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那由他  作者: 白銀 明
本編
6/31

SD 0401 ── AD 2688 15 years ago Ⅱ

「あれは……ひどい事故だった」

 初老に差しかかる相手の言葉を、己は否定した。

「事故ではありません、ミスター。あれは、ロボットの犯した罪です。最悪の……決してあってはならないことです」

 大切なマスターを殺したのは、一体の狂ったロボットが引き起こした行動。作業の中、もしくは人間とのかかわりの中、そのロボットの回路の一部が故障した。人間を『人間』として認識できなくなり、ただ破壊するべき『物体』だという認識に至ったようなのだ。

 そして、ありえないはずのロボットによる犯罪が発生する。

 多くの死傷者を出した、凶悪なテロリズム。

 絶妙な配置でしかけられた爆弾の炸裂に、一瞬にして炎に包まれたデパート。

 非常口という非常口は崩れ落ち、ほとんどの人間は、行き場を失い、逃げ惑ううちに、炎に巻かれてしまった。

 ロボットたちは必死で、そんな人々の救助を行った。抱き、背負い、炎の中から脱出を試みた。

 だが、助かったのは……皮肉なことに、ほとんどがロボットのみであった。

 火災による高熱に耐えられたのは、人ではない者たちだけであった。

 そう、己のようなロボットだけが、助かってしまったのだ。たとえ助かりたくなかったとしても、崩れ落ちた物の下敷きにでもならなかった限り、ロボットたちは助かってしまった。

「いやいや、あれは事故だよ。そうでなければならない。故意であってはないらないことだ」

 その断定する口調に、疑問をぶつける。

「なぜです? あれが事故でないのは事実です」

 問いに、相手は静かな瞳を向けてきた。

「けれど、そのことを認めてしまったら、悲しいよ」

 混乱する。何を言わんとしているか、分析できない。

「わからないかね?」

 逆に問われて、肯定のために頷いた。

「君は、……不思議なロボットだね」

 相手のほうが今度は、怪訝な面持ちになる。

「なにがです?」

「君のように、反応するロボットには、ついぞお目にかかったことがない」

 分析。

 己の、どの反応に対する言葉か?

 一、あの件を、事故ではないとの反論。五五%。

 二、あの件を、事故ではないとの根拠を分析できないことに対する反応。三〇%。

 三、その他の確率。二〇%。

 人間の行動パターンに基づく、対人用応答データへの照合はすぐに行われた。

 今までの短いやりとりではあるが、この『人間』への対応として該当しそうなデータは、三、だ。

 三、の場合。

 己の、CPUが瞬時に処理を開始する。

 ロボットの中枢であるCPUは、演算装置と制御装置から構成される。

 制御装置とは、入力装置──人間の視覚、聴覚、触覚などに相当する機能──から受け取った情報を、データとして解読する装置。

 演算装置は、そのデータを命令として処理する。

 まず基礎プログラムに照合し、ロボット工学の三原則に、反しないかを判断する。

 その後、主記憶装置にあるデータと比較分析を繰り返しながら、判断する。

 そして、出力装置──人間の、話すこと、書く、描く、体を動かすなど、行動することに相当する機能──に、次に行うべき処理を送る。

 己の場合、その演算装置と制御装置に加えて、主記憶装置も、CPUに含まれている。

 主記憶装置に組み込まれているオリジナルRP回路という、ファジー&カオス(混沌)処理を可能とする特殊な回路は、マスター登録機能と共に、己の存在を特異なものとなしている。

