SD 0401 ── AD 2688 15 years ago Ⅲ
「人間は、永遠には生きられない」
すねた言葉。それは真実。
しばしの沈黙の後、静かに返事をする。
「限られた時間しか持てないという逃げで、あなたにあるはずの可能性まで捨てるつもりですか?」
とがめるような問いに、ますます頬がふくらむ。
「……」
なかなかに強情な子を、どうやって説得するか、しばし記憶の中をさぐる。
七歳という年齢に見合わぬ、ひどく聡い部分を持つ子供である。
なまじなことでは、納得すまい。
だが、残された時間は、もう幾ばくもない。
己の大好きな言葉をぶつけてみるか。
「『那由他』という語を知っていますか?」
「……」
沈黙は、雄弁である。
「知らないのなら、すぐに調べる」
厳しい指示に反発しながらも従った。
ホームコンピュータに命令して、辞書機能を起動し、ベッドサイドに投射させる。
処理を選択し、言葉を絞り込んでいく。
「『那由他』……仏教用語。梵語。阿由多の百倍。極めて大きな数」
むっつりとした答え。それは、完全には理解していないことを表している。
「説明できますか?」
睨みつけてくる瞳。そこには、反発だけではない色が含まれている。
それが、嬉しい。
「できるわけ、ない」
完全に理解できていないことを、他の人間に説明することは難しい。
それをわきまえた幼子に、ゆっくりとうなずく。
「一、十、百、千、万、億、兆、京、垓、禾予、穣、溝、澗、正、載、極、恒河沙、阿僧祇、……那由他」
呪文のような言葉に、幼子の瞳がくりくりと見上げてくる。
「累乗はわかりますね?」
三日前に、教えたばかりである。知らないとは、言わないはずだ。
しばしの沈黙の後、答えが返る。
「同じ数を掛け合わせること」
「一は、……十の〇乗。十は、十の一乗。百は、十の二乗。千は、十の三乗」
言葉を切ってようすを見ると、懸命に理解しようとしているのだろう。目をしっかりと閉じ、眉を思いきり寄せて、ぶつぶつとつぶやいている。
「じゃあ、万は、十の四乗。『一』の下に、『〇』が四個並んでて……。億は、一の下に〇が八つ並んでるから……十の八乗? 兆は、十の十二乗?」
問いにうなずく。答えは、累乗の概念を理解していることを証明した。
「京は、十の十六乗。垓、十の二〇乗。禾予、十の二四乗。穣、十の二八乗。溝、十の三二乗。澗、十の三六乗。正、十の四〇乗。載、四四乗。極、四八乗。恒河沙、五二乗。阿僧祇、五六乗」
幼子に顔を向ける。
「四乗ずつ大きくなっているから……。じゃあ、『那由他』は……六十乗?」
「そのとおりです。その大きさの想像がつきますか?」
考え込むように、再度目をつむった。
「一。一〇。一〇〇。一、〇〇〇。一〇、〇〇〇。一〇〇、〇〇〇。一、〇〇〇、〇〇〇。……一、〇〇〇、〇〇〇、〇〇〇、〇〇〇。…………うー、うー、一、〇〇〇、〇…………う~~~~~~~っ!!」
自分の認識をはるかに超えた大きさに、癇癪を起してしまったようだ。
「限りのある、『那由他』という数値の大きさはわかりましたか?」
それが、どうした。と、瞳が言っている。
「永遠でもなく、無限でもない。限りあるものにも、途方もなく大きなものは存在するということです」
「……」
「限りある時間しかないと、あなたがいう人間にも、同じことがいえませんか?」
「……」
「可能性はあるんです。たしかに無限ではないけれど、それでも『那由他の可能性』があるんです」
「……」
きゅうっと、噛みしめられた唇。
「あなた自身が、その可能性を捨てない限りは、と付け加えなければなりませんが」
見上げてきた瞳の強い光。
その光が、自分の可能性を否定していないことを表している。
「どうします?」
「やるっ!」
間髪おかずに返った返事に深くうなずき、幼子を抱きあげる。
「途中で弱音をはくことは許しませんよ。選んだのは、あなた自身です」
「負けるもんか!」
禾予……じょ。本来1文字で表す漢字ですが、環境依存文字のため2文字で表現しております。