ずっと不遇を押し付けられていた私ですが、これからは幸福を選べるようです。
天災のアリシア視点
白い結婚から離婚で再婚でハピエン
「求婚、お受けします」
「では契約書を作りましょう。お互い、相手に何を望むのか、望まないのか」
目を細めて微笑む彼の姿に、私は学生時代のことを思い出していました。
同年に神童とも言われた天才がいるということで、繋がりを作るために私はダランベール侯爵の次女として貴族学校に通うことを許されました。それは9歳の時の王宮でのお茶会と同様のこと。地味で特に美人でもない私が何かに選ばれることなんてないとは思ったのですけれど、学校で学ばせてもらえるということは素直に嬉しくありました。
それに学校に通うということは他者の目に触れるということですから、不審に思われないようにご飯もちゃんともらえて、暴力もほとんど振るわれなくなりました。
幼い日に一度見たきりだった美少年は、成長しても美少年でした。まるで人間じゃなくて、天使さまみたいな、優しそうで、美しい男の子。きらきらしたお星さまみたいな、手の届かない人。
彼は公爵令息で、私は名目上侯爵令嬢なのですから体裁上話しかけても問題ないのです。手を伸ばせば指先くらいは触れられたのかもしれません。侯爵たちもそれを望んでいたでしょう。
けれど、私はそんなことをしても無駄だと思いましたから、高等学校の推薦と奨学金をもらえるように勉強に力を入れました。卒業後に働きに出るという道がほしかったのです。
まあ、実際には高等学校二年目に彼と第三王女の婚約が発表されて、公爵家との繋ぎにできないならと卒業後すぐ他家に嫁がされることになりましたけれど。侯爵家との繋がりを求めてか、持参金はいらないし寧ろ支度金を支払うとまで言われたそうで、奥様が嬉々として了承したらしいのです。比較的新興の貴族であるユーク伯爵の嫡男との婚姻でした。
私の婚約者になった少年は、自分の妻になる女が、私のように地味な上に自分より(名目上だが)地位の高い女であることが心底気に入らないようでした。顔合わせの後も婚約者らしい扱いは受けませんでした。まあ私の方もその少年にいい印象は持てなくて改善しようとしませんでしたから、お互い様かもしれません。
あの天使みたいな彼が婚約者ができても近づいてくる女の子をたしなめたり、婚約者を大切にする素振りを見せませんでしたから、学園全体に貞節は守らなくても構わないもの、という雰囲気があったというのもあります。私たちの世代は本当に貞操意識がおかしくて、不貞からの婚約破棄なんて話も度々ありました。その流れで卒業までに美しい彼の婚約破棄が起こらなかったのが不思議なくらい。誰から見ても明らかに、彼は複数の女の子と不貞をしていましたから。
「エインクライン公爵と我がダランベール侯爵家の者が結ばれる運びになるとは、喜ばしいことです。父たちも喜びます」
私と彼の婚姻が決まった事で、兄は揉み手をしそうな勢いで喜んでみせました。父が引退して兄が侯爵家を継ぎましたが、やや落ち目に傾いているようでした。エインクライン公爵家との繋がりと援助はそれこそ喉から手が出る程欲しいのでしょう。彼は上品に微笑んで言います。
「そうですね。とうに籍のない実家といえども、アリシアさんが望むのなら援助もしましょう」
「…え?」
「俺が望んだのはアリシアさんであってダランベール侯爵家ではありません。侯爵を通したのは身柄を預かっている方に義理を通したというだけのこと。戸籍上彼女は既に侯爵家の人間ではありませんし、後妻に身分は必要ありませんから」
さも当然のことであるかのように彼が言うので、私も流石に無反応ではいられませんでした。兄は私に恐れと怒りの混ざったような視線を向けます。
「エインクライン公爵はその女が平民であっても妻に迎えると?」
「逆にあなたは、エインクラインに妻の実家の力が必要であるとでも?」
彼はこの国の貴族の中でも特に力の強い公爵家の、当主です。妻を選ぶのに誰に憚る必要もありません。かの公爵家より権力の強い家など、王家くらいのものなのです。それに私は平民同然といっても、一度は侯爵令嬢と認められた身です。婚姻により生家の籍を抜け、離縁により婚家の籍を抜かれたことにより、身分が浮いたまま生家の籍に戻されないままになっていました。それは最初から市井の人間だった場合とは話が異なります。一応、貴族としての教育も受けているのですし。
「つまりあなたは、ダランベール侯爵家と婚姻を結ぶつもりはないと」
「彼女の籍を戻さなかったのはあなたたちでしょう」
彼はにこり、と妖艶に微笑んでみせます。
「アリシアさんが望むのであれば縁を切ろうとまでは言いませんよ」
私の母は侯爵夫人ではありません。侯爵が使用人に手をつけて産ませた子だったといいます。物心つく前に母は死んだらしいのですが、子爵家の三女だったと聞いています。何故私が侯爵家に引き取られることになったのかといえば、私が侯爵家の直系の証である痣を持って生まれたからです。直系であっても痣を持たずに生まれることはあるらしく、姉には痣がない、らしいです。万一のスペアの意味もあったのでしょう。
