雨の日はいちろうくんと遊ぼう
小説投稿サイト『小説家になろう』の夏期限定企画『夏のホラー2015』に短編ホラー小説を投稿しようと決めて、ネタを考え始めたときに、まず思いついたのはいちろうくんの話であった。
今回の企画は学校がテーマだ。夏の企画でテーマが学校となれば、やはり学校の怪談を取り扱うのが自然であろうとそう考えた。
学校の怪談といえば、今も昔もその代表格はトイレの花子さんだろう。僕の過ごした小学校でも花子さんの話はあった。だが、それ以上に、特に男子生徒の間で流行した怪談があった。僕のいた小学校の七不思議の一つ、雨の日のいちろうくんの話である。
いちろうくんに関わる、僕の小学生時代の思い出話と、それから大人になってから友人から聞いた体験談を順に語らせていただきたい。
◆◆◆
あめあめ ふれふれ かあさんが
じゃのめで おむかい うれしいな
ピッチピッチ チャップチャップ
ランランラン
日本人のほとんどが知っているだろうこの歌。北原白秋作詞、中山晋平作曲の有名な童謡『あめふり』である。
この曲に,僕はあまりいいイメージがない。小学校のころに流行ったある怪談のせいだ。
僕が小学校二年生のころ、突然に学校で怖い話が流行った。僕の小中高の学校生活の中でも最も怪談が流行った時期だったろう。
あの頃は、テレビで、今ではめっきりと減ってしまったオカルト番組が多く放送されていたころだった。心霊特集や宇宙人特集が頻繁に放送され、怖いと騒ぎながらも興奮して見ていた。こういうと歳がばれそうだが、人面犬や人面魚が流行った時期でもあった。
小学校で怪談ブームが始まったのは、低学年の女子生徒が、放課後にトイレで幽霊を見たと騒いだことだった。
生徒たちだけでなく、先生たちも集まって大騒ぎになったことを覚えている。
そのときはお化けを見たらしいという話しかなかったのに、次の日には花子さんの幽霊が出たという話が広まっていた。
いったいだれが花子さんと言い始めたのは定かではない。
それから、熱に浮かされるかのように、皆が怖い話をするようになった。学校の七不思議などきいたこともなかったのに、突然、周りが七不思議などと言い出し怖かったことを覚えている。
七不思議の代表は、もちろん花子さんだった。花子さんが現れるトイレは三階の女子トイレと決まっており、奥から三番目のトイレを三回ノックして「花子さん遊びましょ」と声をかけると「はーい」と返事が帰ってくるという。
それだけならかわいいものなのだが、クラスの女子から聞いた話だと、上級生の女の子が、遊び半分で花子さんを呼んだところ、不機嫌そうな声で「うるさい」と声が返ってきたという。その女の子が咄嗟にごめんなさいと謝ると、今度は「許さない」と声がし、女の子は泣いて謝ったが、もう声は返ってこなかった。その女の子は、その後不幸が続いたという噂だった。
花子さんの話はたしかに怖かったが、そうは言っても、結局は女子トイレの話であり、男子からすると、身近な話ではなかった。
一方で、僕の小学校では、主に男子の間で語られ恐れられた怪談が存在した。
それが七不思議の一つ、雨の日のいちろうくんだった。
いちろうくんは雨の日に現れる。花子さんと違い特に現れる場所は決まっていない。
雨の日に、全身が濡れた男の子がふらっと校内に現れる。それがいちろうくんである。いちろうくんは、お母さんを探しているのだそうだ。
いちろうくんが現れたら、いっしょに童謡の『あめふり』を歌ってあげなくてはならない。最後まで歌詞を間違うことなく歌わねば呪われると言われていた。
この童謡の歌詞はシンプルではあるが五番まである。最後まで間違えず歌うのはそれなりに大変だ。そのため、多くの生徒が必死になって歌詞を全て暗記したものだ。
学校で雨の日に『あめふり』を歌っているといちろうくんが現れるという噂もあった。歌っていると、いつのまにか視界の端に、いちろうくんが現れているのだという。
