表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
15/22

五章 (2)


「おきんしゃーい、たけるくーん」

 岳は眠っていた。

 外は闇色に染まっていて、上空には蒼い月が浮かんでいる。

 瞬く星々は光に紛れて見えにくいが、そこは確かに夜だった。

「いい加減にしないと、遅刻すっぞー。廊下に立たされるぞー」

「……んっ、う…………」

 誰かにゆさゆさと揺らされ、岳は思わず身じろぎをした。

 だが、同時に漏れた吐息は、まだ夢の中の証である。もぞもぞと動いて。それから岳は、再び健やかな寝息を立て始めていた。

「お願い、起きて。俺疲れるから」

 あー、もうー。と言う声は、少年のもの。

 岳は再び身をよじると、薄っすらとその双眸を開いたのだった。

「………………あ……?」

 しょぼしょぼとした瞳は、まだ虚ろだ。焦点がなかなか定まらないでいる。

 間が抜けた声は、闇の中へ消え入った。

「あ。目が覚めた?」

「…………はァ?」

 眠くて眠くてたまらない。といった風の岳は、明らかに且つあからさまに、かったるそうな表情をその顔に浮かべていた。

 岳はのっそりと起き上がると、声のするほうへと顔を向けて……。

「…………」

 岳は眠気眼をこすった。ごしごしとこすった。目が覚めるくらいにこすった。

 それから再度、視線をやって。

「こんばーんは。二度目ましてー」

「…………誰だ? テメェ……」

 明らかに身内じゃないのは確かだ。こんなハイテンションで髪の長い奴、見たこともねぇ。

 岳はおもいっきり眉根を寄せて、少年を見やった。

 年の頃は、岳と同じくらいだろうか、それとも少し上か。

「覚えていないのー? うっわー、ショックだー」

 だが少年は飽く迄もそのキャラを通そうとしているらしい。テンションはまったくもって、下がる気配を感じさせない。それに……

「前に会ったのは、お前の本来の命日だった日だよ。岳」

「な……ッ」

 こいつもまた、岳の名前を知っていたのだ。それに命日の日って言ったら……。

 岳の中で、あの時の光景が蘇った。死神に会った、あの時の。

 そして。最後に見えた、あの――

 岳ははっとして、少年の姿を見やった。

 この前会った時とは、纏う服装が微妙に異なっていた。あの身を包んでいたローブが、今はない。――これも、死神なのか?

 少年らしい笑みを浮かべた彼は、襟に白いラインの入っている漆黒のノースリーブに、同色の腕貫のような物をしている。オフホワイトのジーンズは長く、先には栗色のブーツが見えていた。

 そして首からは、碧色の十字架が複雑に絡み合った二本の鎖で吊るされている。その背後には、彼の背丈をも悠に越える鈍色の大鎌が、二重螺旋の鎖で吊るされているのだ。……あまりにも、ギャップが大きすぎていた。

 少年はいひひと、悪戯っぽく笑った。

 浮かんでいるのは、どこまでも少年らしい笑顔で。

島原しまばら拓也たくやだよ。死神の、ね」

 拓也はこともなげに、そう告げた。

 周囲は闇に、包み込まれていた。



 死神。

 それは死をつかさどる、冥府の番人とされている存在だ。

 タロットなどでも不吉さは相も変わらず、その数字は十三。カードが意味するは『永久運動・死・絶望・破壊』等といった否定面。そして『創造・積極性』等といった肯定面。

 そして現代でもその姿は同一で、大きな鎌を持つ、黒装束の髑髏という印象を深く刻み込んでいる。それが、死神なのだ。

 だが、岳が今まで会ってきた奴らは、とても死神とは思えなかった。……とくに、ここにいる拓也という少年は。

 何もかもが、違いすぎているのだ。

 根強く印象付いている髑髏でもなく、人の命を容易く持っていくような見た目でもない。あの青年には多少の恐怖を感じたが、拓也はまったくそれを感じさせない。その身包みを全て今風に変えれば、人柄のいい少年にでも十分に見られるはずだ。

 それなのに彼も死神なのか――?