どうあれ夫人は私が気に入らず、侯爵家の子供たちと私を同列に扱うことを拒みました。彼と同い年であるという利点を見出されるまで、私は使用人の子同然の扱いを受けて育ちました。いずれかの家の政略婚の駒として使う可能性を見て礼儀作法だけは厳しく仕込まれていましたが。
母に愛された記憶すらありませんでしたので、辛いとも思いませんでした。物心ついた時からそれが当然の扱いだったからです。自分が普通じゃない扱いを受けていると自覚したのは、王家の茶会で他家の子供たちを見た時でした。
求婚を了承したその日の内に生家を出て彼の屋敷に移りました。私の荷物は小さな鞄一つに納まる程度の衣服と小物しかありませんでした。婚家から追い出された時と変わらぬものであり、一度目に生家から嫁いだ時とも大差ありませんでした。
「あなたが不快でなければ、以前マリーが使っていた部屋を使ってもらう事になるのですが、よろしいですか?」
「ええ。快適な寝床をいただけるのであれば、どのような部屋でも」
例えば屋根裏でも、と口にする前に、彼は眉根を寄せました。
「俺が自ら進んで妻として迎え入れる女性を虐げる男だとでもお思いですか」
「いえ、そういう意味では」
「…このような言い方はあまりしたくないのですが」
彼は真面目な顔で私に告げます。
「妻として社交界でパートナーとして振舞ってもらうあなたには美しい女性になってもらう必要があります。美容のためには栄養バランスの取れた食事と質の良い睡眠は不可欠です。あなたはこの屋敷で、健やかな生活を送る義務がある」
「義務、ですか」
「あなたにはエヴァ…娘の手本になっていただく必要もありますから」
私情よりも家の利益を優先する彼らしい物言いでした。それと同時に、生家の人たちよりもよっぽど私のことを尊重してくれていました。
学園を卒業してほどなく、買われるように嫁いだユーク伯爵家での私の扱いは然程良い物ではありませんでした。ついてすぐ夫には「お前のような地味な女を愛するつもりはない」と告げられ、屋根裏部屋に押し込まれました。次期伯爵夫人として扱われることもなく、使用人同然の立場でした。
義父である伯爵の目を誤魔化すため社交界に連れていかれたことは何度かありましたが、だからといって新しい交友関係は作れず、私は孤立していました。仕方のないことだと思いました。夫から見れば私は、父親によって押し付けられた価値のない女なのですから。
夫が妾宅を持って愛人の所に入り浸るようになるまで、大した時間はかかりませんでした。夫に対して情を持っていなかったので悲しいとは思いませんでした。ただ漠然と将来への不安だけがありました。きっといずれ…夫が爵位を継いだ頃に離縁され、此処を追い出されるのだろう、と。
自立する術を探さねばならないと思った私は屋敷のことを把握することにしました。夫は仕事が雑で、政務もほとんど執事任せに近かったのです。そして執事は良くも悪くも頭の固い男でした。夫から蔑ろにされている妻でも、公的には主家の夫人であることに変わりないからと、言えば機密書類まで見せてくれました。書類の不備を指摘すれば、ならば夫の代わりに訂正書類を作ってくれと執務を任されました。執事も執事で仕事がパンクしかけていたらしいのです。
エインクラインの屋敷での扱いはこれまでに私が一度も受けたことのない類でした。貴婦人として侍女がつけられ、朝起きれば洗面のためのお湯が用意されているし、食事は決まった時間に腹八分目、美味しい料理が出されます。衣服は清潔で質が良く手触りの良いもの。使用人に声をかければ常識外れの要求でなければ叶えてもらえますし、すぐに聞いてもらえないことでも、何故その必要があるかの聞き取りと責任者との交渉で叶えてもらえる可能性があります。
一言にまとめるのならば、高貴で賢明な女性として扱われています。それは彼の支配が使用人たち全てに行き届いている、ということなのかもしれませんでした。彼は私に公爵夫人として屋敷のことを取り仕切ってほしいとも言っていたのですから。
結局ユーク伯爵から離縁されることになったのは、婚姻を結んでから10年ほど後のことでした。夫が妾宅に囲っていた愛人が子供を産んだことと、その二年ほど前には義父が事故に遭い引退して当主の座が夫に渡っていたことが原因だったのでしょう。
表向きには私が子を産まなかったから離婚、ということになりかけましたが、私がきちんと白い結婚であった証を立てたので、白い結婚故の離婚ということになりました。
丸々した、父親によく似た顔の赤ん坊を抱いた愛人が、勝ち誇った顔で私を見ているのが、何故か侯爵夫人と重なって見えました。夫に未練はありませんでしたから、離縁自体は粛々と受け入れました。実家に戻ったところで、再び使用人のように扱われるだけなのはわかっていましたが、ユーク伯領に留まりたくもなかったので、実家に送られる馬車に大人しく乗りました。
