あの日あの時あった事
「……けっきょく、何もできなかったな」
夕食を終え、風呂に入りながら、氷介は一学期の終業式でのことを思い出していた。
夏休みに向けての注意や校長の長い話の終わりに、ある女子が壇上に立った。
『――大変かもしれませんが頑張ります』
その女子は氷介のクラスメイトだった。氷介は姿勢を正し、清聴した。
「すげえよな」
「あの歳でだもんな」
その女子は学校一の有名人といっても過言ではなかった。女子は今後の豊富を語っていき、最後にみんな拍手した。
「……」
すでに知ってはいた。だから氷介も女子に温かい拍手を送った。
拍手が鳴り止み、女子が一礼して壇上を下りようとした時だった。
壇上に男子生徒が登ってきた。
予想外の登場に、生徒はおろか教師たちも困惑し始めた。
そのどよめきを一蹴するがごとく、男子生徒は女子に向かって右手を伸ばし、とんでもない言葉を、女子に向けて放った。
一同、あっけにとられ言葉を失う。しばらくして女子生徒は男子生徒の右手をしっかりと掴み、
『……えっと……不束者ですが……よろしくおねがいします……』
戸惑い、恥ずかしがりながらも女子生徒は男子生徒の……「告白」を受け入れた。
『いよ! おめっとさんっ!』
氷介の近くで、誰かが祝福の言葉とともに拍手をおくる。それに連鎖するように、体育館内は拍手の嵐が起こった。
「……」
だが氷介はその嵐に加わることはなかった。気がつけば終業式は終わっており、氷介は自室のベッドにうつ伏せに倒れていた。
この出来事はあっという間に各地に伝わった。誰かが動画を撮影し、それが拡散されたからだ。
当然、それは氷香のいる中学校にもだった。
「すごい顔だったよなあ……」
鮮明にあの時のことが思い浮かぶ。すぐに氷介も教えてやればよかったのだが、その時氷介は自転車で旅に出ていて、家にいなかった。
けっきょく、氷香がすべてを知ったのは夏休み明けだった。
「――よし、準備万端!」
夏休みの間、氷香はあえて風太郎の情報を遮断し、部屋で恋愛ゲームをやりこみ、恋愛を勉強したらしい。
「ふふ……! ここからがあたしのターンッ!」
会えない時間が風太郎への想いを強くしたというのが本人談。氷香は氷介に風太郎の情報を求めた。
「……氷香、言うのが遅くなったが……」
氷介はかなり迷った末に、教えた。
「はは、その冗談笑えないよ?」
最初は信じなかった。だが氷介があの時の動画を見せると、顔色が一変した。
「ふうん……そう……なんだ……」
この世すべてに絶望したかのような、生気の抜けた顔になった。
その日から丸一日、氷香は部屋から出てこなかった。それ以降も部屋から出ることはあっても、ご飯かお風呂かトイレのみ。
あとはずっと部屋にこもりっきりだった――。