舞首
三人の博徒、勝負のいさかひより事おこりて、
公にとらはれ皆死罪になりて死がいを海にながしけるに、
三人が首ひとゝころによりて、
口より炎をはきかけ、
たがひにいさかふこと昼夜やむことなし。
『絵本百物語・桃山人夜話』/巻第五・第四十四より抜萃
一、又重の場合
博徒である又重は伊豆の真鶴岬に程近い雑木林の中で、息を殺して、その時が来るのを待っていた。
懐には一本の白鞘の小刀が忍ばせてある。親分を闇討ちするなど、侠客としては見下げた了見だったが、又重は自身の行為の浅ましさのほどを、中正な秤に掛けて判断する余裕を持たないまでに、進退窮まっていたのである。又重にはどうしても金が必要だった。
陰間の小三太から計画を聞いた時は、少なからず動揺もしたが、考えれば考えるほど妙案のように思えた。親分の悪五郎を闇討ちして金を盗む。死体は岬の崖から海に投げ棄ててしまえばいい。渦に巻かれて当分の間は上がってこないはずだ。もともと、厄介者の身なのだから、喧嘩の末に起きた刃傷沙汰ぐらいにしか思われないだろう。
金が手に入ればこちらのもの。小三太にはいくらかの銭を握らせて縁を切るつもりだった。郷里には妻と子が二人でつましく暮らしている。こんな阿漕な渡世から足を洗って、真っ当に生きるのだ。又重は懐中で息づく小刀の柄を、汗で手を滑らせながらも、しっかりと握り締めた。
数え上げたら夜が明けてしまうほどに、多くの罪を重ねてきた身であるのに、殺しをするのは初めてのことだった。又重は小心者の小悪党だったから、罪を犯すたびに心臓を掴まれたような、嫌な気分に襲われるのが常であった。だが、親分の悪五郎殺しを心に決めた時ばかりは別だった。郷里に帰って妻子を抱くという目的が又重の度胸を大きくしたのではない。世間の鼻つまみ者である、「ダンビラの悪五郎」をやっつけるという大義名分が彼を酔わせていたのである。
悪五郎は侠客を自負しているくせに奇妙なほど吝嗇な男だった。借金で首が回らなくなった又重は、幾度となく悪五郎に頭を下げることになったわけだが、盃を交わした間柄だというのに一向に顧みられた経験がないばかりか、貧乏人が生意気な口をきくな、と足蹴にされたことすらあった。又重が随分と惨めな思いをしてきたのも確かである。
要するに、又重の心に澱となって沈んでいた不平不満が歪な正義感となって湯を沸かせたわけである。金目当てに親分を闇討ちするという行為を、又重は卑劣だとは思わなかった。金は然るべき者に然るべき手段で納められなくてはならない、と信じて疑わなかった。墨痕鮮やかに記された「天誅」という二字が、又重の貧弱な頭脳の中で、弾けそうなほど膨らんでいた。恐るべき、エゴイズムが濛々たる霧となって又重の目を曇らせていた。
又重は月光の及ばない草むらに伏せって、小三太と悪五郎が訪れる時を待つ。これまで如才なく立ち回ってきた小三太のことである。きっと今度もうまく悪五郎を誘き出すに違いない。又重は毫も小三太を疑っていなかった。稚い児が歳かさの姉様に寄せる甘ったれた信頼がそこにはあった。
やがて岬に至るあぜ道を小三太と悪五郎が寄り添い合うようにして歩いてきた。又重の咥内は粘着質な唾で満たされていた。悪五郎の腕を取りながら凭れ掛かる小三太の口許に妖しい微笑が浮かんだ。又重は小三太の赤い唇が、最後の合図を口にするのを、固唾を飲んで見守っていた。
幾ばくかの沈黙の後についに小三太の口が開かれた。そして――。
二、小三太の場合
小三太は埃臭い暮らし向きに飽き飽きしていた。親譲りの美貌をいたずらに腐らせながら生き長らえるくらいなら死んだほうがいい。それが小三太の考えだった。
小三太は又重のこざっぱりとした男ぶりに惚れてはいたものの、暮らしが追いやられる毎に染みついてくる貧乏の臭いには辟易していた。
花の命が短いことを知っている小三太にとって、又重は確かに好ましい男ではあったが、真剣に取り合うに値するほどの男であるとは、到底、思えないのであった。小三太は早々に又重を切り捨てるつもりでいた。
また、小三太は又重の心が自分から離れつつあることも閨の内で敏感に覚っていた。あれほど、熱っぽく求めてきたのにも関わらず、時には魂の抜けたような腑抜けになってしまうことすらあった。
そういった夜を迎えると、又重は必ず小三太の髪を梳きながら詫び言を繰り返すのであるが、一度でも熱を持った肉体を慰めることは至難であり、かえってもどかしい思いをさせられるのが常であった。
