第6話:選ぶということ(ユメリア)
祝祭が終わった翌日、
王都は何事もなかったみたいに静かだった。
人は忘れるのが早い。
昨日の音の嵐も、熱も、魔法も、
今日はただの思い出になる。
でも私の中では、何かが終わって、何かが始まっていた。
最奥区画の机に座り、私は自分の手を見つめる。
人の手。
白い毛はない。
――今日は、うさぎになっていない。
それが、少しだけ怖かった。
逃げ場がない。
音が来たら、今度こそ耐えるしかない。
それは“生きる”ということでもあるけれど、
同時に、前世で私が一度壊れた道でもある。
「……考えてるな」
声がした。
顔を上げると、セリスが立っていた。
いつもの距離。
いつもの、刺さらない声。
「分かる?」
「分かる」
即答だった。
彼は椅子を引かず、壁に背を預けた。
逃げ道を塞がない立ち位置。
「昨日のことで……
何か、決めなきゃいけないと思ってるだろ」
私は、ゆっくり頷いた。
「……私、選ばなきゃいけない」
声が震えないように、息を整える。
「このまま、呪いに任せて生きるか。
音が来たら、獣に逃げるか」
言葉にすると、胸が少し痛む。
「それとも……
ちゃんと人として、生きる方法を探すか」
セリスは、すぐに答えなかった。
欠落者の彼は、
人に「正解」を与える側じゃない。
だから、信頼できる。
「……怖いか」
「うん」
即答だった。
「また、壊れるかもしれない。
音が好きだった頃の私が、完全に消えるかもしれない」
前世の記憶が、胸の奥で疼く。
あの発表会。
あの笑い声。
「でも……」
私は、禁書のほうを見た。
『雨のあと、光のまえに』
まだ、封印されたままの本。
「逃げ続けたままじゃ、
あの未完成のままの私も、ずっとここに残る」
禁書は、力を与えない。
ただ、問いを突きつける。
完成させるのか。
それとも、閉じたまま生きるのか。
セリスは、ようやく口を開いた。
「……俺は、欠落者だ」
知っている。
でも、彼は続けた。
「音魔法を失った代わりに、
俺はずっと“選ばれない側”だった」
騎士団でも。
祝祭でも。
この国のどこでも。
「だから分かる。
選ぶってことは、
同時に“失う”ってことだ」
彼は、私を見た。
逃げない目で。
「もし、人として生きる道を選べば、
お前は、うさぎに逃げられなくなるかもしれない」
私は、息を呑んだ。
「呪いが、完全には消えない以上……
それは、あり得る」
現実的な言葉。
でも、誠実だった。
「それでも、選ぶか?」
問いは、私に向けられていた。
守るためじゃない。
止めるためでもない。
選ばせるため。
私は、机の上に手を置いた。
指先が、少しだけ震える。
それでも、離さない。
「……選ぶ」
小さい声。
でも、はっきりと。
「逃げるために、生きたくない」
セリスは、ゆっくり頷いた。
「なら」
彼は一歩だけ近づいた。
触れない距離。
「俺は、隣に立つ。
守るんじゃない。
支えるだけだ」
その言葉が、胸の奥に深く落ちた。
守られると、弱くなる。
でも、支えられると、立てる。
私は、封印された禁書に手を伸ばした。
まだ、開かない。
でも、触れる。
「……いつか、開く」
自分への約束みたいに言った。
セリスは、それ以上何も言わなかった。
でも、その沈黙は、肯定だった。
最奥区画に、静けさが戻る。
私は思う。
音が怖い私が、
音が魔法の世界で生きること。
それは、奇跡じゃない。
逃げでもない。
選択だ。
(選んだ道は、正しくなくていい。
戻れなくてもいい。
それでも私は――
自分で選んだ音のない場所から、一歩踏み出す)




