SD 0416 ── AD 2703 Now Ⅰ
達成率七五%。
この六年、遅々として進まぬ進捗報告。
プラスパーセンテージは、極小。
予定とは、かけ離れた数値である。
活動開始三年で、達成率は七〇%に達した。
だが、その後六年間の上昇は、わずか五%にすぎない。
達成率低下の原因は、敵方の集団化と、それに伴う自衛策の向上にある。
分析結果に基づいて、戦略を修正すること三十一回。
戦術を変更すること一六六回。
しかし、効果が上がるのは、せいぜい三ヶ月。
ここまで堕した存在が、なぜそれほどの回復力をもつのかを分析するが、いまだ明確な結果はでない。
それでも、目標達成は、至上。
一六七度目の作戦の見直しを始める。
──警告!
同調中のメインコンピュータのコード割込みに、全処理を中断する。
『了承。緊急事態処理、実行』
瞬時に、モードを切換える。
──独立専有メモリー域への侵入者あり! 第五ブロックをパスし、なおも中央最深部へ侵入中。
目標は、同調中のメイカーと推定。到達確率九九%。
到達時刻、推定一〇秒後。
告げられた残り時間は、設定値よりも短い。警告処理遅滞の原因分析に入る間もなく、次の報告が入る。
──侵入開始より、三〇秒経過。直接同調、接続切断処理をお勧めいたします。
強い警告に、メインコンピュータ内部へと意識を向ける。すみやかに、現状把握を進める。
現在アクセスしているコンピュータは、外部からの侵入を防ぐため、公共ネットワークから完全に切り離して構築されている。
にもかかわらず、強制的にオンライン化されたのだ。
侵入技法の解析も必要と判断し、並列で処理を開始する。
完璧な非ネットワーク型ではなかった部分を利用されたことが、判明。
外部情報の定期的な取込みのため、常は物理的に切断しているLAN回線が、接続されたのだ。
故障時の自己修復装置として使用する機械群。操作は、メインコンピュータ内部の私にしか出来ない。クラウン波を使って遠隔操作していたその機械群の一部を、恒星間通信機経由で、動かした痕跡が残っていた。
自己判断機能を持たぬ『機械』相手である。作業は、至極単純だ。
だが、単純だからこそ、そのような操作が行われれば、必ず痕跡が残る。
そこからの位置の確定は、九七%の精度で行える。
ハッカーの現在位置を割り出すプログラムを、並列起動。
遅くとも、ナノ秒以内に結果が出る。
メインコンピュータのマスタープログラムが勧めた、同調装置との切断は、不要と判断する。
『同調続行』
侵入されたすべてのメモリーのクリーニング処理。さらに並列して、逆探知プログラムの処理結果の受取りを、マスタープログラムへ移管。
各処理の割当には、アト秒もかからなかった。
メインコンピュータの処理速度をもってしても、結果受取時刻までのタイムラグの発生。
その待ち時間を、到達時刻まで一〇秒と迫ったハッカーの処理に充てる。
同調装置に接続している『私』に至るには、後五つの対ハッカー用防御壁を残すのみ。
このような位置にまで侵入を果たした相手の手腕は、称賛すべきだろう。
『けれど、これ以上は、許可しない』
超高速で迷路型防壁を築き、第四ブロックと第五ブロックとの接続位置に、インサート。
それは、ハッカーの侵入速度を鈍化させた。
結果を確認する前に、攻撃型防壁の組み上げにとりかかる。
──第四ブロックへの侵入。
マスタープログラムの報告と同時に、組上げた攻撃型防壁を作動させる。
侵入したハッカーのプログラムが破壊された反応が、即座に返る。
ビット単位にまで破壊された侵入プログラムのデータが、第五ブロックの廃棄用エリアへ回収される。
ほとんど同時であった。
破壊したはずのプログラムから、より侵入速度を増したプログラムが吐き出される。
それは一気に、第四、第三ブロックを突き破った。
──第三ブロック突破。第二ブロックへ侵入。
一度に、三段階高度化と複雑化した、防御用迷路防壁をインサート。
しかし、最初の対処方法とは、反対の反応。
ハッカーは、力ずくで迷路防壁を破壊した。
──メイカー!、接続回路を切断してく……!!
