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11話 王佐の才


 謁見が手短に済んだ後のこと。どうしても会っておかないとならない人が居た。

 本来ならば曹操が死んだ後、真っ先に俺が会いに行かなくちゃいけなかった人物だ。


「お久しぶりです、荀彧殿」


「若君。いえ、今は殿と呼んだ方が正確ですね」


 今の俺の年齢が二十代半ば。荀彧はそれより一回りは離れているはずである。

 しかしその端正な顔立ちはまだまだ若々しく、下手をすれば俺よりも若く見えるほどだった。


 一つ一つの所作が落ち着き払っており、言葉や声の端々に類稀な知性を感じさせる。

 これが曹操を覇者へと押し上げた名臣、荀彧だ。そして夏侯惇と並び、今の俺の後ろ盾でもある。


「まずは荀彧殿の、録尚書侍への昇進をお祝いいたします」


 小さな一室で、向かい合わせに座り、酒の入った杯を交わす。度数の少ない、水のような酒だった。

 録尚書侍といえば、政権の中枢である尚書系の職務の統括者だ。つまり今の俺の完全な上司にあたる。


 曹操が没したが故の、繰り上げ的な人事だ。

 とはいえこれでは、君臣の関係がこじれてしまいかねないという思いもある。


「殿、何故、曹操様が没した後、すぐに私の下へ訪れてくれなかったのですか」


「兗州での反乱鎮圧や、内側の不安定を払拭することが急務であった。夏侯惇にもそれを勧められたし、反乱を知らせてくれたのは貴方ではないか」


「ですが、殿はそれでも私を訪ねるべきであった」


 どこか寂しそうな表情をしていた。そしてその「失望」は、俺に向けられている。

 空いた杯に従者が酒を注ぐ。しかし俺も荀彧も、再び杯に手は伸ばさない。


「殿は曹操様の遺言を聞き、私への面会を無意識のうちに遅らせたのでは?」


「遺言は、私と夏侯惇しか知らないはず……」


「没我を使役していたのは曹操様だけではありません。そして私は、曹操様より陣営の内情に詳しい。勿論、殿よりも」


 そういえば歴史でも、荀彧の権限は絶大だった。曹操は何をするにも荀彧に意見を求めないといけなかったほどだ。

 恐らく曹操が完全に掌握できていたのは、現場での軍の指揮権くらい。他の全ては、荀彧の手が絶対に入っていたとされる。


「曹操様は遺言で、私ではなく程昱の意見を優先するように言っていた。それが故に、警戒なされたのでは?」


「……正直に言おう。忙しかったのは事実だ。ただ、荀彧殿の仰っていることも少し、胸に引っ掛かってはいた」


「怒ってはおりません。ただ、少し、悲しかっただけです」


 遺言では、重要事で参謀格の意見が割れた場合、程昱の言を最優先するようにと、曹操は確かに言っていた。

 普通ならばどう考えても荀彧の意見が最優先のはずだ。しかし曹操は、俺にそれを求めなかった。


 ただ、理屈は、何となく分かるのだ。


 荀彧の影響力はあまりに大きい。そして荀彧を中心とする潁川郡出身者の官僚グループは、今や朝廷の中核でもある。

 曹操が信頼を委ねられなかったのは恐らくそれだ。荀彧ではなく、そのグループを信じ切れなかったのだ。


 現在、北方で天下最大の勢力として盤石の基盤を整えつつある「袁紹」の政権にも、潁川郡出身者は多い。

 直にウチと袁紹は衝突する。そうなったとき、果たして潁川郡の官僚達は、曹昂に忠誠を尽くしてくれるのだろうかと。

 その点で言えば、程昱は兗州の出身者であり、袁紹への反抗心が最も強かった重臣だ。故に、信頼できる。


「曹操様が死の際に何を思ったのか、分からぬわけではありません。しかしそれでも、この荀彧を信じてほしかった」


「……今、真っ先に荀彧殿を頼らなかったことを、悔いております」


「ご安心ください。臣としての責務を果たし、忠誠を尽くす思いに、寸分の陰りも御座いません。それどころか私は殿に、叱責して欲しかったのやもしれません」


「叱責?」


「これだけの権限を、信頼を委ねられながら、何故、曹操様を天下にまで導けなんだと。願わくば、我が首を落として欲しかった」


 再び杯を手に取り、酒を煽る。これが「王佐の才」と称された偉人か。

 涼し気で大人しい顔をしながら、内に抱える情熱は天を覆うほどである。


 荀彧がどうして曹操を主君に選んだのか、何となくだが分かった気がした。

 本心で「天下」を語り合えたのは、きっと、曹操と荀彧だけであったのだろう。


「自分は、いや、自分も、父上と荀彧殿の目指した夢を共にしたいと、思っています。どうか今後とも、お力をお貸しいただきたい」


「……変わられましたな、若君は。まるで別人のようだ」


「父上が死んだとき、以前の曹昂も死んだ。私は、そう思っております。荀彧殿は、今の私をどう見ておられますか」


「悪い人間になったと、そう思います。昔の若君はとても善良な御方であった。それが故に、私は迷いなく今の若君を殿と呼ぶことが出来る」


 どこまで俺の心内を読まれているのか。にこやかな荀彧を前にして、背筋の冷える思いがした。

 俺は焦る気持ちを抑えるように、酒を一気に飲み干した。



「それでは殿、我々がこれよりどのように天下を目指せばよいか、一つ、献策をさせていただきます」




・荀彧

正直、曹操の功績の大半はこの人のおかげでもある。ちなみに公式イケメン。

漢王朝を守るべく最後の最後は曹操に抗い、死を賜ったとされる。

と言われがちだけど、荀彧は曹操をよく劉邦に例えてるから、たぶん違う。


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― 新着の感想 ―
[一言] 内政においては荀彧 戦場においては郭嘉 曹操の参謀軍団でも 左右の二人ですな
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