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輾転草・令和百物語  作者: 胤田一成
28/29

夜啼石

 

 遠州(ゑんしう)佐夜(さよ)の中山にあり。むかし孕婦(はらめるおんな)この所にて盗賊(とうぞく)のために(がい)せられ、()胎胞(たいはう)の内に(つゝが)なく、(さいはゐ)生長(せいちゃう)してその(あた)(むくひ)しとかや。


 『今昔百鬼拾遺』より



 一


 弘仁(こうにん)十四年の事である。一人の僧侶が法衣(ほうえ)(すそ)(から)(かぜ)(ひるがえ)しながら古都の坂道を歩いていた。物思いに(ふけ)る僧侶の表情は無論暗い。時折、不意に立ち止まっては天を(あお)ぎ、彼は短い嘆息を漏らす。抜けるような冬の青空が憎らしい。もう、久しく雨が降っていない。

 ――朝廷が(しび)れを切らして私を処罰するのが先か、天が根負けして慈雨を(もたら)すのが先か。どうやら、貴人(あてびと)達は私が敗北することを期待しているらしい――

 そんなことを思案(しあん)しながら僧侶は肩を落として歩き続けていた。諸国を巡り、海を渡って学問を修めても(まつりごと)に利用されて捨てられる。誰も教義を理解しようとせず、相変わらず他力本願(たりきほんがん)に頼り続けている。もはや、立身出世(りっしんしゅっせ)は望むべくもないので放って置いてほしい。

空海(くうかい)殿、ようこそおいで下さいました」突然、坂上(さかがみ)から声を掛けられて、僧侶――空海(くうかい)上人(しょうにん)項垂(うなだ)れていた(こうべ)を上げた。福々(ふくぶく)しい丸顔に満面の笑みを(たた)えた藤尾寺(ふじおでら)住持(じゅうじ)が山門を背に負って立っていた。また、肥えたようだな――と上人(しょうにん)がぼんやりと考えていると住持(じゅうじ)は快活に笑ってみせた。「さあさ、積もる話は中で伺いましょう。ここは寒くていけません」

 墨染(すみぞめ)(そで)寒風(さむかぜ)に揺らしながら住持(じゅうじ)が手招きしている。空海(くうかい)上人(しょうにん)(よわい)五十になる老体を引き()るようにして、のろのろと坂道を登り始めた。――気が利かない御仁(ごじん)だが、何か良い案を思い至るかもしらん。道場にいても気が滅入るばかりでしようがないのだから。

 朝廷から祈雨(きう)(みことのり)が下されて久しいが、未だに上人(しょうにん)は成果を上げられずにいた。(わら)にも(すが)る思いで知己(ちき)を訪ね歩いてみたが、(かんば)しい結果は得られなかった。空海(くうかい)上人(しょうにん)は半ば逃げるような心持ちで古都にやって来た。良い策だとは思っていないが、他に()()がないことも確かだった。

 だが、藤尾寺(ふじおでら)住持(じゅうじ)無頓着(むとんちゃく)な丸顔を見た途端(とたん)上人(しょうにん)は激しい不安と後悔を覚えた。この()(およ)んで自分は何かを期待していたのだ、と思い知らされたからである。都を離れた時、上人(しょうにん)は一切の希望を捨てたつもりでいた。それなのに――空海(くうかい)上人(しょうにん)暗澹(あんたん)たる心地で坂上(さかがみ)に広がる青空を見遣ると大きな溜め息をついた。


 いつしか、神霊石(みたまいし)に夕日が掛かり、内陣(ないじん)とはいえ寒さが本堂を(おか)しつつある刻限になった。上人(しょうにん)住持(じゅうじ)千手千眼観世音菩薩像(せんじゅせんげんかんぜおんぼさつぞう)に見守られながら旧交を温めていたが、それも徐々(じょじょ)に難しくなってきた頃合いである。

