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1.白い狐と黒い狐。

「なんや?お前」

 今まで生きてきた中で初めて見るその瞳に、成実(なるみ)は息を呑んで身動きできないでいた。

 月明かりに照らされたその姿、瞳があまりにも幻想的で、そして妖しさを漂わせるそれを眼を凝らして見つめてみるが、やはり現実感のないそれが現実感をありありともって、目に映った。

「さっきから黙ったままなんやねん。何とか言うてみろや」

 成実の前で、それが眉間に皺を寄せて不機嫌さを隠そうとしないまま言葉を口にした。

 成実は今、とある神社の前にいる。ちいさな稲荷神社は元からして人気がなく、まして夜ともなればひっそりとして何かが出そうな雰囲気もあった。

 赤い鳥居とうっそうと生い茂る木々に、仕事帰りの成実が「薄気味悪いなぁ」と、鳥居を見上げた視線の先に、今言葉を口にした相手が立っていた。鳥居の上に。

 褐色の肌と長く黒い、風に緩やかに靡く髪を頭の高い位置で一つにまとめた男。切れ長の瞳は赤く。目尻には赤い色を差し色として加えているのが男の眼差しを妖艶に見せていた。しなやかな手足とその容貌はそこらにいる芸能人やモデルなんかと比べると遜色ないほどに綺麗だった。

 が。

 その頭にくっついている大きな三角の形をしたものと、腰の辺りから見えている、どちらも黒いものが、成実には気になって仕方がない。

 まるで。

「みみ……しっぽ……?」

 無意識に零れた言葉はそんな単語二つだった。秋の風に黒髪同様靡くようにして見える黒いふさふさとしたそれ。そして成実の声を聞き逃さないと言わんばかりにぴこんと動いた頭の三角。

 何度見てもそれらが意思を持っているように動いている。うん。動いている。

 それを認識した途端成実の顔が一気に青ざめて、わなわなと唇が震えてしまうのを止められなかった。

「それがなんやねん。お前あほなんか?」

 成実の様子を、特に気にとめた様子のないその不思議な男が、馬鹿にしたようにふんと鼻で笑った。しかし成実はそれにかまっていられるほど冷静ではなかった。

 なんなのこの人。鳥居の上になんて立って!大体そんなところ普通の人間が上がれる高さじゃないでしょっ!?しかも、なに?何その黒い付属品はッ!?

 めまぐるしく頭が回転して悪態を心の中でぶちまけているが、腰を抜かしそうなくらいに驚いてしまっていて実際に何かを言える状況ではなかった。その代わり口をついで出たのは、普通の人間らしく、絶叫に近いような叫び声だった。

「ぅ……ひゃあああああっ!」

 声とともに成実がこれ以上ないほどに後ずさった。幸い転げてしまうことはなかったが、踵の高い靴を履いていたために、バランスを崩してよろめく。

「うわっ、危なっ」

 それを見た甚平姿の男が、少しあわてたような顔で鳥居からふわっと身を下ろしてくる。闇夜を纏ったような黒髪が広がり、赤い瞳が妖艶に輝いている様子に成実は思わず怖さとか驚きとかを忘れて見とれてしまっていた。

「おい、大丈夫か?」

 音もなく降り立った男が、すかさず成実の腕をぐいっと引っ張り、成実は何とか転がらずに済んだ。しかし間近に見てしまったそれにまたもやびっくりして、更に声が上がりそうになってしまった。だがそれは静まり返った神社にも、成実と男が立っている細い道にも放たれることはなかった。

「あーもーやかましいッ。いちいちビビんなや」

 また不機嫌さを隠そうともしない声でそんなことを言われた成実の口元に、褐色の大きな手が覆いかぶさるようにしていたためだ。

 背の高い男は、平均より少し低い身長の成実を後ろから抱きしめるようにして動きを封じ、忌々しげに見下ろした。

 目が落ちてしまいそうなほどに成実は目を見開いていたが、こんな状況でも「あらやだ綺麗な顔」と、のんきにそんなことを頭の片隅で考えてしまうくらいに、見下ろしてくる男の顔は整っていた。

 しかし見知らぬ、しかもこんな妖しさしかない男に後ろからとは言え抱きしめられているのもおかしな話なので、とりあえず成実は抵抗して何とか男から離れた。じたばたと暴れている成実を、最初は「なんや」といった顔の男だったが、そのうちに力を緩めて成実を解放した。飛び退いた成実が軽く息を切らしながら、髪を整えた後大きく息をついて上目遣いに睨みつけた。

