闇夜の舞装
璃子は目を覚ました。受付の待合室の長椅子に崩れ落ちるように眠っていたらしい。外は暗い。さっきの敵の襲来から、数時間は経過したのだろう。
肩から滑り落ちる毛布に気づいた時、声がした。
「お目覚めのようね。まだ渡部璃子さんでいいのかしら」
少し分かりづらい言いまわしではあったが、それでも彼女ーこの病院の医師らしいーが私の事情を理解していることは察しがついた。
「この街はどうなった」
ふと口をついて出た言葉。
「もうクラガリの巣窟よ。退避していない人もいるけど、もう日が落ちれば外出もできない街」
受付窓口のカレンダーは目に入っている、ほんの一ヶ月。私が死んでから、どれだけ事態が急変したというのだろう。
そうだ、あの姫。
あの日、高校の後輩に憑依していたのは、たぶん、古代の守護戦士。対クラガリの専門家に見えたが、彼女も力尽きたのか。
とその時、強烈な悪寒が体を駆け抜ける。遠い叫び声。そうだ、多数のクラガリが夜の徘徊を開始したのだ。
「ついて来なさい」
その年齢不詳の女医が踵を返した。
ー付属病院屋上
説明される前に、璃子は状況を把握できた。大社や大寺が連なる外京に向けて、無数の気配を感じる。慎重に体内のクラガリを展開させ視力を高めると、病院の前にも数十のクラガリが「監視」任務についている。
副作用で赤く染まった璃子の視界の中で、その女医は俯き加減で口を開いた。
「最初はね、異変といっても多少行方不明者が増えた程度だったわ。この病院にも何人かクラガリの被害者が運ばれてきたけど、そうね、ここはもともとそういうことに慣れているから」
知っている。それどころか、ここは私が7歳までの間収容されていた、「隔離施設」だった。
「でもね。違ったのよ。不可思議に慣れすぎたこの街は気付かなかった。あれほど統制された侵略を、古代の妖魔が計画するとはね」「軍の治安出動が始まった時には、住民の数割がクラガリ化していたのよ」
そこからは想像に難くない。磁気嵐が常に警戒レベルにあるこの世界。もう母の世代のような、優しい時代ではない。
月が雲に隠れた。璃子のクラガリ特有の赤い瞳が輝く。急激に高まる視覚の解像度。
!
「奴らは。。。」
「すごいのね。ここから見えるんだ」
医師は少し笑みを浮かべる。クラガリの医者だ。まともではないのだろう。
「あれが救出部隊のなれのはてよ」
循環路に沿って、外京を守るように展開するクラガリたち。そのどれもが、古代の妖魔らしからぬ武装をまとっている。
防護アーマー
銃火器
戦闘車両群
クラガリ毒が脳まで回ったのだろう。紅い瞳を狂気に光らせ、かつての救出部隊は今夜の贄を待ち構えている。
「彼らは生前の知識、能力をそのままに、クラガリになっている。そして、妖魔特有の身体能力が上乗せされてね」
(ああ、それはやっかいだな)
璃子はシニカルに呟いた。この状況では、街ごと焼き払う以外の「救出」はないだろう。隠してはいても、残る住民もクラガリ化が進んでいるのは間違いない。
「で、私の意識はあとどれくらいもつんだ?」
女医は息を飲んだ。何故それを聞く?この患者は自分の肉体はとっくに失われていること、ただ意識の残照が他人の肉体に憑いていることを知っている。
死への恐怖は共通だ。クラガリであれ、人間であれ。だからこれは実に興味深い「症例」だった。
少し考え口を開く。
「昨日の時点で、その肉体本来の意識が目覚め始めている。朝までには君は消し飛ぶだろう」
あえて無残な宣告にした。この街同様に、彼女には希望は残されていない。
璃子は満足そうに頷く。「月が隠れていて助かったわ。いい夜になりそうね」
女医は首を振る。狂気はお互い様だ。ただ、この娘は格が違うようだ。
「敵の本拠は、東大寺二月堂。蓮姫を救いたいなら、そこが目的地よ」
璃子は無邪気に笑う。そうだ希望はない。けれど生かされたことには意味があるのだろう。「医者は物知りだな」
サンガの弓を再び手に取ると、璃子は階段へと歩み去る。その時。。。
女医の姿が霞んだ。振り向く璃子の体に衝撃が走り、すぐに止む。
黒と紫の戦闘武装が夜風に舞う
(これは舞装!)
蓮姫さながらの技で、瞬間的に璃子の体に縫いとめられた古代の戦闘装束。
「患者をパジャマで退院させるわけにはいかないわ」
医者が、いや、久宝陽子が続ける。
「対魔色調を反転させた、高機動用の武装。クラガリの侵食を少しは食い止められるはずよ」
璃子は答えず、ただ呟く(あなたの娘は必ず。。。)
それが陽子が璃子を見た最後だった。
死装束を纏ったクラガリの姫はもう闇に消えていた。。。。