 空海(くうかい)上人(しょうにん)(いとま)()げ、それを住持(じゅうじ)が引き留めるという慣例を一通り終えて、さあ、今度こそ辞去(じきょ)しよう、或いは見送ろう――と法衣(ほうえ)(そで)を揃えて礼を交わした直後に、ギョーギョーという遠吠(とおぼ)えが室内(むろのうち)に響き渡った。

 ――気味の悪い鳴き声だ。あれは鳥か獣か。だが、どこかで聞いた覚えがあるような気もする――

 空海(くうかい)上人(しょうにん)が首を(かし)げて(いぶか)しんでいると、藤尾寺(ふじおでら)住持(じゅうじ)呵々大笑(かかたいしょう)して、「あれは(ぬえ)ですな」と(こと)()げに言った。都住みに慣れてしまった上人(しょうにん)は久しく聞いていない(もの)()の叫びを懐かしみながら、「ここには(ぬえ)がでますか」と(うな)るように(つぶや)いた。

(おり)()れて出ますな。まあ害を()す物でもなし、放って置いておりますが――空海(くうかい)殿にとっては不慣れな土地でもありましょう。(しばら)く、逗留(とうりゅう)なさった方がよろしいでしょうな」

 そう言うと住持(じゅうじ)は本堂の雨戸を閉めて回るために立ち上がった。機敏に働いてみせる坊主の後ろ頭を眺めながら上人(しょうにん)は、「これは、ちょっと厄介(やっかい)なことになったな」と考えていた。(ぬえ)の鳴き声は中々(なかなか)止みそうにない。都に残してきた仕事が気掛かりだった。

「しかし、あの鳴き声を聞く度に二十年程以前に起こった事件を思い出さずにはいられませんな」

 戸締りを終えた住持(じゅうじ)高灯台(たかとうだい)の油に(とも)した火の具合を確かめながらポツリと(つぶや)いた。二十年前か――と空海(くうかい)上人(しょうにん)は思う。

 その頃、上人(しょうにん)は日本を離れ、(とう)の地で学問を修めるために奔走(ほんそう)していた。(みの)りある試練(しれん)の時だったが、代わりに上人(しょうにん)から渡世(とせい)(すべ)を奪ったことも確かである。空海(くうかい)上人(しょうにん)は自身が無知である事実を恥じていた。住持(じゅうじ)の言葉が上人(しょうにん)complex(コンプレックス)(ひそ)かに刺激したことは言うまでもない。

 だが、そういった屈託(くったく)住持(じゅうじ)が知るはずもない。(おり)しも話題が()きかけていたところでもあり、彼のひとり言めいた物語は止まず、ぬらぬらと先へと続いていった。


 空海(くうかい)殿は遠江国(とおとうみのくに)にある小夜(さよ)中山(なかやま)という(とうげ)御存知(ごぞんじ)でしょうか――と。



 二


 空海(くうかい)殿は遠江国(とおとうみのくに)にある小夜(さよ)中山(なかやま)という(とうげ)御存知(ごぞんじ)でしょうか――いや、実に裏寂(うらさび)れた所で史跡が残されているわけでもなし、地元の者でも滅多(めった)に踏み入らない山道なのですから、御存知(ごぞんじ)なくとも至極(しごく)当然(とうぜん)のことでございます。

 が、その(ひな)びた峠道(とうげみち)が大変な(にぎ)わいを見せたことがあるのです。それが二十年程以前に相応するというわけで――ええ、それまで一顧(いっこ)だにされなかった山寺が名跡のごとく扱われ、当時は随分(ずいぶん)羽振(はぶ)りの良い思いもしたと聞き及んでおります。

 全く、人間の口さがなさというものは都も(ひな)も変わりはありませんな。(つつし)むべきことなのでしょうが、人々の不思議(・・・)を求める熱意は物凄(ものすご)さまで覚えるほどです。

 そう、不思議(・・・)でございます。小夜(さよ)中山(なかやま)(とうげ)不思議(・・・)と言えば――やはり、あの夜啼石(よなきのいし)の他にありません。無惨(むざん)なお話ではございますが、当座(とうざ)とはいえ小夜(さよ)の一帯を(うるお)した事実は変わりません。

