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輾転草・令和百物語  作者: 胤田一成
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犬神

                  修験者(しゆげんじや)のかみつくやうに祈るなり

                        病の憑きし犬神(いぬがみ)の術

                             紫の染芳

 

                        『狂歌百物語』より



 一、退屈と憂うつ


 昭和六十二年の夏のことである。僕は()だるような熱気にあてられながらも、自動車の運転席に座って、叔母(おば)の帰りを待ち続けていた。フロンド・ガラスに吊られた御守りは、そよとも動かない。

 北九州の盛夏は想像以上に苛烈(かれつ)で、早くも東京が恋しく思われた。あの小便臭(しょうべんくさ)い裏通りにある下宿すら、奇妙なほど慕わしい。

 あそこには虚無(きょむ)しかないということは理解している。虚無(きょむ)から逃げ出すために、遥々(はるばる)、北九州に住む親類を(たよ)って来たのだ。それにも関わらず、僕は(うつ)ろな生活を(なつ)かしく思いはじめている。首筋を一滴の汗が(つゆ)となって伝った。

  道路を挟んで向こう側に、筑紫国(ちくしのくに)建家(たていえ)らしからぬ瀟洒(しょうしゃ)な屋敷が堂々(どうどう)と立っている。モダンな様式の家であるが、住民は旧態(きゅうたい)依然(いぜん)とした風儀(ふうぎ)(とら)われた古人(いにしえびと)たちであることは調査済みである。

 叔母(おば)の仕事は彼らの無知に乗ずることで成り立っている。齋木佳代子(さいきかよこ)犬神(いぬがみ)を使って(さわ)りを(のぞ)くという。真偽のほどは定かではないが、叔母(おば)霊媒(れいばい)()くらしい。今日は顧客への御機嫌伺(ごきげんうかが)いのために(つい)やす予定だ、と彼女は言っていた。うんざりしながら、汗で湿ったタバコに火を(とも)した。

 霊媒師(れいばいし)齋木佳代子(さいきかよこ)の助手として働き始めてから一か月が経とうとしている。東京での暮らしに()きていたし、何よりも金が欲しかった。背中を焼かれるような生活にも、胸の内に空いた(うつ)ろにも辟易(へきえき)していた。現実を生きている感じがしない。世界の全てが色褪(いろあ)せて見える。

 大学の夏季休校を利用して、北九州までやって来ると、()ぐに親類縁者から避けられている叔母(おば)(もと)を訪ねた。何かが変わると思ったが、期待(きたい)していたものは得られそうにない。齋木佳代子(さいきかよこ)埒外(らちがい)な悪人ではなかった。人々の無知につけ込んで(くち)(のり)しているが、法外(ほうがい)報酬(ほうしゅう)を求めようとはしなかった。九州に来ても、相変わらず、僕の視界は(かすみ)がかって晴れそうにない。

  「人はおおむね自分で思うほどに幸福でも不幸でもない。肝心(かんじん)なのは望んだり生きたりすることに()きないことだ」とロマン=ロランは言った。それには僕も賛同する。巨大な空白が胸の内に巣食(すく)っている。これは、ちょっと危険である。退屈(たいくつ)が人を殺すこともあると知った。憂うつと退屈(たいくつ)の味は驚くほど似ている。

 二本目のタバコに火を(とも)そうとして手を止めた。信者に見送られながら、斎木佳代子(さいきかよこ)が屋敷の門から出てきたからだ。楚々(そそ)とした和服姿の女性で、(つや)やかな黒髪を()()げている。彼女は五十路(いそじ)を越えているはずだが、それを察することは難しいだろう。実際、彼女は美しい女性であった。

 佳代子(かよこ)が着物の(そで)(おさ)えて、軽く手を上げたのを見て、そろりそろりと車を屋敷の門口(かどぐち)に寄せた。住民たちが一斉(いっせい)(こうべ)()れたので、思わず僕も(あたま)()げた。佳代子(かよこ)だけが姿勢を正して(たたず)んでいる。彼女を中心にして世界が(まわ)っているようだった。

柳原(やなぎはら)さん、ご苦労様です。お祈りは(とどこお)りなく終わりました。北九州の夏は暑いでしょう。さっそく、洗礼を受けたようですね。こんなに汗をかかれて――どこかでお茶でもしていきましょうね」

 斎木佳代子(さいきかよこ)は貴婦人らしく微笑(ほほえ)みを浮かべてみせた。僕は運転席から降りると、彼女のために後部座席のドアを(うやうや)しく開いて待つ。(こうべ)()れ続けている信者に会釈(えしゃく)して、美しい叔母(おば)はひらりと車の中に乗り込んだ。

「この度はお疲れ様でした。それでは失礼させていただきます。皆様のもとに安らかな日がおとなうことを(せつ)にお祈りしております」

 適当な口上(こうじょう)を述べてお辞儀(じぎ)をすると、僕も車に乗り込んだ。信者たちは誰も(くち)()こうとしない。ただ、粛々(しゅくしゅく)(あたま)()げ続けるのみである。きっと、そうするように叔母(おば)から指示されているのだろう。

 大通りの角を曲がり、屋敷が見えなくなるまで、僕たちも沈黙を守り続けた。斎木佳代子(さいきかよこ)周到(しゅうとう)に役柄を演じていた。彼女の演出を引き立てることが僕の仕事でもある。