 信じられない思いがいっぱいで、岳は拓也から視線を放すことができなかった。

 暗い夜闇を、淡い月明かりが照らしている。その中で拓也は蒼く淡く染まっていた。

 幻想的であって、戦慄を覚える光景だった。

 拓也の髪が、はらりと揺れた。

「まあ、そんな目で俺を見るなって。いたって普通な方だよ、俺」

 一歩一歩と歩み寄った拓也は、岳の前まで来ると、大鎌をその手に取った。生々しい光が、月明かりを交えて岳の目に飛び込んでくる。

 眼前に立つ拓也の表情は、穏やかそのものだった。

 岳は左胸の奥に、鋭い痛みを感じた。

 痛みは息が詰まるほど苦しくて。

 背筋には一筋、汗が伝った。

「く……ッ」

 抵抗など、できるはずもなかった。下についた手は汗をかき、彷徨った末にシーツを掴んでいて。強く握ったためか、それは皺を増やしていくばかりだった。

 喉から漏れた声が、緊迫した夜闇を振るわせた。

 拓也はにこりと笑っている。

 そして持っていた大鎌を前に出すと、それをゆっくり……床に置いたのだ。

 コトンと、冷たい音がした。

 それからまた一歩と前に進み、拓也は膝立ちになる。視線の位置が頭一つ分、低くなった。岳が視線を下にやると、拓也は愛嬌のある笑顔を岳に向けていた。

 だが岳の気持ちは荒れ狂う一方だ。

 正気じゃない。

 そう感じずにはいられなかったのだ。

「な、怖かった? 切られると思った?」

 拓也はこの場に似合わない声を発すると、岳の足を軽く叩いた。日常にありふれている動作さえもが、非日常的に見えてくる。

 拓也のまるで邪気のない声が、この狭い空間で反響した。

「でもさー、俺が岳を切るわけないじゃん。ちょっとは気付けっての」

 それに岳の怪我を早く完治させてやったの、俺なのに……。と、拓也は拗ねた素振りを見せて、小さく呟いた。

「え、お前……」

 岳は思わず、無作法にも拓也をまじまじと見てしまった。

 だってこいつは死神じゃ……。

「お前が寝ている間、ずっとずーっと力使ってたの」

 疲れちったんだぞ。

 そう言うと、拓也は岳の足をつんつんつんつんと突きまくった。岳はありえないとでも言いたげに、拓也を見つめるばかりで。

「……もしかして、信じてもらえてない?」

 眉根を顰めながら、拓也は岳をじとーっと見て。

 心外だぁー! と叫んだ。が、一体どう気付けばいいというのだろう。

 ……それとも、これもあの青年が言っていた「勘違い」の一つなのだろうか。

 岳は恐怖に震える瞳を、拓也に向けた。

 拓也はそんな岳を見て、口端を上げた。

「岳ちんも喋れよー。俺だけ一方通行ってのも寂しいじゃんか。せっかく今日からお仲間さんなんだからさ、テンションあげあげで行きましょうよー」

「仲、間……って」

 一体どういう意味だよ。

 岳は思わず叫びたくなって。でも、口はまともに動いてはくれなかった。

 中途半端に紡いだ言の葉は、それからまったく続きやしなかった。

 サファイアのように澄んだ輝きを見せる、拓也の双眸。月明かりに照らされると、それは一層の輝きを増した。

暗城あんじょうさんから聞いてるでしょ?」

「誰だよ。その、暗城って奴は……」

 岳は声を低くして、拓也を凍える瞳で睨みつけた。

「うそッ! 岳ちんって暗城さん知らないの?」

 それでも拓也は動じやしない。マイペースのままに、驚く素振りを見せていた。

 岳は訝しそうに、目を細めた。

 尤も、知っていたら聞くことはないのだ。嘘であるはずがない。

「会ったでしょ、あの日。冥界との狭間でずっと話してたじゃん」

 拓也は淡々と話を進めていく。

 あの日とは、つまるところ事故に遭った時だろうか? だとしたらそれは――あの人形のごとき美麗さを持った青年のことなのか?

