閑話 ある内務官の呟き
俺には尊敬する人が三人居る。
まずは両親。二人とも人格者で、俺を大切に育ててくれた。俺も子どもを大切にしようと誓っている。
そして、もう一人は同僚のエルフィング=アンバート侯爵だ。
次期宰相候補筆頭の若き天才。
真面目で勤勉、そして仕事も早い。いつも眉間に皺を寄せていて、笑った所なんて見た事が無い。
だが、誰かに厳しいという訳でも無く自分だけを律し淡々と仕事をこなすのだ。
侯爵という地位に独身で容姿端麗、頭脳明晰という事で女性陣からの人気も高い。正直、羨ましい程に。
それでも、女性の誘いに乗っている侯爵を見た事が有る人が居ないのだ。寧ろ、辟易している様に見える。
難攻不落の侯爵。
この超優良物件を獲得しようと様々な女性が様々な理由でここに訪れるが、侯爵は頑固とした態度でお帰りをお願いしている。
そんな侯爵に最近婚約者が出来たそうだ。
ロレッタ=キルフェット嬢。
キルフェット伯爵の娘で、病弱な為に社交界で彼女を見た人は殆ど居ない。
大人になり、体調も安定して来た為に今回侯爵の婚約者に選ばれたのだという。
しかも、聞く所によれば二人は大恋愛中なのだそうだ。
彼女のお披露目パーティーに呼ばれた知り合いが、目を爛々とさせて二人の馴れ初めを語ってくれた。
あの侯爵が?
始めは疑心暗鬼になっていた。まるで作り話の様な馴れ初めに違和感が有った。
だが、どうだ?
「はぁ………」
今日何回目だろうか。
先程、噂のキルフェット嬢がここに届け物が有るとやって来た。
彼女はとても可愛らしく、守ってあげたくなる様な儚い女性だった。
しかし、どうやら道に迷ってしまった様で侯爵を目の敵にしているババガント様に偶然道を教えて貰い、更に好意を持たれてしまった。
侯爵のあんな焦った姿をこれ迄見た事が有ったか?
そして、侯爵はなんと彼女に優しく笑いかけたのだ。
あの侯爵が、キルフェット嬢には笑顔を見せる。
これは噂もあながち間違っていないのではないか、と思った。
そして、彼女を見送りに出て内務室に帰って来たと思えば溜息ばかり。
しかも、自分の机に座る迄に何度も壁にぶつかっていた。
一瞬、侯爵の中身がすり替わったのではないかと心配になった程だ。
何か有ったとしか思えない。
俺は身分が低い為にババガント様から侯爵を助ける事が出来ず、いつも歯噛みしているのだが今日はもうババガント様はここには居ない。
「侯爵、少し休憩なさって下さい」
そんな状況下でも何故か手はバリバリと動いている彼を休ませたかった。
俺は温かい飲み物を侯爵の机に置いた。
「あ、あぁ。ありがとう…、美味しいな」
侯爵は一瞬ビックリしてから俺の目の前で一口飲んでくれて、そう言うとニコリと俺に笑う。
俺は同性だ。恋愛対象は女性。
だが、普段笑わない美麗な侯爵に微笑まれると鼓動が目一杯跳ねた。
まさか俺にまで笑いかけてくれるとは。
きっと、侯爵は相当弱っているのだろう。
同じ内務官の皆も二回も笑顔を見れるとは思っていなかったらしく、次々と立ち上がって「肩をお揉みします」だの、「疲れた時は甘い物ですよ」だので侯爵の周りには人集りが出来た。
「ど、どうした、皆。なんだか変だぞ」
まだ少しだけ悲しそうな顔でクスクスと優しく笑う姿は本来の侯爵の姿なのだろう。
今迄、何故知らなかったんだ。
皆、彼に世話を焼きながらウルっと来てしまっている。
侯爵に助けられている仕事は数知れない。
彼等もまた、いつかは侯爵を助けたいと思っていた者ばかりだった。
恐れ多くて、仕事の話以外話した事も無かった。雑談を挟める隙等皆無だ。
そういえば、お披露目パーティーの影響か今日はキルフェット嬢以外女性陣の襲来も無い。
恋多き俺が見た限りキルフェット嬢は明らかに侯爵に好意が有る。
ババガント様と普通に話していたという事は人柄も良いのだろう。
どうか、どうか幸せになって欲しい。
そう願うばかりだ。
エル様は恋愛面がポンコツなのです。生温かく見守って頂けたらと思います。