「さあ、お茶にしましょうか。ようやく、一息つくことができそうだ。どこのお店にしますか。疲れちまいましたよ」

 車を走らせてから、きっかり十分後に(たず)ねた。今日の訪問スケジュールは終わったはずである。佳代子(かよこ)が本気で(いたわ)わってくれるとは思っていなかったが、このハリボテめいた厳粛(げんしゅく)()えられそうになかった。叱責(しっせき)されるのを知っていながらも、軽口(かるくち)の一つでも()いてみないと、馬鹿らしくてやっていられない。そういう気分だった。

「あら、タバコを(たしな)むほどの(ひま)があったというのに、休憩(きゅうけい)が必要なものですか。以前にも言ったと思いますが、この車は禁煙のはずです。私はタバコを(たしな)みませんし、節度(せつど)を守れない方に助手は(つと)まりません」

 過ぎ行く街並みを眺めながら、佳代子(かよこ)(しと)やかに言ってのけてみせた。上品に(つくろ)ってはいるが、彼女の舌鋒(ぜっぽう)は鋭いものだった。機嫌(きげん)(そこ)なうと厄介(やっかい)なので、「すみません」と口先だけでも謝っておくことにした。

「もう、けっこうです。それでは、この住所のお(たく)まで車を回してください。どうやら、私に紹介したい方がいらっしゃるようなのです。さあ、もう一仕事ですよ」

 路肩(ろかた)に自動車を停めて、差し出されたメモを受け取った。地図を広げてみたが、目的地とはさほど離れていないようである。また、炎天下(えんてんか)無為(むい)な時間を()ごすことになるのか、と考えるとさすがに憂うつだった。

「とはいえ、私の留守中に車の中を(けむり)でいっぱいにされては(かな)いません。今度は私と同伴してもらいます。あなたは何も話してはなりません。私の指示に従うように」

 意外な申し出に少なからず喜んだ。僕は外界(がいかい)からの刺激に()えていた。もしかしたら、僕の胸の内に巣食(すく)空虚(くうきょ)()めてくれるかもしれない。どのように叔母(おば)が人を(だま)すのか興味は尽きない。憂うつを払い除けるように、アクセルを強く踏み込んだ。目的地の多田家(ただけ)を目指して、車は一直線に駆けて行った。



 二、依頼人


 とあるマンションの一角に多田家(ただけ)(きょ)(かま)えていた。先ほど訪ねた瀟洒(しょうしゃ)な屋敷と(くら)べれば、幾分(いくぶん)見劣(みおと)りはするが、立派な部類の建物である。築十数年といったところだろう。ある種の風格(ふうかく)を感じさせる建物である。

多田(ただ)さんは熱心な信者ですが、慣例に(とら)われない進歩的なご意見を持っていらっしゃる方です。相手の土俵(どひょう)()がるような下手(へた)を打たないようにしてください。極力、沈黙を守った方が良いですね。話し合いは私に(まか)せてください」

 斎木佳代子(さいきかよこ)多田家(ただけ)が暮らす部屋の前で、そんなことを述べた。僕はいつも通りの神妙(しんみょう)な顔つきで、適当に相槌(あいづち)を打っていればいいだけで、それ以上の仕事は求められていない、ということだ。

「今日は私に紹介したい方がいらっしゃるみたいだけど、()()った話は後日にしましょう。多田(ただ)さんには申し訳ないけれど、私も少し疲れていますしね」

 そう(つぶや)くと、佳代子(かよこ)多田家(ただけ)が住む部屋のインターフォンを鳴らした。その横顔は弓を()(しぼ)ったように鋭いものであり、彼女の精神が役に()()いた合図(あいず)でもあった。僕もネクタイを()()めて居住(いず)まいを正した。

「はい、多田朔太郎(たださくたろう)です。斎木様(さいきさま)でしょうか。お待ちしておりましたよ。今日はぜひともご紹介させていただきたい方がいらっしゃっているのです。さあ、中へどうぞ――」

 主人の朔太郎(さくたろう)に導かれるまま部屋に上がった。間取りは一般的な3LDKであるらしい。見える範囲の中には祭壇(さいだん)のような仰々(ぎょうぎょう)しい仕掛(しか)けは見当たらない。リビング・ルームのソファには先客(せんきゃく)が腰掛けていた。神経質そうな顔をした、長身(ちょうしん)痩躯(そうく)の男である。僕たちの姿を見るなり、彼はいそいそと立ち上がった。

「お会いできる日を心待ちにしておりました。相島直和(あいじまなおかず)と申します。今日は先生にご相談したいことがございまして、(うかが)わせていただきました。朔太郎(さくたろう)くんには随分(ずいぶん)迷惑(めいわく)も掛けてしまったようで、申し訳なく思っていたところなのですよ」

 相島直和(あいじまなおかず)物腰(ものごし)(やわ)らかいものだったが、()(くぼ)んだ眼だけは一切(いっさい)笑っていなかった。下手(したて)に出ているが、こちらを(うたが)っていることは明らかだった。佳代子(かよこ)もそれに気が付いたのだろう。穏やかに微笑(ほほえ)んでいるが動こうとしない。どうしようか、と迷っていると多田(ただ)朔太郎(さくたろう)(そで)を引かれた。佳代子(かよこ)が小さく「いってらっしゃい」と言ったので、そのまま主人と共に別室に向かうことにした。

