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14.ごめんねって言いたい。

「成実さん?」

 外出先から帰ってきた涼子が、境内に立ちすくんでいる成実を見つけてキョトンとした。いつからそこにいるのだろうかと思うほど成実はぼんやりとして、鼻の頭まで赤くなってしまっている。泣いていたのだろうとも分かるその赤くなった瞼に瞳。何かあったことは一目瞭然だったが、涼子は静かに歩み寄り、そのまま成実を家の中に促した。

 温かい色の涼子の部屋に入った成実だが、まだ口を開こうとせず、言われるがまま柔らかなラグの上に腰を下ろす。上着も着たままであるが、涼子はあえて何も言わないで何か飲み物を持ってこようと一度部屋を出た。

 少しの時間をおき、涼子は成実が気に入っていた銘柄の紅茶を淹れて、買ってきた菓子も皿に載せて戻ってきた。部屋の中に入ると、成実は涼子が出て行ったままの姿勢でぼんやりとどこともなく視線を漂わせている。いつも元気な成実からは考えられない表情で。

「成実さん。身体温まりますから、飲んで下さい」

 静かにテーブルの上に紅茶の入った茶器を置き、涼子は愛らしく微笑んだ。しかし成実の反応は鈍く、ゆっくりと視線を茶器に止めると、震える手でそれを持つ。

 いったい何があったのだろうか。と、涼子はその様子を眺めながら自分も紅茶に口をつけた。

 涼子が帰ってきたとき、わずかながら蓮太郎の気配の名残が残っていた。ということは、蓮太郎と何かあったということは明白だがあの穏やかな狐と、これほどまでに落ち込む出来事が起こるなんて想像もできない。無理に聞き出すのもどうかと迷い、涼子も何も言えなくなってしまう。

 どれくらい時間が経ったのか、ふと、視線を手元の茶器に落としたまま、小さく成実が言葉を零した。

「蓮太郎……」

「……え?」

「蓮太郎を……傷つけちゃった……」

「傷つけた……?」

 繰り返した涼子の言葉に、成実の瞳が持ち上がり、揺れる。それは後悔とか自責の念とか、暗くどんよりとした色を宿していた。

「蓮太郎、朧の生い立ち知らなかったみたいで、私が……そんなつもりなかったんだけど、でも……話しちゃって、蓮太郎が泣きそうな顔で、知らへんかったって……」

 話をするうちに、成実の瞳から涙が滲んだ。茶器を持つ手に雫がぱたりと落ちて行くのを、涼子は黙って見つめる。表情は変わらないものの、少なくとも涼子にとってもそれは初めて知ることで驚かずにはいられない。音のない涼子の部屋の中に、成実の泣く声だけがたゆたう。

「蓮太郎、私が帰ってきたときいませんでしたけど……」

「考えたいからって、帰った……私が言ったせいで、蓮太郎、悩んじゃうよね……」

 穏やかで優しい蓮太郎が悩んでしまうことが、成実には何よりも辛い。先ほど自分の世界に帰るときも、成実を一人にすることを何度も謝っていた。普段なら泣いている者を一人になど絶対しないだろう蓮太郎が離れていくなんて、よほどのことだと分かっている成実は、自分の言った言葉の重みで、蓮太郎の動揺が計り知れないのだと理解した。大きな手で成実の髪を撫でて、しかし自分の感情を上手くコントロールできない蓮太郎は、今にも泣き出してしまいそうな表情と声で、その場から姿を消した。白い燐光が成実の視界から完全に消えてしまうまで成実は視線を留めていられなくて、俯いたまま蓮太郎を見送った。

 数ヶ月しか知らないが、蓮太郎たち兄弟がどれだけ仲が良くて互いを信頼しあっているかは充分分かっているつもりだ。その兄弟の深い部分だろう出来事を、朧や家族本人からではなく、何も知らない自分から聞かされた蓮太郎の気持ちは、どんなに驚いてショックを受けただろう。何かの理由で隠していたことだろうことを自分が話してしまい、ましてあの優しい狐を傷つけてしまった。蓮太郎が今まで自分にしてくれた仕種や言葉を思い出すと、申し訳なくて泣けてくる。

 傷つけるつもりなんかなかった。言葉では簡単に言えるが、それをどうやって蓮太郎に伝えればいいのかも成実は分からなくて、ただまた、蓮太郎がふらりと現れてくれるかと思い、その場から動けないでいた。そこに涼子が帰ってきたのだった。