そのうち誰が始めたのだろうか、積極的にいちろうくんを呼び出す儀式のような遊びが流行り始めた。雨が降っている日に、子供たちが手を繋いで輪を作り、一人だけが輪の真ん中に立つ。真ん中の子は一人で『あめふり』を歌い、周りの子達は歌の節目で「いちろうくんあそびましょ」と語りかけるのだ。すると、いちろうくんが現れるという。このとき手を離したり、『あめふり』を歌うのを途中でやめたりすると、真ん中の子が呪われてしまうという。
雨の日で校庭が使えなかったりすると、だれかがいちろうさんを呼ぼうと言い出した。
最初はクラスでも中心的なやんちゃな子供たちが、怖いもの見たさだったり勇気を示すために、真ん中の役を務めていた。
そのうち、歌ったことがないやつは誰だと探し始め、嫌がる生徒にも無理やり真ん中の役を強要するようになった。
歌っていると、突然だれかが「出た」と叫ぶことがある。真ん中役が怖がりとわかっているときに、よくこれが行われた。
真ん中の子は、歌い出したら最後まで歌いきらねばならないので、逃げることもできず我慢して歌うことになる。周りは、「やべえ」「まじでいた」「影が見えた」などと言って真ん中の子を驚かすのだ。
僕はやりたくなかったが、弱虫と言われるのが嫌で仕方なく真ん中役を務めることがあった。歌っていると、やはり誰かが「出た」と言った。あるとき、視界の端に小さな子供が見えたような気がした。気のせいだと自分に言い聞かせ、怖くて震えながら、歌を歌い続けた。半泣きで歌詞もぐちゃぐちゃだったから、しばらくは呪われたのではないかと怯えていたものだった。
僕だけでなく、本当にいちろうくんを見たと主張する子は複数いた。いちろうくんを見た子が、そのあと気持ち悪くなり保健室に駆け込んだり,次の日に学校を休んだりしたときは、クラスが騒然としたものだった。その生徒が休んだ理由はただの風邪だったのであるが。
あれは集団ヒステリーのようなものだったのだろうと思う。朝礼で校長先生が、幽霊などいないのだから大騒ぎしないようにと注意した。そのとき集団ヒステリーがどうのこうのと説明をしていたが、よくは覚えてはいない。
騒ぎにもなったが、雨の日にいちろうくんに呼びかける遊びをする子供たちは常にいた。
雨の日という設定はなかなかにうまくできていて、校庭で遊べない雨の日に、この遊びをしてみんな楽しんでいたのだ。
怪談とは結局怖がりながらも楽しむものであると思うし、それでよかったのだろう。
しばらくすると、このいちろうさん遊びは,より遊びらしい変貌を遂げることになる。鬼ごっこ的な要素の追加であった。
歌の途中で誰かが「出た」と叫んだ途端、輪を作っていた子供たちは蜘蛛の子を散らすように逃げ出すのだが、これでは真ん中の子だけが呪われる設定であり圧倒的に理不尽である。
そこで真ん中の子は『あめふり』を歌いながら逃げた子達を追いかけ、歌いきる前に逃げた誰かに触れることができれば、呪いをその子に移せる。こんなルールが生まれたのである。
このルールのため、いちろうさん遊びは非常にスリリングなものになった。鬼役の子は、皆を追いかけるときわざとゆっくり歌うこともできたが、あまりゆっくり歌うと周りから、「いんちき」「歌が止まったから呪われたぞ」などと言われる。走りながら歌うのはつらいため、皆が逃げ出す最初の一瞬が重要であり、真ん中役を務めながら呪いを免れるのは運動に秀でた子たちだけだった。
怖がりだった僕は、このいちろうくん遊びとでもいうべき遊びには参加しないように努めていたが、無理やり巻き込まれてしまうことはあった。
呪われたと言われても「呪いなんてあるわけないだろ」と強がる子もいれば、夜に部屋に「いちろうくんが現れた」などと嬉々として語る子もいた。
ところで、いちろうくんに呪われたらどうなるのか。
呪われた子のもとには、七日以内にいちろうくんが現れ、いちろうくんに気にいられると連れて行かれると言われていた。いちろうくんは、家で夜寝ているところに現れるのだという。連れて行かれるとは、もちろんな死ぬということ。