 桓武天皇の治世(ちせい)延暦(えんりゃく)の頃の事でございます。小夜(さよ)中山(なかやま)(とうげ)(はら)み女が斬り殺されるという(むご)たらしい事件が起こりました。

 (ひな)びた土地である上に検非違使(けびいし)などない時の事でしたから、小夜(さよ)菊川(きくかわ)の辺りは大いに混乱したようですな。それに(じょう)じて下手人(げしゅにん)は逃げ(おお)せたのでしょう。

 山狩(やまが)りの甲斐(かい)もなく、後に分かった事情といえば、(はら)み女の正体が小夜(さよ)に住むお(いし)という寡婦(やもめ)である事、また、彼女が菊川(きくかわ)の里で物売りした際に受け取った銭が(ことごと)く盗まれていた事くらいでした。

 お(いし)亡骸(なきがら)小夜(さよ)九延寺(きゅうえんじ)に運ばれ、そのまま荼毘(だび)()される手筈(てはず)になっておりましたが、ここで不思議(・・・)が起きたと聞き及んでおります。(にわ)かに信じがたいことですが、まあ、そこが魅力なのでしょうな。

 九延寺(きゅうえんじ)和尚(おしょう)亡骸(なきがら)(とむら)っている最中(さなか)に、ギョーギョーという遠吠(とおぼ)えが堂の外から響いてきたらしいのです。お(いし)が惨殺された場所と九延寺(きゅうえんじ)の間は(わず)かばかりしか離れておりません。和尚(おしょう)が声の鳴る方へ耳を(かたむ)けると――やはり、お(いし)が斬り殺された辺りから不穏な音が聞こえてくるようなのです。

 和尚(おしょう)熊笹(くまざさ)の生い茂る脇道(わきみち)に分け入ると、()ぐに声の(ぬし)を探り当てたと言っておりました。それは――ひと抱えほどの大きさの丸石(まるいし)でした。仔細(しさい)検分(けんぶん)してみると表面にひと筋の太刀傷(たちきず)らしい(あと)がある。どうやら、ギョーギョーという声はその傷痕(きずあと)から発せられているらしいのです。

 怖ろしいのはここからで、丸石(まるいし)の鳴き声を聞いている間に、和尚(おしょう)はとある妄念(もうねん)に取り()かれてしまったようなのです。「あの(はら)み女の中にいる子は、ひょっとしてまだ生きているのではないか」という疑念が脳裏(のうり)から離れない……。

 そして、(つい)和尚(おしょう)は決意しました。彼は(きびす)を返して本堂に寝かされている亡骸(なきがら)の前までやって来ると――というわけなのでございます。

 山狩(やまが)りから戻った男連中が九延寺(きゅうえんじ)()()たりにした様子は悲惨(ひさん)なものでありました。和尚(おしょう)血塗(ちまみ)れになった墨染(すみぞめ)(そで)嬰児(みどりご)を抱き、百面相(ひゃくめんそう)してあやしていたというのですから(すさ)まじい。無論、彼らの後ろには腹を裂かれて臓腑(はらわた)を垂れ流した女人(にょにん)亡骸(なきがら)が横たえられております。和尚(おしょう)は血の海の中で嬰児(みどりご)(たわむ)れていたそうです。

 この孤児(みなしご)の行く末を九延寺(きゅうえんじ)和尚(おしょう)(あわ)れんだことは言うまでもありません。音八(おとはち)という名を授けると村長の反対を押し切って引き取ってしまったのです。村の者たちは男も女も、童ですら音八(おとはち)と関わりを持とうと致しません。また、音八(おとはち)の方も彼らに近寄ろうとは致しませんでした。音八(おとはち)()()として寂しい幼年時代を過ごしたということになります。

 それでも、音八(おとはち)和尚(おしょう)の世話の甲斐(かい)もあって尋常(じんじょう)に成長してゆきました。ただ、屡々(しばしば)小夜(さよ)中山(なかやま)(とうげ)に出向いては夜啼石(よなきのいし)の前で終日(ひねもす)ぼんやりと立ち()くして思案(しあん)に暮れていることがあったようです。

