秦山家の人々
門をくぐると、さっきとは別のがっしりとした感じのスーツの中年男性に案内された。
中年男性に扉を開けてもらって玄関に入ると、本当に広かったし無駄な物が無くとても落ち着いた空間になっていた。
そういった場に明美はともかく俺とリリィの姿は不似合いな事この上無い。
まあ仕事だから仕方ないけどな。
だが俺はもっと驚くことになった。
「いらっしゃいませ。お忙しい所お越し頂き誠に申し訳ありませんでした。」
とお手伝いさんと思われる中年女性を伴って玄関まで出迎えてくれたのは何と先輩だった。
ありゃ?それにしても先輩の雰囲気が昼間と全然違うぞ?
服の上着は胸元の大きく開いたシャツじゃなくて大人しめのブラウスだし、全体的に何というかかなり控えめだ。
そしていつもの軽いノリじゃなくて、本当にどこかの令嬢みたいだ。
「先輩、どうしたんですか?」
俺は出されたスリッパに履き替えて先輩に近付くと小声でそう尋ねた。
「いきなり何よ?」
と先輩も小声で返してきた。
「いえ、昼間お会いした時と随分雰囲気が違うなあと。」
俺がここまで言うと、先輩は何も言わず俺の首根っこを引っ掴むようにして廊下に引っ張り出した。
そして角を一つ曲がって階段下までくると周りを見回して俺を壁に押し付けた。
何だ?何だ?と思っていたら、俺より背の低い先輩が下から突き上げる様に俺の頬の横に壁ドン!
そして俺を睨みつけると、「君ねえ・・・私を座敷牢に放り込みたいの?」と先輩の声が大きくは無いものの十分な迫力を伴って聞こえてきた。
「座敷牢ですか?この家にそんなものがあるんですか?」
「バカ、例えよ例え。
週一でここに顔を出す事が条件とは言え、せっかく独立を勝ち取って気ままに暮らしてるのに、こんな所に戻されたら息が詰まって死んじゃうわよ。」
「ひょっとしなくても先輩って箱入り娘なんですか?」
「まあね。」
先輩はそれについて色々と嫌な思い出でもあるのだろう。
思い出したくも無いとでも言いたげな表情だった。
俺が知る先輩の日頃の明るさとか大胆な服装は実家で抑圧されてきた反動なのか。
なら俺も協力するしかないだろう。
「わかりました。極力合わせます。」と俺が答えると、「極力じゃなく絶対よ?いい?」と先輩は更に距離を詰めて来た。
それにしても、かなり近いんですけど・・・
「わ・わかりました絶対です。」
と俺が答えると
「ならいいわ。」
とようやく納得して離れてくれた。
そして殆ど間をおかずに「あのう。」と横から声がした時は本当に驚いた。
声がした方向を見るとさっきのお手伝いさんと思われる中年女性が困り顔でこちらを見ていた。
「ご・ごめん、文さん、先に応接間にこちらの助手さんをお連れして。」
と先輩は慌ててお手伝いの文さんにそう言うと、自分は一足先にその場を去った。
文さんは怪訝そうな表情を浮かべながらも俺を応接間に案内してくれた。
俺が応接間に着くと明美が近寄ってきて、小声で「あんた先輩に何やらかしたのよ!」と叱責するように言ってきた。
どうやらこいつは、さっき先輩がただならぬ様子で俺を引っ張って行く所を見ていたらしい。
だが俺としては「別に何も。」と返すしかなかった。
明美の足元には俺が車から持ち出した占い道具が入ったカバンがあった。
先輩に引っ張って行かれた時に玄関に置いてきてしまっていたのだが、一応持ってきてくれたんだな。
俺達は部屋の中央にあるソファに、リリィを真ん中にして部屋の奥が明美で手前が俺という配置で3人並んで座った。
革張りのソファの座り心地は上々で、体が過剰に沈む事もなくそれでいて硬過ぎずといった感じで丁度良かった。
多分テーブルを挟んで向かい側のソファに先輩が来るのだろう。
そのソファの後ろには3人の男が既に立っていて、俺から見て右側の若い男性がさっき車を預けた人、左側の中年男性が門から玄関まで案内してくれた人。
真ん中が30代前半か半ばに見える男なのだが、明らかにこちらを胡散臭そうに見てる。
特に俺とリリィを。
まあ当然だな。フードとマスクで顔を隠した男女なんて怪しい以外何者でもない。
ただ何だろう?この男からはそれ以外の何かを感じるんだが?
