北陽軒の大将
プロジェクトXを見て、成功者の素晴らしい体験に感動を覚えた。
反面、目に見えた成功者じゃなくても、真面目で地道な人生を歩む多くの人がいて、その恩恵も計り知れない。
普通の有難さ、目立たない日常の努力の大切さも素敵よね、と思って衝動的に書きました。
東京から電車で最速1時間弱の、地方都市にある駅からさらに自転車で三十分程。商店街の外れにあるラーメン屋『北陽軒』でバイト中の佐川亮平、高校三年。
小さな店で、働くのは三十代半ばの大将とバイトの亮平のみ。一杯六百円のラーメンはこれといった特徴も無く、餃子は冷凍で仕入れた業務用を焼くだけ、炒飯も特にこだわりのない平凡な味。
もちろん行列になる事も、雑誌やメディアで取り上げられる事も無い。が、不思議と客足が途絶える事も無かった。
亮平にしてみれば、シフトに融通がきいて賄いのある働きやすい職場である。
でも、ただそれだけ。
夢を追う者にとっては今だけの通過点、凡庸な大将は目標にならないが、都合が良かった。
中学生で憧れたギターとボーカル、ど素人ばかりの同級生でバンドを組んで猛練習、流行りバンドのコピーをマスターして出た文化祭のステージで、拍手喝采を浴びた。
俺ら才能あんじゃね?
調子に乗ってさらに猛練習、学校や商店街のステージでスター気分だった。
揃って地元で中堅の高校に進学し、勉強もそこそこにバンド活動に打ち込んで、資金のためにバイトに勤しんだ。
いい加減に勉強に本腰入れろと親に叱られても、バンドで飯を食う気マンマン。でも、あまり現実は見えていなかった。
適当な大学に滑り込んで続けたバンド活動だったが、卒業を前に就活を理由に解散した。
スカウトされても資金がいると言われたり、のらくら話を躱されると思っていたら別バンドがデビューしていたこともある。
亮平以外は青春の夢物語と諦めて、普通に就職することを選んだのだ。
今に見てろと歯を食いしばり、日々特徴の無いラーメンを作りながら、ソロで歌を続けた。
たまにバンド仲間がラーメンを食べに来て、近況を報告していく。
ボーナスが出ないかもしれない、彼女にフラれた、新プロジェクトのメンバーに選ばれた、父が入院することになったから退職して家業を手伝う、妹に先を越されていたが自分も結婚することになった、転勤で関西に引っ越す、等々。
大学卒業時に親に啖呵を切ってラーメン屋の2階に居候を始めた後、単発で数回、ラジオやテレビに出たものの、職業を聞かれるとラーメン屋のバイトとしか言えない亮平は、焦りを感じる。
それでも夢を諦めないのは、もう意地かもしれなかった。
「いやあ、亮ちゃんがいてくれて助かってるよ」
人のいい穏やかな大将は、昔から変わらない。両親を早くに亡くし、このラーメン屋を切り盛りする祖父母に育てられたらしい。
体調を崩したのを機に大将が継いで、ひたすら真面目にコツコツと働く姿は、祖父母を見送った今も変わらない。
派手さも目新しさも無い、昔から特徴の無い地味な店。
長くバイトしていると、スパンの長い常連が多いと気づいた。
連日来る客は皆無だが、月に一回、年に数回の客が意外に多い。
「ああ、やっぱこの味。落ち着くねえ」
「元気出るよ、大将ありがとうな」
様々な年代の客たちが、転機や節目に気分転換や原点回帰を求めてやってくるように見える。そう気づいてから、少しずつ自分の価値観が変化していくのが分かった。
「ありがとうございます、またいつでもお待ちしてますよ」
穏やかな笑顔で、大将はいつものように客を見送る。
亮平はスターを夢見ていた。自分はなれると信じていたし、努力もしてきたつもりだ。
次々とデビューする、若く才能ある奴らが眩しい。
結果が出ない事に苛立ちもし、去っていく仲間を見送るのも複雑だった。近況を聞くたびに、彼らの選択こそ正しいのかと不安を掻き立てられては、否定して揺れる日々を送っていた。
ここには平凡しかない。売り上げは横ばいだしチャレンジ精神も無い、ただ真面目なだけの代わり映えのしない店。
対して、来る客の心情は穏やかとは限らないと気づくのに、亮平はかなりの年月を要した。
大将に良性の腫瘍が見つかって手術と入院が必要になった時、亮平は頼まれて店を預かる事で、さらに見えていなかった事に気づく。
その平凡の維持に、どれだけの努力が必要だったのか。そうして見えない努力で維持された変わらない普通に、どれだけの人が癒されてきたか。
「世の中、地道の積み重ねで成り立ってるからねぇ」
ふとこぼした客の一言が、妙に心に響く。
「このラーメン、安心感の具現化っすよ」
何気ない客の感想に、なるほどと納得してしまう。
「ありがとうございます、またいつでもお待ちしてますよ」
気付けば大将と同じセリフを返し、無事の退院を喜んだ。
東京から電車で最速約四十分の、地方都市にある駅からさらに自転車で三十分程。商店街の外れにあるラーメン屋『北陽軒』の大将、佐川亮平。
小さな店で、働くのは五十代半ばの大将と看板娘。一杯七百五十円のラーメンはこれといった特徴も無く、餃子は冷凍で仕入れた業務用を焼くだけ、炒飯も特にこだわりのない平凡な味。
もちろん行列になる事も、雑誌やメディアで取り上げられる事も無いし、映えない店やメニューがバズる事も無いが、不思議と客足が途絶える事も無かった。
寂れた商店街は福祉や教育の関連施設としての再生が進みつつあり、地元に根差した活用方法を模索中だ。
たまにカラオケ大会やミニステージが催され、地元の学生やのど自慢が出演するのだが、中でも毎回新ネタの新旧ヒットメドレーを披露する、ラーメン屋の大将が盛り上げ役として活躍している。
読んで下さって、ありがとうございました。
何かを成す人は素晴らしい。
と同時に、選ばれた人ではない、多くの皆さんへ感謝を。