時として言葉の意味は大きく変わる
丈一と別れた後、敦はそのまま家に帰る気にもなれず、本屋へ寄ることにした。
「今年中にはか……」
その道すがら、敦はさっきの言葉を反芻した。
丈一の言うとおり、いつまでもこのままというわけにはいかない。青海が風太郎を想っていたのと同じくらい、自分だって来宮青海のことを想ってきた。
その風太郎はもういない。だから遠慮も我慢する必要はない。けれどやはり、ためらった。
それは「告白する」という行為というよりも、その後についてだった。たしかに今なら青海と付き合える可能性は、自惚れとか抜きにしても、敦が一番高い。
だが、仮にそれで付き合えることになっても、それは敦の求めていた「恋人」とはかけ離れている……そんな気がしたからだ。
「……はっ! クズだな俺……!」
一年前と変わらない。敦は「やらない理由」を探していた。そんなヘタレな自分に、吐き気がした。
「あーくそっ!」
考えれば考えるほど泥沼にはまるような感覚。敦は軽い頭痛を起こした。
「やっぱ帰って寝よう……」
とてもじゃないが本屋に寄る気分にならなかった。敦は帰って読みかけのラノベを読もうと、本屋の進路から外れて駅へ向かおうとした。
「あ、十島くん……!」
背後から声をかけられる。その聞き覚えのある声に、敦は立ち止まる。
「――よ、よお……来宮……!」
そこにいたのは、今はあまり会いたくない人物であった。
「偶然だな」
まさかこんなにも早く再会するなんて思ってもいなかった。敦は上ずった声で、青海に返事をした。
「あ、はい。それでは……きゃっ」
青海は無言でペコリと頭を下げ、そそくさと立ち去ろうとする。だが足早になってしまったせいか、青海は思い切りコケてしまった。
「だ、大丈夫か?」
敦は青海に手を伸ばし、立ち上がらせようとする。だが青海はその手を取らず、持っていた「何か」を守るようにして、慌てて立ち上がった。
「大丈夫です……痛っ!」
元気な声を出すも、顔は苦しそうだった。
「無理するなって。……ちょっとそこで待ってろ」
一瞬、ある方法を思いつくもそれを実行に移せるほど度胸はなかった。敦は駅前に置かれたベンチを指さし、あるところへ走って向かった。
「おまたせ……はい……これ……!」
久しぶりに走ったこともあり、敦は息を切らせ戻ってきた。敦は薬局で買ってきた大きめの絆創膏を、青海に手渡した。
「わ、わざわざ買ってきてくれたんですか……? お、お代はいくらでしょうか……?」
「そういうのは気にしなくていいから。ほら、早く」
余計なことは考えさせず、敦は青海に命じる。青海は頭を下げて怪我した箇所に絆創膏を貼った。
「あとはこれで冷やしとけ」
敦は自動販売機で買ってきた冷えた缶ジュースを青海に渡す。今度は青海は何も言わずに、それを絆創膏の上から押さえつけた。
「すいません、私がドジなせいで……」
「困ったときはお互いさまだろ」
「……十島くんって本当に『良い人』ですよね」
「……それはどうも」
普通なら喜んでいい褒め言葉。だが言われる相手によってこうも残酷なものになるとは知らなかった。
「来宮は何を買いに行ってたんだ?」
話を変えよう。敦は青海の持っている、紙袋に入ったものについて尋ねた。
「えっと……本です」
「まあそれは形状から分かるな。新刊?」
「……まあ、一応は」
「どんな内容?」
「……えっと……その……」
質問していく内に、敦は妙な違和感を覚えた。以前こういう質問をすれば、喜々として饒舌に語りだしていたが、青海は言いにくそうだった。
「そういえばそろそろ文化祭だな」
踏み込むのはまずい気がする。敦は再び話題を変えた。
「そ、そうですね……」
青海はほっとし息をつく。やはり触れられたくないようだ。
「おすすめ本の紹介を描けとか言われたけど、もう書いた?」
「あ、いえまだです……」
「ふうん、そっか。俺もだ」
会話が上手く続かない。それは青海だけのせいではなく、敦の方にもあった。
「……それじゃ、私は……」
先に立ち上がったのは青海だった。
「怪我は大丈夫そうか?」
「はい、歩くだけなら支障は無さそうです。ありがとうございました」
「それは良かった。……来宮」
敦も立ち上がり、先に立ち去ろうとした。
「あの、十島くん」
だが青海に呼び止められた。意外な展開に、敦はかなり驚いた。
「どうした?」
「あの……私……ずっと言いたかったことが……あるんです」
そわそわと青海は体を揺らす。その頬は若干赤みがかかっていた。
「……何?」
だがそれが自分が「望む答え」じゃないことは、言う前から分かっていた。敦は何の気なしという素振りを見せながらも、青海の言葉に耳を傾けた。
「色々と助けてくれてありがとうございました」
躊躇なく、青海ははっきりとお礼を言った。
「別に……大したことは教えてないだろ」
「そ、そんなことありません! 十島くんに色々と教えてもらわないと……私、あんなにも積極的に……なれませんでしたし……ずっと、根暗な女のままでした……」
「変われたのはお前が頑張ったからだよ。俺はほんのちょっと背中を押してやっただけだ」
本当はその背中すら押したくなかった。むしろ肩を掴み自分の方へ引き寄せたかった。
「――じゃあな」
これ以上お礼の言葉を言われると、精神的に耐え切れそうになかった。敦は若干苛立ちを込めた声で、青海に別れを告げた。