「あんた、斎木(さいき)先生の助手さんだよね。相島直和(あいじまなおかず)のことはすまないと思っている。迷惑(めいわく)だということは理解しているつもりだ。でも、相島(あいじま)無碍(むげ)にはできない事情があるんだ。あいつは山口では名の知れた暴力団の構成員なんだよ。あいつにはちょっとした額の借金をしている。今、人払いをしているから家族はいない。それまでにあいつを納得させて、追い払ってくれないか。報酬(ほうしゅう)は用意できているから」

 そう言うと、多田(ただ)は厚みのある茶封筒を押し付けてきた。中身を確かめてしまうと承諾(しょうだく)したと思われかねない。いずれにせよ、佳代子(かよこ)に黙って(ふところ)(おさ)めるわけにはいかない。自分の(つと)めは最後まで(まっと)うするべきだ。僕はそう判断した。

斎木(さいき)の意見を(あお)がないまま受け取るわけにはいきません。しかし、僕たちも最善を尽くすつもりでいます。ご安心してください。きっと相島(あいじま)さんもご満足していただけるはずですよ。祈りましょう」

 多田(ただ)納得(なっとく)していない様子だったが、茶封筒を押し返すと、渋々(しぶしぶ)ではあるが(ふところ)()まった。僕は悄然(しょうぜん)とする多田(ただ)の肩を軽く叩くと、(うるわ)しい祈祷師(きとうし)が待つ部屋に戻るために歩きはじめた。

 扉を開けると斎木佳代子(さいきかよこ)相島直和(あいじまなおかず)が向かい合ってソファに腰を下ろしていた。依頼人(いらいにん)は何やら熱心に(うった)えている。祈祷師(きとうし)は静かに(みみ)(かたむ)けている。相島直和(あいじまなおかず)は正体不明の頭痛に悩まされているらしい。話は大学病院の体制的な診察方法への不満から始まり、先祖の霊への供養(くよう)の作法にまで飛躍(ひやく)していた。

「とにかく、頭が痛くてしようがないのです。あまりに痛くて立っていられなくなることもあるくらいです。病院に行っても曖昧(あいまい)な答えしか返ってきません。あれですかね、何か悪いものにでも()かれているのでしょうか。最近は、そんなことばかり考えてしまって――。ご先祖(せんぞ)(さま)への供養(くよう)が足りていないのでしょうか」

 相島(あいじま)はしばらく立て板に水を流すように話し続けた。やがて、満足したのかスーツの胸ポケットからタバコを取り出すと火を(とも)した。紫煙(しえん)(うず)()いて()(のぼ)る。佳代子(かよこ)は黙ってそれを眺めていたが、相島(あいじま)が平静を取り戻した頃合(ころあ)いを見計(みはか)らって口を開いた。

「ご先祖(せんぞ)(さま)は満足なされていると思います。それよりも、相島(あいじま)さんの心の()(かた)の問題だと思います。気の持ちようということではなく、(たましい)純度(じゅんど)とでも申し上げましょうか。負の念が(よど)みとなって()まり、()しきものを(まね)いているのでしょう。清き水には聖なるものが、汚れた水には()しきものが集まり流れ込みます。まずは、祈りを(ささ)げて(まど)いを払いましょう。犬神(いぬがみ)(つか)わして負の念を追い払ってしまうのです」

 そういうと佳代子(かよこ)相島(あいじま)の手を優しく握ってみせた。彼の顔色は依然(いぜん)として青いままである。佳代子(かよこ)が立ち上がると共に、多田(ただ)がいそいそと働きはじめた。和室へと通ずる(ふすま)を開け放ち、種々雑多(しゅしゅざった)な道具を押し入れから取り出して丁寧に並べる。助手として彼を手伝うべきなのだろうが、僕には儀式の知識がない。ただ、相島(あいじま)の顔色の悪さだけが気になってしかたがない。そこで、佳代子(かよこ)にそっと近寄って耳打ちした。

「あの、これから祈祷(きとう)をはじめるのでしょうか。随分(ずいぶん)とご気色(けしき)が優れないご様子ですが、大丈夫なのでしょうか。日を改めるということもできると思いますが――」

 しかし、佳代子(かよこ)の返答はすげないものであった。彼女はきつと前を見据(みす)えたまま、ごく小さな声で答えた。

「あなたが気にする必要は、これっぽちもありません。立場を(わきま)えなさい。儀式を(おこな)うかどうかは私が決めます」

 斎木佳代子(さいきかよこ)は儀式の準備が整いつつある和室へと向かって歩きはじめた。僕は暗然(あんぜん)とした心持ちで、それを見送ることしかできない。胸の内に空いた穴に、()しきものが流れ込んでくる。そんな感覚に襲われた。

 (むな)(さわ)ぎがする。不吉なことが起きる気がする。これなら暑さを(しの)んで車中で待機(たいき)していた方が良かったかもしれない。相島(あいじま)のゼエゼエという荒い息遣(いきづか)いが、(いたずら)に大きく聞こえる。柱時計がポーンと三度続けて鳴り響いた。



 三、儀式


 四つの影がヌラリヌラリと座敷(ざしき)の壁を濡らしている。蝋燭(ろうそく)灯火(ともしび)が揺れる(たび)に壁に(えい)じた四人の影が不気味に(うごめ)くのである。真夏の太陽に焼かれた室内は人いきれのために()(かえ)るようだ。腋窩(えきか)から止めどなく汗が流れ落ちる感覚が不快だった。

