56話 若き日のこと
今回の下ヒ城攻めの事前の戦略について、貢献してくれたのは侯成将軍と陳珪殿であった。
二人とも元は呂布の配下であり、それも有力者であっただけに内情も詳しい。
そしてこの二人が同様に示した見解は「もはや呂布軍は自壊を止められない」というものだった。
陳宮が担っていた役割はあまりに大きく、決してこの穴を塞ぐことは出来ないというのだ。
「こちらがその報告になります」
「眠い……」
「殿が、ご自身で、軍吏の仕事もやると言ったんですからね? 本来の仕事もサボらないでください?」
「分かったよぉ……」
ほんの数日間だけのつもりだったけど、その数日間が激務過ぎた。
皆にはホントに感謝してます。急に戦をしますなんて言ってごめんなさい、と心の中で荀彧に頭を下げる。
一人一人、略奪を働いた兵士らの罪状を確認し、その程度によって処罰を決める。
上手く兵士に命令が行き届いてないならその上司を裁いた。兗州豪族も潁川名士も等しくだ。
ほとんど一睡もできていないから、眠気眼のまま荀攸の報告に相槌を打つ。
史実の諸葛亮ってさ、ずっとこんなことやってたってマジ? 化け物だろこんなもん。
「それで、荀攸、大まかの戦略は?」
「基本的には包囲して、内応工作を施し、内から門を空けさせます」
「いけるのか?」
「侯成将軍は既に、敵将の宋憲と示し合わせがついていると。共に任務をこなすことも多く、親しい関係にあったようです。また下ヒは陳珪殿の故郷、協力者の候補も多い」
「なるほどな。だが、俺達が定陶で呂布を破ったように、その逆もあり得ると思わなければ」
「あまり気を詰め過ぎても、無駄な徒労に終わるのでは?」
「戦というものは、五分をもって上、七分を中とし、十分をもって下とする」
「は?」
「俺の知っている偉人の言葉だ。父上がどのようにして死んだか、思い出せ」
これだけは絶対に忘れてはいけない。戦は勝っているときが一番危うい。
どんな名将であろうとも、勝利を前にすると気が緩む。これは、絶対にだ。
そして敗北は、その足元をすくわれてしまったときに起こってしまう。
杞憂に終わっても別にいい。傘を持たず、想定外の雨に降られて、後悔するよりずっといい。
「内応が失敗に終わったときのことも考えて、戦略を立てよう」
「承知しました」
あの荀攸ですら、少し気が緩んでいるんだ。他の者達ならなおさらだろう。
呂布を平野で破った。しかも新戦術で。これは、誰が悪いという話でもない。
◆
呂布軍は離反者も相次ぎ、下ヒに残った兵力はおよそ四千ほどとなっていた。
対する曹昂軍は、君主たる曹昂自身が軍規を引き締めたことで民衆の支持を得始めていた。
曹操とは違うのかもしれない。そういった空気が、次第に蔓延し始めている。
民衆は、浅はかだ。少し優しくされたくらいで、過去の屈辱すら忘れようとしているのだ。
「殿、兵糧も全て城内へと運び入れました」
「そうか。高順よ、俺は曹昂の軍に、手も足も出なかった」
「悔しいですか」
「不思議と、そういう感覚が無い。どうすればあれを貫けただろうかと、夢の中でまで嬉々として何度も戦っている」
「それでこそ殿です」
思えば并州で生まれ、戦場の中で育ち、乱世に流されるまま、こんな場所にまで辿り着いた。
間違いなく今、自分は窮地に立っている。それなのに何故か、清々しさが胸の内に広がっていた。
「高順、ここから勝てるか?」
「殿が居れば、勝利を掴むなど容易きことです」
「どうすればいい」
「選び抜かれた精鋭の騎馬部隊を三百、殿が率いて城外へ。私が城を守り、殿は城外で包囲に攻勢を仕掛ける。これで勝てます」
「俺の攻勢に合わせて、お前も城内から打って出ろ。合図の狼煙を上げる」
「狼煙は不要。殿の戦を最も多く見てきたこの高順、いついかなる場合でも、殿の攻勢に合わせてみせましょう」
「ほぅ、お前が、俺に合わせると。大きく出たな」
まるで若き日に戻ったかのように、呂布は笑った。高順も決して人前では見せない笑顔を見せた。
そうだ、并州で駆けまわっていた頃のように、変わらずに戦えばいいのだ。
乱世に流され、人を率いる身となって、忘れてしまっていた。
呂布は、今も昔も変わらず呂布なのだ。天下無双の、人中の呂布なのだ。
何を恐れることがあろう。
若き頃の自分は、微塵も負けることなど考えていなかっただろうに。
「高順。負けそうになれば、城を開いて降伏しても良いからな。裏切られるのであれば、お前のような男に、最後は裏切られたい。お前になら俺も怒りはせん」
「その言葉だけで、貴方に仕えた我が人生を誇りに思えます。ご心配なく。逆に城が落ちたとしても、殿だけはお逃げください。生きていれば、再起は図れます」
「要は、勝てばいい」
「まさしく」
来い、曹昂。乱世に生まれた、若き王者よ。
お前を討ち取り、再び「英雄」として天下に舞い戻ってみせよう。
・并州
後漢の勢力域のうち、北西に位置する土地。異民族からの侵攻が非常に激しかった。
後漢末期には鮮卑族の台頭にて、并州の半分近くは鮮卑族の手に渡っていたといっても良い。
だから呂布は異民族の生まれと言われたりもする。でも、作者的にはそれは違う気がしてる。
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