 九延寺(きゅうえんじ)和尚(おしょう)も不審に思ったのでしょう。何故(なにゆえ)、あの場所にさまで執着(しゅうちゃく)するのかと(たず)ねたことがございました。

 すると、音八(おとはち)は顔を真っ赤に染めながら言ったそうです。「母が恋しくてしかたがない時は夜啼石(よなきのいし)を見に来ることにしているのです」と。

音八(おとはち)にとって母親との間に結ばれた(よすが)とは、もはや、夜啼石(よなきのいし)しか残されていないのだ」と考えると九延寺(きゅうえんじ)和尚(おしょう)は哀しみで胸が(つぶ)れる思いだったと(のち)に語っているようです。(まこと)不思議(・・・)なお話でございますな。



   三


 さて、九延寺(きゅうえんじ)庇護(ひご)(もと)音八(おとはち)は大事なく生い立ちました。和尚(おしょう)剃髪(ていはつ)(せま)るような真似(まね)は決してせず、代わりに様々(さまざま)な学問や知識を()しみなく与えたと聞き(およ)んでおります。

 周囲から()()のように扱われていた音八(おとはち)にとって、空想に遊び、或いは歴史を紐解(ひもと)くことは良い(なぐさ)みとなったようです。

音八(おとはち)が大人になっても暮らしに困らないように――」()わば、親の(なさ)けから和尚(おしょう)様々(さまざま)な知恵を(ほどこ)そうと(こころ)みましたが、幼い音八(おとはち)が最も心を(かたむ)けた学問は『仏の教え』でした。和尚(おしょう)は少なからず戸惑(とまど)ったらしいですな。仏門(ぶつもん)帰依(きえ)するからには一切の煩悩(ぼんのう)を捨て去り、涅槃(ねはん)に至ることを目的としなければなりません。「殊勝(しゅしょう)な心掛けだとは思うが、音八(おとはち)には家庭を(きず)いてほしい」

 ある日の早朝の事でございます。和尚(おしょう)夜啼石(よなきのいし)(とむら)うために境内(けいだい)から十軒(じっけん)ほど先にある峠道(とうげみち)に差し掛かったところ、丸石(まるいし)(かたわ)らに木彫りの観音像(かんのんぞう)らしい(そな)(もの)がされていることに気が付きました。手習いの作らしく稚拙(ちせつ)な仏像ではありましたが、ちょっと見ても観世音菩薩(かんぜおんぼさつ)を彫ったものと分かる意匠(いしょう)散見(さんけん)できる代物(しろもの)でした。

 それが音八(おとはち)供物(くもつ)であることは明白でした。夜啼石(よなきのいし)供養(くよう)を続けているのは和尚(おしょう)の他には音八(おとはち)しかございませんし、仔細(しさい)検分(けんぶん)してみると目立たない所に『おとはち』という(めい)も彫られています。ほほう――と和尚(おしょう)は腕組みして思いました。

「このような才覚まで音八(おとはち)は隠しておったか。まだ(とお)にも満たないはずなのに細工物(さいくもの)(こしら)えることもできようとは思いもよらなかった。ひょっとすると、これこそが音八(おとはち)天賦(てんぷ)(さい)かもしれない。坊主になれずとも細工師(さいくし)としてなら音八(おとはち)納得(なっとく)してくれるはずだ」

 その晩、和尚(おしょう)寝床(ねどこ)を整えている音八(おとはち)の小さな背中を見守りながら(たず)ねました。今朝の勤行(ごんぎょう)(のち)夜啼石(よなきのいし)を訪れたら仏像が(そな)えられていた事、また、それは音八(おとはち)の手によって彫られた物である事、そういった細工物(さいくもの)をいつから作っているのかという事など――和尚(おしょう)(おび)えさせないように優しく問い掛けました。