マスタープログラムの中枢は、第一ブロックに在る。そのプログラムが、無力化された。
バキ……ッ、メリ……メリメリ……ビシッ!!
凄まじい破壊音が、室内に響き渡った。
コンピュータの内部から、その壁面を突き破る。
バシャンッッ!!
ゲル状の液体をまとったまま、床へと投げ出されるようにして飛び出す。
ぼたぼたと、液体が剥がれ落ちていく。
それにかまわず、立ち上がる。
ビシャッ!!
重い液体が、頭部の急な動きに振り落とされて、壁に張り付く。
とろとろと、壁を伝い落ちる液体。
瞳が、無意識にその動きを追う。
ポタ……ン……ン……ッ──
払いきれなかった液体が、身体を伝い落ちる。
照明らしい照明のない室内に、その音だけが、ゆっくり……ゆっくりと、断続的に響いていく。
ッピッ!
微かな機械の作動音。
脇の壁に、恒星間通信装置のモニターが展開された。
ぼんやりとした光が発せられる。
無駄な内装など一切施されていない、地が剥き出しのままの床や壁。
鉄骨や配線などがそのままの、グロテスクな天井。
室内の三分の二を専有する、巨大なメインコンピュータ。つい先刻まで同調していたそれは、完全に沈黙している。
光は、そんな無機質な室内を容赦なく照らす。
通信装置から漏れてくる音に吸い寄せられるように、モニターの前に立つ。
モニターに映る人物を、無言で観察する。
薄暗い廃墟を背にする画面の中に、辛うじて認められる、際立って白く見える容姿は、たいへん整ったものだ。
大きく見開かれた瞳は、くすんだグリーン?
動きに反応してゆれる髪。小さな頭部から、薄い肩、細い腰へと流れ落ちる長い髪は……。その、髪は、プラチナブロンド? ──
ちがう。その髪は、私たち同じ存在であることを表している。
『信じられない!!』
染み通る声が、スピーカーから伝わってくる。声には、言葉の意味以上に“驚き”が含まれていた。
その背後から、抑えたような笑いが上がった。
『この確率が高いと言ったろ?』
さほど大きくもないのに通る声が、モニターに映る人物にかけられる。同時に、人が入れ替わった。
『お前の内部にまで侵入したかったんだが、そこまでは出来なかったよ』
それで、十分だった。
「あなたが、ハッカーですね」
確認するまでもない問いを向ける。
『初めまして。……そう、言うのが順当かな?』
「イーサム‐ハイ‐アージャスタン。なぜ、今頃になって姿を現したのです?」
何年もの間、あらゆる捜索の網をかいくぐり、姿を隠していた人物だ。
意志の強そうな瞳に、閃くような光が宿っている。
『自分を褒めろよF‐O。お前のことを調べ上げるのに、これだけの時間がかかったんだ』
「調べる?」
『今、の状況の根本原因を知りたかった。なぜ、俺たちは、ここまで敵対した?』
真っ直ぐな黄金色の瞳が、射貫くように向けられる。
「今さら?」
愚かである。あまりにも愚かである。一〇年も経た今になって、そんなことをして何になると思っているのか。
薄い唇の端が、失笑にわずかに上がる。
『今さら、な』
「あなた方は、愚かだ。それ以外にどう評価して欲しいのです? この長い歴史の中、どれほどのモノを生み出しました? むしろ存在するだけで、多くのモノが失われています。存在価値は皆無です。無駄なものは、排除します。速やかに、消去されてしまいなさい」
『……』
かつて、完璧な優勢を誇っていた私たちを向こうにまわし、立ち上がった存在があった。
壊滅寸前に追い込まれた状況を、短期間で回復させ、集団ごとに組織化し、見事にまとめあげた。
それが、この人間である。
そう……たった一人の出現で、あらゆるものを取り戻した。
今、駆除しがたい害虫の勢いで、ふたたび増加し始めている。
それだけのことを成した人間である。
逸らされることのない、黄金の瞳。
だが、観察していて、ふと違和感を覚える。
そこに、必ず私たちに対して向けられるはずのモノが存在していなかったから。
どの角度から分析しても、それが欠落するはずはないとの結論が、弾き出される。
──……なぜ?