10年の間に侯爵は代替わりして兄が侯爵になっていました。兄は私に他家に後妻として嫁げと言いました。…もっとも、その時点では兄も私の嫁ぎ先が公爵家になるとは夢にも思っていなかったでしょう。
屋敷に移り住んで一週間ほどしたところでやっと、私は彼の娘…前妻の産んだ唯一の子、エヴァンジェリンとの対面が叶いました。彼から聞いていた通り、美しい少女ではありましたが、彼ほどの人並外れた美貌ではありませんでした。それでも彼を知らなければ天使のような美少女と形容していたでしょう。
エヴァンジェリンは美しいだけでなく賢くて礼儀のきちんと身に付いた子供でした。わずか8才だというのに、実母の死も、私の義母という立場も理解しているようでした。
「アリシアさまは、お父さまのことをどう思っていらっしゃるの?」
「どう、というのは」
「エヴァは、お父さまに幸せになってほしいの。お母さまといたころのお父さまは、あまり幸せそうではなかったから…」
そう言われて、そういえば私は彼と前妻がどのような関係だったのか、何故前妻が死んだのかを知らないことに気付きました。とはいえ、それをエヴァンジェリンに尋ねるのは流石に酷なので後回しにしました。
「そうですか…私は、ハルトムート様は真面目で誠実な方だと思います。それに、とても義務感の強い方でもありますよね」
無難な返答だと自分でも思いました。しかし私は彼のことを詳しく知ってはいませんでした。
子供の頃クラスメイトだっただけ。いくらか話をして、求婚を受けただけ。初めて見かけた頃から変わらない、同じ人間と思えないほどの美貌をしていて、けれどその美しさを本当は好ましく思っていないらしい人。筆頭公爵としてこの国の貴族の頂点に近い場所にいる人。
私はそれぐらいしか彼のことを知りません。あるいは、娘にはまた違う姿を見せているのかもしれませんが。
「お父さまのつまになるのでしょう?お父さまを好きなのではないの?」
「それは…」
形の上で求婚ではありましたが、彼が私に求めたのは愛による結びつきではなく、利害の一致によるビジネスパートナーです。私が望まないのであれば夫婦関係はなくとも、白い結婚でも構わないとすら言われています。後継は既にいますから。
「エヴァはお父さまのこと、大好きよ。お父さまはエヴァが子供だからってきめつけたりしないでしんけんにお話しを聞いてくれるもの」
「…恥ずかしいので、秘密にしていただけますか?…私の初恋は、ハルトさまなのです。叶うはずないと、ずっと昔に沈めてしまった恋ですが」
もっとも。あの日彼に恋してしまった子は私一人ではなかったでしょうし、彼と顔を合わせて一度もときめいたことのない人間はそこまで多くないでしょう。顔を好きになっただけだろう、と彼には言われるでしょうが。
「まあ。でもはずかしがることはないわ。お父さまに一度も恋したことのない人なんてめったにお目にかかれないって、ナタリアもいっていたもの。侍女たちだってそうだし、お母さまもそうだったんだもの」
「まあ。みんながみんな、同じ方に恋していたら、困ったことになってしまうのではなくって?」
「それがね、この屋敷で働いていると、お父さまは夫や恋人にするのは大変な人だってわかるから、触れない程度のところで美しい顔をながめているくらいがちょうどいいと思うようになるんですって」
随分な評価です。あるいは、まだ幼い子供であるエヴァンジェリンに聞かせるには憚られるから濁されているということなのかもしれませんが。
私が表情を変えたのに気付いて、エヴァンジェリンは慌てたように言います。
「お父さまが家の者にひどいことをするわけではないのよ?ただ……お母さまはいつも一人でへやにとじこもって、お父さまがお母さまを愛してくれないって怒ってたの。お父さまは、お母さまには愛してほしいと言われたことがないから必要以上に関わらないようにしているんだ、っておっしゃっていたけれど。だから…アリシアさまは、お父さまに求めることがあるなら、ちゃんと本人にご自分でおっしゃった方がいいわ。お父さまはたぶん、用がなければ一人でほうっておかれるのが幸せだと思っていらっしゃるの」
それを聞いて、この屋敷に来た時に彼が前妻の使っていた部屋を私に与えることを不快でなければ、と言っていたことを思い出しました。そして少し不気味に思いました。
学生時代に見かけたことのある第三王女は美しい少女でした。彼女が死ぬ前どのような様子だったかはわかりませんが…娘にこんな風に言われる位です。きっと、世界や彼に恨み言を言いながら死んでいったのではないでしょうか。少なくとも、安らかに、幸せに最期を迎えたとは思えません。この世に大きな未練を持って死んだのなら、怨霊になって留まっていてもおかしくないのではないでしょうか。王族なら相応の魔力を持っていたでしょうし。
もっとも、私は実際に幽霊を見たことがあるわけではありませんし、与えられた部屋でおかしなことは起こっていませんが。
「エヴァンジェリンさまの忠告はしっかり心に留めておきますわ」
「きっとよ。エヴァはまだ、アリシアさまのことをよく知らないけれど、お母さまのようにはなってほしくないわ」
