占い師リリィ
お待たせ致しました。喫茶梟でございます。
はい?リリィの占いでしょうか?
申し訳ございません。
こちらは完全予約制となっておりまして、本日は予約のお客様で一杯でして・・・すでにキャンセル待ちの枠の方も・・・
明日ですか?
明日は定休日となっておりまして・・・はあ、直近の予約可能な日となりますと・・・現在二カ月待ちとなっておりますので・・・
その日で良いから今ここでご予約をお取りになりたい?
本当に申し訳ございません。
Webからのお申し込みに一本化しておりましてお電話での受付は・・・
はい。お手数をおかけ致します。
では失礼致します。
これが俺の喫茶梟での最近の日常で、こんな電話がしょっちゅうかかってくる。
喫茶店なのに占い?と思う人もいるだろう。
そうなった理由も含めて、俺がここ数カ月体験している変わった出来事をこうして思い返してみよう。
どちらかと言えば他人には秘密にしておくべきことだけど、もし誰かに知られたとしても、こんなの誰も信じないだろう。
それだけここ数カ月の俺の生活は異常が日常になってしまっているという事だ。
だがそれは忘れるには勿体ない出来事だった。
「宏君!」
俺がいつもの買い物を済ませて梟に帰っていたら、聞き覚えのある声に呼び止められた。
その場に立ち止まって声のする方に振り返って見ると、声の主である由香里先輩が立っていた。
彼女は大学の先輩の秦山由香里さん。
どちらかと言えば俺というより俺と同じ年の従姉妹である明美の先輩なんだが、俺にも普通に声をかけてくれるし、日頃から色々とお世話になってる人だ。
「由香里先輩。どうしたんですか?こんな所で。」
「あら?私がここにいちゃいけないの?」
いかにも心外そうな口ぶりでそう言われてしまうと、俺も謝るしかない。
「すみません。そんな事は無いですよ。でも天下の由香里先輩が一人でこんな所にいたら、そう聞きたくもなりますよ。」
「やめてよねー。人を変な風に見るのは。」
由香里先輩は心底嫌そうだったけど、美人で明るい上に気さくだから、どこかで会った時は異性同性問わずいつも数人に囲まれてる印象がある。
それにしても今日も先輩の服は大胆だ。
シャツは胸元が開いてるし、下は動きやすそうなパンツルックなんだけど、ピッタリと張り付くタイプで体の線がモロに出てる。
何と言うか、ちょっと目のやり場に困る感じだ。
実際さっきから何人もの通行人が先輩を見て振り返っている。
まあスタイルが良くて似合ってるから良いけどな。
「所でさあ。リリィ先生はお元気?」
「はい。元気ですよ。」
「実はさあ。またリリィ先生に見てもらいたいんだけど・・・」
リリィとは俺にこのたい焼きを買って来る様に指示した人物で、俺が今帰ろうとしている喫茶梟の一室で占い師をやってる女の事だ。
今の占いの繁盛ぶりは、顔の広い先輩の口コミや彼女自身のSNSによるところが大きい。
以前リリィに見てもらって抱えていた厄介事を解決できた先輩が、SNSで紹介してくれただけで無く、悩みを抱えてる仲間や後輩達にもリリィの事を紹介してくれたのだ。
その人達がリリィに見てもらって更に周りに、と感じに広がりそれぞれのSNSで呟いたものだから、人気がどんどん加速して今に至るわけだ。
だから俺までもが占い関連で多忙な日々を過ごす事になってしまった。
それにしても困った。
今の所予約は二カ月先まで埋まっててどうしようもないし、いくら知り合いでも俺が勝手に受けるわけにはいかない。
かと言ってお世話になってる先輩に冷たい対応もできないし・・・
でもいい加減な返答の方がかえって失礼だよなあ・・・
「実はですね。今の所予約が・・・」
「わかってる!二カ月先までいっぱいなんだよね?」
先輩は先輩也にサイトで予約状況を調べていてくれたみたいだ。
正直ほっとした。でも話にはまだ続きがあった。
「だからさあ、うちに来てくれない?リリィ先生とあんた達で。」
えっ?何で先輩が出張鑑定の事を知ってるんだ?
