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マシュマロ闘病記 ~FIP(猫伝染性腹膜炎)~  作者: 柏井猫好


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2. FIP(猫伝染性腹膜炎)?

 体重の減少に気付いたのは、三月の終わりに自動で掃除をしてくれる猫トイレのレンタルを開始してからだった。そのトイレは使用した猫の体重を測ってくれる機能がついていたので、最後に獣医に診てもらった2月末には3.4㎏あった体重が2.9kgまで減っていたことに初めて気が付いた。驚いた私は何とかごはんを食べてもらおうとあの手この手を尽くしたが改善せず、その後数日で体重は2.6kgまで減少した。このままでは死んでしまうと怖くなった私は、マシュマロを動物病院に連れて行くことにした。


 診察室に着くと、まず検温をした。いつの間にか発熱していたようで、体温計は40度を示している。獣医師に症状とこれまでの経過を話すと、彼は少し眉根を寄せて「伝染性腹膜炎かもしれない」と言った。聞き慣れない病名だったので、「腹膜炎」しか耳に残らなかった私は、お腹に炎症が起きているのだろうな、だからご飯を食べなかったのか、くらいにしか考えなかった。すぐに血液検査とエコーをすることになり、マシュマロが連れて行かれる。待合室で待っている間も、きっと抗生物質とかを処方してもらって帰れるだろうと楽観視していたのだ。今思えば、何とも愚かな母親だろう。


 血液検査の結果、急性炎症性蛋白、肝酵素(Mt内)、肝酵素(細胞質内)、胆嚢、肝機能、アンモニア、アルブミン、ナトリウムが高く、ヘモグロビン濃度、血小板、アルブミン/グロブリン比が低いと判明した。


 獣医師はこの数値が何を意味しているのかを説明してくれた。医療知識ゼロ、筋金入りの文系で、理数系の才能皆無な私には説明されてもさっぱりわからなかったが、結論は猫コロナに感染しているが、それがストレスなどが要因でFIPと呼ばれる、猫伝染性腹膜炎を発症した疑いが濃厚であるとのことだった。黄疸も出ているとのこと。


「FIPは、以前は治療法がなく、致死率がほぼ100%の病気だったんですが、最近ではコロナが流行したせいもあって、治療薬の開発が進みました。治ることも多い病気です。このまま亡くなってしまう可能性もありますが、うちの病院ではこれまで6匹ほどFIPを治療し、1匹以外は治りました」


 ――亡くなる? マシュマロが?


 あまりにも突然突きつけられた現実に、脳がフリーズしてしまったのか、獣医師の説明がどこか遠くの他人に起こった出来事のように聞こえた。

 

 FIPにはお腹に水が溜まってしまうウェットタイプと、お腹に水が溜まらないドライタイプがあると説明されたときでさえ、一瞬「キャットフードの種類の説明をしているんだろうか」と勘違いしたほど、情報処理が追い付かない。


 マシュマロはお腹に水の溜まらず、臓器に肉芽腫性炎という炎症が発生するドライタイプで、エコーの結果、臓器に疑わしい影があるものの、血管の近くのため、針でつついて検査にかけるサンプルを採取できないとのことだった。


「うちではコロナの抗原検査ができないので、専門機関に出して調べてもらいます。結果が陽性であれば、まちがいなくFIPであると診断を下せるのですが、まだ結果が出ていない今は、抗生物質とステロイド剤で熱を下げる処置しかできません」


 間の悪いことに、普段会社員として働いている私がマシュマロを動物病院に連れて行ったのは土曜日。検査機関にマシュマロの血液を送るのは月曜日になってしまい、結果が出るのも早ければ火曜日、遅ければそれ以降になってしまうという。


「以前はお薬の費用が100万円くらいかかってしまっていたのですが、今はもう少し安いものもでています。でも、投薬は3か月程度続けなくてはいけないので、それなりに高額になってしまいます」


 3か月!? 100万円!? 保険適応外なの!?