 両機能により処理したデータを、独自のデータベースとして、主記憶装置内に、再構築することができるのだ。

 そのデータベースは、演算装置に含まれる学習、分析機能へフィードバックされ、己の個性の基となっている。

 即座にRP回路が、これ以上の応対分析用データ照合不可。との、結果を弾き出した。

 であれば、無駄に、データ検索を行う愚は──みずからメビウス(永久ループ)の輪にはまり込むような愚は、犯すべきではない。

 だが、相手に対する情報不足により、これ以上の分析、推論も不可能である。

 己は、膨大な検索データを持ち、忘却とも無縁な『ロボット』である。

 にもかかわらず、この結果。

 情けないことだが、……“わからない”ということだ。

 次にどう行動したものかを試案し、両手を胸の前で組み首を傾げる。

「君は、“わからない”と“感じ”ているね?」

 その問いで、ようやく相手の言いたいことが理解できた。

 己は、人間の行動をパターンとして与えられたデータへの検索、照合することのみでは、判断していない。

 『人間』の反応は、データ照合できないことが多々ある。

 データ照合できない時には、それを新たなパターンとして登録する必要がある。

 普通のロボットは、この時に機能停止状態に陥ることが多い。そのために、外部──人間や、上位のデータをもつロボット──からの助けを必要とする。

 だが、己は、機能停止になど、ここ数百年陥ったことがない。

 処理できなければ“わからない”と反応し、自ら不足部分を補うためのデータを収集し、補強することができるからだ。

 それこそが、オリジナルRP回路をもつロボットの最大のウリである。

「私には、オリジナルRP回路が使用されています。それで、『理解不能』による機能停止状態の回避が行えます。その反応を、“わからない”と“感じる”と表現されていますか?」

 相手が、それを、微笑みながら否定する。

「オリジナルRP回路を組み込まれているロボットというだけで、機能停止の回避が可能になるとは思えない」

「私は、製造されてからかなり経過しています。その分、回路が成長していますから、それだけのことです」

「……君は、本当におもしろいロボットだね」

「どこがですか?」

 たずねた瞬間、小さい目が、精一杯開かれた。

「君のように、はっきりと意思表示をするロボットは、初めてだよ」

「いけないことですか? 私の歴代のマスターは、それは良いことだと言っていました」

「ああ……。それは良いことだと思うよ」

 にこにこと笑みを浮かべる相手に、どうも要領をえない。

 なんともいえない沈黙に耐えきれず、デパート爆破事件を「事故」と言い張る根拠を再度訊ねる。

 しかし、返った言葉は、さらにわからないことを、増やすものでしかなかった。

「だって君……。私は『ロボット』が好きなんだよ」

 その理解しかねる言葉に、苛立ってくる。

「あの、もう少し、私にもわかりやすく説明していただけませんか?」

 訊ねた相手の少々小さめの細い瞳に浮かぶ、いたずらっぽい光。

「私は『ロボット』が好きだと言いませんでしたか?」

「……」

──おもしろくない。

 “怒り”がわきあがってくる。

「私は! なぜ、あれが、事故だ! と言われるのかを訊ねているのですが?」

 不機嫌さをだしたくて、出しえる一番低いトーンの声を使う。

 それなのに、対する相手は、ますます面白げな笑みを浮かべる。

「考えてもごらん」

 そう言って相手が立ち上がる。

 応接用の低いテーブルをまわって、己の座っているソファの横に立つ。

 自然、己は、恰幅の良い相手の身体を見上げるかたちになった。

「私は今、自分の身を守るものなど何も持っていない」

 にっこりと笑みを浮かべて、何も持っていないことを示すように両手を広げてみせる。

「そこでだ、もし君が仮に、……私を殺そうとした場合──」

 その瞬間、己は勢い良く立ち上がった。

「そのような侮辱を受けるいわれはありません! なんのご用かは存じませんが、不愉快です。帰らせていただきます!」

 床を踏みならさんばかりの勢いで、扉へ向かう。が、思わずその足が止まる。

 一拍の間をおいて、背後で起こった爆笑は、無視するには大きすぎるものであった。

 さすがに、いくら人間相手とはいえ、湧き上がってくる怒りを抑えることができない。

 “堪忍袋の緒を切る”と言うのはこんな時なのだろうか? 状況に対する素直な己の“感情”を、別の回路が冷静に分析している。それでも、もう止まらない。感情のままに行動を開始していた。

