48話 かんざし
「いやはや申し訳御座いません。その、曹車騎は急用にて一時席を外されておりまして」
「大丈夫です、頭を上げてください。陛下より車騎将軍と廷尉の職を任されている御方です。多忙で当たり前なのですから」
「宴席の方は変わりなく、皆様方をおもてなし致しますので」
「ありがとうございます。ですが私は少し旅に疲れました。曹昂様がいらっしゃらないのであれば、少し休ませていただきたいのですが」
「あ、分かりました。ではご案内いたします」
ヘコヘコと頭を下げる男を、袁瑛は冷めた視線で見つめる。
確か名は郭嘉、だったか。父の重臣である「郭図」と同族の者であると聞いていた。
露骨なまでの配慮に、袁瑛は嫌気が差す。
曹家と袁家では家格が違うとはいえ、なんというか、品性が感じられない。
「こちらの部屋です。もし何かございましたら従者にお申し付けください」
「ひとつ、お聞きしても?」
「はい、なんなりと」
「曹昂様は私を疎んじておられるのですか? 年増で、嫁ぎ先の婿が二人も病に倒れた、この私を」
「……それは、殿に直接お聞きくださいませ。では私はこれで」
冷淡な笑顔を浮かべたまま、郭嘉は深々と一礼をして、今来た廊下を戻っていった。
あまりにも、心細い。袁瑛は眉間に皺を寄せて部屋に入り、そのまま寝台へと倒れこんだ。
どれほど時間が経っただろうか。袁瑛は気怠い体を起こし、外に目を移す。
日は沈み、外はすっかり暗くなっていた。そして遠くから僅かに宴席の声が聞こえてくる。
服にはしわが寄り、編んでいた髪も解けかかっている。化粧もそのままだ。
長旅と慣れない環境に余程疲れていたのだろう。重い体を起こし、鏡の台の前に座る。
せめて化粧を落として眠りにつこう。そう思って髪を解いた時のこと。
部屋の戸が小さく叩かれ、使用人であろうか、男性の声が聞こえる。
「お休みのところ失礼します。曹車騎より瑛様にお届け物に御座います」
「ありがとう。そこの女中にお渡しください」
「いえ、大事な品ゆえ直々にお渡しせよと仰せつかっております。申し訳御座いません」
大事な婚姻で出迎えにも来ず、どこまで気の利かない人なのだろうか。
ひとつ溜息を吐くと、身なりを正して、長い黒髪を赤糸で一つに束ねる。
「入りなさい」
「ありがとうございます」
扉が開かれる。すると外の空気に流れ、仄かに蘭の香りが鼻をくすぐった。
そこに立っていたのは、おおよそ従者の身なりをした男性ではない。
綺麗に整えられた髪、磨かれた冠、眉も髭も整えられ無駄な産毛も見当たらない。
黒を基調とした衣服には朱色の刺繍が施されており、姿勢の良さも相まって非常にスッとして見えた。
間違いなく高貴な出自の人物だと、一目見て袁瑛は感じた。
思わず袖で顔を覆う。化粧の崩れかけている顔を、見せるわけにはいかないと。
「出迎えにも参らず、貴女には惨めな思いをさせてしまった。直接、謝罪をしたかった」
「あ、貴方は」
「お初にお目にかかります。名を曹昂、字を子修と申します。挨拶が遅れてしまったこと、ここにお詫びする」
「まさか、そ、そんな、貴方が、曹車騎なのですか」
「如何にも。そうでなくばこの護衛兵ばかりの部屋に入ることなど出来ません。違いますか?」
男はそう言って悪戯気に笑うと、懐より渡り鳥の形をした割符を取り出した。
あれは婚姻の話が進んでいた当初に、仲人である楊彪から渡された曹昂からの贈り物である。
袁瑛も懐から同じものを取り出し、恐る恐るそれに近づける。
すると割符はカチリと音を立てて嵌り、一つの木彫りの渡り鳥が出来上がった。
「信じていただけましたか?」
「は、はい」
すると曹昂は袁瑛の手を握り、近くに引き寄せた。
遠くに漂っていた蘭の香りが強くなる。気づけば袁瑛は、成されるがままとなっていた。
「せめてものお詫びの品です」
「これは」
「西より取り寄せた、蜻蛉玉(ガラス玉)の施された"かんざし"です」
「綺麗、ですね」
「貴女にお渡しできるこの日をずっとお待ちしておりました。どうかこれをつけている姿を、見せてくださいませんか?」
「え、その、今ですか?」
「今です。私は貴女が思っている以上に、今日というこの日を、待ち望んでいたのですよ?」
子供のような笑顔を浮かべる曹昂に手を引かれるがまま、袁瑛は化粧台の前に座った。
鏡には顔を赤くした自分と、そんな自分を嬉しそうに眺める曹昂が映っている。
綺麗な、一本かんざしである。
口に咥え、髪を束ねていた紐を解き、後ろで束ね、そしてかんざしを挿す。
「どう、でしょうか」
「お綺麗です。かんざしもそうですが、何よりも、見惚れてしまうほどに瑛殿がお美しい」
「どうしてそのような、歯の浮くような言葉を、次々と」
「本気で思っているが故ですよ。嘘ではここまで言葉は出てきません」
正面から向かい合い、袁瑛の細身の肩に曹昂の両手が置かれる。
何が何だかわからず胸の高鳴りが抑えられない袁瑛は、思わず顔を背けてしまう。
「瑛殿、私は高貴な生まれではなく、戦場で育った武骨者。不躾であることは重々承知ですが、よろしいか」
「なななな、なにを、なにがですか」
「貴女に心を奪われ申した。日取りは早いですが、貴女をここで抱きたい」
「ふぁ!?」
すると袁瑛は、何かの許容量が限界に達したのか、顔を真っ赤にして部屋の隅にうずくまってしまう。
曹昂が何を話しかけても、ビクッとするだけでまともな返答はない。
「流石に、無礼でしたね。申し訳御座いません。柄にもなくはしゃいでしまった」
「い、いえ」
「明日、また」
笑顔のまま曹昂は一礼をし、部屋を後にした。
まだ部屋の中には蘭の香りが漂っている。袁瑛は夜が明けるまでぼーっと、かんざしを眺め続けていた。
・蜻蛉玉
綺麗に内側が装飾されたガラス玉。後漢末期にこれを生産する技術は無かった。
というのもガラスの加工は千度以上の熱が必要だったが、後漢期に扱えたのは三百度ほど。
でもガラス玉を何かにくっつけたりするような、再加工は何とか出来たらしい。
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