いちろうくんが夜中に現れたが連れて行かれずに助かったと語る者は多くいた。寝床で金縛りにあい、いちろうくんが現れたが、睨んだら消えていったとかそういう話だ。小学生のころは間に受けてしまい、次は自分のところに現れるのでは怯えたものだが、幸いにして僕の家にいちろうくんが現れたことはなかった。
実はこのいちろうくんの呪いを解く方法というものも語られていた。小学校の敷地のとなりには小さな神社があった。七不思議の一つ、異世界に通じる神社であるが、詳細は省かせてもらう。この神社の地下にはいちろうくんの死体が埋まっているという噂があった。
そこにお参りし、定められた手順に沿って行動し、五つの呪文を唱えるというのが呪いを解く方法だ。
ただし、儀式の手順と呪文を一つでも間違うと、そのまま神社の中に吸い込まれてしまう。呪いを解くためには、より危険なリスクを負わねばならないのである。
そのため、儀式の手順と五つの呪文は、上級生でも限られた生徒しか知らず、また大人には秘密ということになっていた。限られた生徒というのは、上級生の中でも人気があるリーダー的な存在だ。
今思えば、上級生たちが人気取りのために作った話だったのだろうが、当時の僕らは疑問に思うことなく、とにかくこの手順と呪文を教えてもらおうと必死になっていた。
僕の場合、上級生から呪いを解く方法を伝授されたという同級生に五百円も駄菓子をおごって、やっとのことで呪いを解く方法を教えてもらった。
まず、話を聞くからには絶対に実行しなければならないと約束させられた。でないと、いちろうさんの呪いが強くなるのだという。
約束すると、手順と呪文を教えてもらえるが、これがまたやっかいなのであった。夜中の八時すぎに一人で右回りに神社の周りをけんけん飛びで三週するのだとか、目をつぶって神社から何番目の木に両手で触って呪文を唱えるだとか、人に絶対に見られてはいけないだとか複雑な手順が定められていた。
また、呪文はメモしてもよいが、儀式では暗記して唱えなくてはいけない。初期のドラゴンクエストの復活の呪文のようなものを、そらで唱えねばならないといえばわかるだろうか。
そのため、この儀式をこなすことは非常に困難なのである。
教えてくれた同級生は、自分もすごくたいへんだったけど何とかがんばったなどと武勇伝を語るのだが、説明を受けるほど絶望的な気分になるばかりなのだ。
話を聞いたからには実行しなければならないと約束してているが、もし失敗すると神社に吸い込まれ死んでしまうと脅される。
そうして怯え切ったところに、同級生は言うのだ。五つの呪文の頭の文字を並べてみろと。
五つの呪文の頭文字を取ると「う」「そ」「で」「し」「た」となるのであった。
呪いを解く儀式は嘘なのである。これを聞いたときは、怒るよりも何よりも心底ほっとした気持ちでいっぱいになった。
そして、今度は、呪いを解く方法を伝授されたものとして、別の生徒をこの話に引っ掛けるのであった。
さて、僕が二年生から三年生のころに爆発的に流行った怪談であったが、僕が四年生の頃には多少下火になっていた。
そのころであった。転校生がやってきたのは。
彼は名前が一郎といった。
想像に難くないと思うが、皆が当然のごとく怪談のいちろうくんを連想した。そのため、下火になっていたいちろうくんの怪談がクラスで再燃した。
そして転校生の一郎をびびらせてやろうと、いちろうくんの怪談を無理やり聞かせたり、いちろうくんを呼び出す儀式に参加させて真ん中役にさせて呪いのターゲットにして、呪われたとはやし立てたりしたのだ。それも何度も。
彼、一郎は、髪が長くて女の子のような顔立ちだった。真面目で優しく、そして少し、いやかなり臆病なたちで、怖い話を非常に嫌がった。呪いを本気で恐れており、その反応がおかしく、周りはさらにエスカレートしていった。今思えばいじめと言ってよいものだったのかもしれない。それでも一郎はクラスに馴染もうと必死だったのだろう。