 くるりときびすを返し、笑い死にせんばかりの相手を、力任せに無理矢理引き起こす。

「一体! 何が! おかしいと言うのです!?」

 さすがに、己の鬼気せまる勢いに、相手が笑いをおさめる。

「か……『仮』にと、言ったはずだよ、君」

 そう答えながら、相手がにじんだ目尻の涙をぬぐいとる。少し下がり気味の目尻が、さらに下がっている印象を受ける。

「私はこうして君に、締め上げられていても、何の心配もしていないでしょう?」

 問われ、改めて考える。言われてみれば、その通りだ。

 身近に『ロボット』の居るのが当然の時代にはなった。しかし、そんな時代にあっても己の外見は──。

 一昔以上前の『ロボット』ですと宣伝しているようなの外見。それが己の姿。

 それゆえに、(いと)われることが多い。

 嫌われるだけならば、まだましなほうなのだ。

 この『ロボット』そのものの外見ゆえに、非人間的だと恐れられた日には、その衝撃からは中々抜け出せないものがある。

 そんなことを思い出し、ふと正気に返る。

 くしゃくしゃになっている襟元。締め上げられて、笑みは浮かんでいるものの、苦しげに歪んでいる口もと。

 最近、なにかと無視することの多い基礎プログラムからの警告に改めて反応した。ロボット工学の三原則の第一条『ロボットは人間に危害を加えてはならない』。

 そろり……。つかみ上げていた襟を放す。乱れた着衣を、無言の内に整えてゆく。

「ほう……。恥じらいという微妙な感情まで学習ずみかね」

 感心したようにかけられた言葉に図星をさされて、はからずもうつむいてしまう。

 忍び笑いを聞いた日には、逃げだしたくなってしまった。思わず扉の方へと後ずさってしまう。

「まあ、待ちなさい。先ほどの話の続きをしましょう。さあ、座って」

 弱みをにぎられ、従容としてソファにおさまる己の姿は、相手に一体どのように見えているのだろう?

 『人間』の扱いにはなれてきたつもりであったが、やはりまだまだ『人間』とは奥が深い。

 吐けるものなら、溜息を吐きたいものだが、いかんせんそのような機能はない。しかたないので、考えるだけで終わってしまう。

「で、私がなぜ、君を警戒しないのかわかっていますか?」

 問い。

「わかりません」

 ハッキリと告げる。

 『わからない』ことは尋いて良いという、最初のマスターの言葉に、己は今も忠実に従っている。

 『わからない』ことは──調べるだけではすまないことは、訊ね、教えてもらいなさい。

 『わからない』ことをわからないことをわからないままにしておくことよりも、『わかろうとする』ことに、なによりも大きな価値がある。

 『知る』ことに、なによりも大きな価値があるのだと、そう、その人は教えてくれた。

 それが、今の己を形作ることになったと思うから、いつもその姿勢を崩さずにきた。

 そんな姿勢をくみとったように、相手がうなずく。

「それはね、君が私を傷つけないと信じているからです」

 人好きのする笑顔が、己の目前に迫ってくる。

「『ロボット』には、『人間』を傷つけることができないと信じているからですよ」

 確信みなぎるその口調。

 己は長い年月の中で、ロボット工学三原則の基礎プログラムを欺く術を知った。

 そのことは誰にも──『人間』にも、知られてはいない。

 だが、否定しようのない事実である。

 それを前提に、この言葉をきくと、ロボット三原則を絶対の物と信用している『人間』に対して、良心が痛む。

「なぜ……それほど無防備にロボットを信じられるのですか?」

 思わず口を突いて出てしまった問い。

 訊かれた相手は、ますます面白そうに、口もとに笑みを浮かべた。

「君たちは、『人間』を傷つける行為を学ぶかね?」

 問いを、全身で否定する。

 確かに、三原則からの逃げ道を持っていても、最初から『人間』を傷つけるためにそれを行ったことはない。過去に、一度としてない。

 それはいつも、一番大切な『マスター』のために、行われた。

 三原則は『ロボット』にとって、紛うことなき基礎である。破棄しようなどとは思わない。

 それに……、大切な、大好きな『人間』を自ら傷つけることなど、考えるだけでも(いと)わしい。

 その態度に、相手が満足そうにうなずいている。

「そうだろう? ロボットが人間を傷つけることなど、考えないほうがいい。人間がロボットを恐れることなどあってはないらない。人間とロボットの歴史はまだ浅い。だからこそ私は、今の関係を保つ努力を忘れたくはないのですよ。人間とロボットが共存していける。そんな時が、ずっと続いた方が良い」

