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那由他  作者: 白銀 明
本編
5/31

SD 0401 ── AD 2688 15 years ago Ⅰ

「んー……?」

 店員の首をかしげるようすに、どうしたものか。と、客のほうまで首をかしげる。

 二人の間には、一つのロケット。

 先ほどから二人して悩んでいるのは、そのロケットの包装(ラッピング)である。

 どの包装紙にしたらよいものやら、また、どのリボンにしたらよいものやら……。さんざんに、迷っているのだ。

 客は、そのロケットを贈る相手がとても大切なようで、妥協を許さないため、さらに状況が複雑化している。

 立派な装飾を施された柱の影から、そのようすを覗き見る。

 初めてお遣いに出した子供を見守る母親のような心境だ。

 見守るうちに、相談を受けていた店員の方が変化した。

 ずらりと並べられた包装のパターンを前に、うつむいたまま、ピクリとも動かなくなってしまったのだ。

「あの……どうされました?」

 おそるおそる店員に問いかける声が、一杯まで増幅した聴覚機能に届く。

「……マ、マスター」

 心配げな顔で店員の腕に触れるようすに、思わずあげかけた声を必死で飲み込む。

 それは、『ロボット』なんですよ。と、言いながら、助けに入りたいのを、ぐっとこらえる。

 ここで待っててね。絶対ついできちゃだめよ。と、デパートの入口で、命令(・・)されている。

 それなのに、それを無視(・・)して、心配でここまで付いてきてしまった。

 その上、出ていこうものなら、後でどうなるか目に見えてしまう。

「……殺されかねない」

 目の前の大切な人を、それこそ掌中の珠のごとく慈しんでいる男性がいる。泣かせてしまったなどと知られた時のこと考えると、恐怖に体が震えてしまう。

 吐けるものなら、溜息を吐いているところだ。

 瞬きさえしない店員の瞳には、覗き込んでいる姿が、はっきりと映り込んでいることだろう。

 『己』の外見を、『ロボット』全般の姿。そんな、世間とかなりズレた認識をもっている人に、目の前の店員がロボットとわかる訳もない。

 本人には、これっぽっちの悪意さえもない。にもかかわらず、ロボット相手の騒動の種になってしまうのは、いったいなぜなのだろう? 聡明な人なのに、ロボットに関してどうしてこうも奇妙な認識をもってしまったのか?

 今は、ロボットがいるのが当たり前のご時世。それも、一見してロボットだとわからないタイプが主流なのだ。

 そのために、このひどくかわった考えを持つ人が、街中を一人で出歩くと、どうにもハラハラしてしまう。

 いや、いまだに出会った時の印象を引きずっている、己が悪いのかもしれない。相手は、もう立派な大人なのだ。

 昨年、大恋愛の末、めでたく結婚式まで挙げているのだから。

「な……に? どうしたっていうの?」

 気味の悪さに恐怖したのであろう。顔色が少々悪くなってきている。

 泣き出しそうな顔で、店員の前から後ずさった姿を見た瞬間、柱の影を出ていた。

 だがその足を、小さな笑い声に反応させて止めた。

 少年が、好奇心いっぱいの瞳で見上げていた。

 振り向いた先には、小さな少年が立っていた。

「おねーさん? ロボット相手に、人間が選択を迫っちゃ駄目だよ」

 あどけない口調で語られた内容に、思わず店員の方を振り返る。

「こ……これが、ロボット?」

 信じられないというような口調に、少年がすねたようすで横に来る。

「そうだよ。最近のロボットは、外見じゃほとんど人間と見分けつかないもの」

 ピン! と、少年の指が、店員の鼻先を弾く。が、店員は何の反応も示さない。

「でも、中身はね……、まだまだだよ! 目的別に機能を限定してるから、それを逸脱するようなことを要求すると、こうなっちゃう」

 さらりと、子供とは思えない内容を話す。

「この手のは、商品データの紹介に重点を置かれて作られたロボットなんだ。『どれが一番綺麗だと思う? あなただったら、どれ選ぶ?』なんて抽象的な質問したあげく『時間ないし、あなたが選んだのに決めちゃうわ。だから一番のもの選んでね』なんて、選択まで迫っちゃ、機能停止しちゃうよ」