そしてある日、誰かが、神社の儀式で呪いを解く方法を教えたのだ。
しかも、話のオチを教えずに。
一郎は、呪いを解くのだと、一生懸命儀式をシミュレーションしていた。
周りは、彼を本気で応援するかのようにアドバイスし、昼休みは神社で儀式の練習までしたのだった。
呪いを解く儀式は嘘なので、実際に挑んだ者はいない。だから、だれも経験したことはないのだが、あたかも自分たちが経験者のように振舞って、儀式を必死で練習する一郎の様子を見て面白がっていたのだ。
この儀式を経験すればクラスの本当の仲間だとそういうニュアンスも出ていたように感じる。だからこそ、一郎はあれだけ本気になっていたのかもしれない。
僕はかわいそうだと思いながらも、話のオチを伝えることはしなかった。
一郎のことは嫌いじゃなかったけれど、みんなから、つまらない奴だとかいい人ぶったやつと思われるのが怖かったから。
一郎が儀式に挑戦すると言っていたその日の夜、何人かの近所の生徒たちは、こっそり彼の様子をのぞこうと神社に行ったらしい。しかし、予定したはずの夜八時には彼は姿を現さなかった。九時まで見張ったが現れなかったという。このとき彼らは、一郎は怖気づいて儀式をやめたのだと思ったそうだ。
次の日、一郎は学校に来なかった。
夜にどこかに出かけて行方不明になったのだという。
僕らは焦った。儀式を失敗して神社に引きずり込まれたのかもしれないと先生に必死で訴えた。
もちろん、呪いを解く儀式は上級生が作った作り話にすぎないことはその頃の僕らには周知の事実であったのだが、それでも何か異常なものを感じ取っていたのだ。
しかし、神社の中が捜索されても何も見つからなかった。
一郎はいちろうくんに連れて行かれたのだと、子供らの間で噂された。
警察の捜索が何日も行われ、テレビでは、近所で目撃された浮浪者が怪しいと報道されていた。
結局一郎は行方不明のまま見つからなかった。
僕らの間で、いちろうくん関係の怪談も遊びも禁忌となった。
今でも一郎がどうなったのかはわかっていない。
◆◆◆
ここまでが、僕の小学生時代のいちろうくんにまつわる話である。
そしてここからは、大人になってから友人から聞いた体験談について話をさせていただく。
もちろん、いちろうくんと関係のある話だ。
まずは、友人の体験を聞くことになったきっかけから話を始めよう。
小学校を卒業して、十数年も経ってから、同級生だった友人と久々に会う機会があった。
彼は、今は小学校の教師となったのだという。
居酒屋で二人で飲みながら、互いの近況について話をしているうちに、小学校の思い出話で盛り上がった。
二人とも怖い話が好きだったこともあり、小学校の怪談の話に話題が及ぶことは自然な流れだったと思う。
そして、ずっと避けていたいちろうくんの怪談について僕が触れると、友人がぽつりと言った。
「だれにも言ってなかったけどな。おれ、いちろうを見たんだ」
一瞬なんのことかわからなかった。
「いちろうって、あの転校生の一郎か。実は生きてたってことか」
友人が、実は生きていて大人になった一郎に会ったとかそういう話をしたいのかと思った。
「違う。たぶん死んでるんだろうな」
友人の答えは予想とは違っていた。死んでいるんだろうという言葉に、咄嗟に反応できなかった。
「死んでるなら会えるわけない」
そこまで口に出して、あ、と思い至る。行方不明になる前の一郎に会っていたのに黙っていたとそういうことだろうか。その思いつきに対する友人の答えは、これまた予想外なものだった。
「それも違う。教師になる前の実習生のときの話なんだが、信じてもらえないかもしれないけど聞いてくれるか」
僕が怖い話がすきで、オカルト的なことをばかにしないと知っているから、話す気になったのだという。
友人から聞いた体験談を次に記す。
語りやすいように、友人の名は仮に佐藤としておく。
◆◆◆
佐藤は、小学校の先生となる夢を叶えるべく、地元大学の教育学部に進学していた。そして、学部三年の教育実習では、自分が卒業した小学校に実習に赴くこととなった。