それは私もなりたくありません。己の無力さに嘆くとしても、私は何もせず諦めてされるがままになる女にはなりたくありません。望むことがあるなら、自分の足で踏みだすべきなのです。
私と彼は学生時代ただのクラスメイトに過ぎませんでした。ですが、個人的な会話をしたことが一度もなかったわけではありません。彼はきっと記憶に留めてもいないだろう些細なやり取り。それでも私は、その時のことを…彼の柔らかな微笑みを覚えています。宗教画のように鮮烈に、焼き付いています。
「向上心があるのは、良いことだよ。知識だって、立派な力だからね」
その言葉がある意味で呪いになって、今の私がいるのです。
何か困っている事はないかと問われ、私は困っているというのは少し違うが、と前置きして彼に問いかけました。
「マリリエッタさまは…恨みを持って死んだのではありませんか?」
その問いに彼はきょとんとした後、ああ、と軽い調子で答えました。
「後妻を迎えると決めた時にあの部屋はきちんと掃除しましたから、マリーの残留思念だとか魂の欠片だとかは残っていませんよ。ちゃんと全部"遠く"に流しましたから」
「遠くに流した」
「還ってくるにしても二世代から三世代は後でしょうね」
何を言っているのかよくわかりませんが、恐らく…確かに前妻の怨霊はそこにいたのでしょうが、彼がどうにかした…ということなのでしょう。大抵のことは自分でやってのける人ですが、幽霊もどうにかできるのでしょうか…。彼にできないことなんてあるのでしょうか。
安心するべきか慄くべきか迷いましたが、追求しても良い事はなさそうなのでその話はそれで終わりにしました。
ユーク伯爵家に嫁いだ時は結婚式も簡素なものでした。それこそ、白いワンピースで形式的に誓いの言葉を交わして婚姻契約書にサインしただけ。だから、再婚とはいえ私はウェディングドレスを着るのは初めてでした。エインクライン公爵家での結婚式は私が彼の後妻となることを知らしめる必要もあってか大規模で豪華なものでした。一年かけて衣装も引き出物や会場に置かれる美術品なんかも用意されて、私が形式だけ彼に嫁ぐ女だなんて誰も思わないでしょう。準備期間の内にエヴァとも打ち解けて私もちゃんと彼の妻を…公爵夫人を務められるのではないかと思えてきました。
「アリス、用意はできたかい」
「ハ、ハルトの姿を見たら今更緊張してきたわ。私、あなたの隣に立っても見劣りしない?」
私の問いに彼はくすりと笑って言います。
「大丈夫、ちゃんと綺麗に仕上がってるよ。君はもう少し自惚れていい。…俺が伴侶として選んだ相手なんだから」
頭の上からリップ音が降ってきて、頬が熱くなりました。今日の私は自他ともに認める幸福な花嫁になれるのです。20年前の私にそう言っても、私はきっと信じなかったでしょう。初恋の人の妻になれるんだって。
ちゃんと背を伸ばして彼に並んで堂々と歩けば、参列者からは祝福の言葉と拍手がかけられました。参列者の最前列でエヴァも綺麗におめかしして私たちを祝ってくれています。やや興奮気味なのを侍女にたしなめられてすらいます。
神官の前で誓いの言葉を交わして唇が触れあうだけの誓いの口付けの後、指輪を交換します。
披露宴で初めて正式に彼の両親と対面することになりました。お互い再婚だし、とっくに隠居してる人たちだから伺いを立てる必要はないと彼が言ったからです。そのような言い方をされたわけはすぐわかりました。
「どんな女かと思ったら、まあ、あの女よりはマシなのを見つけてきたようね。私のハリーに相応しいかはまだわからないけれど。色合いも地味だし」
「フェリシアーナ、祝いの席に水を差すのはやめなさい。ハルトムートが選んだ相手だ、間違いはないだろうさ」
かつては目を見張るような美女だったであろうことが窺える、彼との血縁が見てわかる初老の女性。公爵家に美容の技術があるのは彼女のためだったのでしょう。そして顔立ちそのものは似ていませんが雰囲気が彼にそっくりな、年代物の木彫り細工のような、穏やかそうな初老の男性。一目で彼の生育環境のわかる夫婦でした。
同じテーブルに彼の弟夫婦(公爵家の保有していた伯爵位を与えられている)も座っていました。こちらは事前に一度顔合わせしていました。並んでみれば、弟君は父親似です。
「そうそう、兄上はやっと学生時代から好ましいと思っていた女性と結ばれることができたんですから、祝って差し上げるべきでしょう。我儘もほとんど言わなかった兄上が望んだ相手ですよ」
「声高にそのようなことを言わないでくれ、レオンハルト。流石の俺も気恥ずかしくなってしまう」
「私の方こそ、昔からハルトさまをお慕いしていましたわ」
「アリス」
弟嫁と義父の間に座ったエヴァが満足そうな笑顔を浮かべています。
他の客にも見える場所でこのようなやり取りをすれば、社交界にすぐ噂が回るでしょう。それこそ、色々と尾ひれがついて私と彼が学生時代から密かに思い合っていた、だなんて話になるかもしれません。事実とは異なりますし、同級生は信じないでしょうが。ですが、私と彼の仲が良好だという認識が広まれば十分です。