「そりゃあ出張はしていますが、今日の予定が既に埋まってる可能性がありまして・・・
そもそも何で先輩が出張鑑定の事をご存じなんですか?」
「え?明美に聞いたからに決まってるじゃない。
まあ安心してよ。明美から口止めされてるから他の人には話してないわよ。
そんな事よりさあ、リリィ先生と話してもらって都合の良い日を連絡して欲しいのよ。
勿論必要経費も割増し鑑定料もちゃんと払うから。」
明美のやつめ。
出張鑑定の事は、あいつが率先して秘密にすべきだと言ってたじゃないか。
実際出張鑑定は、梟で予約されてる全ての占いが終わった後に、現地に出向き延長戦で行っている。
出張鑑定を行う前に客には、『出張鑑定は毎回やれるわけではありません。お客様のご希望とリリィが現地での延長が必要だと判断した場合に限り行います』と念を押している。
そうでなければ、通常の予約を取れなかった客がいきなり出張鑑定を申し込んで来る様な事態が多発するだろう。
そうなると労務管理だけでなく、俺達の体力が非常に不味い事になる。
今回は先輩だから良いけど、他の人にも色々喋ってないだろうな?
女の口の軽さときたら本当に酷いからなあ。
実際子供の頃から女に『内緒だ』という約束で物事を教えて守られたケースなんて殆ど無い。
知られちゃ困る事程言いふらされていたもんだ。
当の明美にもな。
でも今更どうにも出来ないし、明美はともかく先輩はあんな奴らとは違うよな。
日頃からお世話になってる人なんだし信じなきゃな。
「わかりました。後でご連絡します。」
「ん?なんか微妙な間があったみたいだけど頼んだわよ。
所で、なんかさっきから良い匂いするわね。」
そう言って先輩は前かがみになって、俺の抱える袋を見ている。
あのー・・・そうされると胸の谷間が丸見えなんですけど・・・
「食べますか?」
俺はそう言って袋の中からたい焼きを一匹取り出した。
決して胸に負けたわけではない。
俺としては恩人に対するささやかなお返しのつもりだ。
それに変に疑っちまったし。
「ありがと。」
先輩はお礼を言いつつ俺の手からたい焼きを受け取ると、早速頭の方から咥えて俺に向かってひらひらと手を振りながら雑踏の中に消えて行った。
そういや『お魚くわえたド〇猫』なんて歌いだしの曲があったっけ?
まあド〇猫扱いしたら先輩に対して失礼だけどな。
俺が買ってきたたい焼きはこの麻布十番界隈で人気のたい焼き屋で焼かれたもので、一匹づつ別れた鋳型で焼いてあるからマニアの間では天然物と言うんだそうだ。
リリィはここのたい焼きが大層気に入ったらしく、占いの営業日には俺か明美が十匹程予約購入する事になる。
買って帰るとリリィはいつも『駄賃じゃ』と言って代金と一緒に俺と明美に一匹ずつ渡してくれる。
そして残りの八匹は全てリリィの胃に収まる事となる。
いくら何でも食べ過ぎだと思われるかも知れないが、これにはそれなりの事情がある。
ただ、いつも一匹貰ってるとは言え、さっき勝手に俺が自分の分を確保して先輩に渡してしまったけど、これはやって良い事じゃない。
リリィに先に断るのが筋だしな。
とは言っても今から引き返して一匹だけ買うのも、店の前の行列を思い出すと気が引ける。
相手は由香里先輩だし、リリィには俺の分を渡したと言えば良いか。
もしダメなら俺が補填しよう。
そう思いながら俺は梟へと急いで歩きだした。
「駄賃じゃ。」
そう言いながら、俺にいつも通りたい焼きを一匹差し出してる女が占い師リリィと言って、喫茶梟の一室で占い部屋を開業している売れっ子の占い師だ。
いつも仕事中は占い用の黒と紫を基調とした衣装に身を包み、仮面とヴェールと手袋も身につけているのだが、今は休憩中だから邪魔な仮面等は外している。
素顔を晒しているリリィは結構な美人で、今はブルネットの髪をそのまま下ろしているが、普段はシニヨンと言うのか?そんな感じに後ろに纏めていて、瞳の色はヘーゼルカラーというやつ。
