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砂の種  作者: 晴日青
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 目の前の男の笑みが深くなる。

 一言も発することなく曲刀を弄ぶ様が不気味だった。獲物に恐怖を植え付けたいらしい。

 しかし、アザリーに不思議と恐怖はなかった。冷静とは言い難かったが、恐れを感じてはいない。

 一つ、恐れているとしたらここでビゼルを失うことだろう。

 特別な感情でも何でもなく、初めて会ったあの夜に拾った命をこんなところで失ってほしくないと思った。


「アザリー!」


 ふと気をそらした瞬間だった。

 右肩から左の腰にかけて刃が走る。

 一瞬で引かれた赤い線が急速に熱を持ち、逆に身体全体が冷水を浴びせられたかのように冷えていった。

 よろめいて、しかしアザリーは倒れなかった。

 二度、三度斬りつけられてもまだ彼はその場から動かない。後ろにはビゼルがいる。

 それだけがアザリーの思考を占めていた。

 致命傷を与えても未だ絶命することのないアザリーに苛立ったのかぞっとしたのか、これで終わりだと言わんばかりに盗賊の男はアザリーの左胸を貫いた。

 押さえても止まることのない赤い色が足下に広がり、地面に染み込んでいく。

 今度こそアザリーは倒れるはずだった。

 しかし予想に反して、彼は盗賊に向かって足を進める。

 盗賊の顔が引きつった。命を奪った感触は確かにある。何故、まだ生きているのか。

 アザリーは自らに突き立てられた曲刀を引き抜き、無造作に投げる。

 それが地面に転がった音を聞いて、やっと異常な状況をはっきりと理解できたのか、盗賊の男はよく分からない言葉を発しながら逃げ出した。


***


 目を開けるとアザリーは柔らかいとは決して言えない寝台に横たわっていた。

 寝台には赤い跡がついており、記憶に残る盗賊の襲撃が夢ではないことを如実に表している。

 アザリーは身体を起こし、ビゼルの姿を探す。

 ここがどこなのかは分からないが、こうして自分に手当ての跡があるということは、彼女も無事だということだろう。そもそも、とアザリーは案外丁寧に巻かれた包帯を外しながら考える。


「なぜ、僕は生きている?」


 激しい痛みと衝撃、溢れて止まらない命。

 左胸にある心臓を刃が貫いていく感覚も未だ生々しく残っている。

 まず、そこから刃を抜く記憶が残っているのがおかしい。なぜその状態で生きていたのか。

 包帯を外し終え、自分の身体を見下ろして、アザリーはぞっとした。

 身体のどこにも傷がない。何もなかったかのように、傷付いた痕跡がなかった。


「アザリー……」


 見ているものが信じられず、半ば放心状態だったアザリーの耳に、今となっては聞き慣れた声が入ってくる。

 顔を上げると部屋の入り口にビゼルの姿があった。

 足を怪我したのか、物に掴まりながらゆっくりアザリーのもとに近付く。

 信じられないものを見る様子はなかった。

 彼女が彼をここに運び、包帯を巻いたのだとしたら既に異常に気付いていたとしてもおかしくない。


「本当に、生きているのね」


 寝台のそばに椅子を引き寄せ、そこに腰掛けながらビゼルは言った。

 驚きも何もない。ただ彼女は確認していた。

 そしてその一言に、アザリー本人もやっと現実を受け入れる。

 あの時一度死んだのか、そもそも死んでいなかったのかは分からないが、自分はあの襲撃を受けてなお生きているということ。それは奇跡でも何でもなく、異常なのだということ。


「傷がないんだ……」

「……うん」


 ――あの後のことをビゼルは語る。


 盗賊が逃げて、ビゼルはアザリーに駆け寄った。

 自分の代わりに散った命に張り裂けそうな悲しみを感じながら、赤く濡れた身体を抱き締める。

 違和感はそこで訪れた。

 徐々に冷たくなっていくものだと思っていた身体は未だ熱を持ったまま、何気なく首筋に手を乗せると鼓動が感じられた。

 勘違いかと思いながら傷に目をやると、最初の一太刀の痕がもう消えている。

 まさかと信じ難い思いを抱きながら服を裂き、背中まで刃の通った左胸の傷を探す。

 しかし、そこにも傷はない。

 確かに自分の手は彼の命で赤く濡れているし、刃が彼を裂く瞬間を目の前で見ている。

 なのに、今意識のないアザリーは眠っているかのように安らかな呼吸を立て、受けたはずの傷は一つ残らず消えている。

 現実では起こり得ない何かが起きたのだと頭を切り替え、ビゼルはひとまずアザリーを自分の家まで運ぶことにした。

 幸い、そう遠くもない。自分より頭一つ分は背の高いアザリーだが、なんとか運べるだろう。

 まともに動くのが右腕くらいだったため、アザリーをほとんど引きずることになってしまう。

 運よく他の盗賊には出会わず、うまく動かない足を動かしながらも、ビゼルは彼を自宅まで運ぶことができた。

 荒くなった息を整えてから、一応傷のあった場所に包帯を巻く。

 もっと身体を拭ってやるべきだったと後になって気付いたが、そのときには疲れのためか、もう身体が言うことを聞かなかった。

 ビゼルはそのまま床の上で泥のように眠り、そして朝が訪れた。

 いつも通りの時間に目覚めたビゼルが水を汲みに行って帰ってくると、意識を失っていたアザリーが目覚めていた。

 まるで何事もなかったかのように。

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