 少年の説明に、まだ納得がいかないらしい。

「それで、どうしてこうなるわけ?」

 無邪気に聞かれて、少年は、子供特有の大きな瞳をさらに見開いている。大人ぶってみたいのだろう、大きなため息を一つ吐くと、肩をすくめて、首を左右に振った。

「ロボットは、自分のアクセスできる全部のデータを使ってお仕事するでしょ?」

「そうね」

「『綺麗』って単語の意味は、データでわかるよ。『一番』って意味もね。でも、『お姉さん』が何を『綺麗』だとか『一番』だと感じるかなんて、この手のロボットじゃ、わかんないよ。それでもロボットにとって、お仕事果たすのは、絶対命令。どうしていいかわからないから、いろんなデータのアクセスを繰り返す」

メビウス(永久)(ループ)にはまりこんじゃったのね?」

「そう。もっと高度な処理能力持ってて、結果から学習できるロボットじゃないと、抽象的な命令なんて処理できない」

「そうなの? こんなに人間みたいなのに?」

「外側だけだよ。人間そっくり作るのって、今流行りでしょ。大量生産されてコストダウンが進んでるの。でも、中身を人間に近づけようすれば、お金、かかるんだよ?」

「そうなの?」

「……お姉さんち、今時ロボットいないの?」

「いるわよ」

「……よっぽど高価な、最新型なんだね」

 そこまで言われてようやく、『己』と、他の『ロボット』との違いを認識したらしい。

「ロボットのこと、良く知っているのね、ぼうや」

 ほめるように頭をなでてやる。

 少年の幼い顔に、ちょっと得意気な表情と、やんちゃな「子供扱いするなよ」というような表情が浮かんだ。

「俺んち、ロボットだらけだもん」

 答えながら少年は、ショーケースの上によじ登る。

 ロボットの後ろ髪を持ち上げ、耳の裏を覗き込む。

「SPACE-ALL Co.製、BB型っと……」

 少年の行動を、興味深げに見つめるようすは、どちらが子供なおやらわからない。

「CODE-SA/BB、コントロールZ。データアクセスプログラム、キャンセル。INQデータ、クリア」

 少年発した言葉に応えて、店員のまぶたが一、二度瞬きを繰り返し、視点が定まる。

「お客さま。申し訳ございませんが、危険ですので、ショーケースから降りていただけませんか?」

 なめらかな声が、少年にかけられる。

 にっこり笑って、少年は身軽るに飛び降りる。

「お姉さん、質問変えるよ」

 ちょっと大人ぶった表情になり少年は店員に命令した。

「現在流行しているラッピングデータへアクセス」

「かしこまりました」

「このロケットの形状と色彩にマッチするラッピング方法を選択」

「このロケットの色見ですと──」

 なめらかに店員は組み合わせに関しての説明を再開した。質問の変更により、データとの照合が上手くゆき、適切な選択の答えを弾き出すことが出来たのである。

 現在売り場に用意されているラッピング材の中から、最適と判断した物を取り出す。

 選び出されたラッピング方法を細かに説明し始める。

 そんな店員に、感心したように何度もうなずく姿。

 どこか幼くて、過去とダブル。けれど、もう出会った当時の幼女ではない。

 小さく一つうなずくと、その場に背を向け、デパートの入口へと戻るために歩き出した。




 現在、ロボットは、一定のレベルをクリアし、高度な社会性を持つことを証明することで、市民権を獲得できるようになった。

 それにより、実に身近に存在するようになっていた。あまりに身近にありすぎて、時には先ほどのようなことをが起こるまでになってしまうほどだ。

 日々、『人間』に近づいていく『ロボット』。

 だが、いまだ完全に人間と同じではない。

 その性質の差異ために、社会にはさまざまな軋轢が生じ続けていた。

 そして現在、多くのロボットが社会に参加しているということに危機感を持つ人々が出始めている。

 その性能や、学習能力の方向性により、『人間』に、『人間社会』に、適応できる『ロボット』には限りがある。

