言葉にしないと伝わらない
名前に「氷」がつくことを、妹は喜んだ。だが兄である氷介は「冷たい」と思われる感じで嫌だった。
「氷介、今日という今日は分かっているだろうな……?」
涼しいというよりも肌寒くなってきた十一月中旬のことだった。陸奥氷介は教室で鹿島に肩をガシッと掴まれた。
「うん、鹿島の言いたいことは分かっているよ。だけど答えはいつも通り『ノー』だ」
氷介はにっこり笑顔をつくり、両手でバツを作って鹿島の誘いを断った。
「待って! 今回マジなやつなの! 俺の人生かかってんの!」
しかし鹿島は退かず、肩を力強く揺すって懇願した。
「じ、人生って……ただの合コンでしょ?」
「面子が足りねえと俺のメンツが立たねえんだよ~!」
「あっ、今のちょっと上手いね!」
「え、そう?」
「うん。でもそれとこれとは話が別」
隙を突いて、氷介は鹿島から手を離し、一歩後ろへ退いた。
「お、おまっ! 期待持たせやがって!」
再び突進してくる鹿島を、氷介は華麗にかわし一定の距離を保ち続ける。
「だいたいさ、俺を誘わなくてもいっぱいいるでしょ。鹿島、交友関係広いんだから」
頼られることそのものは、悪い気はしない。だが氷介は「個人的な事情」もあって、鹿島に別の男子に当たるよう、説得しようとした。
「いやまあそうなんだけどね? 俺のダチは基本、下品でスケベェな奴が多くて、がっつきまくるからダメなんだよ。それに今回の相手、四津女だしよ! お前みたいな爽やかイケメンが必要なんだよぉ~!」
このままだと土下座すらしかねない感じだった。そうまでなるといっそう断りにくくなる。
「ちょっと鹿島! 陸奥くん困っているでしょ!」
そこに割って入ったのは隣の席の女子、青木だった。
「うるせえ! これは俺と氷介の問題だ! 女が口出しするんじゃねえ!」
「あんたの邪な計画に、陸奥くんを巻き込むんじゃないわよ。……あ、それとも陸奥くんが一緒に行けば、ワンチャンあるとか思っているの? ぷっ、誰もあんたになんか見向きしないわよ」
言葉という名の矢が次々と鹿島に突き刺さる。鹿島は大げさに効いたフリをした。
「……二人は仲がいいね」
「よく」「ないっ!」
しっかりとハモった。鹿島と青木は舌戦を繰り広げる。
「…………あのさ」
今度同じようなことがあった場合と、氷介は密かに用意しておいた作戦に出ることにした。
「実は俺……彼女いるんだ」
教室内が一気に静まり返ったような気がした。氷介は気づいていないが、クラスの女子の半数以上が氷介の方に視線を向けていた。
「え、おまっ……うっそやろ?」
ガチガチと歯を鳴らし、鹿島は目を丸くする。
氷介はスマホを取り出し、ある写真を見せる。
「うっわ可愛い……!」
「すごい……!」
スマホ画面に目を向ける鹿島と青木。そして後ろからそれを見る女子たち。
そこには氷介と、氷介と手をつないだ少女がいた。
「ということなんだ。だから、行けない」
スマホをしまう。これで今後誘われることはないはずだ。だが、
「それ、妹の氷香ちゃんじゃね?」
誰かが空気を読まず、そう言った――。
「……はあ」
氷介は肩を落としながら、重々しい足取りで家に帰っていた。
「なんであんなことしたんだろ……」
安易な思いつきを実行に移すものではない。氷介は激しく後悔した。
男子の何気ない発言は、すぐに教室内の空気を重くした。
「え、禁断愛……?」
鹿島は大きく誤解した。
「ち、違う違う!」
女子たちから好奇と嫌悪、半々くらいの視線を送られる。氷介は慌ててその誤解を解いた。
なんとかその誤解は解けた。だが鹿島は「そんなに嫌かよ」と文句を言われた。氷介は鹿島の機嫌を直すため、代わりのメンバーを絶対に紹介すると誓った。鹿島はすぐに元気になった。
「ちゃんと断ればよかったな……」
下手な嘘は逆効果になるということが、今回のことで分かった。氷介は今後同じようなことになったら、本当のことを言うことにした。
「それにしても……」
氷介は歩いている内に、「合コン」について考え始めていた。
軽薄で浅はか。それが氷介の「合コン」に対するイメージだった。しかし鹿島のあの必死な顔を見ていると、一概にそんな風にまとめるのもどうかと思った。
過程はどうあれ、鹿島は「本気」で彼女を作ろうとしている。その気合は評価するべきだった。
「――いやいや!」
すぐに氷介じゃ首を振る。自分が今考えていること、それは単なる――。
「っと、ただいま」
考え事をしている内に、家に着いた。氷介は靴を脱ぎリビングへ入る。
「あ……」
台所にいた人物を見て、氷介は思わず声を上げた。
「ただいま、氷香」
氷介は手を上げて、妹である氷香にあいさつした。
「……おかえり」
氷香は一言、無表情でそう返すと、冷蔵庫の中のプリンを取り出し二階へ上がっていく。
「氷香」
階段を登りきる前に、氷介は氷香を呼び止めた。
「……何?」
「スプーン、忘れてる」
氷介は手に持ったスプーンを差し出す。
「……」
氷香は何も言わずにそれを受け取り、自分の部屋へ入っていった。
「まだまだ……尾を引いているな」
気づいてから二ヶ月。氷香は一向に元気を取り戻せていなかった