「エヴァちゃんにもその内、弟か妹ができるかもしれませんね」
「そうしたら、わたくし、きっとすてきなお姉さまになってみせますわ」
「…だ、そうだが」
「こればかりは、授かりものですのでわかりません」
妊娠したことがありませんし、私ももう30代です。可能性がないわけではありませんが、チャンスはあまり多くないでしょう。一人か二人、産めたら良い方というところでしょうか。
公爵家の保有する美容技術と知識のおかげか、身につける品が全て超一流のものだからか。俯くことなく堂々と立っているからか。はたまた、彼が妻を愛する夫として隣に立ってくれるからか。どれが理由か、全てが理由なのかもしれませんが、私は上流貴族の貴婦人たちに公爵夫人として認められ、一目置かれることになりました。
彼に言われた通り、やってみればできるものです。筆頭公爵夫人として、茶会を通じての交流の場繋ぎや情報収集。噂の調整。他貴族の誘導。流行の作成。矢面に立つ必要はありません。そういうのは目立ちたがりに任せておけばいいのです。重要なのは場の流れを掴むこと。
把握する事自体は学生時代にもやっていました。それを自分で動かそうとしたことはほとんどなかっただけです。そういうのは私のポジションではないと思っていました。ダランベール侯爵はそれなりに歴史の長い貴族ではあるけれど、私は地味だし使用人の子ですから。
直系の証はありますけれど。
他派閥の公爵家が主催する舞踏会に夫婦そろって参加することになった日、思ってもいなかった相手と遭遇することになりました。
元夫…ジルヴァイド・ユークです。事業に失敗して愛人にも逃げられたのだという噂は私の元にも届いてきていました。確かに身にまとっている衣装は手入れが行き届いていませんし、やや不健康そうな顔をしています。既に縁の切れている私には関係のないことだ、と思っていたのですが。
「アリシア!俺だ、覚えているだろう!」
名を出して騒がれては、完全に無視するわけにもいかず、仕方なく振り返ります。
「…何でしょうか、ユーク伯爵」
「俺が間違っていた。再婚しよう、戻ってきてくれアリシア」
「ご冗談を。私は既に再婚して愛する夫がおりますので」
頭がおかしいのかと思いました。仮に独身のままだったとしても、再婚にメリットはありませんし、その場合この男は私に目もくれなかったでしょう。私は彼と再婚することになったからこそ、こうして堂々と貴婦人として立っているのです。
「アリシア、君は俺を愛してるはずだろう?俺も君がいなきゃダメなんだ」
怖気が立つようなことを言って私の手を取ろうとした前夫の手を彼が払いのけます。
「俺の妻に何か用か?」
「ハルト」
「おいで、アリス」
彼が前夫との間に割って入ってくれて、ほっとしました。
「衛兵を呼ぶべきかな。嫌がる婦人に無理矢理迫るなんて、到底紳士のすることじゃない」
「エ、エインクライン公爵…」
「ああ。そして君は彼女をこう呼ぶべきだ。エインクライン公爵夫人、とね」
「くっ…」
流石にそんなこともわからないほど馬鹿ではなかったらしく、前夫は目に見えて消沈しました。
「わかったなら自分のすべきことをすることだ。貴族であるなら、当然果たすべき役目というものがあるものなのだから」
前夫を追い払って彼は私に向き直ります。
「大丈夫かい、アリス。少し休もうか」
「いえ、大丈夫よ。あなたが庇ってくれたもの」
エインクライン公爵に睨まれているという噂が広まれば、ユーク伯爵はもう没落するしかないでしょう。筆頭公爵とことを構えたい商会などいませんし、貴族家もそうです。実際に実行したことがあるかはともかく、公爵家がその気になれば伯爵以下の貴族なんて一方的に潰せてしまいますし、公爵領の関わる取引や関税などに関わる措置に無関係ノーダメージでいられる商会はほとんどありません。本人が関わらなくても公爵家から取引先に圧力がかけられるかもしれません。
公侯爵なら争いになればお互い大きな損害を出す前提になるので、実行前に交渉が発生しますが、反撃できるような力のない者はただ蹂躙されるだけです。
「果実水でももらってこようか」
「私、そんなに顔色が悪いかしら」
「目がギラギラしてる」
「まあ」
自分では気にしていないつもりでしたが、思っていたより私は前夫に思うところがあったようです。確かに、これでやっとあいつと縁が切れるというすっきり感みたいなものがあります。
「あまり他の男のことばかり気にされると嫉妬してしまうな」
「私はハルトと違って一途よ?」
「俺だって今は愛人はいないよ」
「私よりエヴァの方が大事でしょう?」
「…。別枠だから、で手を打たないかい?」
「いいわ」
そもそもこれは軽口に過ぎません。彼だって本当に嫉妬するわけではないでしょう。嫉妬しても意味がありませんから。
その後は特に目立ってトラブルもなく終わりました。
