81話 僅かな歪み
第四章は82話で一区切りとなります(*'ω'*)!
城を落とせたことで、すっかり全軍が緩み切ってしまっていた。
底すらない欲深さが真価である涼州兵の高揚に、全軍が乗せられてしまっていた。
そのせいで追撃の勢いを止めることが出来ず、まんまと敵の伏兵に先鋒を叩き潰された。
将である甘寧も落馬での傷を負い、若く有望であった校尉の魏延を失った。
勝つには勝ったが、手放しで喜ぶことの出来ない結果に、落胆を隠せなかった。
賈詡は何度も頭を下げて謝罪をしていたが、こればかりは総帥である自分の責であると言って、張繍は譲らなかった。
「殿、李厳に御座います」
「入ってくれ」
「ハッ」
魏延と並び、荊州の若手の有望株である校尉「李厳」。
文武ともに秀で、荊州の知恵者達からも高く評価されている男。
しかし張繍はどうもこの男が苦手であった。儒学名士らしい、涼州の田舎者を見下す視線をいつも感じてしまうからだ。
確かにその才能は疑いようもない。先の戦では、敵の副将であり、曹昂軍の智嚢とも言うべき「郭嘉」も討ち取っている。
魏延を失ったことに関する落胆は、この男を次世代の中核に据えないといけなくなったことにも繋がっている。
この李厳と比べれば、直情的で勇猛果敢だった魏延の方が、よっぽど張繍には好ましく思えたからだ。
「軍師殿も抜いての話であったな。本来であれば断るところだが、先の功に免じ許してやる」
「ありがたき幸せ」
「それで、話とは」
「郭嘉を討ちとりし際、燃える襄城の一室で見つけた書状に御座います」
李厳が差し出した、煤で汚れた一つの書状。破ってしまわないよう、張繍はそれをゆっくりと広げた。
内容は、簡潔に言えば「賈詡が朝廷と通じている」という旨のものであった。
張繍軍の内部事情が記され、文末には賈詡の名と、荀彧、郭嘉の名も連なっており、更には丁寧に皇帝の印綬まで押してある機密文書。
一瞬、張繍の視界がぐらりと揺らぐがすぐに首を振って、その文書を床にたたきつけた。
「見え透いた離間策よ。まさか李厳、こんなくだらないことを告げ口に来たのか? 返答次第ではこの場で斬り捨ててくれる」
「いえ、これが稚拙な離間策であることなど分かり切っております。私が申しあげたいのはそのようなことではありません」
「何が言いたい」
「これが嘘だと分かり切ったうえで一つ、ご想像ください。この文書が本物であると判断なされた場合、殿は如何に動かれますか?」
「絶対にありえないことを想像しろと? 俺を馬鹿にしているのか?」
「私が話したいのは組織の形のこと。これは殿が天下を志す上で、避けては通れぬ話に御座る。よくよくお考えいただきたい」
刀に手をかける張繍の脅しにも一切動じることなく、李厳の目は静かに燃えていた。
浅はかな讒言ではない。そこには命を懸けた李厳の意志を感じ、張繡は刀から手を外した。
「万に一つもないことだが、軍師殿がもしも敵と通じているのなら、そうだな、打つ手はない。我が不明を恥じるばかりよ」
「その無二の信頼こそが殿の美徳であることは明らか。それが故に賈軍師もまた如何なく才能を発揮出来ておられるのでしょう。されどこれは小さき軍閥でのみ成り立っていた組織の形態であり、これからはそうはいかなくなります」
「これからは? どういうことだ」
「今、殿の武威に応じ、多くの荊州の賢人や勇者が集まりつつあります。人が増えれば、彼らの主張もまた増えてきます。天下を考えればその規模は途方もないほどに膨れ上がりましょう」
「確かに、そうなるだろうな」
「その時、果たしてこの陣営は誰の指示に従えばよろしいでしょうか。増える人材の主張は誰に向けられるでしょうか。殿か、それとも賈軍師か」
この組織の主君は、誰なのか。李厳が放つ言葉の奥底には、その意味が込められていた。
考えてみれば実戦以外の全ての諸事を今、賈詡が握っている状態であり、張繍は内情のことをよく知らないままであった。
そんな状態で果たして、この軍は自分の軍であると自信をもって言うことが出来るだろうか。
今集まってきている人材は、誰に仕官を求めてきているのだろうか。その答えを、張繍は出すことが出来なかった。
「賈軍師は間違いなく当代随一の智謀の持ち主。されど殿は君主です。賈軍師を一人の臣下として存分に働かせる立場であらねばなりません。高祖"劉邦"の下には綺羅星のごとく天下の異才が集まり、高祖はその異才を己の手足のごとく動かしました。あれこそが君主のあるべき姿なのです」
「軍師殿を、一人の、臣下として」
「はい。どうか殿にはその意味を正しく推し量り、覇者としての道を定めていただきたく存じます。それでは」
李厳が去った後も、張繍は一人、幕舎の中で腕を組んでいた。
確かに賈詡は稀代の軍師だ。しかし自分はどうだ。そんな奇才を手足のごとく動かせるほどの君主であるのだろうか。
床に転がっている煤けた書状を手に取り、破り捨てようかと考えたが、張繍はそのままそれを懐にしまい込んだ。
・李厳
劉表の配下に居たが曹操の南下で益州へ逃れ、劉璋に仕えた後、益州入りした劉備に降伏。
その後は劉備政権の中核として働き、諸葛亮に次ぐ臣下として蜀漢を支えた重臣。
しかし晩年は諸葛亮との足並みを乱し、逆に国政を混乱させ、その職を解かれた。
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