七話
「祈りを貴方に、手紙を君に」の二章です。
カチ、コチ、カチ、コチ。
公園に設置されてる時計の針が一秒毎に音を立てる。楽しい時間はあっという間に過ぎてしまい、来るべき時に向けてのカウントダウンは既に始まっていた。妙な緊張に捕らわれる。この後に起こるのは希望的未来か、現実的未来か。
「……はぁ」
皆との再会まで残り時間は三十分を切っていた。昼間、香織に「分からないなら説明するだけ」と言ったものの、内心は不安で一杯というのが正直なところだ。
下手に期待しすぎて裏切られるのが怖いんだ。
母さんの時はまだよかった。あの時はまだ自分が居なくなったってことを理解していなかったから。
だけど、今からは違う。結果によっては今度はきちんと現実を受けとめてそれに対応しなくてはならない。最悪拒絶される可能性もある。それが俺だけならまだしも、一緒にいてくれる香織にまで被害が及ぶのは阻止しなければならない。
「難しい顔してなに考えてるの」
いつ戻ってきたのか、近くの自販機に飲み物を買いにいっていた香織が隣にいた。
「おかえり。特に何か考えていたわけじゃないよ。ただボーッとしてただけ」
香織に考えてることを悟られたくなくて、とっさに誤魔化しの言葉を並べる。
「……そう」
香織は、誤魔化したのがばれていないのか、そうだと分かっていてわざと知らない振りをしてくれてるのか判断しづらい声で返事をした。
「そういえばさ、三年前に飯食いに行った時も俺たちだけここから向かったよな」
話題を変えようと、かつてあった出来事を口にする。
「佳祐が今言ったことは若干事実が脚色されてるけどね」
「脚色? どこがだよ」
「今の言い方だと、まるで私まで集合時間に遅れたみたいじゃない。私はこの公園で馬鹿みたいに寝ていた佳祐をわざわざ起こして皆の所に連れていってあげたんだから。あのまま寝たままだったら風邪引いていたかもしれないんだから。どちらかといえば感謝するのが筋なんじゃない?」
「お、おう。そうだな、その節は悪かったな」
香織の気迫のこもった文句? に圧倒されて反論もできなかった。
「だいたい佳祐は……」
隣で香織の小言が始まった。出会った当初は俺が問題を起こすたびに香織はなにかと文句を言っていた。そして決まってこの言葉が前口上になっていた。夏が過ぎてから聞くことが余りなくなったこのやりとりを俺は懐かしく感じた。
不意に辺りに夕時を知らせるメロディーが流れだした。
--約束の時間がやってきた。
空は薄暗くなり、沈みはじめた日の光がビルの窓から窓へと万華鏡のように乱反射する。公園の入り口に見えるのは三つの影。少しずつこちらに近づいてくる男が二人に女が一人。遠野修司、金子幹久、神谷千里。やがて俺と香織のすぐ傍までやってきた三人は驚き、顔を見合わせた。そして三人の言葉を代弁するかのように幹久が尋ねた。
「……香織、この人誰だ?」
奇跡は、起こらなかった。
「ただいま」
暗くなっている玄関の明かりを点けて靴を脱いで上がり、リビングに向かう。リビングに入ってすぐに冷蔵庫から水を取り出し、渇いた喉を潤した。身体の隅々まで水分が行き渡るのを感じ、同時に少しずつ冷静さが戻ってくるのを感じる。
「あ……おかえり」
寝間着姿で千春が二階から降りてきて、リビングに入ってきた。
「ただいま。千春、お前まだ起きてたのか」
「うん。今勉強してたところ」
「勉強って、もう十一時……」
過ぎだろと言葉を続けようとして気づいた。
「そうだよな。もう十八歳なんだから、これくらいの時間帯に起きてるのは普通……だよな」
「……お兄ちゃん?」
心配そうに俺を見る千春と顔を合わせることができない。
視界が涙でぼんやりと滲む。冷静になったつもりだった。だけどそれはただ虚勢を張って気持ちを無理に押さえ込んでいただけだったんだ。
妹の目の前で俺は情けなくうずくまり、涙を流した。
「……うッ……ううッ」
「お兄ちゃん、お兄ちゃん。どうしたの!?」
千春が慌てて俺の傍に駆け寄る。
「ごめん……ごめん」
誰に向かっての謝罪を口にしているのかも分からない。千春にか、香織にか、それとも両親にか。
いや……全てに対してだ。
頭の中がぐちゃぐちゃと掻き回されて何も考えられない。腹の底から込み上げてくるのは悲しみと、怒り、そして最後に絶望。
『どうしてなんだよ』
耳元で聞くことを拒んでいた言葉が反芻する。
『ズルいだろ! 何でまた……お前なんだよ』
かつての友からの糾弾が聞こえる。
『おれがどれだけ……どれだけ。なのにズルいよ。お前はもう……いないはずだろ?』
喜んでくれると思っていた。理解しがたくても受け入れてくれるものだと勝手な幻想をいだいていた。
だけど違った、違ったんだ。皆は過去を思い出として整理していた。辛くても、悲しくても、それを自分の人生の一部として受け入れて未来に向かって歩いていたんだ。
『お前は、もう死んだんだよ』
間違っていた。あいつの……修司の言うとおりだ。俺は居ない、ホントは居ないんだ。千春に、香織に受け入れられてどこかで安心してた。
“またやり直せる”んじゃないかって。
そんなわけないじゃないか!!
死んだ、死んだんだよ! 身分証明なんて出来ないし、一部の人間にしか俺だと気がついてもらえない。どうして生き返ったのかすら分からない。
これの、どこが、生きてるっていうんだ!
千春や香織が特別だったんだ。三年も経てば人は変わる。
俺が死んだ当時は悲しんでくれた友達がいたかもしれない。最初の一年は頻繁に俺との思い出を思い出したりしてくれたりしたかもしれない。
でも二年、三年も経てばどうだ?
新しい友人ができて、少しずつ俺の事を思い出さなくなる。
思い出は少しずつ薄れて……消え去るんだ。
それが普通だ。俺だって他の皆と同じ立場だったらそうなっていたかもしれない。
だけど、それでも……俺はお前たちに受け入れて欲しかったんだよ、修司。
受け入れがたい現実は今の俺にはどこまでも重く、鋭く突き刺さった。
「祈りを貴方に、手紙を君に」の二章の七話目になります。
この話では、一縷の希望を抱いた佳祐たちの前にどうしようもない現実が突きつけられます。
夢を見るのも、現実から目を背けるのもその人の自由。ですが、他人はそんな自分をまるできにかける事無く現実を見せつけるのです。
結果的に見れば、佳祐の存在というのは現在に生きる人間にとってはやはりイレギュラーでしかなく、過去に捕われていた香織と千春だからこそ、それが異常だと分かっていても何も疑問を抱かずに受け入れたんでしょうね。
ですが、大多数の人間からすればそれはありえないことであり、時の流れとともに少なからず人は変わってしまうという事をこの話では描いたつもりです。