 俯いて泣いている成実から、涼子は視線を外して窓から見える簡素な社の屋根を見る。そこにはいつの間にか朧が戻ってきており、のんきな様子で寛いでいた。頭の高い位置でまとめた黒髪が緩やかに風を纏い、赤い瞳を機嫌良さそうに細めた狐を、しばらく涼子の愛らしい瞳が見つめていたが、やがてすくっと立ち上がると、勢い良く窓を開けた。

「朧っ!」

 涼子の大きな声が境内に響き、屋根の上の狐が目を丸くした。勿論部屋の中にいた成実も何事かと視線を持ち上げる。

「ちょっとこっち来て!」

「はぁ?」

 突然呼ばれて分からないのにこっちに来いと言われて、赤い瞳が怪訝に顰められるが、涼子はそんなことにかまわず同じ言葉を繰り返した。朧は何がなんだかさっぱり分からないが、とりあえずは軽い身のこなしで屋根からふわりと下りてくる。一階の涼子の部屋の前には小さな庭があり、そこに音もなく降り立った朧は窓にゆるく腰掛けるようにして部屋の中を覗き込んだ。

「なんやねんな。遊んでほしいんか?」

 気軽な様子でそんなことを言った朧が部屋の中で、今の今まで泣いていただろう成実を見てぎょっとした。

「成実? どないしてん?」

 眉間に皺を刻み、朧が珍しくまじめな顔で問いかける。成実はなんと説明すればいいのか分からず口をつぐんだ。それに涼子が明確に手早く説明した。涼子としては蓮太郎と成実、朧の関係がおかしくなることはだけは避けたいし、できるだけ早く解決した方が良いと考えて朧にも話に入ってもらおうと考えた結果の行動だった。

 涼子の説明を黙って聞いていた朧が、話が終わると少しだけ考え込んで、それから成実に向かって頭を下げた。

「成実ぃ、ごめんな」

「へ……? なんで、朧が謝るの?」

「だって俺らのことに巻き込んだやん」

「そんなことないよ。わたしが言っちゃいけないこと言ったから……」 

「それはしゃあないやんけ、知らんかったんやし。だいたい俺のこと蓮太郎がちゃんと知ってたらこんなことにならんかったやろうしな」

 腕を組みながら朧は尻尾をゆらゆらさせる。自分のことで誰かを煩わせるのを何よりも嫌う黒い狐は、また少しの間長い睫毛を伏せて考えを廻らせた。朧が窓に腰をかけているせいで冬の冷たい風が入り込んでくるが、成実も涼子も気にならないほど朧に向かって視線を注ぐ。

 涼子はこれ以上自分では何もすることがないだけに、朧になんとかして成実と蓮太郎の間にできた出来事の修正をしてほしかった。二人の穏やかなやり取りを見るのが、最近の涼子の楽しみでもあったからだ。成実が気付かない変化を、少女は感じていたし、それがとても幸せに感じたからでもあった。

 成実はすっかりしょげてしまい、いつもなら美味しく感じる紅茶も味気ない。冷め切ったそれを喉に何とかして流し込んだとき、朧がいきなり部屋の中に入り込んできて、茶器を傾けていた成実の腕をぐいっと引っ張った。

「きゃっ!?」

 長く逞しい腕で引き上げられるように腕を持たれたものだから、当然茶器は意図せぬ方向に傾き、残り一口くらいではあったが紅茶が零れる。

「ちょ、朧何すんのよっ」

「なにて、行くんや」

 成実の眉間にぴしりとしわが刻み込まれたが、黒い狐はたいしたことでもないようにスルーして、さっさと成実の腕を引く。慌てて成実が踏ん張って朧を引きとめようとするが、狐に人間の女の子が叶うはずもなく、ずるずると窓辺まで引きずられてしまっていた。

「行くって……説明くらいしなさいよねっ! このバカ狐!!」

「あぁ!? もっぺん言うてみぃっ! てかもううだうだ言うてんと行ったほうが早いねんっ」

「だからどこに行くのよ!」

 褐色の腕に捕らえられた自身の腕を必死で振りほどこうとしながら、泣いて赤くなった目を朧に持ち上げる。その視線を結んだ赤い瞳がにやりと意地悪そうに、しかし何の心配も要らないといったように自信たっぷりに輝いた。

「そんなもん蓮太郎のとこに決まってるやないか」


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