十年ぶりに訪れた母校は小さく感じた。
佐藤の指導教員は、彼が小学二年のときの担任だった小林先生であった。物静かで優しい信頼できる教師だ。小学生たちとも、すぐに仲良くなり、順風満帆のスタートに手応えを感じていた。
実習一週間がたったある日の昼休み。その日は小雨が降っていた。
佐藤が廊下を歩いていると、懐かしい曲を歌う子供たちの声が聞こえてきた。
楽しげなリズムとメロディー、『あめふり』だ。
子供たちが手を繋いで輪を作っている。
歌っているのは、輪の中心にいる一人だけ。
佐藤が思い出すこともなくなっていた小学生の頃の不幸な出来事の記憶が刺激された。
一番の歌が終わると、だれかが叫んだ。
「出た、いちろうくんだ」
小学生たちが散り散りになっていく。歌っていた子がそれを追いかける。
佐藤は、血の気が引いて、しばらく動けなかった。
佐藤が小学生の頃に流行った雨の日のいちろうくんの怪談。そして、いちろうくんを呼び出す遊びがまだ伝わっていたということに驚いた。
小学生たちに怪談の話を聞いてみたところ、昔とかなり変わっているところがあった。
いちろうくんは、転校生で、雨の日に殺されて、神社の下にばらばらになって埋まっている。
いちろうくんは、髪が女の子のように長い美男子だ。
いちろうくんは、花子さんのボーイフレンドである。
いちろうくんは、自分を殺した人を恨んでいて探している。
いちろうくんは、自分のことを知った人のところに、雨の日に会いに行くことがある。
当時、いちろうくんの年齢も容姿も特に設定がなく、それぞれの想像にまかされていた。
しかし、生徒の語るいちろうくんの姿は、間違いないと思える程に、あの転校生の一郎を連想させた。
いちろうくんに呪われたと怯え、行方不明になった転校生、一郎。
佐藤は、ぞっとして鳥肌がおさまらなかった。
指導教員である古株の小林先生に、この怪談の話を聞いてみたところ、小林先生は当時の怪談のことも知っているが、新しい怪談については詳しくないという。転勤で別の小学校に努め、またこの小学校に戻ってきたときには、すでに新しい怪談があったのだという。
不謹慎であるし怪談が広まるのを止めようとも思ったが、下手に禁止して生徒を刺激するのもまずいと考えて、今は静観しているのだという。
だれが新しいいちろうくんの怪談を広めたのかは全くわからなかった。
三週間の間、何度かいちろうくんを呼び出す遊びを目にし、複雑な気分だったが、教育実習の忙しさの中では、それは瑣末なことだった。
あっという間の三週間であり、充実した実習を経験できたことに佐藤は満足していた。
あと一日で実習が終わる。その日は雨が降っていた。
しとしとと降る雨を見ながら、佐藤はふと思いついた。あの歌を歌ってみようと。すこし怖いかなとは思うが幽霊を信じているわけではないし、明日になれば、実習を終えこの学校を去らねばならない。せっかく母校に来たのだから、ちょっとくらい思い出に浸る行動をとってみよう。
後から考えると不思議だが、何故かそのときはそう思った。
放課後、誰もいない廊下で、一人歌いはじめる。少し気恥ずかしさを感じ、声は小さめだ。一番まで歌ったときはなんともなかった。
やっぱり何にも起こらないよな、と思いながら二番に入る。ふと視界に変化が生じていた。
視界の隅に、何かがいるとわかった。ちょうど小学生くらいの人影と思えた。
そちらに焦点を合わせるのが、怖かった。
佐藤は、怪談のルールを思い出していた。
いちろうくんに会ってしまったら、いっしょに『あめふり』を最後まで、間違えずに歌いきらねばならない。でないと呪われる。
歌詞があっているのか自信はなかったが、小学生のころに必死で歌詞を覚えた記憶をたよりに歌い続けた。
視界の隅のものは、だんだんと近づいてきていた。小さな声が聞こえてきた。かすれた声で歌っているのだ。自分と同じ歌を。
佐藤は、目をつぶることも考えられず、ただ焦点を合わせないように虚空を見続けていた。