十種神宝(とくさのかんだら)(ふる)(たま)へ。()神宝(かんだから)瀛都鏡(おきつかがみ)邊都鏡(へつかがみ)八握劔(やつかのつるぎ)生玉(いくたま)足玉(たるたま)死返玉(まかるがえしのたま)道返玉(ちかえしのたま)蛇比禮(へびのひれ)蜂比禮(はちのひれ)品物比禮(くさぐさのもののひれ)――」

 祝詞(のりと)奏上(そうじょう)する(をみな)を囲うようにして、僕たちは()して(てのひら)を合わせている。(おもて)を伏せるように叔母(おば)から命じられていたが、()()がる好奇心を(おさ)えることは難しかった。

 斎木佳代子(さいきかよこ)は神聖な儀式に(のぞ)んでいるつもりらしいが、俯瞰(ふかん)して見れば稚拙(ちせつ)(まが)(もの)であることは瞭然(りょうぜん)である。(じき)に好奇心は退屈(たいくつ)侵食(しんしょく)されていった。しかし、頭の隅に()()かる不吉な予感から、目を(そむ)けることもできないでいる。相島直和(あいじまなおかず)の顔色は依然(いぜん)として青い。

一二三四五六七八九十(ひふみよいむなやここのたり)布瑠部(ふるべ)由良由良止(ゆらゆらと)布瑠部(ふるべ)(きわめ)(きたな)きも(たま)りなければ(きたな)きはあらじ。内外(うちと)玉垣(たまがき)清浄(きよくきよし)(もう)す」

 壁に(えい)じた一つの影がぐらりと揺れて消えた。一心不乱に祝詞(のりと)を唱える祈祷師(きとうし)は、それに気が付かない。()ぐに相島直和(あいじまなおかず)が倒れたのだと(さと)ったが、それを指摘して良いのか、判断するまでに少しだけ時間を(よう)した。(おもて)を伏せて祈りを(ささ)げているため、多田(ただ)朔太郎(さくたろう)も動こうとしない。

 さんざん、逡巡(しゅんじゅん)したすえに横たわる男に向かって膝行(いざ)()った。そっと声を掛けたが返事はない。ようやく、異常な事態(じたい)(おちい)っていることを(みな)(さと)った。多田(ただ)叫喚(きょうかん)が耳を(つんざ)かんばかりに響いた。

「息してない。息してないよお」

 相島(あいじま)の顔色は青紫(あおむらさき)に染まり、早くも鬱血(うっけつ)のために浮腫(むく)みはじめている。蝋燭(ろうそく)(とぼ)しい明かりの(そば)でもはっきりと見て取れた。多田(ただ)はさめざめと泣きしきるばかりで役に立ちそうにない。僕も足を(もつ)れさせながら、叔母(おば)(もと)へ駆け寄って(うった)えた。

叔母(おば)さん、相島(あいじま)の野郎が死んじまった。死んじまったんだよ。息してないんだよお」

 僕は叔母(おば)華奢(きゃしゃ)な肩を(つか)み、震える声で叫んだ。しかし、佳代子(かよこ)(うつ)ろな眼で中空を見詰めるばかりで、一向(いっこう)手応(てごた)えが感じられない。しばらくの間、僕は叔母(おば)の肩を(つか)んで揺さぶっていたが、やがて彼女が何かを口の中で(つぶや)いていることに気が付いた。

(はら)(たま)へ、(きよ)(たま)へ、(かん)ながら(まも)(たま)へ、(さきわ)(たま)へ。犬神(いぬがみ)よ、(いの)りを(かな)(たま)へ」

 佳代子(かよこ)は遠くを見詰めたまま、小さく祝詞(のりと)を唱え続けている。多田(ただ)は男の遺体の前で恐慌(きょうこう)状態(じょうたい)(おちい)っている。僕が彼らを導かなければならないのだろう。

 僕は座敷(ざしき)を後にして、救急車を呼ぶために電話を探しはじめた。電話は玄関のサイド・デスクの上にあった。受話器に手を伸ばそうとした途端(とたん)に、多田(ただ)朔太郎(さくたろう)怒鳴(どな)りながら(はば)んできた。受話器は叩き落とされて床に転がっていった。

「どこに電話を掛けるつもりですか。もう、手遅れです。相島直和(あいじまなおかず)は死んでいます。あの男がここに来て死んだことが露見(ろけん)したら、きっと、もっと面倒(めんどう)事態(じたい)になります。助けを呼ぶことなどできません」

 多田(ただ)朔太郎(さくたろう)は半狂乱になりながらも、大体(だいたい)ではあるが、そのようなことを()くし()てた。どうやら、二人の間には相当に後ろ暗い事情が横たわっているらしい。そういえば、相島(あいじま)は暴力団の構成員であると言っていた。その友人である多田(ただ)も、叩けば(ほこり)の出る身の上なのだろう。大事になることを恐れる気持ちも理解できないわけではない。

多田(ただ)さん、あんたにとって災難(さいなん)結末(けつまつ)かもしれないが、大局(たいきょく)を見れば、するべきことは決まっているようなものじゃないか。これは僕たちの()(あま)る状況だ。誰かが相島(あいじま)を殺したわけじゃないんだ。調べれば分かることじゃないか。今すぐ、誰かを呼ぶべきだ」