 疑問ばかりが岳の脳内を埋め尽くした。

 でも、仲間になるようなことを彼は言っていただろうか?

 そもそもにして、何でこんな奴と仲間にならなければ――?

 考えれば考えるほどに、わけが解らなくなってくる。

「まあ、理屈も何もいらないでしょ。そんなこと」

 拓也の瞳が、微かに揺れた。

「岳は死神になるんだよ。それだけは言い切れる、真実なんだから」

「待てよ!! 死神って何のことだよ! 俺はそんなこと一言も聞いてねぇぞ」

 悲痛に荒いだ声は空気を弛緩させた。

「そんなはずはないさ。岳は暗城さんから聞いているはずだよ。『罪を償わなきゃいけない』ってことを」

 飽く迄も冷静な声音。

 岳の背筋に悪寒が走った。

 ……まただ。

「何なんだよ。……その、罪ってやつは」

 闇はどこまでも続いている。

 まるで連鎖を繰り返しているかのように。

 拓也の双眸に、翳が射す。

 それでも口元だけは、笑みを崩すまいとしていた。

「……大罪だよ。俺のも岳のも、ね」

 長い拓也の髪が、さらりと音をたてた。

 淡い光に照らされるそれは、絹糸のように思えた。

「ねえ。……岳はさ、何で死神がいるか知っている?」

 今までとは違う、穏やかな声。

 岳は無言で、否定を示した。

 拓也は軽く、瞼を閉じた。

「死神ってのはな、ようは罪なんだよ。前世に犯した罪を償うためのな」

「だからその罪って……何なんだよ」

 殺しか? 岳は自信なさげに呟いた。

 それもあるよ。拓也は肯定した。

「……でもね、それ以外の理由もあるんだ」

 ちゃんとした罪の形が、記憶の奥底で眠っているからね。

 月明かりが、微かに揺れる。

 窓のずっと遠くで、クラクションの響いた音がした。

 岳は拓也から、目が離せなくなっていた。

 拓也がこれ以上ないくらいに、痛そうな表情をしていたから……。

「岳はね、堕天使だったんだ。この世界を滅ぼそうと企んだ、最強最悪の堕天使・アレクトス。……彼は非道な奴だった。その強大なる力を持って国を壊し、封ざれる五世紀余りの間で十数億という命の灯火が消えたんだ」