 私は愕然とした。100万円なんて、シングルマザーで中学生の子供を持つ私には、気軽にポンとは出せない金額だ。

 もう少し安くて済むかもしれないと言われたが、それでもしがない事務職でしかない私の雀の涙程度の給料で賄えるのだろうか。これから子供の高校進学も控えているのに、もしかしたら借金しなくてはならないかもしれない。


 7日分の抗生物質とステロイド剤を処方してもらい、呆然としたまま3万円近い検査費用と受診費用を支払い、マシュマロを入れたリュック型のケージを背負って自転車を走らせる。


 家に着くまでの道のりで、私の脳内を占めていたのは混乱と不安、絶望だった。

 動物病院が遠のくにつれ、じわじわとマシュマロの置かれた状況を理解していく。


 ――『以前は治療法がなく、致死率がほぼ100%の病気だった』、『6匹くらいFIPを治療しましたが、1匹以外は治りました』


 獣医師の言葉が何度も何度も脳内で再生される。

 ――もし、マシュマロがその治らない1匹と同じ運命を辿ったら?

 ――もし、治療薬が高額過ぎて、諦めなくてはならなかったら?


 恐怖が背中を這い上ってくる。


 ――どうして、うちの子が? まだお迎えして半年とちょっとしか経っていないのに? この世に生を受けて、まだ1年しか生きていないのに? あんなに元気だったのに? 

 

 何でもっと早く受診させてあげなかったんだろう。そしたらもっと早くFIPの治療を開始できたのに。あの子はずっと私にSOSを出していたのに、愚かな私は楽観視して見て見ぬふりをしたのだ。何て酷いことをしたのだろう。こんなの、母親失格じゃないか。


 運動不足の中年にはきつい坂道を自転車を押して歩きながら、私は唇を噛み締めた。

 家に到着して、マシュマロをリュックから出してやる。ほっとした様子の彼女を見ているうちに、眦から涙が溢れた。


 こんなにも稚くフワフワで可愛らしい子が、たった1年で虹の橋を渡るかもしれないなんて、到底受け入れられない。

 愛しい娘であるマシュマロを諦めるなんて、私にはできない。

 それでも、私はシングルマザーだ。自分の人間の子供にとっては唯一の保護者であり、私にはあの子を成人するまで養い、不自由のない生活を送らせてあげる義務がある。

 人間か、猫か。どちらかの子供の未来を取るか。そんな残酷な選択を迫られたら、私はどうしたらいいのだろう。


 不安に呑み込まれそうになっていた私は、何とかネガティブな思考を放棄しようとした。まだ治療費が100万円かかると決まった訳ではないじゃないか。獣医師はもっと安く済むかもしれないと言っていたのだ。今は泣いている場合ではない。今後マシュマロのために何をしてあげられるのか、FIPとはどういう病気なのか、きちんと調べなくては。


 色々と調べていくと、FIPは免疫力が弱い仔猫に発症例が多いとか、治療しないままだとタイプによっては発症して数日から数週間で死に至ることが多いとか、早期治療がカギであるとか、ドライタイプはウェットタイプより治療薬が多く必要であるとか、ペット保険で治療薬が賄えるかどうかは、加入している保険会社と保険プランによるということも分かった。


 病院で処方してもらった熱さましが効いたのか、マシュマロはその夜、久しぶりにごはんを殆ど残すことなく食べることができた。しかし、翌日の昼には再び高熱を出し、夜までグッタリして過ごし、また熱冷ましが効いてごはんを食べるということを繰り返した。

 

 動物病院から検査結果の知らせを受けるまでの数日間、私は早く治療開始しなければマシュマロを失うという焦燥にヤキモキしながら過ごした。


 そして、受診日から4日後、獣医師から連絡があった。


「マシュマロちゃんの検査結果は、猫コロナウィルス陽性でした。やはり、FIPに罹患しています」

※ FIP治療薬ですが、「保険適応外が殆ど」と書いていましたが、保険会社によっては保障対象です。誤解を与える内容であるため、訂正しました。

誤字脱字は見つけ次第修正していきます。

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