カラスは湖で鳴く
――ある王国に大きな湖があった。そのほとりを、騎士が2人歩いている。
1人は若い女性でもう1人はやや年上の男性だった。
*****
新米の女性騎士は先輩騎士に王国の警備をすべき場所について案内してもらっていた。
「いいか、この湖だけは厳重に注意しなければならない」
「なぜでしょうか、先輩」
空は雲1つないというのに湖はどんより鉛色で火山にいるかのような硫黄の匂いがわずかに鼻をさす。湖は不気味で2人以外歩いていなかった。先輩は少しためらっていたが口を開いた。
「…いわくつきなんだよ。50年ほど前にある音楽家系の心中事件が起こってね」
「心中事件、ですか?」
事件自体、普通でわざわざ厳重な警備の必要もないとこのとき女は感じた。
――しかし、この後語られる事件の内容に血の気が引く。
◇◇◇◇◇
――50年ほど前
現在の湖のある場所には大きな屋敷があった。そこは屋根も壁も黒系の色だったため、世間一般では「カラス屋敷」とも呼ばれた。実際、その屋敷には数え切れないほどの烏が止まっている。
その屋敷には貴族が住んでいた。先祖代々音楽の教育に生を捧げてきた家系だ。
そこに嫁いだ女性――ヴィオラは元庶民で、当主のクローと結婚した。ヴィオラ自身は音楽の才能は知られておらず、子供が5人生まれて彼女が体力の限界を迎えると彼女の存在はないものとされた。
「…やっぱり私はこうなのね」
雑巾を絞り、継ぎの当たった服を身に、愛人たちと仲良く外の花園を歩く夫を窓から見る。彼は笑顔だった。結婚前から薄々感じていたが実際そうなるとやはり傷つく。
そんな彼女にも楽しいことはあった。それは楽器を作ることだ。現在、ピアノに似た”チェンバロ”という楽器を作っている。教会に置いてありそうな大きなそれを。元々彼女は田舎の楽器修理工房で働いていた。だから楽器の構造を見ると心が踊る。
――しかし、ここで静かだった屋敷が修羅場と化す。
ある日使用人の噂を聞いてヴィオラは絶句する。
「ねぇ、聞いた?この前ボートが転覆したそうよ?」
「えぇ、旦那様の話だと奥様がボートの上で動き回ったせいだって」
「…まさか、子供が嫌で?」
最後の言葉を聞いてヴィオラは子供たちがいつもいる部屋に入った。だが、誰もいなかった。埃のかぶっていない整える前の5つのベッドが彼女の涙を誘った。
今度はクローの部屋だ。
「どういうことなんですか!?」
「何のことだい?」
クローは紙を複数持って遠い目でそれらをさらう。それがヴィオラの怒りを増幅させた。
「なんでボートなんかに!?子供たちは1番年上で5歳だったんですよ?あんな不安定なものに――」
「君はリアリストだね。そんなだから僕以外結婚相手がいなかったんだよ」
「はい!?」
何を言っているのか正直、ヴィオラに理解できない。全く質問に答えてないのだ。
「ボートを漕いだのが私になってるのは?」
鼻息を若干荒くするヴィオラにクローは全く反省も同情の色も見せない。
「あのな、ボートは貴族の嗜みの1つだ。幼いうちから乗せていいだろ?」
「それでその命を奪っても良かったのですか?」
ヴィオラにクローはまあまあとジェスチャーをする。
「人聞きが悪いなぁ。第一、僕は泳げないんだ。僕だけ助かれば充分――」
「もういいです!」
もうこれ以上言っても無駄と理解したヴィオラは部屋の空気を吸うのも嫌になりチェンバロの部屋に籠った。彼女はそれから3か月も部屋から出なかった。
流石に使用人たちも怪しくなったのだろう。ひそひそ噂話が廊下を満たす。
「ねぇ奥様閉じこもってだいぶ経つわね」
「本当、3か月も」
「私、部屋の前に何度か食事を用意したのだけれど水一滴も減ってなかった」
ちょうどそこを何食わぬ顔のクローが歩き、耳に入った。
「…まさか、逃げてないわよね?」
その言葉にクローの背筋が凍る。
(に、逃げる?可能ではあるか…?)
閉じこもった部屋は元は倉庫だったので1階。さらに運びやすいように交通量の多い大通りと本数が多いことで有名な大きな駅が部屋の窓の外にあった。どちらも徒歩でもそう時間はかからない。持参金を持って人目のつかない夜に逃げることは、できる。
しかし、このクズ、全く夜逃げの理由がわからない。
(なぜだ。僕はただ人気者過ぎるだけなのに…!優雅なひと時を味わっていただけなのに!)