 僕の説得(せっとく)を聞いても、多田(ただ)(うべな)おうとはしない。捜査(そうさ)当局(とうきょく)に調べられたら不利になるような要因があるのかもしれない。でも、それは彼にとっての重大事であって、僕には関与(かんよ)しないことでもある。しばらく、二人の男は()問答(もんどう)を続けたが、議論は平衡(へいこう)したままで、(らち)()きそうになかった。

「先生のご意見を伺いましょう。先生なら良い知恵を(さず)けてくれるに違いありません」

 突如(とつじょ)多田(ただ)が叫んだ。その面には(しゅ)()し、感情が昂揚(こうよう)していることは一目瞭然(いちもくりょうぜん)だった。だが、僕は彼の間歇的(かんけつてき)ともいえる感情の起伏(きふく)に、ある種の病質(びょうしつ)な影の端を見ていた。一人の男の死をきっかけに、(みな)が少しずつ狂いはじめていた。無論(むろん)、そこには僕も含まれている。

 ――斎木佳代子(さいきかよこ)の判断力は(にぶ)っているが、理がこちらにあるのなら、説き伏せることも可能なはずだ。多田(ただ)朔太郎(さくたろう)の保身のために、(みずか)(どろ)(かぶ)るほど(おろ)かではないはずだ――

 僕たちは(たが)いに牽制(けんせい)()いながらも、いまだに熱気の漂う座敷(ざしき)に踏み込んだ。佳代子(かよこ)相島直和(あいじまなおかず)の死体の前に屈んで、(てのひら)を合わせて祈りを(ささ)げている。死者を(とむら)っているのだろうと思ったが違った。

 佳代子(かよこ)神棚(かみだな)(かざ)っていた(さかき)を手に取ると、相島(あいじま)強張(こわば)った肉体を激しく打つすえはじめた。僕はついに彼女が正気(しょうき)(いっ)したのだと思い、慌てて近づくと手から(さかき)を奪い取った。彼女は(うら)みがましい眼差しで、僕を(にら)みつけると()えるように言い放った。

「何をするのです。あなたは大変な思い違いをしているのです。相島(あいじま)さんの霊魂(れいこん)は、まだ近くをさ迷っています。犬神(いぬがみ)(おろ)ろして、彼の肉体を蘇生(そせい)させるのです。さあ、あなた方も祈りを(ささ)げなさい。邪魔(じゃま)()ては(ゆる)しませんよ」

 多田(ただ)朔太郎(さくたろう)は僕の手から(さかき)(たば)をもぎ取ると、憤然(ふんぜん)と直立している斎木佳代子(さいきかよこ)(うやうや)しく差し出した。僕は一連の光景を呆然(ぼうぜん)と見詰めることしかできなかった。

 多田(ただ)は冷たくなった相島(あいじま)の手を取り、涙を流して祈っている。死者の肉体を打つ音が(うつ)ろな空間に鳴り響く。あまりの恐ろしさに部屋から逃げ出した。信じているのだ。あの二人は死者が蘇生(そせい)することを疑っていない。

(はら)(たま)へ、(きよ)(たま)へ、(かん)ながら(まも)(たま)へ、(さきわ)(たま)へ。犬神(いぬがみ)よ、(いの)りを(かな)(たま)へ」

 佳代子(かよこ)多田(ただ)(うな)るような祈祷(きとう)の声が(ふすま)の奥から聞こえてくる。死体を鞭打(むちう)つ音と共に聞こえてくる。視界がグルグルと回り、得体(えたい)()れない恐怖と疲労のために、立っているのもままならなくなってきた。

 ――狂っている。世界が狂っている。どうにかしないと、僕までおかしくなってしまいそうだ。僕は恐怖を感じている。退屈(たいくつ)など微塵(みじん)もしていない。これほどまでに恐ろしさが力強いものだとは知らなかった――

 いまや、僕の身体は恐怖によって屈服(くっぷく)させられていた。背中を壁に(あず)けて座り込んでしまう。この機会を逃してはならないと脳裏(のうり)で警告音が鳴っている。だが、意に反して肉体は動こうとしない。神経は極度に緊張し、今にも音を立てて切れてしまいそうだ。

 数分後、(ふすま)の内側で鳴り響いていた音の一切(いっさい)が止んだ。座敷(ざしき)の引き戸が静かに開けられ、誰かが跫音(きょうおん)(しの)ばせて、近寄ってくる気配がする。しかし、(おもて)を上げる気力も残されてはいない。

 突如(とつじょ)、後頭部を(したた)かに打たれて視界が暗転(あんてん)した。二度、三度と殴打(おうだ)が続き、(つい)には意識を手放した。暗闇へと急降下していく感覚。多少(たしょう)の痛みは(ともな)うものの、それはとても心地良(ここちよ)い感覚だった。



 四、禊


 冷水(れいすい)を浴びせ掛けられて目を()ました。意識を取り戻すとともに、ひどい頭痛に(さいな)まれることになった。もう一度、冷水(れいすい)を浴びせてほしいと願ってしまうほどに頭が(にぶ)く痛む。

