未完
書簡小説ですが、未完です。その上最終章しかありませんし、非常に短いです。あしからず。
最終章 我が畏友へ
拝啓。桜の花が煦々たる春光と映帯して静寧の観を添へ候。貴君は如何。生憎私は就職のため松山へ引越す事になりました。現金なもので、転居が決まつてからは郷にありながら懐郷の情に堪へない。二十二年もの間のらくらして起居した馴染の多い此土地を離れるのは淋しくつていけない。積重ねた段ボールは六畳の間に索莫の観を呈してゐるばかりか、数を増すに従つて茫漠たる暗愁を胸の中に鬱積させてゐるやうに感ずる。私は一週五日出勤で背広に決まりきつた皺を刻み、馴染は遠方で鼠に引かれさうな社会人的生活を四月から始めねばならない。春先の麗らかな日の光とは凡そ似つかはしくなく、私の胸中は陰々として冷たい。さうして、紙屑を丸めたやうに気がくさくさする時は、私は一体何のために生きてゐるのだらうと失望するのです。とは云へ、前途暗澹たるうちにも死ぬ気を持たないのは、ひとへに人との間の愛があるからです。愛こそは人生の最高意義であり最大至重のものではないだらうかと近頃思ふ。譬へ相当の社会的地位を有し非常な金満家にならうとも、誰をも愛さず、誰にも愛されないならば、それはなんと不人情な、下等な、退屈な人生だらう。ゆゑに私の人生に於て、貴君と交誼を結べた事は有難き幸福であつた。袖振り合ふも多生の縁とは云ひますが、袖を触れ合はせ、言葉を交はせ、思想、感覚が相通ずる貴君とは、一体前世でどれ程深い因縁で結びつけられてゐたのだらうかと考へます。さうして、現世でこれ程に同じ流れを掬む貴君とは、来世でもきつとまた袖を振り合はせる事が出来るだらう、一樹の陰で言葉に花を咲かせられるだらうと、こう思ふ。そうやつて二人の縁が連綿と続いていけばいいと希ふのです。
四年前、高等学校の卒業式前夜に貴君から短歌を頂きましたね。今、其返歌をしやうと思ひます。
花のごと 世の常ならば 契らねど 春の隣に 逢はんとぞ思ふ
春に桜の花が咲くやうな必然の運命で、また貴君と会ふことが叶うだらうと、呑気にしかし固く信じてゐます。どうぞからだを御大事になさつて下さい。敬具。
三月二十六日
岩田馨外