クローは真っ先にヴィオラの部屋に走り出した。
「今のうちに説得しよう。僕の優しさと愛で堕ちた彼女を救うんだ!」
何言ってんだか。部屋にたどり着いた。クローは耳を戸に当てたが物音がしない。それが怖かった。
「おい、貴様!僕を注目させたいんならそのどうしようもないセンスをどうにかしたらどうなんだ?アンネは季節に合わせてファッションを変えているんだ。君も見習い給え」
「…」
アンネはクローを囲む女の1人だ。上から目線な声は廊下をこだまするだけ。返事はなかった。
「むっ、なんだ?」
クローはわずかに聞こえる楽器の音が聞こえた。
「これは、ピアノ?いや、パイプオルガン?いや部屋の広さからして…メロトロンか?」
クローは”チェンバロ”という楽器の存在を知らない。それもそうだ。チェンバロは他国の楽器であまり流通していないのだから。窓の外が騒がしい。使用人が1人息を切らして走ってきた。
「た、大変でございます、旦那様!」
「それはわかる!何なんだこの烏の大群は!?」
窓を真っ黒に埋め尽くす烏の大群をクローは指さす。
「そ、それが…ぐっ」
使用人がその場で胸を押さえて倒れた。動かない瞳孔がクローに冷や汗を誘う。
「これは、一体…」
さらに屋敷が焦げ臭い。どこからか火が上がっている。クローは煙から逃げるため例の部屋の鍵を体当たりで壊して入った。その瞬間、クローの足から力が抜けた。
「ぐっ、どうした!僕の足!」
まるで胴体にくっついた操り人形の足のように言うことを聞かない。すると、前のヴィオラがチェンバロを引き続けていることに気づいた。
「ねぇ、私は何なの?唯一の血縁者もいなくなって寂しい」
「き、君!」
焦るクローに見向きもせずヴィオラは焦点の合わない目で指を動かす。
「クローだったかしら?旦那様はね、海外の楽器の職人を取り入れるための政略結婚だとも忘れて、いろんな人とラブラブで、私は除け者扱い。しかも私の名前を一度も呼んでくれなかった」
悲しそうなのに涙がない。充血した目でまだ語る。
「…綺麗ね。この炎はキッチンかしら?あの料理長、認知症進んでいたものね。今頃死神がお迎えしているかしら。あの世の死神や悪魔たちに悪いわね。こんな粗大ゴミを片付けさせて」
急にヴィオラは笑い出して、それに呼応するように炎が部屋を包んだ。クローは火の点いた上着を消そうとはたこうとしたが、今度は手の力が抜けた。もはや彼には顎でしか動けない。
「まさか、ヴィオラ…。お前なのか?お前なのかぁ!?」
ヴィオラはやっとクローに目を向けた。
「…やっと名前を呼んだのね。でも、これはね?烏ちゃんたちのプレゼント。紹介するわ、この楽器はチェンバロ。私の祖国では悪魔や死神と取引する習慣があるの」
「あ、悪魔と死神!?」
恐れおののくクローにヴィオラは笑顔。その横では彼女の髪が焼け始めている。
「この楽器わね、烏の羽を削って作るの。もう何千羽も殺したわ。上質な羽が見つからなくて…」
そのあと、クローは目が見えなくなった。曲が進むに連れ、耳、鼻、口…、たちまち力を失って――
――ついには心臓の力も失った。
*****
――現在、酒場
「――で、そのあと屋敷が全焼してそれを隠すように雨が降って湖になったわけさ」
湖から離れて、2人は酒場で話をしていた。女性騎士は質問する。
「チェンバロはどうなったのですか?それとヴィオラさんは?」
「人がおまけかよ…」
「あっ、申し訳ございません」
女性騎士は頭を深く下げた。しかし、先輩は話してくれた。
「一緒に亡くなったよ。遺体が湖の底でいくつも発見されてな。恐ろしいことに、どれも顔も判別がつくくらいに綺麗だった」
途中まで妙に明るかったが、急に暗い印象になる。
「でもチェンバロは綺麗なままだったがなぜか中が空っぽだったんだ」
「空っぽ?」
「弦と羽の部分、その他の仕掛けがごっそり無くなってた。盗人の線は考えにくいし…本当に悪魔の仕業かもな」
こうして、女性騎士は湖の警備を任された。だが、その翌日。
――湖の底から彼女の遺体が発見された。しかも両目がない状態で。
※この物語はフィクションです。
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