「あ、あんた……なんなの!?」

「……なんなのとか言われても……(おぼろ)っていうねんけど」

「おぼろ……? それって、名前。なの?」

 オレンジ色の自分のバッグを胸に抱きしめながら、成実は震えそうな声を何とか絞り出して問いかける。朧、と名乗った男はうつむき、めんどくさそうに前髪をわしゃわしゃと掻きながら赤い瞳だけを持ち上げて頷く。

「名前は、分かった。……で、あんたはなんなの?」

「は? なんなのってなんやねんさっきから」

 同じ質問をされた朧が今度は眉間に皺を刻んで、はっきりと成実を睨みつけた。その反応を見た成実がビクッと身体を強張らせて「どうやらこの男は気が短いのかも」と考える。

 でも聞いてしまった以上成実も引き下がれない?ので答えを待ってみる。ふるふると震えてしまう脚に力を入れてしっかりと朧を見つめた。

 そんな成美の前で、朧はふわふわと尻尾を揺らして見返していたが、やがて大きなため息をついて長い腕を組んで答えた。

「狐や」

「きつね?」

「そうや。ここを守ってる妖狐や」

 そう言って、にやりと笑った朧に瞳がきらめきを増して成実に映った。そして朧の周りにぽうっと青い炎がいくつも生まれて、黒髪と褐色の肌を彩った。

「あ、あ……」

「ん? なんや? まだなんか文句でもあるんかい」

 指をさし、自分を見て呆けている成実を見て、また朧の眉間に更に皺が刻まれる。むっとした様子で朧が何かを言おうとしたとき、赤い鳥居の向こう側から声が聞こえてきた。

「朧? 何してはるんですか?」

 穏やかなその声が成実の鼓膜にも届き、知らず知らずに視線を持っていかれてしまっていた。そしてまた。大きく息を呑んだ。

 朧の後ろ側から聞こえた声の主が軽やかな足取りで向かってくる。しかし足音などなく、氷上滑るようにふわっとしたものだったからだ。しかも。こちらは白かった。

 月の明かりを受けて輝く銀色の長い髪を靡かせて、真っ白な日本古来の装束のそれは、金色の瞳をしていた。

 そして、朧と同じように、頭に三角とふさふさとした尻尾がある。真っ白なそれを機嫌よさげに動かしながら朧に近づいた白い男が、ふと目の前で震えている成実を見て、そして驚いたように眼を見開いた。

「朧……この子……」

 なぜこの白い男が驚いているのか成実には分からないが、互いにびっくりしたまま言葉を詰まらせている様子を見て、朧が口を開いた。

「見られてしもたんや」

「見られたて……簡単にそんなことを言うても、どうしはるつもりですの?」

「そんなん知らんわ。こんな時間に人間がここを通るとか思ってへんかったんや。お前かてそうやろ?」

 同意を求めるような朧に白いそれは、んーと悩みながら、確かに、といった様子で頷いた。終電で帰ってきた成実がこんな時間にここを通ること自体が珍しいことで、しかももともと薄暗いこの神社の前の道は、夜になれば避けられる場所でもある。それを朧は言いたいのだろうか、とぼんやり考えてみたりした。

「でも、見られたのは失敗やないですか?」

 心配そうに眉間に皺を寄せて、白い男は首を傾げて朧を見た。その金色の瞳が月明かりを反射するかのようにきらりと輝いた。

「そらそうかも知れんけど、もうしゃあないやん」

 そこまで言って、朧は身体ごと成実に向き直る。

「おいお前」

「……はい?」

「俺らに会うたことは黙っとけよ。誰にも言うたらあかんで? 言うたらしばく」

「……はぁ」

 思わず気の抜けた返事を返してしまった成実に、朧が「あ?」と不満げな声を漏らして、白い方のそれが少しだけ安心したように笑った。ふんわりとしたその笑顔を見た成実がつられるように少しだけ顔をほころばせた。怖さのないその笑顔が、すんなりと成実の中に入り込んできたような気がした。

「ありがとうございます。あ、僕は蓮太郎(れんたろう)と申します」

 朗らかさすら感じさせる笑顔で、白い方が蓮太郎と名乗って丁寧に頭を下げた。

「あ、ども……」

 成実もそのまま習ったかのようにお辞儀をした。ゆっくりと頭を上げて黒と白のそれぞれに立っている姿を視界に入れなおして、まじまじと見つめた成実に、赤と金色の瞳がほぼ同時に笑みの形に変わった。

 うわ、綺麗……。

 夜風に靡く二人分の艶のある髪と大きな耳に尻尾。本当なら夢でも見ているんじゃないかと思う光景なのに、やはり現実感はしっかりとある。どう説明して良いか分からないこの状況に、成実が困惑をはっきりと滲ませた瞳を、目の前にいる二人から逸らせないままでいた。

 だから……これって、なんなの?

 

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