背は165cmを少し下回るくらいで、平均的な日本人女性と比べると高いと思う。
スタイルもメリハリが効いていて、たまに明美が羨ましそうに見ている。
雰囲気は見た目より威厳があるが、独特の悪戯っぽさもあり(実際悪ふざけが過ぎる事もあるのだが・・・)、それが見た目より幼さを感じさせて、一言で言えば掴み所が無い。
外観上の年は、多分俺や明美とそう変わらないと思う。
ただ正確な年齢は本人が頑として言わないし、色々底知れない部分があるやつだから、勝手にそう思うしかない。
日頃からリリィは多少独特な日本語を流暢に話してるけど、実際はそんな特徴を持つヨーロッパ人だと思う。
そんなリリィがもし普段の格好で街に出れば、少なからぬ男達から注目を浴びるだろう。
因みにリリィと言うのは占い師をする時の仮の名で(業界によっては源氏名とも言うらしい)本名はエレーナと言う。
リリィの本名を知るのは喫茶梟のスタッフと件の先輩だけだ。
因みに俺も明美も普段はリリィの事をエレーナと本名で呼んでいる。
だからこれから先は仕事モードの時はリリィと、それ以外の時はエレーナと表現する。
占い部屋に帰った俺は、エレーナに袋を渡す前にたい焼きが一匹減ってしまった理由を話した。
無論俺の分の受け取りは固辞したのだが、エレーナは俺にこうしていつも通りたい焼きを差し出している。
「何でだ?お前に無断で先輩に一匹あげてしまった事すら申し訳ないのに、それはお前の大事な栄養源だろう?」
こいつは何と自分の分を削って、俺に渡してくれるというのだ。
「お前が言う由香里先輩とはここの恩人の事じゃろう?
恩人に報いるのは当然の事じゃし、たい焼き一匹で相手が気を悪くしないで済むのなら安い物じゃ。」
「でもエレーナが自分で渡すのならともかく、あんたが勝手に渡したのは流石にまずいわよねえ。」
今俺に向かってわざとらしくそう言ってきたのが、従姉妹の能條明美。
普段は俺かこいつがエレーナの占いの助手をやっている。
今は少なくなったとは言え、偶に一緒にやる事もあるけどな。
日頃の生活を考えると、こいつの方が俺よりずっと非常識なのだが、今日の俺の行動はそんなやつにすら非常識に見えるらしい。
「ほう?お前だったらどうしてた?」
と試しに俺はお伺いを立ててみた。
「先輩に一匹だけなんて論外よ。
ちゃんともう一匹お付けしてお渡しするわよ。」
「余計悪いじゃねえか。」
「話は最後まで聞きなさいよ。
どうせあんたの事だからたい焼き屋の列に戻るのが嫌でこういう行動取ったと思うけどさあ。
せめてコンビニ辺りで違うものを買って来る事くらいはできるでしょうが。
私だったらエレーナが好きなチョコとか乳製品とか買って帰るわよ。」
「うむ。確かにそうしてもらえば私も有難い。」
そう言いつつもエレーナは次から次へとバクバクとたい焼きを食べている。
色気も何もない食べ方だがこれは仕方がない。
休憩時間内に必要な栄養を摂取する必要があるからだ。
因みに俺も明美も貰ったたい焼きを一緒に食べている。
エレーナとはペースは全然違うけど、休憩時間内に食べなきゃいけないという事情は同じだからな。
まあ明美が言う事には一理あるし、もう休憩時間も残り少ない。
エレーナがくれたたい焼きは素直に頂戴して、何か買って来るとしよう。
「エレーナ何が良い?たい焼きは流石に買う時間はないけど、コンビニで適当に何か買う時間ならあるぞ?」
「うむ。気が利くな。コンビニで買うなら大きいシュークリームを頼む。」
「ああ、わかった。」
お詫びも含めて2個くらい買ってきてやるかな。
俺は残ったたい焼きを口に押し込んでからお茶で流し込んで急いで立ち上がった。
味に定評があるたい焼きだし勿体ない食べ方だとは思うけど、今は時間が押しているから仕方がない。
「おい!金を渡すから待て!」
エレーナはそう言ってきたが、
「いいよ。俺だって先輩には日頃からお世話になってるし、今回は俺が出す。」
と断った。
エレーナは何か言いたそうだったけど、俺はそのままコンビニへと急いだ。