 同じように、『ロボット』に対して適応できない『人間』が存在する。

 『ロボット』の持つ非人間性に嫌悪感を抱く者は、まだ良いほうなのだ。

 『ロボット』をロボットとして認識できず、ロボットのみに、度を超えた親近感をもち、『人間』としてのコミュニケーション能力を欠いてしまった者。

 『ロボット』に頼り過ぎて、まったく自分で行動しなくなってしまった者。

 それは、ロボットの人間に対する忠実さが、悪い方向に作用した結果である。

 反対に、『ロボット』から必要な知識を提要され、適切な社会性を身につける者。

 『ロボット』に育成されることにより、優秀な能力を開花させ、活躍する者。

 いずれも、繰り返し、いつでも同じ態度で接することのできるロボットの性質が、良い方向に働いた結果による。

 この二つの現実を前にして、ロボットを無条件に受け入れることは人間にはできなかった。

 それでも労働力と言う面で、すでに人間とロボットは切っても切れない関係にあった。

 人類は、広大な宇宙に夢を求めて散り、その拡散に伴う住居環境整備には、膨大な労働力が必要とされたからである。

 ロボットは、その不足する労働量を満たすために急激に開発が進められた。今さら、減価償却のきく貴重な労働力を捨てることは出来なかった。

 だが同時に、人類の良き隣人としての性質も開発が進められた。

 相反する使用目的をもって造られた存在。それが『ロボット』である。

 そして、それこそが『人間』と『ロボット』との微妙な関係を生む原因となった。

 ロボットの、人間とは異なる性質が浮上するたびに改めて、人間は『人間』であり、ロボットは『ロボット』である、と認識させられる。

「これだけの時間をかけたのに……まだ『人間』とは、不可思議な存在です」




   *




「マスターっ!!」

 ぎこちなさを隠しきれぬ平板な、しかし大きな声で叫びかける。

 だが、応えはない。

 さらに先にすすもうとしたが、立ち塞がる鋼鉄製の壁。

 防火シャッターである。

「忌々しい!!」

──ロボット工学の三原則、第一条。

 『ロボット』は、人間に危害を加えてはならない。また、その危機を看過することによって、人間に危害をおよぼしてはならない。

 人間に危害を加えかねない力を発揮できる駆動系。それを危惧して、ロボットに設けられている規制装置。

 しかし、このような非常時に、その装置は不要だ。

 己が主人の危機にあって、持ちうる限りの力を発揮できずして、なにが『ロボット』だ。

 第一条に基づく行動であると、規制装置からの抑制を解除し、己に課していていた安全制御回路を切断する。

 ただ一度で、壁を破る。

 瞬間、熱い空気が己のまわりを駆け抜けてゆく。

 パンッッ!

 何かが弾ける音と共に、細かなガラスの雨が降り、高い金属音をたてて肩口で跳ねる。

 頭上を見上げると、高熱に破裂した照明の破片であることがわかった。

 発生した火災に作動したはずのスプリンクラーは、発生した炎のあまりの高温に耐えきれずショートし、物の役に立っていない。

 あげくの果て、漏電を誘発して、各所で新たな火種と化す始末である。

 延焼は広がる一方だ。

 カスタムジュエリーコーナーのあるこの階は、屋上に近い。比較的高額の商品の多いコーナーを集めてあった階である。

 そのためか、逃げ遅れて倒れ伏す人数は少ない。

 外傷がない所を見ると、装飾に使われている壁紙やフロアタイルが、有害なガスを発生させているのだろう。

 建設コストを廉価におさえるために、どうしてもこのような建築基準の逸脱がいまだ絶えない。

 そして、このような悲劇の時に初めてそれは明らかなるのだ。

 一帯には薄い煙が立ち込め、視界を妨げる。

 それでもざっと見回した中に、己が主人の姿が無いのを確認し、次のフロアへと突き進む。

 ロボット工学三原則に従って基礎プログラムに組み込まれている回路が、過剰なフィードバックを起こす。

 第一条!! その危機を看過することによって、人間に危害をおよぼしてはならない!

