45話 袁紹の娘
受け取った書状を開き、男は喉奥でクツクツと笑う。
黄色の刺繡をあしらえた肩幅の広い衣服をなびかせ、ゆったりと部屋を歩く。
「逢紀、これを見よ」
「え、あ、はい」
部屋の主である男、袁紹は口角を上げて書状を傍らの文官に投げ渡す。
受け取った文官、逢紀はあわあわとそれをキャッチして、書状を開いた。
「うだうだと言いながら解答を先伸ばして、ようやく返事を出したと思えばこれですか」
「縁談を受ける代わりに、兵糧が足りぬから寄越せと言ってきおったわ。若いくせにふてぶてしい男だ」
「その兵糧をもとに呂布を討つつもりでしょう。如何なさいますか」
「大事な婿殿だ。気前良くくれてやれ」
そう言って笑う袁紹に、逢紀は少し眉を潜める。
文官にとって兵糧は希少なものだ。易々と他人に渡したくないと思うのが普通である。
「殿は曹昂殿を高く評価しておられるようですが、何故ですか」
「評価している? 俺がか? そう見えるか?」
「え、いや、ご息女と兵糧を渡すなどと」
「兵糧を送らねば、呂布はまた息を吹き返す。そうなれば公路(袁術)も立ち直る。それが厄介なだけだ」
「で、では婚姻の話は」
「曹昂の命を狙える者が最も近くに居た方が良いだろう? それに内政干渉の口実にもなる」
さも当たり前という表情で、むしろ袁紹の方が首を傾げていた。
逢紀は背筋に冷たいものを感じる。これが袁紹の、王者たる資質だ。
私情というものが一切ない。
皆と同じ人類ではない、生まれついての「君主」。
その気になれば、最たる功臣も、古参の臣下も、自分の子供すら切り捨てられる。
いや、もはやそういう感覚もないのだろう。自分も含め、全てが「駒」なのだ。
だからこそ「王」になれる。
人間を捨てて初めて、人は国を統べる存在へと昇ることが出来る。
「それじゃあ逢紀、後は任せる。兵糧の件は淳于瓊と良い感じに取り計らってくれ」
「かしこまりました」
袁紹はそのまま居室を出て、離れの屋敷へと足を運ぶ。
この件を真っ先に伝えなければならない当事者に会いに向かっていたのだ。
「瑛! 居るか!!」
「お父様、き、急にどうなされたのですか」
鏡の前で髪を編んでいる最中の女性は、突然の訪問者に驚いて思わず立ち上がる。
しかし袁紹はそんな娘の様子を気にもせずに笑顔でズカズカと入り込むと、寝台に腰を下ろした。
まだ髪を編んでいた最中だが、「瑛」と呼ばれた女性はそのまま髪を解き、袁紹の隣に座る。
血を分けているというのに、瑛には笑顔の父が何を考えているのか全く分からなかった。
「喜べ! 縁談がまとまったぞ!」
「誰のですか?」
「お前に決まってるだろう。お前も、もう二十六だ。そう嫌な顔をせず父を安心させてくれ」
「……ありがとうございます」
「うむ!!」
「それで、お相手は」
「聞いて驚け! 朝廷より車騎将軍に任じられた曹昂殿だ! 歳もお前と同じだし、気兼ねせずとも良いぞ」
「曹孟徳の、嫡男の」
曹操といえば、数多の戦で必要以上に敵兵を殺す血生臭い男だと聞いていた。
おまけにその家系は下賤な「宦官」に連なる。そんな曹操を継ぐ男に、嫁ぐことになった。
瑛は零れ落ちそうになる涙を堪える。
やはり父は、自分を疎んじているのだというのが今日、ハッキリと分かったからだ。
「そうかそうか、嬉しいか! 父もお前の晴れ姿を見れると思うと胸が熱くなる!!」
「この歳になってもまだ家に残ったままで、心苦しくありました。お父様、ありがとうございます」
「仕方ない。お前が嫁いだ先の男は何故かすぐに病に倒れる。だが天はきっと、この縁を望んでいたのだろう」
「また、同じことにならぬか、それだけが心配です」
「大丈夫だ、曹昂殿は何かと運に恵まれておる。それに一個の群雄だ、並みの男ではない。安心せい」
袁紹は細身である娘の肩をポンポンと撫でると、腰を上げ、外庭へと視線を移す。
瑛はまだ、気持ちの整理がつかず、座ったまま身を小さく縮めた。
「とはいえ瑛よ、もし曹昂殿が悪い男であったならすぐに父に知らせよ。お前をいつでも助けてやるからな」
「私はお父様を信じております。お父様の信じた人ならきっと、良いお方なのでしょう」
「うむ。でも、ほら、万が一もあるし。それに父も寂しいのだ、愛娘が家を出るとなるとな。故に手紙なども送ってくれ。馴染みの女中なども同行させるでな」
「斯様な時も、子ども扱いされるのですね」
「父にとって娘は、いくつ歳を取ったとて子供と同じだ。もし何かあれば、帰ってきても良いのだからな」
「お父様の恩情はいつまでも、胸に刻んでおきます」
今更、我が身を案じても仕方ない。これも袁家の女に生まれた定めなのだ。
全ては家のため、そして全ては父のため。それが自分の生きる価値なのだと、瑛は自分に言い聞かせる。
曹昂。やはり血生臭い、野蛮な男なのだろう。
外を眺める父の背後で、瑛は不安の涙を一つ手の甲に落とした。
・結婚適齢期
一応、儒学的な理想では「男は三十、女は二十」とされていたとか。
でもこれはあくまで理想で、後漢期では男女共に十代半ばから後半くらいで結婚したとか。
子供を残さないことが最大の親不孝とされたので、独身の肩身は非常に狭かったみたい。
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