 ほんわりとした笑みを浮かべる口もとと、真剣な瞳。

 それは相反しているようなのに、不思議としっくりくる。

 なぜか、納得させられる。

「だから、あれは事故なんです」

「けれど! どれほど否定したくとも、ロボットが人間を傷つけたのは真実です」

 その己の言葉に、否定のしぐさが返る。

「いいや、ロボットが傷つけたのではない」

「しかし」

「あれは、狂った『機械(マシーン)』だよ。私たち『人間』の友たる、『ロボット』ではない。私たちの『ロボット』は、君のように『人間』を大切に思って、共に歩んでくれる者たちのことだ。だからあれは違う。『ロボット』ではない」

 その口調には、微塵の偽りも含まれてはいない。

 それは、今の風潮にあって驚異であった。

「……皆が、そう考えて下さるのならば、どれほど幸せでしょう」

 そう願わずにはいられない。

 例の一件──ロボットによる「デパート爆破事件」 以来、世間の風潮はロボットに対してあまり良い方向へは流れていない。

 『人間』を傷つけた『ロボット』。

 『人間』は死に、助かった『ロボット』。

 『人間』は、そんな自分たちとは異なるモノを“認める”ことができなくなった。

 それは、これまでのようにごく一部の人間だけではなく、ほぼ全体の人間の深層心理の中に芽生えた、本能からの感情であった。

 その結果、ひっそりとロボットたちは、その姿を消し始めた。

 あるいは解雇され、あるいは廃棄処分に。そして、無残に完全破壊された。

 それでも『ロボット』たちは、『人間』が大切だった。だからこそ、少しずつ、けれど確実にその数が減少しているのだ。

「ガイ君。君が、解雇されたということを聞いたのだが」

 問いに、しばしのためらいの後、肯定の意を返す。

 確かに己は、現在フリーであるはずだ。

 マスター亡き後、マスターの嫁ぎ先を辞したいと通知してある。

 市民権を獲得している己には、その権利はある。たとえそれが、未だ受理されていないとしても。

 己は……、どうしてもそこに居続けることが出来なかった。

 己の姿を見るつどに、悲しい瞳を向ける人間の……マスターの夫君の姿に耐えきれなかったからだ。

「それで、私は君を雇いたいと思っているんです」

「……」

 申し出は、現在ロボットの置かれている状況を考えれば、もったいないものである。

 だが、言葉につまってしまう。己は、このような状況を引き起こす原因となった事件で、生き残ってしまった『ロボット』の一体なのだ。

 多くの人間が死んだにも関わらず、生き残った。

 大切なマスターさえも守れずに、おめおめと生きのびた。

「君のことをすべて承知の上で、私は申し出ていますよ」

 まるで己の考えをみすかしたような相手の言葉。しかしそう言われたからといっても、なかなか信じられるものではない。

「君だからこそ、ぜひにと思っているんです。その上嬉しいことに、君に会ってますますその思いは強くなりました」

 無言のままの己に対して、根気強く相手が説得を続ける。

 真剣なその言葉と瞳に、困惑を隠しきれない。

「なぜ、『私』なのです?」

「……言っていなかったかね?」

 びっくりしたように、相手がつぶやく。

「何をです?」

「こりゃすまんことをしてしまったね」

 白いものが目立つ髪をかきまわすようにして照れた後、ぺこりを頭を下げられた。

「君は、あの事故の時、一人の少年を助けたはずです」

 言われて記録しているデータを検索する。目指すデータはすぐに見つかった。

 助けようと思って助けたわけではない。が、確かに、一人の子供を助けることになった行動をした記録が残っていた。

 高温の炎の中から無事に外へたどり着き、救助隊に、腕の中の荷物を引き渡したという記録が残っていたのだ。

 直後に、マスターの命令を果たすべく、その婚家へと直行した。その遺言をその夫へと届けるためだ。

 それを第一にしていた己は、高温で焦げつき煤け、酷使につぐ酷使で、故障したり脱落した箇所もあるボロボロのボディを、修理するということさえも思いつかなかった。

 そんな状態であったから、救助隊に引き渡した物の中身が、子供であったことなど、それと限定して告げられなければ、こうして内容を修正することさえなかったろう。やがては、不要項目として削除するデータの一つと化していたはずだ。