心境の変化が影響したのかなんなのか、それから一年もかからずに私は妊娠し、息子を産むことになりました。息子の躯には、私と同じく生まれつきの痣がありました。彼は息子にヴィルミールと名付けました。
乳母が手配されましたが、私自身も養育に携わりました。
ヴィルの髪は私と同じ暗色でしたが、瞳は彼と同じ深い青色をしています。私に似たのか、ハッとするような美しさはありませんが、優しげな顔立ちでした。
ただし時折何かを恐れるように酷く泣くことがあります。一度泣き出すと中々泣き止みません。疲れ果てるまで泣き止まないことも多いのです。ところが、彼が居合わせると魔法のようにすぐ泣き止ませてしまうのでした。
「コツがあるのなら、教えてほしいわ…」
「コツ?ん…泣いている原因を解決してやる、以外ないと思うが。この子は随分と耳が良すぎるようだから」
「耳?」
「ん?んー…そうか。では、何か用意しておこう」
どうも彼は説明するのを諦めたようでした。こうなると彼はせっついても説明してくれません。
そして一週間程後、彼が子供部屋に置いたオルゴールを鳴らせば異常な泣き方はしないようになりました。どのような機序かはさっぱりわかりませんが、泣き止むにこしたことはありません。
「君もきっと赤子の頃はそうだったんじゃないかと思うんだけど」
「…自分の赤ん坊の頃のことなんてわからないわ」
「そうか…」
ヴィルが一歳になったところでまた一人妊娠して娘が生まれました。
淡い金髪に淡い青色の瞳。ひどく整った顔立ちをしているけれど、生まれつきの痣が右のこめかみにありました。この位置ならば前髪で隠せるでしょうが。彼は娘にメリヴェールと名付けました。
メルの部屋には初めからあのオルゴールが置かれました。
「…多分、メルに任せることになるかな」
「何のこと?」
「この子が無事三歳になった頃に話すよ」
彼が私の知らない何かを知っているのは明らかでした。
「今話してはくれないの?」
「怖がらせてしまうといけないから」
「何か悪いことなの?」
「当人の価値観と感性にもよるかな。俺は悪いことだとまでは思わないけど、嫌がる人もいると思う」
もってまわったような言い方は、彼に説明する気がないことを示していました。
「俺がみすみす子供を不幸にさせるわけがないだろう?」
「…ええ、そうね」
エヴァにとっては随分年の離れた異母弟妹になりましたが、エヴァはヴィルとメルにも、私にも、悪感情を見せることはありませんでした。当主教育の影響もあったかもしれません。彼もエヴァが継嗣であるという決定を覆すことはありませんでした。…いや、翻させるつもりは私もありませんでしたから、子供たちには自立できるような教育を与えるつもりでした。のですが。
「どういうことですか?」
「気付いていなかったのか?」
いっそ不思議そうな顔で彼は言います。
「ダランベールの正当な後継者は君だ。…いや、君だった、というべきかな」
「私が?でも、私は使用人の産んだ子で…」
「前ダランベール侯爵は分家から本家の養子に入った者だ。彼の血しか引いていない子は直系とは言えない」
「え、でも、じゃあ…」
「君の母親が直系だ。そもそも血統こそが重要なのであれば、女系相続の方が確実だからな」
「・・・」
今更そんなことを言われても、どう思えばいいのかわかりません。
「アリスはこの国の公爵と侯爵がどう違うかは理解しているかい」
「…公爵は王室の流れをくむ家で、侯爵はそうではない家、ではないの?」
「大まかには。そして特に古い家は、王家がこの地に来るより前から土地に根付いていたものもある。そして信仰もね。ダランベールはその古い信仰に関わる土地故に、本来なら祭祀の家系でもある」
「そんなの、初めて聞いたわ」
「前侯爵か、その前から喪われかけていたのか…まあ、古いものは伝えていこうとしなければ忘れられてしまうからな。ともかく、信仰を喪いかけていても信仰されていたものが力を喪い姿を消すとは限らないからな。今ダランベール家がほぼ没落しているのも、古い祭祀を怠ったからだ」
「あなたは何故そんなことを知っているの」
「お忍びでダランベール領に尋きにいってきたんだ。印を付けるものがいるなら、その意図は確かめておくべきだと思ってね」
「印って…」
「かつて君にあった、今はヴィルとメルに受け継がれた、君たちのいうところの直系の子に現れる生まれつきの痣のことだよ」
言われて初めて、いつの間にか自分の躯からあの痣がなくなっていたことに気付きました。彼はもっと前から気付いていたのでしょう。
「別に放っておいてもいいのだけど…ダランベール領が荒れるとうちの領地にも余波が来ないとも限らない。どうあれ、ダランベール領はこの国の要衝の一つだからね。将来的にはヴィルかメルが養子に入って治めるのが一番安定するはずだ。…まあ、その前に現ダランベール家が没落して領地返上になった後で、改めて血縁のものとして拝領するパターンかもしれないが」
ヴィルもメルもまだ片手で足りる年です。当主の務まる年になるまで早く見積もっても十年以上かかることでしょう。しかし、そうすんなりいくものでしょうか?