 視界が白い皮膜(ひまく)(おお)われているような感じがする。乳白色の(かすみ)が視界を(せば)めているみたいである。薄ぼんやりとして(よう)として知れない。ひどく明るい場所にいることだけは分かった。おそらく、浴室だろう。

柳原(やなぎはら)さん、目を()ましましたか。このような手荒い方法を()ったことを(ゆる)してちょうだい。これは身を(きよ)めることも()ねているのですよ」

 乱暴とはそぐわない(うるお)いのある優しい声の主は叔母(おば)佳代子(かよこ)である。あれから、どれくらいの時間が経ったのだろうか。

 身体が椅子に(しば)()けられているために自由が()かない。それほどの膂力(りょりょく)が彼女にあるとは思えない。一連の暴行は多田(ただ)仕業(しわざ)なのだろう。(かすみ)がかった脳髄で、そんなことを考えた。

叔母(おば)さん、まだ遅くはないはずだ。今からでも警察に行こう。死人が(よみがえ)るわけがないことくらい分かるだろう。僕たちはよくやってきたと思う。でも、もう、終わりにしよう」

 罵声(ばせい)とともに冷水(れいすい)を浴びせ掛けられた。視界を(おお)っていた乳白色の(きり)が晴れる。(ひたい)に血管が浮くほどに激昂(げっこう)した多田(ただ)朔太郎(さくたろう)口端(こうたん)(つばき)(あわ)()ばしている。一方、斎木佳代子(さいきかよこ)は一応の冷静を(たも)っているように見える。いずれにせよ、説得(せっとく)は難しいように思えた。

「この不心得者(ふこころえもの)が。先生の御力(みちから)(うたが)うどころか、(けな)すようなことを言いやがる。お前みたいな不信心(ふしんじん)(やから)がいるから、俺たちが(むく)われないのだ。相島(あいじま)さんは(よみがえ)る。先生が(よみがえ)らせてくださるのだ」

 多田(ただ)は完全に正気を失っている。血走った眼球をぐるぐると渦巻(うずま)かせている様子は狂人そのものである。しかし、僕の恐怖は叔母(おば)佳代子(かよこ)に向けられていた。この狂人を容易(たやす)手懐(てなず)けてみせるまでに、彼女は徹底(てってい)して役を演じているということになる。その(はか)()れない(ごう)(ふか)さが恐ろしい。

多田(ただ)さん、かまいませんわ。この方の内側には邪念(じゃねん)が満ちて(あふ)(かえ)りそうになっているのです。()ぐにでも(みそぎ)()(おこ)なう必要があります。邪気(じゃき)が彼を(まど)わせているのです。言葉を聞いてはなりません。心を強くお持ちなさい」

 佳代子(かよこ)目弾(めはじき)合図(あいず)にして、多田(ただ)がいそいそと働きはじめる。(なわ)(しば)られた身体が椅子(いす)ごと反転させられた。視界から佳代子(かよこ)の姿が消える代わりに、なみなみと水が張られた浴槽が現れる。

 突然(とつぜん)、後ろ髪を(つか)まれたと思いきや、浴槽に(そそ)がれた水の中に頭を突き入れさせられた。佳代子(かよこ)祝詞(のりと)が遠くで聞こえる。

(きわめ)(きたな)きも(たま)りなければ(きたな)きはあらじ。内外(うちと)玉垣(たまがき)清浄(きよくきよし)(もう)す」

 鼻と口から水が流れ込み、次第(しだい)に意識が薄れていく。後頭部を(おさ)えていた手から力が抜けたのを(さいわ)いに、急いで水中から(おもて)を上げて息をする。しかし、すぐさま水中に押し戻されてしまう。

 執拗(しつよう)(みそぎ)が何度も()(かえ)された。(おぼ)れる一歩手前で救われ、救われた途端(とたん)(おぼ)れさせられる。地獄(じごく)呵責(かしゃく)が何時間も続いた。(ある)いは十数分間ばかりのことだったのかもしれない。多田(ただ)がゲタゲタと笑いながら言う。

(まい)ったか、この野郎。(けが)れに満ちた不信心者(ふしんじんもの)め。もっと水を飲ませてやろうか。臓物(ぞうもつ)の隅々(すみずみ)まで(どろ)()()んでいやがるのだろう。そら、(どろ)()かせてやる。()け、()くんだ」

 多田(ただ)は明確な悪意をもって暴力を(たの)しんでいる。僕に残された勝算(しょうさん)(かす)かなものであったが、彼が嗜虐心(しぎゃくしん)()(ふと)らせれば好機(こうき)が訪れる可能性も高くなるはずである。そして、(つい)に機会が(めぐ)ってきた。

「もう、そろそろいいでしょう。(なわ)()いてやりなさい。(みそぎ)の効果も(あらわ)れる頃合(ころあ)いでしょう。邪気(じゃき)が払えていないようなら、また、(はら)いの儀式を(おこな)います」

 佳代子(かよこ)(みそぎ)()めることは分かっていた。彼女は賢い女性である。たとえ、(まど)っているとしても、自身が(つと)めるべき役割を彼女は決して見失わない。佳代子(かよこ)の目的は死体を作ることではないし、優秀な助手をみすみす手放したくはないはずだ。ましてや、相島(あいじま)の死体を処理するつもりなら、明らかに多田(ただ)では役不足(やくぶそく)である。彼女は必ず打算(ださん)する。いつになるかは分からないが、その時は確実に訪れるのである。