ぺたぺたと、足音が近づいてきた。裸足のような足音。
その歌声も足音もかき消したくて、佐藤は、声を張り上げた。しかし、その音は直接頭に響くかのように消えない。
恐怖に耐えてようやく歌は五番まで入り、やっと歌い終わるとおもったとき、それは目前まで迫っていた。
ぎゅっと手を掴まれた。
冷たい手の感触。
氷の棒が通ったような感覚が背を抜けて、全身の毛肌が粟立つのを感じた。
佐藤は、正面から、それの顔を見てしまった。
ああ、一郎だとそう思った。長い髪できれいな顔立ちの少年。全身が濡れていた。
真っ青な顔、でも嬉しそうな恨めしそうな表情で、一郎は、にたりと笑った。
それで終わり。佐藤は歌を最後まで歌い切ったのか自分でもよく覚えていなかったが、とにかく一郎らしき何かは消えていた。
腕を見ると、子供の小さな手で掴まれたような痣ができていた。
◆◆◆
友人の話はここまでだ。
友人は、母校への配属だけは避けたいと考えており、配属面談でもなんだかんだと理由をつけ、今のところ母校には配属されていないとのことだ。
それでも、もし母校に配属になってしまって、まだあの怪談と遊びが残っていたらと、想像するだけで寒気がすると言っていた。
友人の体験は罪悪感が原因ではないかと僕らは話し合った。
僕らは一郎に作り話のルールを押し付け、一郎はそのルールを信じ儀式に挑もうとした結果、何らかの悲劇に見舞われた。儀式が嘘だと教えてやるだけで一郎は次の日も学校に来れていたに違いないのだ。
だから、友人も、自分の罪悪感のために、自分たちで作りあげたルールを遵守せねばならないという強迫観念にかられて、『あめふり』を五番まで歌い続けようとした。そして、そのストレスによって、幻覚を見たに過ぎないのだ。
きっと三週間の研修の疲れや、その間に子供たちの儀式を何度も目にしたのが影響していたのだろう。
手にできていたという痣も、実際は昼間に小学生と遊んでできていたもので、無意識のうちに一郎と関連付け、一郎に触れられて痣ができたかのように脳が錯覚したのだと、そう解釈できる。
僕は友人にそう語った。
友人も「そうだよな」と言って笑おうとしていたが、笑顔を作れておらず、後付けの理屈を信じていないのが明白だった。
話はこれで終わる。
ご期待には沿えないかもしれないが、この話に後日譚はない。
神社の地下から子供の死体が出てきたり、友人が不幸にあったりはしていない。僕が神社や学校を調べに行ったりするつもりも全くない。もちろん僕のところにもいちろうくんは現れていない。
しかし、僕は思っている。一郎は、やっぱり神社の下に埋まっているのではないかと。
真夜中に、この原稿を書きながら、何度も、いつのまにかあの歌を口ずさんでいることに気がついてぞくっとした。もしかすると、この原稿を書いていることで彼を呼び寄せてしまうのではないかと、そういう恐れを感じている。
いや、それでも彼はここには現れないだろうと自分に言い聞かせる。ここは学校でないのだから。そして、今は真夏で、雨も降っていないのだから。
だだし、いちろうくんの怪談は少しずつ変わっている。気になっているのは、友人から聞いた新しいいちろうくんの怪談の一部だ。
いちろうくんのことを知った人のもとには、いちろうくんが会いに来ることがあるらしい。そうであれば、雨が降っていれば、いちろうくんがこの場所を訪れても不思議ではないのかもしれないとそう思える。
こんなことを書いたり、考えたりしているだけでも、よくないのかもしれないと不安になってきたので、もうそろそろ筆を止めようと思う。
そんなわけで、この話を読んでしまったみなさんも、いちろうくんの話を知ってしまったわけですから、もしかすると雨の日にはいちろうくんが遊びに来るかもしれません。そのときは『あめふり』を歌えるように準備しておいてほしいと思います。
『あめふり』は、北原白秋作詞、中山晋平作曲の童謡です。ともに著作権は消滅しています。