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私は机の上で先程の完成品を忘れぬ様にとメモを書いている。
これが先程のペンならばもう少し作業も捗っただろうか。改良点等をエル様に相談して量産しなければ。
エル様であれば色々と改善点も教えてくれるだろう。
メモを書き終えてグッと伸びをすると、まだ夕餉まで時間が有ったのでこれから何をしようか考える。
「ん~、今日はもう何かを作るには魔力的に少し心許ないわ。良い天気だし少し気分転換にお庭でも出ようかしら」
幸い、今日はとても良い天気だ。外に出ると何か良い案が浮かぶかもしれない。
アンバート家のお庭はとても素晴らしいので何度見ても再発見が有りそうだ。
そうと決まると、侍女にお願いして帽子を被り羽織りを着て颯爽と外に向かった。
お庭に出ると花々の良い香りに包まれ幸せな気分になる。
「本当になんて綺麗なのかしら…」
美しい花を近くで見ようと顔を近付けると、奥から人の気配がした。
声から男女が話しているのだと分かり、私が居ては気まずいだろうと身を翻した。
「エルフィングお願いです、もう一度婚約をやり直して!でなければ死んでしまうわ!」
キンと響くその声に足が止まる。
聞いてはいけない、と悪い予感がふつふつと湧き上がるのにその方向へと身体は前に進んでしまう。
行き着いてしまったそこには、女性に抱きつかれているエル様が居た。
「アリシアとりあえず、離れて…、、ロレッタ?」
目を疑ったが、エル様はその女性を淡々といなしている様に見えたので震える身体を押さえ付け冷静を保った。
その指は酷く冷たい。
エル様はその女性グッと押し戻して私の元へとスタスタと歩いてくる。
そして、私の肩を優しく包んだ。
その瞬間、その女性から物凄い形相で睨まれた。
「彼女が今の婚約者だ、もうすぐ正式に婚姻も済ませる。残念だが過去に戻る事は出来ない。だが、事情も有るだろう、客間を用意させる。今日はそこで寝ると良い。」
そう言うと彼は彼女に私と共に背を向け歩き出した。
私に付いてきていた侍女に指示を出していたが、私には余り聞こえなかった。
何が起きたのかよく分からないが、『大丈夫だ』と言われている気がして肩から伝わる温かさに安堵すると同時になんだか物凄く恥ずかしかった。
よく分からないまま、再び執務室へと来ていて前には温かい飲み物が置かれた。
「すまない、びっくりさせてしまっただろう」
エル様は自分の分のお茶を入れると隣の席に腰を下ろし、私の固く紡がれた手を握った。
心配そうにこちらを見ている彼は見たことの無い位に眉を下げていた。
「あの方は…?」
漸く声が出たかと思えば何とも味気ない言葉が出てしまう。何となく他に言いようがあった気がする。
「あぁ、彼女はカダルアン公爵の御息女で……俺の元婚約者だ。知っての通り、駆け落ちをしたのだ。公爵家からは絶縁されているらしく、平民として暮らしていたがどうやら耐え切れずに逃げて来たらしい」
「でも、もう何年も経っていますよ?今更というか…」
握られた手が熱い。まるで浮気を疑っている妻に説得をしているようではないか。
実際似た様なものだが、疑っている訳では無いので疑問ばかりが目に付く。
あれだけ大声だったのだ。確定に近い予想はしていた。彼が元婚約者だと言った時に、やはりと思った。私は彼女の事を許した訳では無い。彼女はエル様なら助けてくれるだろうと高を括りやって来ている。
モヤモヤとした。先程抱き着いていた事もそうだが、彼の心を長年乱した張本人が何を今更、と今まで感じた事の無い熱い怒りが湧いてきた。
「それなんだが、要約するとやっと目が覚めて関係を修復したいと言ってきた。彼女はもう貴族では無いし、俺には君がいる。勿論断ったが、何やらそれだけでは無い気がする。ちらりと見えただけだが、彼女の腕には多数の打撲痕が有り、酷く憔悴しているように感じた。今追い返すのは得策では無いと判断したのだが…、君が嫌で有ればお帰り頂こう」
「…っ!?」
私は直ぐに返答する事が出来ず俯いてしまう。多数の打撲痕や彼女の様子はまじまじと見ていないので私には分からなかったからだ。
そして、何時もなら優しいエル様の事だ。私が居なければ彼女を助けてあげていただろうが、私のことを考え、私のことを尊重してくれると言ってくれている。
その眼差しに、少しの熱を感じた。