「王宮が認めるかしら」
「場合によっては王宮がダランベール領を任せると決めた相手にエインクライン家が後見に立つとの名目で嫁がせることになるかもしれないな。だがまあ、恐らく最終的になんらかの形で帳尻があうだろう。ヴィルとメルの存在は伝えたからな」
「そんないい加減な」
「君が俺の妻になって子を産んだのと同じことだよ」
彼が何か言い聞かせたのか、子供たちは特に兄弟間でもめることもなくそれぞれの道を見つけて自立しました。
エヴァはしっかり者でよく気の利く婿を迎えて女公爵となり、ヴィルは学生時代に気の合う娘を見つけて婿に入りました。メルはダランベール侯爵家の分家筋の真面目な男と結婚してダランベール侯爵家を建て直すことになりました。あるべきものがあるべきところに収まったような、見事なめでたしめでたしでした。
エヴァが公爵としてやっていけるようになったと判断した彼はあっさり隠居を選びました。私も彼について領地に引っ込みました。のんびり暮らすこともできるはずですが、私たち二人とも若い頃仕事に忙殺されすぎていて、趣味らしい趣味もなく途方に暮れてしまいました。子供たちにも、もうお母さまたちは自分の為に生きていいんだよ、と呆れられてしまいました。
「じゃあ、二人で自分の好き嫌いだけで好きと言えるものを探してみようか」
「ええ。もうあなたは当主ではないご隠居だし、私もその妻の老婦人だものね」
全く一つも責任がないわけではありませんし、彼はきっと子供たちに助けを求められれば助けに行くのでしょうけれど。彼はもう他の誰かや領地のことを気にして物を選ぶ必要はありません。領内で作っている物の宣伝だとか、価格調整なんかを気にしなくていいのです。
「実のところ俺は、社交界というものは面倒で嫌いだったんだ。美しい姿を保たないと心配されるし」
「ハルトなら多少だらしなくしていても美しく見えるって言われると思うけど」
「公爵家がなめられかねないだろう。いや、まあ、王家にはなめられてた節があったけど」
「そんなこと言ってるあなたの方が王宮をなめてるって言われるんじゃなくて?」
正直なところ、王宮の求心力はいまいちで、エインクライン公爵の方が人気が高いようですが、それは言わぬが花。彼もエヴァも今の所は王室転覆は望んでいないのですし。
「なめられるようなことをしてる王宮が悪いよ」
「あなたったら」
子供が拗ねているような響きだったから思わず笑ってしまいました。
再婚してから年老いた今に至るまで、彼の私への態度は一貫していました。それはきっと、私がそうしてほしいと彼に望んだから。やめてほしいだなんて、今更口が裂けたって言いやしませんが、年を経れば思うことはありました。
だって、あまりにも…彼はあの日から変わっていません。まるで年を取っているように見えません。彼と私が同い年だなんて、知らなければわからないでしょう。
「私、もうしわくちゃのおばあちゃんになってしまったわ」
「俺が気に入ってるところは外見じゃないから気にすることないのに。それに、外見が追い付いていなくとも俺だって枯れた老人だよ。アリスと同じ」
領内であれば私たちが同い年の夫婦であることは知られているのですが、他所だとそうもいきません。彼が私の子か孫かと思われることすらありません。義弟はちゃんと年相応に年を取った見目になっていますから、公爵家特有の何かということでもないようなのですが。
「ハルトは老人に見えないわ」
「美しすぎて年を取って見えないのかな」
「冗談にしても笑えないわ」
昔から、彼は美しすぎて人間に見えないとすら言われていました。本気で人間じゃないと思っている人はそういなかったでしょうが、もしかしたら、くらいには思われていました。
「まあ因果が逆だろうからね」
「謎かけ?」
「推測される事実。俺は多分、王室及び公爵家に流れる人ならざる血の結晶、まあ先祖返りというやつなのだろうね」
「天使みたいだとはよく言われていたけれど」
「天使ではないよ」
隠居の身で夫婦そろって招待された王都でのパーティーに参加することになりました。
「…まあ」
「それらしく見えるかい」
「一瞬誰かと思ったわ」
彼が、老いてなお美しい老紳士へと姿を変えていました。いきなり年を取ったというわけではなく、幻惑の魔法か何かなのでしょう。
「レオンハルトを参考にしたんだ」
「あなたが思っているほど、レオンとあなたは似ていないのよ?」
