六話
「祈りを貴方に、手紙を君に」の二章です。
玄関を出ていく二人を見送り、私は一人家に取り残された。
「留守番か……」
昨日まで当たり前だと感じていた行為。それが今では当たり前ではなくなってしまった。
リビングに戻るがすっかり手持ちぶさだ。
う~ん、部屋に戻っても特にやることもないし、私も出かけようかな?
そんな風に考えていると、携帯電話の着信音が聞こえてきた。
急いでリビングから自室にある携帯電話を取りにいく。電話の相手は明衣だった。
『明衣、どうしたの?』
『あ、ハル。今何してる?』
『別に何もしてないよ。どっちかと言うと、暇を持て余してたのかな?』
『むむむ。昨日は自分も勉強してるって言ってたくせに』
電話越しに、明衣が不満そうに唸っている。
『勉強は夜にちゃんとやってるってば。明衣の方は今日も課外?』
『そうだよ、さっき終わったばかり。それで今から皆で少し遊びに行こうかなって話してたとこなんだ。よかったらハルも来ない?』
『ちょうど出かけようと思ってたし、行く! どこに行けばいい?』
『じゃあ〈Lilac〉に来て。たぶんあたし達の方が着くの早いと思うから中で待ってるね』
『わかった。それじゃあ、また後でね』
通話を終え、すぐさま出かける準備をする。
家の戸締まりの確認をしっかりとして、私は皆に会うために〈Lilac〉に向かった。
家を出ると、冷たく澄んでいる風が頬をなでた。まだ昼過ぎということもあり、少し遅めの昼食を取りに周りにある飲食店に向かう会社員の姿がちらほらと見える。私は、せわしなく道路を駆け抜ける車を眺めながら歩を進める。
香織さんとお兄ちゃんは今ごろデートを楽しんでるんだろうな~。
ほんの少し前に出かけていった二人を思い出し、私は苦笑する。
奇跡という現象があるとするならば、きっと今の状況のことを言うに違いない。死んだはずの兄が生き返り、兄の友人で死んだ後もずっと彼を想っていてくれていた人と兄が再会してお互いの想いを通わせあった。たった一日でこんな状況になるなんてことは奇跡というほかないだろう。
再会したときの二人の反応は凄かったなあ。
もう会うことはないと思っていた人が目の前に現れて驚愕の表情を浮かべたままその場に固まった香織さん。
自分のことが分からないと思っていただけに香織さんが正しく認識できたと分かった時のお兄ちゃんの反応。
まるでドラマのワンシーンを見ているようだった。
それにお兄ちゃんに会った後の香織さんの態度。それは今まで私が見てきた“大人”の見本の様な存在の香織さんとはかけ離れたものだった。
だけど、それは私が知らなかっただけで、きっと今まで香織さんの心の奥底でくすぶっていた気持ちが表に出てこなかっただけに違いない。
私も……いつか二人みたいになれるかな?