馬鹿の一つ覚えのように詫び言を繰り返す又重と枕を共にしているうちに、小三太の心を次第に暗い感情が覆うようになっていった。阿諛追従する事しか能のない役立たずを苛んでやりたい。そういった嗜虐的な欲望が日毎にむくむくと鎌首をもたげてゆくのを、小三太は奇妙なほど冷静に受け入れた。安穏と鼾をかいて眠る又重の首を絞める真似をして、咄嗟に止めたことすらあったほどだ。
だが、小三太は夜毎に昂ってゆく異様な情慾が、恋仲である又重に露呈することを非常に怖れてもいた。正確に云えば、この獣じみた色欲の餌食となることで彼が示すだろう一般の反応を恐れていた。
小三太は自身の美貌を誇りに思っている。又重を煩わしいと感じる一方で彼の方から離縁を言い渡されることだけは避けたかった。小三太の陰間としての矜持がそれを許さなかった。小三太はどうしても又重を屈服させなければ気が済まなかったのである。小三太は又重に、咲き誇る桜の木の下の肥やしになることを求めていたのである。
悪五郎が密かに自分に好意を寄せていることを小三太は見抜いていた。又重と較べれば男ぶりは劣るが、金はたっぷりと持っている。また、その逞しさは又重の比ではない。みすみす、離縁を突きつけられるくらいなら、いっそのこと又重を一思いに葬ってしまおうと思い至るまで、さほどの時間はかからなかった。
親分の悪五郎を殺して金を奪う。又重を唆す策略は拍子抜けするほど簡単に進んだ。今ごろ、又重は岬の近くの雑木林に隠れて機が訪れるのを待ち構えているだろう。無論、悪五郎は小三太の密告によって全てを承知している。
悪五郎は一切の動揺を見せることもなく、賭場から真っ直ぐに真鶴岬に向かうあぜ道を歩き始めた。腰に帯びたダンビラが月光を浴びて、ギラギラと冷たく輝いている。小三太はこれから始まるだろう惨劇の予感に密かに興奮していた。
岬に至るあぜ道を小三太と悪五郎が砂埃を散らしながら歩いている。逞しい腕を取って、しな垂れかかりながら、小三太は赤い唇を悪五郎の耳に寄せて誘惑の言葉を囁いた。悪五郎はむっつりと黙ったまま、ずんずんと道を進んで行く。とうとう、二人は又重が息を潜めて隠れ伏している草むらの近くまでやって来た。
小三太は口許に淫らな微笑を浮かべると、又重を誘き出すために用意していた合図を口にした。そして――。
三、悪五郎の場合
悪五郎は嫉妬の炎に焼かれていた。賭場で小三太の方から話があると外に招かれた時は天にも昇る気分であった。いよいよ、秘めたる思いが伝わったのだ、と期待に胸を躍らせてすらいた。
又重が金目当てに親分を闇討ちしようと決意している、と小三太によって報された時、悪五郎はさほど驚かなかった。又重の暮らし向きが相当に貧窮していたことを悪五郎も知っていた。それを承知の上で、小三太との仲を裂くために彼は金の無心を断り続けていた。
又重を裏切る代償として自分を囲って欲しい、と小三太はしきりに口にした。初めから金を出し惜しむつもりはなかったが、金銭を露骨に要求されるということは気分の良いものではない。小三太という人間の薄情さに、悪五郎はこの時になってようやく気が付き始めていた。何やら崇高なものが地に伏した瞬間を目の当たりにしたような遣る瀬ない心地だった。
無論、子分である又重の不義を放って置くわけにもいかないので、ダンビラの悪五郎はひとまず岬に出向くことにした。又重をどうするかは道中で考えるつもりだったが、小三太がそれを阻んだ。凭れ掛かるようにして徒歩を妨げては、又重という男の欠点を一つひとつ挙げ連ねていくのである。やがて話は共寝のことにすら及んだ。小三太が又重と閨の内で語り交わした睦言まで、微に入り細を穿つように暴き始めた頃には、悪五郎の心は嫉妬の炎で燃え上がっていた。
悪五郎は小三太の薄情さを知っておきながらも、又重との間に結ばれた紐帯の太さを思わずにはいられなかった。
縦しんば、又重を殺したとしても小三太の心の中に、彼の魂は宿り続けるのではないか。それほどまでに惚れ抜いた相手を易々と忘れることができるものなのだろうか。
小三太は又重の男ぶりに惚れていたが、悪五郎を選んだ理由は金にしかなかった。同時に、小三太は悪五郎の金に惚れていたが、又重を捨てた理由は貧乏にしかなかった。
金で切れる縁であるのなら、又重と悪五郎の間にどれだけの差異があるというのか。男ぶりが良かっただけ、又重の方に軍配が上がるような気もする。悪五郎は自身の醜さを自覚していたから甚だ不安だった。
やがて、悪五郎の心に暗雲が立ち込めてきた。悪五郎は小三太という男を不気味に感じ始めていた。捉えようのない不安が悪五郎の心を黒く塗りつぶし、盤石だった足場が崩れて宙に放り出されるような心持ち。己のみを頼って生きてきた悪五郎にとって、それはこの上なく不快な感情だった。