「あれは母親を思うて彫った仏像――まだ見ぬ母の姿を想像しながら彫った観世音菩薩像(かんぜおんぼさつぞう)でございます。

 本当はここの千手観世音菩薩様(せんじゅかんぜおんぼさつさま)のような立派な仏像を彫りたかったのですが、自分の稚拙(ちせつ)な技では到底(とうてい)届きませんでした。これまでにも(いく)つかの観音像(かんのんぞう)を彫っておりますが、仏門(ぶつもん)帰依(きえ)していない身であることを考えると、恐れ多くて打ち明けられませんでした。

 今朝、(そな)えた観音菩薩像(かんのんぼさつぞう)()ぐに下げるつもりでおりましたが、手抜かりでそのままにしてしまいました。御仏(みほとけ)(かたど)った物ゆえ(いたずら)に壊すわけにもいきません。どうか、お許しくださいませ」

 和尚(おしょう)は涙でしゃくり上げる音八(おとはち)の頭を()ぜると、これまでに彫った観世音菩薩像(かんぜおんぼさつぞう)を全て見せるように言いつけました。音八(おとはち)悄然(しょうぜん)項垂(うなだ)れながら(むろ)を出て行くと、やがて両手いっぱいに小さな仏像を抱えて帰ってきました。十数躯(じゅうすうく)観音菩薩像(かんのんぼさつぞう)には同じような意匠(いしょう)()らされており、音八(おとはち)が亡くなった母親を思いつつ彫ったということが真実であると和尚(おしょう)は察しました。

「確かにお前は仏門(ぶつもん)帰依(きえ)していない身の上であるが、ここに()します菩薩像(ぼさつぞう)は皆にっこりと笑っていらっしゃる。お前が母親のことを思うて懸命(けんめい)に彫ったと知っていらっしゃるからだろう。決して壊してはならぬぞ」

 和尚(おしょう)は涙を流し続けている音八(おとはち)の肩を抱きながら言いました。そして、音八(おとはち)(こころざし)があるのなら細工師(さいくし)として都の近くで修業してみるつもりはないか――と問い掛けました。おそらく、和尚(おしょう)音八(おとはち)の行く末を案じていたのでしょうな。

「ここにいると音八(おとはち)は母の影を追い続けるだけの生涯(しょうがい)に終わるだろう」()くの昔に和尚(おしょう)老齢(ろうれい)に達しており、都との(えん)(はなは)だ細いものになっておりました。頼りを探し出すのも並大抵(なみたいてい)の仕事ではありません。知己(ちき)住持職(じゅうじしょく)(ふみ)を出しても返事があるか(いな)か分かりませんし、厚かましい田舎坊主めと(そし)りを受けることすら考えられます。「だが、母が恋しくて涙する子供に(とが)などありはしない」

 九延寺(きゅうえんじ)和尚(おしょう)()せ細った腕の中で、音八(おとはち)は小さく(うなず)きました。音八(おとはち)の行く末が(さだ)まったことに和尚(おしょう)安堵(あんど)しました。が、音八(おとはち)生涯(しょうがい)は川の流れに乗る(ささ)(ぶね)のように不安なものであり、また、九延寺(きゅうえんじ)庇護(ひご)を失ったことにより、運命の輪は拍車(はくしゃ)をかけて目まぐるしく巡るようになってゆくのでございます。



 四


 それから十年の歳月が流れた頃、九延寺(きゅうえんじ)和尚(おしょう)縁故(えんこ)を頼り、音八(おとはち)を都に程近い大和国(やまとのくに)へと送り出しました。そして、彼を引き取った仏閣(ぶっかく)が、ここ藤尾寺(ふじおでら)ということになります。

 十年間を掛けて、音八(おとはち)細工作(さいくづく)りの腕を(みが)いていたらしく、それは見事な観音像(かんのんぞう)を彫ったと先代の住持(じゅうじ)から伝え聞いております。

 寺住みを許された音八(おとはち)益々(ますます)細工作(さいくづく)りに熱中し、寝食(しんしょく)を忘れることも度々(たびたび)あったといいます。実際、細工物(さいくもの)を作らせたら右に出る者がいないまでに、音八(おとはち)は優秀な腕前を誇っておりました。