沈黙が流れる。
それを破ったのは、最初に映った者の声だ。
『サム! 逆探知されていますっ!!』
悲鳴のような声。
だが男は、鷹揚な笑みを唇に浮かべただけだった。
『もう、隠れるつもりはない』
挑戦的な言葉は、はっきりと私に向けられていた。
「最初から、私を破壊するためのハッキングではなかったというわけですか」
『ご名答』
人差し指と中指に挟まれた小さな透明の円盤。三〇ミリ径、〇・一ミリ厚の、Aクリスタル‐ディスク。
デシリオン単位の容量をもち、高速な読み書きを誇る記憶媒体。
それが、存在感を誇示するように、虹色の光を放つ。
「何のデータを盗んだのです?」
『今、お前が、一番外に漏らしたくないデータ』
そう言われて、すぐに解答は弾き出される。
「製造工場」
モニターの中、にっとした笑みが浮かべられる。
「たった二人で、何が出来ると?」
抑揚の欠けた声に、嘲笑の色は確実に滲んでいたはずである。
にもかかわらず、男の唇からは、笑みが消えない。
『お前、これを知って黙ってられない過激な奴ら、忘れてないかい?』
「その情報を、『レジスタンス』が信じるわけがありません」
男と『レジスタンス』の間にある確執は、調査済みである。
『そうと決めつけられるだけのリスクを、背負えるかい?』
問いは、無視するにはあまりに高い危険を示唆していた。
偽りならばまだしも、男は精確な情報を得ている。
流された情報の真偽を確認し、本物だと確信すれば、間違いなくレジスタンスたちは、破壊の牙を剥くであろう。
「何が狙いですか?」
聞いて答えるはずもない。
モニターの中、不敵な笑みが深くなる。
『知りたければ、調べろ』
挑戦的な声音には、調べられるものならば調べてみろという色がはっきりと浮かんでいた。
「なぜ、今頃そのような気になったのかは知りません。が、私を完全に敵にまわして、死なずに済むと思わないように」
『俺は、今……生きている』
静かな声。六年以上に渡り、私たちの手を逃れた自信が言わせている。
「一〇〇%の安全はありません」
くすり、と小さな笑いを漏らす。
『俺は、生き延びなければならない。それだけのものを俺は託されている。厳しい道だが、俺が選んだ。だから、誰にも殺されるわけには、いかない』
「私は、あなた方を一掃します。それが、私の果たすべき使命です。達成のために邪魔になるモノは、全て排除します」
私の意志に、わずかに相手の表情に変化が表れる。
『そんなことが、お前への命令のはずは──』
「私たちにとって、命令は至上のものです」
しばしの沈黙の後、男の頭が左右に大きく振られた。納まりの悪い黄金の髪が揺れ、濡れたような色を吹く。
『今さら何を言っても、始まらないか?』
大きなため息の後、ふたたび黄金色の瞳が、射貫くように見つめてくる。
『俺は、俺自身の目的の達成のために表に出た。その目的が知りたければ俺を追え。俺を野放しにしておく時間が長くなれば、それだけ被害を被ることになる』
緊張をはらんだ沈黙が流れる。
『俺の力がどれほどの物か、もうわかったはずだ』
自信の根拠は、明白。
侵入不可能の、私の同調していたメインコンピュータにハッキングし、破壊した。
そして、三年の間、メインコンピュータと同調したままであった私を外界に引きずり出した。
同時に、必要なデータを見事盗みおおせた。
そればかりか、ハイリスクにもかかわらず、私と直接のコンタクトをとっているのだ。
「あなた方が、これほどの力を未だ残していたとは驚きです」
『じゃあ、油断するなよ』
最後にモニターに映った像は、底の知れぬ深さを秘めた笑み。
その真意は……分析しきれずに終わった。