岬の近くの雑木林にやって来ると、二人の男は足を止めた。月光に照らされた小三太の顔が白々と闇の中に浮かび上がっていた。赤い唇は濡れて艶やかだった。丸く大きな瞳がじっと悪五郎を見詰めている。妖しい微笑が口許に浮かんでいた。悪五郎は恐ろしいまでに美しい少年の顔をしばらく黙ったまま見詰め返していた。そして――、俺が俺でいるためにも、この少年は殺さなければならない、と悪五郎は考えた。
悪五郎は腰に提げたダンビラを素早く抜くと、月明りを受けてギラリと光る刀身で、小三太の首をポンと叩いた。おびただしい血が煙となって吹き出した。ゴロリという音を立てながら首が地面に転がった。
血煙が上がると同時に草むらから又重が転び出た。手には抜身の小刀が握られている。悪五郎は振り向きざまにダンビラを薙いだが、宙を切っただけで終わってしまった。その隙を縫うようにして又重の小刀が背中に深々と刺さった。
悪五郎は呻き声を洩らしながらもダンビラを振り上げる。又重の小刀は悪五郎の厚い肉に食い込んで容易には抜けそうになかった。一呼吸を置いてダンビラが振り落とされた。又重の身体を冷たい刃が袈裟懸けに切り裂いた。
あまりの激痛に又重は腰を抜かして、地面を這いつくばりながら悪五郎から逃げようとした。悪五郎はそれを阻むかのように何度もダンビラで又重の背中を打擲した。切り苛まれながらも又重は逃げた。
悪五郎は背中に打たれた楔のためにやがて動きを止めてしまった。悪五郎の背中からは血が滝となって流れ出している。やがて彼の手からダンビラがするりと抜け落ちた。
又重はこれを好機とばかりに飛びついた。地に刺さったダンビラを握ると、膝を着いて喘ぐ悪五郎の前によろめき立ち、満身の力を込めて刀身を振り払った。
悪五郎の首がゴロリという鈍い音を立てて、地面に落ちた……。
四、ある女の場合
一人の女が雑木林の陰で惨劇を見守っていた。女は悪五郎の首が落ちたのを見届けると暗がりから抜け出して、地面に伏せる又重の近くにいざり寄った。血を流し過ぎた又重の目には霞がかかって僅かな光を捉える事しかできない。女は又重の女房であった。
縁故を頼って伊豆でかつての夫を見つけた時ばかりはさすがに女も喜んだ。しかし、夫の堕落した有様を目の当たりにして深く悲しむことにもなった。女は又重を愛していた。
初めは小三太という陰間に夫と離縁して欲しいと頼み込んだ。女という生き物を毛嫌いしている小三太が頑として首を縦に振ろうとはしなかったことは言うまでもない。そこで、女は小三太から又重を取り戻すために策を練った。
女は金を用立てる事さえできれば又重から小三太を引き離せると考えた。そして、又重の親分である悪五郎が懐に相当な金を蓄えていることを知った。女は小三太に又重を唆して悪五郎を闇討ちするように仕向けることを教えた。女は夫の軽率さを熟知していた。また、小三太も又重を騙すことに関しては自信があった。小三太はほどなくして女の提案した儲け話に興味を示すことになった。
小三太が又重を裏切ると同時に、女との約束を反故にしようとしたことについては想定していなかった。よもや、このような陰惨な顛末に至ろうとは思ってもいなかった。三人の男が殺し合い、自分の夫が切り刻まれて死ぬことになろうとは考えていなかった。
それにも関わらず、女は悲しくはなかった。そればかりか不可思議な清々(すがすが)しさすら感じていた。積み重なったものが一瞬間にして崩れ去る時の空虚さが心地良かった。女は疲れていたのである。生きるために考えを巡らせることに飽きていたのである。全てを放り捨てて眠りたかったのである。
女は又重の手からダンビラを取り上げると真っ直ぐに頭上まで振り上げた。そして、フッと一息を衝いた後に刃を落とした。又重の首に刀身が食い込み、ゴトリと音を立てて地面に転がった。
これですべてが終わった、と女は思った。女はしばらく思案したが三人の首を真鶴岬から海に投げ棄てることに決めた。渦に巻かれて易々とは浮かんでこないことを小三太に教えたのは他でもなく又重の女房だった。
海洋からの風がビュウビュウと鳴り響いて吹き込む崖に立ち、やがて、女は三人の博徒の首を投げ棄てた。黒い油のように重く波打つ海面に、三つの首が吸い込まれて消えていった。界隈の人々から三ツ石と呼ばれる岩礁に黒い波が打ち寄せて、パッと白い飛沫を上げた。
渦に巻かれて三つの首は押し合い、圧し合い、絡み合いを繰り返す。やがて首たちは一所に縺れながら腐っていくだろう。互いの肉と肉が交ざる様子は噛みつき、食らいついているように見えなくもない。岬からほど近い岩礁である三ツ石に波が掛かり、白い火の粉を巻き上げて消えていった
(了)