決着
次の日からの鼓太郎は別人のように気合が入っていた。
それは鼓太郎の不用意な発言が理由…………というわけではなかった。
とにかく鼓太郎は死にものぐるいで一日一日を噛み締め、必死に特訓した。
最初は、流されるように始めた備えは、はっきりとした目標を見据えることで、鼓太郎は一日経つごとに飛躍的に成長した。
「いよいよもうすぐだな」
そしてついにその日がやってきた。決着まであと一時間。その前に、男と鼓太郎は最後の組手を行うことになった。
「いいか、軽くだぞ?」
男は下手に身体を動かさず、軽めのストレッチだけをするつもりだった。けれど鼓太郎は少しでも感覚を掴んでおきたいといって聞かなかった。
「……ええ、分かってますよ」
鼓太郎はいやに落ちついた声を出した。これなら大丈夫そうだ。男はステップを踏みながら鼓太郎にジャブを――。
「うおっ!」
頬を何かがよぎる。鼓太郎の右拳だった。
「ちょっ、おまっ……!」
鼓太郎は一発では終わらさず、左右のコンビネーションを上手く使いワンツーを繰り出してくる。
男はそれを紙一重のところで避けるか防御する。
「くっ……!」
ガードした右腕が痛みを上げる。芯にまで響くパンチだった。
「…………シッ!」
鼓太郎は小さく息を吐き、男の左足に蹴りを食らわせる。これもまた段違いの威力だった。
いったい何を考えているんだ……? とてもアップの動きではない。鼓太郎は今までのどの特訓よりも、確実に鼓太郎を倒しにかかっていた。
「――このっ!」
攻撃を食らうたびに、男の中でもエンジンがかかり始める。半分は怒り、もう半分は喜びだった。
ぶっ倒す!
決着まで約十秒。その短い間、男は自らが抱えるものをすべて忘れ去った。
「――俺の勝ちですね」
「ああ、そうだな。よくやったな、見事だったぜ」
男は顔面すれすれで拳を止めた鼓太郎に賛辞の言葉を投げる。
反撃に転じようとした男であったが、その時にはすでに勝負は決まっていた。
鼓太郎は男が放とうとしたカウンターに対し、逆にカウンターをしかけた。
ただの偶然かもしれない。そもそも不意打ちで褒められるようなものでもない。男が少しでも気を張ってやっていれば結果はいつもどおりだっただろう。
それでも、どんなに汚く醜いと言われようが、勝ちは勝ちだ。男は決して言い訳を吐くことはしなかった。
「そのノリなら確実にあいつにも勝てるぜ。ただ、俺ほど油断はしねえだろうから、気をつけろよ」
なにはどうあれ、この勝利が鼓太郎の自信になってくれればいい。男は本番に向けてのアドバイスを送った。
「ありがとうございます。……でも、その必要はありません。もう、勝負は着きましたから」
「は? お前なにを言って…………ん?」
カチリ。
「ん? なんか今変な音が聞こえ…………つっ!?」
男は自分の両手首を見て絶句する。
「すいません先輩」
「え、ちょっ……マジで意味がわからねえんだけど!?」
ちゃちなおもちゃではない。限りなく本物に近いものだった。びくともしなかった。そんな男に対し、鼓太郎はぽつりぽつり語っていく。
「先輩には悪いんですけど、実は俺、早朝にすべて終わらせたんです」
「終わらせたって、何をだ?」
「琉歌先輩との、決闘です」
「は、はあっ!?」
予想外の言葉に、男は自分にかけられたもののことをすっかりと忘れてしまった。
「お、おま! ど、どういうことだよ!?」
「今日の十二時、ここで闘ったんです。……負けました」
鼓太郎は清々しい顔で答えた。
「そうか……ま、まああれだ! 意識はしてくれただろ?」
「そうですね。『強くなったな』って言われました。……嬉しかったですよ」
「よし、その調子だ! 今後もどんどんアタックしていけ」
鼓太郎を持ち上げることで、男は鼓太郎の悪ふざけをやめるように促す。しかし、鼓太郎は首を横に振った。
「いえ、アタックはもうしません。もう、十分です」
「十分ってお前……一度負けたくらいでいいのかよ?」
「ケジメみたいなものでしたから。もう、いいんです」
鼓太郎が何を言っているのか、男は全然意味が分からなかった。
「――分かった。とりあえず外せ」
「ダメです」
「おいこら、あんま調子乗ってっと、温厚で通ってる俺もキレっぞ」
「賭けの報酬です」
「え?」
「先輩が逃げ出さないように、捕まえておく。これが琉歌先輩の勝った時のお願いなんです」
「なんで、あいつがそんなこと――」
「それは、本人に聞いてください。……琉歌さん」
鼓太郎は一拍置いて腹の底から叫ぶ。更衣室のドアが開く。琉歌だった。
「琉歌、お前嫌がらせにしちゃ度が……え?」
琉歌の格好を見て、男は目を丸くする。制服、ジャージ、道着。基本、この三つの服装の琉歌は、今はなぜか淡いピンク色のカーディガンに白いスカートといった、女の子らしい格好をしていた。顔もすっぴんではない。化粧をしていた。
「……やはり、動きづらいものだな」
おぼつかない足取りで、琉歌は男の前まで進む。
「琉歌、お前いったい……」
「上城丈一」
琉歌は男の本名を口にする。その顔は紅潮し、声も裏声になっていた。
「…………」
鼓太郎は二人に気づかれないよう、道場を出た。空は清々しいほどの晴れだった。
「終わったな」
中から琉歌の声がする。
それは鼓太郎が最も聞きたかった言葉だった。
ここで犬童琉歌の章は終わりです
次はいよいよ最終章「上城丈一」です