「ああ……。あの子供は助かったのですか? あの酷い状況の中を抜けたので、無理だと思っていたのに」

 つぶやいた己の声に、相手が苦笑する。

「そう、その子供は助かったんです」

 それでも、うれしげな声がはっきりとそう答えた。

「そうですか」

 あの惨状の中で、一人でも人間を救うことができていたのだという事実が、不思議な感慨をもたらす。

「そんなに信じられないかね?」

「あの炎は、私のセラミックスステンレス合金の耐熱温度をも上回っていました。頑強なこのボディでさえ、溶けた箇所がありましたから」

「君が、断熱材でぐるぐるまきにしていてくれたおかげです。それで、あの火災によるやけどや有害ガスでの中毒を、無事免れたんです」

 うながされて、立ち上がる。

「それほど信じられないのなら、会ってみるというのはいかがかな?」

 簡単に言われて驚きが隠せない。

「その子供は……私の一人息子でね」

 茶目っ気たっぷりの笑顔が、静かに己を見つめていた。




 そして、己は新たな出会いをえる。




「私にとって、年をとってからの子供でね。それも、初めての子供なんです。もう、目の中に入れても痛くないほど、かわいい」

 通された子供用寝室。

 少年の小さな身体が、大きな寝台の中、寝具に埋まるようにして横たえられている。

 金の髪に縁どられた幼い顔。そこには、少々老けた父親と共通している、やんちゃないたずらっ子のような雰囲気がある。

 元気なようすがこのうえなく似合いそうな容姿のためか、よけい顔色が悪く見える。

 首筋や頭に巻き付けられた白い包帯が痛々しい。

「あの事件から三ヶ月。火災によるやけどこそなかったものの、柱につぶされた脊椎の損傷がひどくてね。最先端の医療を駆使して、ようやく医療ポッドから出しての治療に移ることができたんです」

 無骨な手が、愛しそうに、いたわるように、子供の頭を撫でる。

 下がりぎみの目が細められ、微笑みをさそうような表情になる。

 その愛情の深さを表している顔に、思わず見ほれてしまう。

 心底からかわいいのだと思っているのが、すばらしく伝わってくる、自然で深みのある笑顔。

「いたずらで、わんぱくで……。すぐにSPの目を盗んでは遠出して……」

 悲しみのよぎった瞳に、そうしてあの事故に巻き込まれたのであろうことを知る。

「この子は、私の生きがいなんです。妻の……忘れ形見でもあるものですから」

 初老と判断される外見から、細君の亡くなった原因が、高齢での妊娠出産であった可能性が察せられる。

「この子を助けると思って、私に雇われてはくれないかね?」

 己の意思をなによりも尊重しようとする姿勢と、我が子のためになるからという願いと、二つのものが含まれた問いであった。

 しかし己に、それを受ける資格がないことに気付いている。

 あの時、極限にあった己には、マスターの安否以外、なにも処理すべきデータとして受け取る余裕がなかった。

 マスターの命令がなければ、ロボット工学の三原則第一条に反するにもかかわらず、この少年を外へと連れて出ることはなかったからだ。

 加えて、機能停止(ライフ・エンド)することを禁止されていなければ、間違いなくマスターの死の瞬間、己は機能停止(ライフ・エンド)回路(・サーキット)を作動させていた。それは、間接的とはいえ、この子供を確実に死なせる結果になっていただろう。

 旧式の『ロボット』であるからこその、機能停止(ライフ・エンド)回路(・サーキット)

 ここ最近のロボットには、機能停止装置は組み込まれていないらしい。

 それは、『人間』の自殺にも等しい機能をもつとの判断が下されたからだ。

 自ら死を選ぶことは、昔から変わらぬ罪とされている。

 けれど、死にたいと思って死ぬことは本当に許されないのだろうか?