「あ、何かブツブツと(つぶや)いてやがる。聞こえねえよ。はっきりと(しゃべ)りやがれ」

 (なわ)()かれるとともに、わざと声をひそめて略拝(りゃくはい)祝詞(のりと)を唱えはじめた。半死(はんし)半生(はんせい)手負(てお)(びと)らしく振舞(ふるま)ってみせる。

 多田(ただ)横面(よこづら)徐々(じょじょ)に眼前に(せま)ってくる。(みじ)めな弱者の哀願(あいがん)期待(きたい)して彼は(みみ)()ませる。肉がついて、白くだぶついた首筋が見えた。その時、佳代子(かよこ)が叫んだ。

多田(ただ)さん、危ないッ」

 犬歯(けんし)()()して、多田(ただ)朔太郎(さくたろう)(のど)(ぶえ)()()いた。(ふいご)を鳴らすような(たよ)りない息が音を立てて傷口から漏れる。流れ出る血潮(ちしお)が僕の口許(くちもと)をしとどに濡らした。(おびただ)しい量の血を飲みながらも歯を肉に突き立てる。頭を左右に振って肉を食いちぎった。

 やがて、多田(ただ)の身体が大きく痙攣(けいれん)し始めたが、五分も経たないうちに止まった。僕は獲物(えもの)をしとめる執拗(しつよう)さで白首(しらくび)に食らい続けた。一匹の(あさ)ましい(けだもの)がそこにいた。

(はら)(たま)へ、(きよ)(たま)へ、(かん)ながら(まも)(たま)へ、(さきわ)(たま)へ。犬神(いぬがみ)よ、(いの)りを(かな)(たま)へ」

 佳代子(かよこ)は静かに言うと、さめざめと泣きはじめた。彼女の(みじ)めな姿を横目に見ながら、僕は血だまりの浴室を後にした。

 脱衣所の(とびら)を開けると強烈な腐敗臭が鼻を打った。部屋中が()風呂(ぶろ)のような熱気に()められている。臭気の発生源は容易(ようい)に想像できたが、それを確かめるほどの勇気はない。

 白いシャツは血に染まり、髪は水に濡れていたが、さほど気にすることもないまま、惨劇(さんげき)のマンションを出た。街は(よる)(とばり)()りて久しいらしい。(ぎん)(ぼん)のような満月が天空にぽっかりと浮いている。一体(いったい)全体(ぜんたい)、どれほどの時間が経っているのだろう。二日か、三日かもしれないし、一日にも満たない(わず)かな時間なのかもしれない。

 僕は疲労のためにおぼつかない足取りで街をさ迷い歩きはじめた。どこを歩いているのかは知らないが、どこへ行くべきなのかは明らかだった。運が良ければ、僕の身なりを見て、向こうの方から(むか)えに来てくれるかもしれない。まさに、喪家(そうけ)(いぬ)という(てい)たらくである。

 多くのものを失った気がしてならない。一滴の涙が頬を伝って落ちたが、その理由は自分にも分からない。ただ、惨劇(さんげき)の外では退屈(たいくつ)な日常が平然(へいぜん)と広がっているという現実が(にく)たらしい。生きているということがバカバカしくなってくる。全ての現象が薄っぺらい贋物(がんぶつ)のように思えてならない。現実(げんじつ)虚構(きょこう)遠近(えんきん)が失われていくような感覚に襲われた。

 それにしても、ここはどこだろう――。どうやら、喪家(そうけ)(いぬ)は本当に道に(まど)ってしまったらしい。



 五、ある雑誌記事の抜粋


 北九州市で猟奇事件発覚か?


 昭和六十二年八月九日、福岡県北九州市内の歓楽街(かんらくがい)血塗(ちまみ)姿(すがた)の男性・柳原良助(やなぎはらりょうすけ)(二〇)が徘徊(はいかい)していたところを警察官に保護された。言動は支離滅裂(しりめつれつ)であり、聴取に時間を(よう)したが、身体検査の結果、怪我を負っている様子はなく、危険物を所持しているわけでもないことが確認された。

 柳原(やなぎはら)の身体に附着(ふちゃく)した(おびただ)しい量の血液から、事件性があると判断した警察官は、柳原(やなぎはら)を警察署に連行して、詳しい事情聴取(じじょうちょうしゅ)(おこな)った。

 事情聴取(じじょうちょうしゅ)の結果、柳原(やなぎはら)は北九州市内の住宅地である某マンションで殺人を犯したことを認めた。彼は夏季休校を利用して北九州市にアルバイトをしに来た大学生であり、土地に明るくなかったために、惨劇(さんげき)()(ひろ)げられたというマンションを特定するまでに時間がかかったようだ。

 同年八月十二日、警察は市内の某マンションに踏み込んだが、あまりに凄惨(せいさん)な現場の様子に驚愕(きょうがく)したという。部屋中の窓が閉め切られていたため、現場は異様(いよう)な熱気に包まれていた。三人分の死体が発見されたが、熱気にあてられたせいで腐敗の進行が(いちじる)しく、()(かえ)るほどの臭気が満ちていたという。

 すぐに遺体の身元調査(みもとちょうさ)(おこな)われた。調査の結果、三人の遺体は、相島直和(あいじまなおかず)さん(三〇)、多田(ただ)朔太郎(さくたろう)さん(三〇)、斎木佳代子(さいきかよこ)さん(五二)のものと判明した。

