敵わない相手
惚れた女のために闘う……大喜鼓太郎は人生初にして最後の勝負をすることにした。
「鼓太郎、お前行かなくていいのか?」
放課後、学校を出てすぐのことだった。鼓太郎の親友はそんなことを訊いてきた。
「行くって?」
「先輩のところにだよ。前までは毎日通ってたじゃん」
「あー、最近勉強が忙しくてさ」
「その割には今一緒にゲーセン向かおうとしていないか?」
「……家で学ぶだけが勉強じゃないからだ」
「ふうん。ま、オレは別にいいんだけどさ。そうそう、昨日のテレビなんだけど――」
親友はそれには触れず、別の話題を振った。
「ああ、最高だったよな!」
鼓太郎はほっとしながら会話を弾ませる。
「それで、今日は何する?」
「音ゲー中心でいいんじゃないか? 格ゲーのところは異様に混んでるし」
「ちょっと前に面白い勝負があった影響なんだってよ。なんでもSP――」
「鼓太郎」
その時、だった。鼓太郎の動きは止まった。
……っ!」
肩を掴まれていた。あまりの痛みに、声を上げることもできなかった。鼓太郎はそのままぐいっと後ろに引っ張られた。
「……久しぶりだな」
引っ張った相手は同じ学校の女子生徒、犬藤琉歌だった。全身から汗が吹き出す。鼓太郎が最も会いたくない人物でもあった。
「ど、どうも……!」
なんとか声が出るものの、裏声になってしまった。
「――じゃ、じゃあな鼓太郎……!」
「ちょっ!」
その「圧」を感じ取ったのは鼓太郎だけではなかった。親友は逃げるように立ち去った。
「な、なんて薄情な奴なんだ……!」
「空気を読んでくれたんだろう。『久しぶりに二人きりで話せ』とな」
琉歌は鼓太郎の肩から手を離す。まだずきずきと痛みがあった。
「ど、どうしてここが?」
「そんなことは些末なことだ。鼓太郎、お前いったいどういうつもりだ」
質問には答えず、逆に琉歌は問い返す。その眼は獲物を捉えたライオンのようだった。
「……右膝の古傷がうずいてしまったんです」
頭に血がぶわっとのぼる。鼓太郎はほとんど無意識にそう答え、右膝をおさえるようにしゃがみこんだ。
「この前は左と言っていなかったか?」
「え? あ……そ、そう! 左をかばって右が犠牲になっちまったみたいなんです!」
「そうか」
「はい、そうなん――うおぅ!」
目の前に鋭い「何か」が向かってくる。鼓太郎は寸前のところで後ろに避けた。
「な、何するんですか!」
飛んできたのは琉歌の右拳だった。
「――ふっ!」
だがそれだけでは終わらない。短い呼吸と同時に琉歌は「利き腕」の左ストレートを放つ。
「…………」
目の前で拳が止まる。鼓太郎は恐怖もなにも感じることなく、ただ静止していた。
「今のは私に嘘をついたことに対する罰だ」
左拳を引く。そこで鼓太郎の金縛りは解けた。
「…………すいません」
ようやく、鼓太郎は謝った。誠心誠意謝った。
「……ふう、あのな鼓太郎。私は別に『来い』と強制するつもりはない。父は月謝さえ払ってくれているなら問題ないと言っている」
「はは、あの人の言いそうなセリフですね」
「だが私は違う。お金を無駄にするような行為、私は決して許さない」
燃えるような眼で鼓太郎を見る。鼓太郎は思い切り目をそらした。
「……分かりました。行きます」
拒否権なんてものはなかった。ここに琉歌が現れた時点で、鼓太郎が道場へ戻ることは必然だった。
「そうか、良かった!」
真剣な表情を一転させ、琉歌はぱあっと晴れやかな顔になった。
「じゃあ準備運動だ。道場まで走るぞ」
「え、ここから三キロはありますよ?」
「それがどうかしたのか?」
「いえ、なんでもありません」
鼓太郎はもう何も言わなかった。琉歌のあとを追うようにして走り出した。
「ふっ、ふっ、ふっ……!」
本人はジョギング感覚のつもりなんだろうが、鼓太郎は追うだけで精一杯だった。
「…………やっぱ……だ」
「何か言ったか?」
「いえ、何でもありません」
鼓太郎はペースを上げて琉歌を追い越す。
「やるな……だが!」
だがそれも一瞬のこと。少しペースを上げただけの琉歌にあっという間に追い越された。
「ふふん、どうだ!」
琉歌は子どものように無邪気に笑う。
「本当、マイペースな人だな」
一つ年上ということを時々忘れてしまう。厳しく近寄りがたいというところもあれば、子どものように負けず嫌いなところもある。
犬藤琉歌。
鼓太郎が通う道場の一人娘。そして、同じ学校の先輩。
そして、鼓太郎が好きだった女子だった。