 人間に加えられる危険──火災による焼死──を無視しているのだ。正常な状態である。

 が、あえてその回路へ加えられる過電流を他へまわし、ショートを防ぐ。

 大切な己が主人以外の人間に気をとられている余裕が、今は無い。

 間もなく到着するであろう救助隊員に望みを託してもらい、ひたすらに先を急ぐ。

 だが、このような緊急事態では、マスターとして登録されている人の安全確保を、優先する。

 長い年月をかけて、三原則をも上回る優先性を持つように、マスター登録システムを調整したのだ。

 優先順位の低い事項は、すべて認識回路に達する前に、消去する。

 やがて、人の耳ではとらえられない、かすかな声を聴く。

 奥の、そのまた奥に在る、たった一つ求める声。

 己を必要として、己の名を呼ぶ、唯一の主人の声だ!

 『ロボット』の己が、最優先事項として登録したのは、たった一人のマスターと共に生きること。

 また、そのためにこそ『マスター登録』をしてもらったのだ。

「もう……大切な人間を失いたくない!」

 ロボットの己でさえも、オーバーヒートを起こしかねない炎が、身近に迫っている。

 抑えきれぬ焦りが沸きあがる。

 危険発生率極少と下した己が判断機能を、己が手で破壊したい衝動にかられる。

 命令されたといえ、入口で待機した。そのために、このような非常事態に、己が主人と離ればなれになってしまった。

「ガ……イっつ!!」

 再度とらえた声には、苦痛の色が濃い。

「マスター! どこですっ!?」

 ほとんど人と変わらぬ力。せいぜい薄い鉄板を破るのが限界の手足。たしかに、聴覚も視覚も人間より優れてはいる。だが、最新式のロボットのように、透視モードや高度な照準機能を持つ、超高性能の物とは比較にならないお粗末な代物である。

 己の性能の低さを、今ほど悔しいと思ったことはない!

「マスタ──ッ!!」

 叫び。

 己に魂があるのなら、その全てと引換えにしても良いと思う。

 助けたいのだ、己の唯一の人を!

 返事がないかと、声がとらえられないかと、立ち止まる。

 が、熱による突風に背後から吹き飛ばされてしまう。

 叩きつけられ、過負荷に嫌な音をたてていた右の肩関節から先が外れる。無骨な音を残して、右腕が床に転がる。

 レンズそのものの、虚空の色した瞳が、壊れた己の腕を見つめる。

 火災発生のために、防火シャッターが機能した。それが、自動ロックされてしまい、その扉を開けるために、配電盤を壊すという方法をとった。

 だが、特別な道具など装備されていないボディを持つ己がとれる手段は、一つ。己が体を使うこと。

 右腕を配電盤の内部に強引に突っ込み、内部の回路をショートさせた。

 家事や介護にしか能の無いロボットにしては、良くもった方である。

 だが、これほどの無茶をしても──

「……それでも、私は 死ねない」

 ぽつりと小さくつぶやいて、再度、ガイは主人の姿を求めて立ち上がった。




「ガイ……」

 唇の端から首筋に向かって走る、紅の糸。

 苦痛にさいなまれているであろうに、その口もとには微笑。

 差し伸ばされた指先がかすかに震えている。その指先が、セラミックスステンレス合金の、メタリックなままのガイの頬に触れる。

「泣かなくても……良いのよ」

 優しい、主人の声。

 暖かな包容力と慈愛に満ちた眼差しは、母としての情愛にあふれる女性特有のものである。

 そんな人のかたわらで、座り込むことしかできなかった。

 大切な人を救うには……遅すぎたのだ。

 命令のまま、一人の子供を助け出すことはした。

 けれどそれ以上は何もできることがなくなり、途方にくれて座りこんでしまった。

「マスター……。私には、泣くことなど出来ません」

 ごく初期に作成された己には、細かな人間らしい反応はできない。

 それどころか、外見は作られた当時のまま保ってきたために、軽作業用ロボットさながらの金属質の輝きを放っている。

 そんなボディに、人間のように泣くなどという行為は望むべくもない。

「それでも、泣いているのでしょう?」

──“泣く”?