リリィも何か違和感を感じ取っていたのだろう。
その男を気にしている様だった。
数分後先輩の「失礼します。」という声と共に現れたのが、先輩の御父上で当主と表現するのに相応しい威厳のある中年男性。
そして先輩と先程のお手伝いの文さんが随伴していた。
ソファの真ん中の位置に当主が奥に先輩が座ったので、リリィと当主・明美と先輩が向かい合わせに座る格好になった。
文さんは使用人らしくソファの横に立っているから俺の目の前には誰も座っていない。
「こんな夜分にわざわざお越し頂いて悪かった。娘がどうしてもと言うのでな。
私は明美の父で秦山グループの会長をしている秦山修二という。よろしくお願いする。」
この当主の挨拶から今晩の出張鑑定は始まった。
「私は占い師のリリィという者で横にいるのは助手。よろしくお願い申し上げる。」
俺はリリィと一緒に当主に向かい一礼した。
「能條明美です。いつも秦山先輩にはお世話になっております。」
明美も物腰柔らかく挨拶すると共に一礼した。
明美のやつこんな挨拶が出来たんだな。
ちょっと感動だ。
「君は2年前かな?うちに遊びに来たことがあったね。
今でも娘と仲良くしてくれていて嬉しいよ。
今後もいつでも遊びに来なさい。歓迎させてもらうよ。」
「ありがとうございます。私の事を覚えていて頂けたなんて光栄です。」
明美は本当に感動している様だった。
まあ当然だな。
グループ企業の会長が2年前に一度会っただけの娘の後輩を覚えているなんて、普通では考えられない。
「こう見えても人の顔を覚えるのは得意でね。
その上娘の数少ない友人であれば当然の事だ。
娘が最初に君の事を私に話した時は『妹が出来たみたいで嬉しい』とまで言っていたからな。」
「お父様。」
と顔を真っ赤にした先輩が慌てて止めに入っていた。
明美はとても嬉しそうにしてる。
まあこいつは先輩の信奉者だからな。
それにしても数少ない?
先輩の周りは友人や仲間で一杯という印象の俺からするとかなり違和感がある。
先輩は大学デビューで格好だけじゃなくてこの辺りもガラリと変えたんだな。
そうか、先輩にとって明美が妹なら俺は弟か・・・
と思いたいが俺には先輩と明美程の付き合いは無いし、おまけ程度に思われてると思った方が良さそうだ。
「では早速ご依頼の内容を・・・」
話が落ち着いたと察したリリィがそう言うと、
「すまんがちょっと待ってくれ。君について訊ねたい事がある。」
と当主が遮った。
占い師リリィについて知りたいという事か。
確かに今までそういうお客さんは何人もいたなあ。
こちらも適当に誤魔化してきたけど、毎回面倒な思いをしている。
あれ?でも当主の視線が向いてるのは俺?
その場にいる全員の視線も俺に向いている。
「どうした?質問は受け付けないという事か?」
間違いない。俺に向かって言っている。
しかし困った。
占いの場でも助手はお客さんとは直接話さない事になっている。
何か話すとしてもリリィに対して小声でほんの小さなやり取りをするだけだ。
雰囲気作りもあるし、お客さんにはリリィに意識を集中してもらいたいからだ。
俺はリリィを見た。
リリィは俺に答える様に小さく頷いた。喋って良いという事だろう。
「失礼致しました。単なる助手の私にご興味を持たれる方は初めてでしたので戸惑いまして。」
頭を下げつつ行ったそんな俺の謝罪に対して、
「フフフそうか。君の名は湯原宏君で娘の大学の後輩にあたるそうだね。」
といきなりこちらの正体をバラしてきた。
これには驚いた。この分だと他にも色々調べてそうだし下手な誤魔化しなんて通じ無さそうだ。
ここはまともに答えよう。
「はい。そうです。」
「で?娘とはそれだけの関係かね?」
「お父様?」
と先輩が心外そうな表情で当主の方を向いた。
俺もそうだ。そもそもこの人は一体何を言いたいんだ?
「どうした?答えられないのか?娘の事をどう思っているのだ?」
当主だけでなく何やら周りの雰囲気も怪しい。
無言のプレッシャーを感じる。
ん?その中でも強い視線でこちらを見ているのが、後ろに立っている3人の中で右側のさっき車を移動してくれた人と、俺とリリィにあからさまな態度を取っている真ん中の男。
二人の視線は明らかに俺を敵視していた。
こんな格好をしていて何だが変な誤解を受けてるな。
まあいい。俺は事実をそのまま伝えることにした。
何もやましい事は無いからな。
「先輩には明美共々入学当初から大学生活における様々なアドバイスを頂き大変お世話になっており、恩人だと思っております。」
「つまり一般的な先輩後輩の関係のみ存在し、恋愛感情の様なものは一切無いわけだな?」
当たり前だ。
先輩の事は『綺麗な人だな』と思う事は何度かあったけど、俺なんかが先輩に対してそんな感情持てるわけがない。
持って良いのは尊敬の念だけだ。
「当然です。第一私ごときが先輩と釣り合うはずがありません。」
そう言ったら明美はうんうんと頷いていたが、これはこれで何となく腹が立つ。
先輩はというと少しこちらを睨んでいた。
何でだ??俺何かミスったか??
「うむ。嘘を言ってる様には思えんし本当なんだろう。
それにしても当たり障りのない答えだな。実につまらん。」
おいオッサン!こっちはこれでも必死に答えたんだぞ。
ん?後ろの男の様子が変わった?
右に立ってる若い方が何やらほっとした様子に変わって俺に対する敵意が消えた。
だが真ん中の男は相変わらずだ。
この男は相変わらず俺に対して敵意を持っている。
でも当主が納得しているのにこの態度は明らかに変だ。
ついでに言うと先輩も少し変だ。
なんか雰囲気に棘がある様な?
俺がリリィの方をチラリと見ると、リリィも小さく頷いた。
やはりリリィも異変を感じ取っていた様だった。