたらなんのギャグなのよ!? と、成実が言葉を失う。しばらくぽかんとしていた成実がはたと我に返って慌てて口を開いた。

「い、いやいやいやいや! そんなのムリだよっ。だいたい、蓮太郎が私のことなんとも思ってなかったらすっごい恥ずかしいじゃない!」

 顔から火が出そうなほど赤面して、成実は思わずぎゅうっとクッションを抱き締めた。何をするわけではないが、半ば腰を浮かせて立ち上がろうとする。

「蓮太郎が好きなのは成実さんですよ。それだけは確かですから大丈夫です」

「そ、そんなのわかんないもんっ」

「大丈夫ですって。サクラさんに蓮太郎の目を覚ましてもらったら、聞いてみましょうね」

 にこっと、涼子はたいしたことではないように言い、大きな瞳を更に可愛らしく笑み崩した。それはとても愛らしいのだが、なんだか有無を言わさない圧力のようなものも感じられて、成実はそれ以上何も言えなくて、やがて乾いた笑いを零すしかできなかった。 

 そんな成実の耳に、社の方から騒がしい声が聞こえてきた。

 それは朧と、成実が会いたくて仕方のない相手の声だと、すぐに理解できた。涼子にも勿論それは聞こえており、窓から見える社の屋根を瞳に映す。

「蓮太郎に会えますね、成実さん」

 そう言って一際愛らしく笑いかけた。

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