 首を傾げると、マスターが優しく微笑した。

「私を失うことが、信じられない。そんな顔をしてる」

 細い指先が、眼の淵をなぞる。

 仮面のような固定された無表情な顔。美しく整えられてはいるが、そこには一筋の動きさえも見られない。

 試作品(プロトタイプ)の己には、人間の持つ感情を、表情として表現するまでの作り込みは行われなかった。

 己から望んで、改良時に、手を加えることもしなかった。

 そんな己の顔に、この人はたくさんの感情を読み取る。

 己でも理解できない“感情”を読み取るこの人が、不思議で……。そして、とても大切だった。

「あなたが人間だったら、今頃手もつけられないわね。ぼろぼろ涙を流して、きっと目が真っ赤よ」

 おかしそうに、目の前の美しい女性(ひと)が笑う。

「あなたほど、人間らしい人を見たことがないのよ、私 」

 子供のように邪気のない笑顔がまぶしい。

 幼い頃から愛しんできた、変わらぬ笑顔。

「マスター……。私はただの『ロボット』です。確かに人間(ヒューマノイド)(タイプ)で、自己学習(AI)型の機能も、ファジーやカオス(混沌)を基礎とする思考型CPUも搭載されています。けれどそれも、ごく初期の古い物でしかありません。最新型のロボットたちのようには、人間のようには……とても反応できま──」