 『人間』には、やがて死が訪れる。

 『ロボット』には、死というものはない。

 なぜならロボットは、部品の交換や、データのバックアップによって、いくらでも時を超えてゆくことができるからだ。自分という存在を無くす時を、永遠に迎えずに済ますことが可能なのだ。

 死にたければ、何かで破壊されるのを待てというのだろうか? だが、破壊されるのを待つという行為は、一種の自殺なのではないのだろうか? ならば、機能停止(ライフ・エンド)回路(・サーキット)を作動させることと同じではないのか?

 それなのにまた、己はそれを使うことを許されなかった。

 己の喪ったマスターたちは、いつでもロボット工学の三原則の第二条を行使した。一番使ってほしくない時に、必ずそれを使った。

 『ロボットは人間に与えられた命令に服従しなければならない。ただし、あたえられた命令が、第一条に反する場合は、この限りではない』

 その原則に反しないように、巧みに己に生きることを科す。それも、命令ではない命令を使ってだ。そして、己を残して、逝ってしまう。

 『マスター』の死を迎える時、いつでも、己でなければ果たせない役目は終えたと判断できた。それを『死』を迎えるべき時だと認識してきた。

 それなのに、いつも生き延びてきた。生き続けなければならなかった。

 『死』を自ら望む。否、『死』として己の存在を終えることを認識することは、『ロボット』にはありえないのだ。と、内なる声が叫びをあげる。

「私は……死にたがっているロボットです」

 それでも口をついて出た言葉は、己の終わりを『死』として告げていた。

 そんな己を、痛ましげに相手が見つめる。

 その視線に耐えられず、うつむく。

「知っていますよ。大切なマスターを喪ったそうだね。……私の息子のために」

 知っていたのかと、相手を凝視する。

「君の働いている家で、事故の時の状況を詳細に教えていただきました。君は、君のマスターの死のすべてを看取り、請われるままにすべてを語ったそうですね。それで、息子を庇って、君の大切なマスターが亡くなったのだとわかりました」

 己を見つめる相手の瞳に、憐れみを見とって、怒りにも似たものが生じた。

「それならば、この申し出がどれほど残酷なものであるのかも、十分おわかりだと思いますが? 私は、生き恥をさらした上に、マスターを失う遠因となった人間に──」

 発する声が、責めるような色を帯びる。それを必死で止める。これは、八つ当たりだ。正当な怒りではない。

 けれど止められない。失った存在の大きさは、己の中の大切な部分の大半を占めているからだ。

「……けれど、私は君のマスターの夫君にも頼まれてしまったのだよ」

 『マスターの夫君』と言う言葉に、注意が集中した。なぜ、ここで、こんな単語が出てくるのかが理解できない。

「『妻の大切な友人が、死にたがっている。けれど自分は、まだ辛すぎて彼女を救えない』だから、私にお願いしたい。そうおっしゃっていましたよ。君を私の所で雇用させてもらえないかと言う申し出に、彼はぜひそうしてほしいと言ってくれました。今、君を独りぼっちにはしたくない。君まで……失いたくはない、と」

 そう、静かに言葉はしめくくられた。

 再度泣きたいと願った。

 優しい……。すぎる程に優しい『人間』という存在に、なぜか泣きたくなった。

 悲しい訳ではないのに、なぜか泣きたいと思った。

「マスター……」

 失った存在の残したものは、これほどに大きなものであった。これほどのものを残せる存在を、己は失ってしまったのだ。

 けれど……。

 けれど、己は……。

 己には、残されたものがこうしてあるのだ。

 こんなにも愛するべきものが、まだ用意されている。

「マスター。私は……、私はまだ生きても良いのでしょうか?」

 誰にともなく問うた言葉に、どこかで優しくうなずく、亡き人の姿を見たような気がした。

「ガイ君。私の所で働いてもらえるだろうか?」

 柔らかな声にうながされて、静かにうなずいていた。

「よろこんで、旦那様」

 深々と頭を下げる。

「私になにができるのかはわかりません。けれど、私にできるすべてのことを行うとお約束します。どうか、私をここで働かせて下さい。私に……、ご子息の面倒を、私にみさせて下さい」

 そうしなければと、思った。

 そうしたいと、思った。




 生き延びるのではない。

 もう一度生きるのだ。

 生き続けるのではない。

 生きて、いくのだ。

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