 やがて、町の職人集(しょくにんしゅう)音八(おとはち)の評判を聞きつけて弟子にしたいと申し出る始末(しまつ)でございます。(かね)てより、音八(おとはち)(くろがね)に興味を抱いていたらしく、とある()()(もと)で修業をすることに落ち着きました。彼の精緻(せいち)細工(さいく)(さら)に評判を呼び、貴人(あてびと)から依頼を受けることも屡々(しばしば)あったようですな。

 音八(おとはち)様々(さまざま)細工物(さいくもの)を作りましたが、特に心惹(こころひ)かれた道具は刀剣でございました。彼が夢中になって太刀(たち)()ぐ姿は鬼気迫(ききせま)るものあり、先代の住持(じゅうじ)九延寺(きゅうえんじ)から音八(おとはち)不思議(・・・)出生譚(しゅっせいたん)を聞かされていたことも手伝って、何か剣呑(けんのん)な考えでも抱いているのではないかしらん――と疑ってしまうことも往々(おうおう)にしてあったと伝え聞いております。

 だから――音八(おとはち)が人を(あや)めたという(しら)せを受けた時も、人々はさほど驚かなかったようでございます。が、彼が殺人を犯すに至った経緯(いきさつ)(つまび)らかにした途端(とたん)、人々は(てのひら)を返して「孝行(こうこう)だ、忠義(ちゅうぎ)だ」と()めそやし始めたのですから、人の世とは実に(つか)み所のない曖昧(あいまい)なものでございますな。

 音八(おとはち)には罪を犯さねばならない事情がありました。少なくとも、当時の大衆はそうであると信じておりましたし、この椿事(ちんじ)は広く語り知らされることにもなりました。事の顛末(てんまつ)(およ)そこのような次第(しだい)でございます。


 その日の暮れ方、音八(おとはち)(つと)()を一人の男が太刀(たち)(たずさ)えて訪れました。その男の(いわ)く、「ここに腕の良い()()がいると聞いて来たが、この太刀(たち)(みが)いてはくれまいか」と。音八(おとはち)が品物を受け取ると切っ先に刃こぼれがあるようだ――これは良い太刀(たち)だが、修理(すり)をするのに時間が掛かる、と()くと男は肩を(すく)めて言いました。

「これは特別な思い入れがある太刀(たち)だ。いくら手間(てま)が掛かってもいいので、どうか直してくれまいか」

 音八(おとはち)(しばら)太刀(たち)の具合を調べておりましたが、これほどの名刀をぞんざいに扱った理由を知りたくなり――また、()()としての立場から諫言(かんげん)を述べたくもなったのでしょう。さりげなく、問い掛けたようなのでございます。すると、男はにやにやと(いや)しい笑みを浮かべながら言いました。

「これは遠州(えんしゅう)のさる(とうげ)(はら)み女を斬り捨てた時に(こしら)えた傷なのだ。随分(ずいぶん)と以前の話だが、かなり深く切りつけたせいで路傍(ろぼう)の石に切っ先が当たってしまったらしい。だが、その女を斬ったおかげで山師(やまし)の商売を始める元金(もとがね)を揃えることができた」

 その話が終わるや(いな)や、音八(おとはち)は手に握っていた太刀(たち)で男を斬り捨てました。(つと)()にいた職人たちが止める間もないほどに素早く殺人は行われたそうでございます。


 音八(おとはち)は罪を認めて縄に掛かることになりましたが、母親の仇討(あだうち)()げたという世間の声も高く、いくらかの徒刑(とけい)(ふく)するだけで御免(ごめん)になったとか。

 あれから二十年程が経ちますが、音八(おとはち)行方(ゆくえ)(よう)として知れません。郷里(きょうり)小夜(さよ)に帰ったか、それとも野辺(のべ)髑髏(されこうべ)()てたのか。