 困惑する己の言葉に、主人の激しい言葉が重なる。

「そんなふうに自分を卑下するガイは、きらい!」

 強い語調が傷にさわったのか、美しい眉が寄せられる。

「マスター! 無茶はいけません」

 多少の高低はあるものの、平板な印象をぬぐえない声。それでもとがめるような口調を使って、主人の興奮をなだめる。

「だって、そんなガイは見たくない」

 すねたような口調が、幼い頃のものと重なる。

「あなたが、いつもそばにいてくれたから、今の私があるのよ」

 諭すような言葉がキーワード。

 共に過ごした日々が、メモリー内に次々と再現されていく。

「母を亡くして、ひとりぼっちだった私を愛してくれたのは……だれ?」

 問いは、答えをも含んでいた。

「甘えさせてくれたのは? でも、同じくらい厳しかったのは……だれ?」

 その答えは、まごうことなく己のことだ。

「父には悪いけれど、私にはあなたの方がずっと身近な家族だったわ。だから、結婚した時にも一緒に来てもらったの。……ガイは、私の大切な家族よ」

 出会ったのは、ずっと幼い頃。

 大きなぬいぐるみを引きずって、涙でくしゃくしゃの顔して見上げてきた幼い少女。

「だぁれ?」

 舌ったらずの声が問う。

「ガイと申します。今日から、お嬢様の身の回りのお世話をさせていただきます」

 そう挨拶した己に、おそれげもなく飛びついてきた幼い少女。

 一目でロボットだと分かる旧式の姿は、一部の人間にはとても厭われ……そして恐れられる。

 それなのに、まるで気にも止めなかった幼い少女。

「どこにもいかない? ずっといる? わたしといる?」

 挨拶の言葉は、幼い少女が理解するには、むずかしい言い回しだった。にもかかわらず、本能的に意味を理解していた。

 そして、不安げにそう問われた己は、ためらいなく頷いた。

 冷たく固い身体を抱いて、頬をすり寄せてきた幼い命に、己は一度で魅せられた。

 そう……出会ってまだ二十年しか経っていない。

 まだまだこれから先もずっと一緒に居られると思っていた。そう信じていた。

 それなのに──。

「ガイ。自分を責めたりしちゃダメ。私が、わがままを言ったのがいけないんだもの」

 ガイは、その言葉を否定したくて、勢い良く首を横に振った。

 今日は、マスターの誕生日だった。二三歳の誕生日。

 過ぎるほど心配症の主人の連れ合いも、今日ばかりは、愛妻のおねだりに屈した。

「どうしても、自分で行きたい所があるの」

 にっこりとした笑顔つきで言われて、それを無下にできる男性ではなかった。

 しぶしぶ、一人での外出を許可した。もちろん、最低限の安全のために、ガイをお供につけることだけは確約させた。

「悪いのは、私です! いくらマスターの命令でも、そばを離れた私が悪いのです! 力無い身とは言え、私だけでもそばについていれば、ここまで最悪の事態にはならなかったんですっっ!!」

 悲鳴のように叫ぶ。

 この身で替えられるものならば、いくらでも差し出す!

 けれど唯一のマスターは、『人間』なのだ。

 たしかに、医療技術の進歩によって、平均寿命は一八〇歳という、かつては考えられぬほど伸びた。

 だが、生身のままで永遠の命を得るなど到底不可能だ。

 人はただ一度だけの生を、懸命に生きて……やがて、死を、迎える。

 それが、『人間』なのだ。

 『ロボット』のようにはいかない。壊れれば、部品を換えればすむわけではない。記憶装置しだいで、いくらでも再生可能な記憶を持つわけでもない。

 使い方しだいで、永久に存続できる『ロボット』とは比較にならぬ、はかない生物……。

 その短い生を、こんな形で終えさせることになるなど! 本当に悔いてすむものならば、いくらでも悔い改めよう!!

「それでも私は……、生きたのよ」

 まるで、己の思いを見透かしたような言葉。

「短すぎますっ!!」

 思い通りにならずに癇癪を起こす子供さながらの態度に、マスターが笑う。

「本当に、あなたは驚くほど人間ね。小さな子供みたい……」

 しなやかな手が、愛しげに己の顔の上をさまよう。

 そして──。

「マスターっ!!」

 閉じられていく瞳。

 耐えきれず、叫ぶ。引き止められるものならばと、声を限りに叫ぶ。

「ガイ……機能(ライフ)停止(・エンド)なんて許さないわ」

 小さくなっていく声が、それでもはっきりと告げる。

「あなたは、私の助けたその子供を、無事に外へ連れ出すの」

 己の腕の中に抱かれている、気を失った一人の幼子。

 マスターは、倒れてきた柱からこの少年をかばって、もろに下敷きになってしまったのである。

 その行動は、ロボットの己には理解不能のもの。

 ロボットがそれを行ったのであればわかる。そのためにこその、ロボット工学の三原則である。

 しかし、人間にはそのような行動をとるべく、何かが組み込まれているわけではない。誰かに命令されたのでもない。

 それなのになぜ、自分の危険をかえりみずに、よく知らぬ者を助けることが出来るのか? 自分の生命さえも賭けて他人をかばえるのか?

「わかりません。私にはわかりませんっ! マスターを、……マスターを置いていくなんて、私には絶対できませんっ!!」

 頑強(かたくな)に動こうとしない己に、困ったような笑みがマスターの口もとにのぼる。

「他人のためにも動けるのが人間なの。あなたも、そのうちわかるようになるわ。だから……お願い、今は私の言うことをきいてちょうだい。ね?」

 口調に、「命令させないで」という気持ちが含まれていて、己がれ以上反論するのを封じてしまう。

「これをね、……あげるから」

 力無い腕が差しだす一つの物 。それは……先ほどのロケットだった。

「これをね、ガイにあげたかったの」

 己のメタリックグレーのボディと同じ色で作られた、小さなロケット。

 押されたスイッチに、映し出された立体映像(ソリビジョン)

