章幕 暗闇の中で
「ごくろうさま」
「…………ども」
「思わぬハプニングに巻き込まれたね、拓也」
暗城は人形のような微笑を浮かべながら、そう言ってくる。決まり文句のように大変だったねぇーとか言ってはいたが、まったく表情と口調が合っていない。
拓也は暗城を一瞥してから思わず、あの時のこと思い出してしまった。
柚莉が目覚めた、あの時を……。
そう。あの瞬間から柚莉の死は決まっていたのだ。
というのも、死者となるものは本来目覚めるわけがないのだ。そのまま眠りについていて、そこをあの鎌で身体と魂魄とを分離するのである。……そう、本来ならば。
しかし時たま、例外というものがある。それが柚莉のように、死する寸前で目覚めてしまうようなタイプだ。
元より目覚めるはずのない死者が目覚めるということは、本来ありえないことである。それに死者が目覚めるのには、相当の霊力が必要となってくるのだ。
じゃあそれをどこから摂取するのかといえば――自らの魂魄である。
例外者はつまり、自らの命を削って目覚めを維持するのだ。勿論人の持つ霊力にも限りがあるから、それが尽きれば自ずと死ぬ。
死者となるものは、魂魄の残量が元から少ない。そんな死者が目覚めるのだから、その時点でその者の死は放っておいても、確定したも同然なのだ。
……だが。
「ん、どうしたの拓也? 機嫌が悪いみたいだけど」
今回ばかりは、それも例外。
「当たり前です」
拓也は不機嫌の象徴とも言える低い声のまま、暗城から視線を反らした。
気付いてか、暗城は困ったように微笑むと拓也に近づいていく。
「……もう解っていたんじゃないの? これの意味」
聞こえる声は飽く迄も冷静そのもので、妙に腹立たしい。
拓也は暗城を、おもいきり睨みつけた。
長いダークブルーの髪が、小さな音をたてて揺れた。
「解っているとかいないとか、そういう問題じゃありません! こんなこと、酷すぎます。最初の任務が、『一番大切な人の魂魄を捕ること』だなんて!」
「でも、ちゃんとその人だけは元に戻してあげてるでしょ」
そう、戻してくれるのだ。確かに初任務時に狩った魂だけは、元に戻してくれる。
それは死神の一番、大切の者の魂魄だから。
最初ばかりは、己の罪の大きさを思い知るために大切な者の魂魄を捕る。
ある種の、戒めなのだ。
しかし拓也は、それがどうにも許せなかった。
「そういう人の命を弄んでいるようなところが、俺は気にくわないんです」
大切に思っていた人は、これじゃあ単なる巻き添えもいい所だ。無駄な死を一つ多く迎えるだけの、さらなる被害者にしかならない。
そして死神も戒めとはいえ、心に大きな傷を負うだけだ。
それ以外の、何ものでもない。
きっぱりと叫んだ拓也の声は、冥界の中へと消え入っていく。
今の今まで拓也が怒鳴ったことなどなかったものだから、暗城は意外とでも言いたげに半ば呆けた表情で拓也を一つ見つめてしまった。
荒い拓也の呼吸音。拓也の肩が激しく上下に揺れていて。
「もしかして、拓也は自分の時でも思い出しちゃったのかな?」
拓也は唇を噛み締める。
すると暗城は、クスリと笑った。
「確かにあれは、辛かったよねぇー。知らなかったとはいえ禁忌まで犯して……。助けたはいいけど、自分は純粋な死神になっちゃったんだもんね」
その声は楽しんでいるかのように弾んでいる。
くっと喉を鳴らすと、拓也は微かに俯いた。
「……いいんですよ、自分なんて。妹が助かったんだから、そんなこと」
「君のいた証が、全て消え去ってしまったのに?」
暗城は拓也の顔を覗き込んだ。
いいんですと、拓也ははっきりと答えた。
「俺が言いたいことは、一つだけなんです」
消え去った過去は拭いきれない。……けど、
「その人の、しかも一番大切な人の命を弄ぶっていうその行為事態が許せない。つまりはそういうことなんですよ」
これからの未来なら変えることだって、きっとできるはず。
こんな辛い思いは、もうする必要などないのだ。
過去が大悪人でも、今は違うんだから。
今は一人の、人間なんだから――。
耳が痛いくらいの静寂が、降り続けている。
拓也はぎゅっと、握る拳に力を込めた。
「……ま。決まりだからね。僕一人の権限で変えることはできないんだよ」
そう言うと、暗城は拓也の肩にぽんと手を乗せた。
「そういうことは、天冥夫みんなで集まって決めないとだ」
各地を治める死神の長。それが天冥夫。
そして暗城もまた、その天冥夫の内の一人なのだ。
彼らが全員集まって、一つのことを決めるだなんて……。とてもじゃないが拓也には想像さえもできなかった。
できなかったが、
「じゃあ暗城さんが提案して、さっさと決めて下さいよ。仮にも天冥夫でしょう? あなた」
苦し紛れに、やめて下さいと、拓也は肩にある暗城の手を払い除けた。
酷いなー。と、暗城は苦笑しながら呟いて。
「じゃあ、そのうち提案しておくよ。でもその前に、もう一つ仕事があるからね」
にこっと笑う暗城は手中には、淡い光の球が収められている。
拓也はそれを、ぼうっと見ていた。
これが、柚莉のカケラ――。
「さあ、僕は魂魄の再生をするからね。拓也はもう休んでいなさい」
小さい子をあやすように、暗城は拓也の背中を押して。
されるがままに、拓也は押されたほうへと歩っていく。
途中振り返ると、身を翻す暗城の背中が、そこにはあった。
彼の姿は、どこか優しかった。