 遠い目。射し込む月明かりは、拓也の瞳で輝いていた。

「俺は天使だった。名もなき天使だったんだ。天使はね、ある日掟を破ってしまって……そのせいで、一国があっという間に滅びたんだよ」

 拓也はきゅっと唇を引き結ぶ。

「俺たちは決して許されないことをした。解るだろう? 規模が桁違いの大罪だ。だから人の死を見ることで、人の命の儚さ尊さを、その胸に刻み込まなきゃいけないんだ」

 時を越えた罪なんだよ、きっと……。

 拓也の瞳の奥で、輝く月明かりはゆらりと揺れた。

 まるで湖面にでも映っているかのように儚げに。

 岳は鈍る身体を起き上がらせた。

「……何で、解るんだよ。俺が堕天使だったとか、お前が天使だったとか」

「それは、解るからさ」

「だから何で解るんだよ。前世なんて、何の証拠もないじゃないか」

 拓也はすうっと笑った。

「信じたくない?」

「当たり前だ。誰かを殺しただなんて、信じたくもない」

 声は、どうしても詰まってしまう。

「でもね、真実だよ。紛れもない真実なんだ」

 しかし拓也は、それを否定などしてはくれなかった。

 否定などしなかったが、その顔にはやはり、悲しい翳りが浮かび続けている。まるで迷子になった子供のような。そんな哀愁を漂わせていた。

「それを証明するものって、あるんだよ。ただ気付かないだけでね」

 拓也はよいしょと立ち上がると、岳の座るベッドに腰掛けた。拓也の体重の分だけ、マットは沈んだ。

 岳からは拓也の背中しか、見えなかった。

「例えばそうだねぇ。岳は実技教科が得意だよね。体育とか音楽とか美術とか、……あとは家庭科なんかもあったか。勿論それらが得意なのは大いに結構だよ。でも、それが行き過ぎているとは思わなかった?」

「行き、過ぎ……?」

「そう、行き過ぎ。岳はね、それらがずば抜けていいんだ。野球なんかは今でさえプロ並み。音楽だって合唱も合奏も得意でしょ?」

 足をぷらぷらさせながら、拓也は言っている。

「それがどうしたって言うんだよ」

 ただ得意なだけじゃないのか? それが一体なんだって言うんだよ。

 恐怖だけが積もり続け、岳は思わず拓也の言葉を遮ってしまった。

 微かな静寂が、室内を包み込む。

「それがね、前世の影響。受け継がれし力なんだ」

 拓也は振り向き、そう告げた。

 困ったような微笑が、どこか力なく浮かべられている。

「アレクトスは頭のいい奴ではなかったらしいんだ。でもね、どうすれば人間が不信感を抱かないのかっていうことは知っていたんだ。今もそうでしょ? 人間って何か才能がある人には不信感を抱きやしない。……彼はそこに漬け込んだんだ。幸か不幸か、彼には芸術面での才能があってね。歌も上手ければ絵も上手い。勿論体力だってあった」

 それがどういう結果を招いたかは、岳も解っているはずさ。

 拓也はそう言うと、再び前を向いてしまった。

「今まで岳はその才能を遺伝的なものと思っていたかもしれない。でもそれは、遺伝なんかじゃないんだ。遺伝的なものだったら、両親もすごい才能とか持ってなきゃでしょ?」

 拓也の言葉に、岳は拳を握りしめた。

「納得いかねぇよ」

 その声は、本当に苦々しそうだった。

「だって野球は別としてもだ。音楽は親が楽団に入っているから、小さい時から慣れ親しんでいたんだ。小さい時からやっていれば、誰だって上手く……」

「ならないよ。なるわけがない」

 拓也は振り返ると、岳を見据えてきた。

 その双眸には、冷たい炎が燃え盛っているようで。

「だったら努力しても上達しない子はどうなるの? 小さい時からやっていても、上手くならない子だっているんだよ。それをどう証明するわけ?」

 岳はその言葉に、思わず身の毛がよだった。

 会って間もないのにこんなことを思うのもどうかと思う。

 だが初めて拓也のことが、怖いと感じた。

 恐ろしいと、感じた。

 静かな空気が張り詰める。

 拓也はこれ以上何も言わなかった。

 そっと瞼を伏せ、立ち上がって。

 ベッドはやっぱり、軋んだ悲鳴をあげた。

「……もういいよ。これからどう足掻いたって、俺たちは死神に変わりはない」

 鈍色に輝く大鎌を手に取ると、拓也はそれを悲哀に満ちた瞳で見続けていた。

「ただ、これだけは確実に言えるよ」

 拓也は、その視線を岳に向けた。

 その瞳はこれからの運命でも見せられるかのようで。

「覚悟はしておいたほうがいい。もう岳は、逃げることさえできないんだから」

 俺たちはもう、囚われの身なんだ。



 外は相も変わらず穏やかで。

 瞬く星明かりの中、月が輝いていた。

 下方で聞こえる都会の騒音はどこか遠く。

 拓也の呟きは異様な空気の中へと飲み込まれていった。

 鈍色の大鎌は。

 拓也の手元で月明かりを湛えて、輝いていた。




評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