 マンションの持ち主である多田(ただ)さんの遺体の損壊(そんかい)は激しく、三人の中で唯一(ゆいいつ)、他殺された形跡(けいせき)が残されている。また、相島(あいじま)さんは病死、斎木(さいき)さんは自殺していることが確認された。各々(おのおの)の死因が(こと)なる点が、この事件の全貌(ぜんぼう)複雑(ふくざつ)怪奇(かいき)なものにしているといえよう。三人の関係性についても依然(いぜん)として疑問が残る。

 柳原良助(やなぎはらりょうすけ)の身体と衣服に附着(ふちゃく)していた血痕(けっこん)と、自宅マンションで惨殺(ざんさつ)されていた多田(ただ)朔太郎(さくたろう)さんの血液型が一致している。柳原(やなぎはら)多田(ただ)さんの殺害に関与(かんよ)しているか、現在調査中であるとの事である。柳原(やなぎはら)の証言は要領(ようりょう)()ないところが多々あるようであるが、自殺した斎木(さいき)さんと親戚関係であることが確認されており、先月七月から共に活動していた様子も目撃されている。柳原(やなぎはら)が働いていたというアルバイトが斎木(さいき)さんと関連している可能性もあると捜査(そうさ)関係者(かんけいしゃ)は言う。



 死体を蘇生(そせい)しようと奮闘する祈祷師(きとうし) 


 八月十二日に北九州市の某マンションで発見された死体遺棄事件に進展があった。事件は八月九日に同市内の歓楽街(かんらくがい)を血だらけの恰好(かっこう)柳原良助(やなぎはらりょうすけ)(二〇)が徘徊(はいかい)していたところを保護されたことから発覚した。

 柳原(やなぎはら)事情聴取(じじょうちょうしゅ)に対して、不明瞭(ふめいりょう)な返答を()(かえ)していたが、十二日に北九州市内の某マンションに死体が遺棄(いき)されていることを証言した。警察の調査によって三体の死体が発見されたが、三人の死因が各々(おのおの)(こと)なる点、三人の人間関係が不明瞭(ふめいりょう)な点から、捜査は難航(なんこう)していた。

 惨劇(さんげき)舞台(ぶたい)となったマンションの持ち主である多田(ただ)朔太郎(さくたろう)さん(三〇)を殺害した(うたが)いで柳原(やなぎはら)は身柄を確保されていたが、昨日十五日、正式に刑事告訴(けいじこくそ)されることとなった。また、同マンションで自殺していた斎木佳代子(さいきかよこ)(五二)との関係性についても新たな事実が発覚した。

 柳原(やなぎはら)斎木(さいき)は親戚関係にあることは確認されていたが、二人が霊感(れいかん)商法(しょうほう)によって利益(りえき)()ていたことも明らかになった。遺体として発見された、多田(ただ)朔太郎(さくたろう)さんと相島直和(あいじまなおかず)さん(三〇)は二人の信者であり、一同は儀式のために多田(ただ)さん(たく)に集まっていたようである。また、多田(ただ)さんの家族は、この会合の直前に、朔太郎(さくたろう)さんの(すす)めで実家に帰省(きせい)している。家族は朔太郎(さくたろう)さんが信者であることを知らなかったようだ。

 事件は会合中に相島(あいじま)さんが急死したことから始まった。儀式の最中(さなか)のことだったらしく、斎木佳代子(さいきかよこ)相島(あいじま)さんを「祈祷(きとう)の力のよって、蘇生(そせい)させてみせる」と主張したと柳原良助(やなぎはらりょうすけ)供述(きょうじゅつ)している。また、柳原(やなぎはら)自身は反対したが、()()れられることはなく、蘇生(そせい)の儀式が進められたとも供述(きょうじゅつ)しているようだ。この三人の意見の対立が惨劇(さんげき)の原因となったという。

 斎木(さいき)多田(ただ)さんは蘇生(そせい)の儀式の失敗は、柳原(やなぎはら)が協力しなかった点にあると結論付けた。彼らは(みそぎ)(しょう)して、柳原(やなぎはら)執拗(しつよう)な暴行を(くわ)えたようである。命の危険を感じ取った柳原(やなぎはら)は抵抗したが、その際に多田(ただ)さんを殺害してしまったと自白している。また、柳原(やなぎはら)多田(ただ)朔太郎(さくたろう)さんの殺害を認めているが、斎木佳代子(さいきかよこ)の死亡については関与(かんよ)を強く否定してる。

 警察官らが現場に踏み込んだ時、部屋の中は異常なほど熱気が(ただよ)っていた。そのため、三人の遺体はひどく腐乱(ふらん)しており、少なからず、科学分析の(さまた)げとなっているといえるだろう。

 柳原良助(やなぎはらりょうすけ)は事件の加害者であると同時に、最後に残された()証人(しょうにん)でもある。事件の全貌(ぜんぼう)解明(かいめい)するためには、今後の彼の証言が重要となってくることだろう。しかし、捜査(そうさ)関係者(かんけいしゃ)の中には柳原(やなぎはら)供述(きょうじゅつ)整合性(せいごうせい)について疑問を(いだ)いている者も少なくない。真実は()()()ということになりそうだ。


 (了)


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