傍にいるのが当たり前で、一緒に楽しんだり、泣いたり、時には喧嘩したりして、最後には笑っていられるような……そんな関係。
そうなるには、まず最初にそんな関係になれるような相手を見つけないといけないんだけどね。
現時点でそのような相手が周りに一人も居ないことを思い出して、私は白く濁ったため息を深く、深く吐き出した。
自宅を出て暫く歩き、ようやく目的地である〈Lilac〉が見える程の距離にまでやってきた。残り少しのお店までの距離を小走りで駆ける。入り口の前に着くと共に、店内から明衣が出てきた。
「あっ、ようやく来た。もうみんな中で待ってるよ」
「そうなの? 待たせてごめん」
「いいよ、いいよ。実は言うほど待ってないから」
明衣と一緒に店内へ入る。
店内は隅々まで掃除が行き届いていて、清潔感漂い、それでいて飲食スペースに設けられた各テーブルにはアロマキャンドルや可愛らしい動物の小物が置かれており、オシャレな雰囲気を醸し出している。
その他にも観葉植物などが一見目立たない様な場所にひっそりと置かれ、さり気なく店内に自然の柔らかい空気を持ち込んでいた。
「いつ来ても、このお店の雰囲気ってすごくいいね」
〈Lilac〉に来るのは久しぶりだったが、以前来たときと同じく店内の空気はとても心地よかった。
「やっぱり? それ、あたしも思った。何て言うのかな……言葉にできない癒しがあるよね」
「あ、それわかるかも」
明衣と話ながら歩き、皆が待っている席に着く。
「なに話してたの?」
空いている席に座ると、ちょうど向かい側に座ってミルクティーを飲んでいたゆーちゃんに尋ねられた。ゆーちゃんの隣にはそこにいるのが当たり前のように柴田くんが座っていた。
「えっとね。このお店ってすごく雰囲気がいいよねって話し。久しぶりに来たけど店の中に入った瞬間になんだか空気が変わるな~て思って」
私の言葉にゆーちゃんと柴田くんの二人が「確かに」と呟く。
「言われてみると、そうかもしれないね」
ゆーちゃんが隣に座っている柴田くんに話を振る。
「そうだな……。おれはこういう店にあんまり来ることがないけど、この店は確かに感じがいいと思うな」
と皆で〈Lilac〉について褒め称える。皆ケーキなどは先に買って飲み物を既に注文していたので、私も飲み物を頼んだ。アイスティーだ。
「そういえばハル、今日は壮介さんと一緒じゃないんだね」
……壮介? ああ、お兄ちゃんのことか。一瞬誰のことかわからなかった。
「そもそもこの場に誘ったのが私だけの時点で気がつくと思うんだけど」
そこに気がつかない明衣は単に天然で間が抜けているのか、それとも本当にバカなのか……。
「なに~明衣ってば気になってるの?」
「いんや、ただの好奇心。ハルってばあの人に妙に懐いてるみたいだったから珍しくて気になっただけ」
「懐いてる? そうなの?」
「あたしに聞かれても……。ユウはどう思った?」
「え~と。私は昔佳祐さんと仲良くしてた頃のちはるみたいに感じました」
ゆーちゃんの言葉に私はドキッとする。的を得た発言、というより真実そのものだから、その観察眼に舌を巻いた。長年幼なじみやってる訳じゃないな。その割りには学校のクラスはあまり同じにならないけど。
「あ、あ~ハルのお兄さんか。あたしはその時のハルを知らないからなぁ……」
高校からの付き合いである明衣は当然お兄ちゃんのことを知らない。しかもお兄ちゃんのことで一時期物凄く荒れていた私を知っているだけに、滅多にこの話題に触れようとしない。今の私なら大丈夫だとわかってるゆーちゃんは、様子を見ながら今みたいに時折話題に出してくる。
「でも、ゆーちゃんの言うとおりかも。あの人にはお兄ちゃんと同じ感じで接してる」
実際はお兄ちゃんへの接し方そのものだけど、それは口にしない。
「お待たせしました」
お兄ちゃんの話が出たせいか、少しぎこちなくなりつつあった空気を店員さんの一言が断ち切る。目の前には私が注文したアイスティーが置かれた。
「この話はそろそろ終わりにしよっか」
私の提案に皆無言の返事をした。
次の話題をどんなものにしようか誰もが黙って考えていると、それまで私たち三人の会話に入れていなかった柴田くんが話を切り出した。
「そういえば最近噂になってる話し、皆知ってる?」
「それってどんな噂?」
柴田くんの話題に明衣が食い付く。
「おれも友達から聞いた話しだから詳しくは知らないんだけど……」
柴田くんが一旦言葉を切り、一拍間を置いて次の言葉を紡ぎだした。
「なんでも死んだはずの人間が生き返ってるって噂が立ってるんだってさ」
「祈りを貴方に、手紙を君に」の二章の六話目になります。
この話では、千春の側で佳祐に関する謎の伏線が提示されます。文章には書かれていませんが、ここで書かれている噂が後に重要な意味を持って来るかもしれません。
ちなみにここで登場している店も他の作品の舞台になっています。よければ探してみてください。