 もう、とうの昔のお話ではありますが、こうして(ぬえ)の鳴き声を耳にする度に、小夜(さよ)夜啼石(よなきのいし)のことを思わずにはいられないという次第(しだい)でございます。



 五


 藤尾寺(ふじおでら)住持(じゅうじ)は話を終えると両瞼(りょうまぶた)を閉ざした。宵闇(よいやみ)の向こうから時折(ときおり)聞こえる(ぬえ)の鳴き声に耳を()ませているらしい。(しばら)くの間、空海(くうかい)上人(しょうにん)は腕組みをして思案(しあん)(ふけ)っていたが、やがて、考えが(まと)まったのかそろりそろりと私見(しけん)を述べ始めた。

「全く(あわ)れな話ですな」空海(くうかい)上人(しょうにん)依然(いぜん)として瞑想(めいそう)し続けている住持(じゅうじ)にポツリと意見を(こぼ)した。とはいえ、これは(ほとん)虚仮威(こけおど)しのような文句であった。上人(しょうにん)はこの玉虫色(たまむしいろ)の言葉に住持(じゅうじ)がどのように返事するか興味を抱いていた。住持(じゅうじ)上人(しょうにん)の言葉を反芻(はんすう)しながらも言う。「しかし、我々は誰を(あわ)れむべきなのでしょうね」

 上人(しょうにん)(しばら)逡巡(しゅんじゅん)した後に、「無論、音八(おとはち)という男になるでしょうな」と答えた。が、住持(じゅうじ)はこの返答に満足していないと見える。彼は低い(うな)り声を()らすと沈黙してしまった。ギョーギョーという(ぬえ)の悲鳴が遠くで響いている。

「母親を殺されたことにより、数奇(すうき)な人生を宿命づけられた音八(おとはち)こそ、御仏(みほとけ)に救われるべき男だったのではないでしょうか」

 空海(くうかい)上人(しょうにん)戸惑(とまど)いつつも言うと、沈思黙考(ちんしもっこう)していた住持(じゅうじ)(ようや)く口を開いた。その瞳はここではない何処(どこ)かを見詰めたように(うつ)ろであり、声風(こわぶり)(つね)とは違う沈んだものであった。

存外(ぞんがい)、救われるべき者など誰もいなかったのかもしれません。全ては夜啼石(よなきのいし)が見せた幻影(まやかし)で、九延寺(きゅうえんじ)和尚(おしょう)音八(おとはち)などという子を亡骸(なきがら)から取り上げていないのかもしれません。

 いずれにせよ、私はこのお話が全て真実であるとは考えておりません。誰かが何かしらの欺瞞(ぎまん)を抱えているように思えてならないのです。おそらく、それは悪意ある嘘偽(きょぎ)ではないのでしょう。未練(みれん)執念(しゅうねん)が長い時間を掛けて沈殿(ちんでん)してゆき、(つい)には御仏(みほとけ)の力を頼らざるを()ない所まで来てしまった。

 が、御仏(みほとけ)が彼らを救うことはないでしょうな。一切の執着(しゅうちゃく)を捨てない限り、彼らに安息(あんそく)は約束されません。夜啼石(よなきのいし)の悲鳴は底知れぬ未練(みれん)執念(しゅうねん)の声でございます。私はそれを思う度にゾッとせずにはいられません」

 住持(じゅうじ)はそこまで語ると再び両瞼(りょうまぶた)を閉ざして黙ってしまった。空海(くうかい)上人(しょうにん)は思う――あのお話で語られた人々の中に虚偽(きょぎ)の者がいるとしたら、それは一体誰なのか。

 ギョーギョーという(もの)()の悲鳴が、外陣(げじん)へと通じる(ふすま)の向こうから大きく響いた。近い、あまりにも近すぎる。本当に(ぬえ)なのか。もしや、あの仕切(しき)りの奥には夜啼石(よなきのいし)が……。空海(くうかい)上人(しょうにん)(たま)らず(ふすま)を引き開けた。が、外には無明(むみょう)(やみ)がどこまでも広がるばかりであった。


 (了)


 



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