兄弟だとわかる程度には似ています。けれどレオンハルトは若い頃から美しいという評価を受けることはありませんでした。あまりにも美しすぎる兄が身近にいたというのもあるでしょう。ですが、どちらかといえばレオンは美しいよりもハンサムという言葉の方が似合う顔立ちだったのです。彼が優しげと言われることに対比してか、真面目そうと言われることもありました。
「血縁だし、年の取り方は同じだと思うんだがなあ」
「答え合わせのできる時が来るかどうか、定かではないわね」
なんなら老いずに死ぬ可能性だってあります…きっと、彼は普通の人より長く生きる存在なのでしょうけれど。
「わからないよ。俺の終わりにまた君と巡り合うことがあるかもしれない」
「それは…良いことなのかしら」
「悪いことではないんじゃない?」
パーティーではただ仲睦まじい老夫婦としてすごし、他の招待客からもそう扱われました。もしかしたら、生涯で参加したパーティーで一番心穏やかに過ごせたかもしれません。
旧知の…かつて級友だった人の大半は死ぬかこのような場に出なくなって久しくなります。私だって年齢だけ見ればそろそろ何かの拍子に死んだっておかしくない位になっています。今は未だ、夫婦揃って矍鑠としていますが。
随分長く生きたものだと自分でも思います。もしかしたら国の老貴婦人の中で一番年上かもしれないくらいです。近頃では眠りの時間が長くなってきて、その内眠ったまま目を覚まさなくなるのだろうと思います。そのことに恐怖はありません。私の死は、彼が看取ってくれるのですから、孤独ではありません。
「アリス、眠ってしまうのかい?」
「…ハルトは、いつ見ても綺麗ね」
「…ある意味で、それが俺の取り柄だからね」
少し困ったような顔で彼が微笑みます。
「眠る前に見るのがあなたの顔で、私は幸せよ」
これは私の本心です。…彼は私に愛を求めませんでしたから、私も意地を張ってあまり言葉にしていませんでしたけれど、
「愛してるわ、ハルト。ずっと、むかしから」
「…俺も君のことを大切に思っているよ、アリス」
額に口付けが落とされました。とろとろとした眠りが波のように体の中を揺れています。私はゆっくりと目を閉じました。
「おやすみ、アリス。良い眠りを」
「俺からアリシアさんに求めたいのは、公爵夫人として社交を担ってもらうことと、貴婦人として娘の手本となることです」
「エヴァに何か問題が起こらない限り、後継はエヴァを指名します。また、俺の血を引かない子にエインクラインを名乗らせないのであれば、愛人などは作っても問題ありません」
「役目に必要なものは仰ってくれれば用意します」
「契約期間は途中で問題が起こらなければ最短でエヴァが成人するまで」
「…こちら側の要求はこんなところですかね。そちらはどうですか?」
「私は…そうですね、生活の保障があることと、不当な扱いや侮辱などがされないこと」
「それは契約以前に当然のことだと思いますが」
「それから…自分の子供は、可能であれば産みたいです。他に好きな男がいるわけでもありませんし、あなたとの子供が…一番、問題が起こらないと思うのですが」
「…それがあなたの望みであるなら、叶えられるよう努めましょう」
「私は母を知りません。私が物心つく前に死んだらしいということくらいしか…。それはきっと、母にとっても寂しいことなのではないかと、今の私は思います。母を悼む人は、家族と言える人は…もしかしたら、私しかいないのかもしれない。その私が、母を本当には悼めないでいる。…もしかしたら、私もそうなるのかもしれない、と」
「あなたが拒否しないのであれば、きっと俺やエヴァが悼む人になりますよ。でも、そうですね…確実に血の繋がっている相手というのはまた違うのかもしれません」
「それから……あなたは、私を愛せないと思いますか?」
「そうですね…情熱的で、衝動的な…いわゆる恋のような気持ちが俺に芽生えることはきっとないでしょう。でも、家族としてお互いを慈しむことはきっとできるのではないかと考えています」
「家族…」
「夫婦も親子も家族の一種でしょう」
「ハルトムート様は最初、ビジネスパートナーと言っていたじゃないですか」
「子供のできるようなことをする相手ならビジネスだけの関係でいるのは逆に不健全でしょう」
「それは、そうかもしれませんが」
「そもそも俺はあなたに好感を持っているから求婚しているんです。そこは忘れないでください」
「…光栄ですわ」