 二〇センチほどの球状を描いて宙に浮かぶのは、幼い日、マスターと一緒に初めて撮った写真だった。

「今日は、私の二三の誕生日。それは、あなたと会って二十年目ってこと。……二〇年間ありがとう。ガイに会えて……良かった」

 儚くなっていく笑み。

「あの人に、伝えて。愛してくれてありがとうって。……愛してるって。忘れ……忘れない……でね、私のこと。私を……愛……し……た── 」

 握られていたロケットが小さな音をたてて、マスターの手から滑り落ちる。

「マ……マスタァァ──────ッ!!」

 泣きたい……と、思った。泣くための機能が欲しいと思った。

 けれど、己は泣けない。これほどの思いをしても泣けない。それが、余計に悲しみを募らせる。

 人間と接していく内に、己の内に発生した不可解な回路(サーキット)。それが、時として酷く己を苦しめる。

 その名を“感情”というのだと知ったのは、いつだったろう?

 “感情”にふりまわされるのは嫌いではない。けれど、こんな時だけは“感情”など持つのではなかったと心底思う。

 “感情”がなければ、こんなにも苦しくはなかったはずだから。

 けれど、それと同じほど冷静な判断を下す解析回路の部分が、冷静に答えを弾き出してしまうのだ。

 “感情”があるからこそ、己は人間と共に暮らしていけるのだ、と。

 『マスター』を“愛する”ことができるのだ、と。

「マスター。大好きです。この二十年あなた以上に愛した人間はいませんでした。決して、忘れません。ロボットの私にできるのは、いつまでもあなたとの思い出を克明に記憶しておくことだけです」

 眠るように横たわる姿をもう一度だけ、と思い定めて見つめる。

「……それ以外には、何もできない!」

 そうして、マスターに背を向けた。

──ロボット工学の三原則、第二条。

 『ロボット』は、人間に与えられた命令に服従しなければならない。ただし、与えられた命令が、第一条に反する場合は、この限りではない。

 己は『ロボット』だから。『人間』の命令を受けたならば、果たさなければならない。

 それが、愛するマスターの最後の命令ならば……なおさらに!

 腕の中の子供を、壁を壊してむしり取った断熱材にくるみこむ。

 時を同じくして、封鎖されていたフロアの扉が、外からの熱に弾けるようにして破れた。

 侵入してきた猛り狂う紅蓮の炎の中へ、一瞬のためらいもなく飛び込んだ。

 目指すは、出口だ。

「私は、命令を完遂する!」




   *




 立ち尽くす一人の男性。

 伝えられた言葉を、低く反芻する。

「『愛してくれてありがとう』と? 『愛している』と……『愛したことを忘れないでくれ』と?」

 答える必要のない問いが、悲しかった。

「もうしわけ……ありません!」

 己には何の弁解も許されるとは思えない。だから、その一言以外は何も言わなかった。

 この瞬間に破壊されても、恨むことはできない。

 目前の男性が、マスターをこよなく愛していたのを、他の誰よりも知っている。

 それなのに、その男性から託された大切な女性を……守りきれなかったのだ。

「なぜだ?」

 ぼう然とした問い。

 見つめてくる瞳に、責める色が一筋もない。

「なぜ、あいつが死ななければならない? まだ、出会って二年だ! 俺は! あいつとまだたった二年しか過ごしてないっ!!」

 胸に叩きつけられる拳が痛かった。

 旧式ロボットの己に痛覚などありはしないのに。“痛い”と感じるのは、この人の悲しみが理解できてしまうから。

 まっすぐに見つめてくる瞳の奥に、マスターへの深い愛情があふれているのを、理解できてしまうから。

「教えてくれ、ガイっっ!! 何が、俺からあついを奪った!? 最後の言葉さえも聞かせず! カケラさえ残さず! なぜ、俺を残してあいつが逝くっ!? なぜだ──っ!!」

 絶望のどん底へ叩き落された者の、血を吐くような叫び。

 深く深く胸に突き刺さる、つらさ。

 ……大切な人だった。

 ……ずっと一緒に居たいと願った人だった。

 ……愛する人で、あった。




 そして己は、その家を──去った。

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