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契約の始まり

ある高級マンションの一室で、若い男女が見つめあっていた。


と言っても、甘い空気は皆無。

睨み合っていると言い換えてもいい。


色素の薄い瞳を苛立ちで細め、同じく色素が薄い髪をかきあげる。

背が高いこともありその様はモデルのようで、一般の女性であれば高確率で恋に落ちているだろう。


だが、相対する女性は表情を変えることはない。

長く艶やかな濡羽色の髪を後ろでゆるく纏め、吸い込まれそうな黒い瞳は長いまつ毛で縁取られている。

その無表情は人間味がなく、まるで人形のようだ。



「今日からお世話をさせていただきます、源まどかと申します。お見知り置き下さい。」


「チ…ッ家政婦なんていらねぇって言ってんのに余計なことしたのはあの狸親父だな?」


「狸親父がどなたかは存じませんが、私の雇い主は貴文様のお父上、高槻奏様でございます。」


「フン!どうせすぐ辞めてもらう事になる、もういいから出て行け。」


「そうは参りません。契約ですから。」


「だぁから、俺がいいって言ってんだよ!」


「では先にお父様に話をお通し下さい。わたくしは貴文様の晩御飯の支度をして参ります。」


綺麗な礼をしてまどかは部屋を出て行く。


はあ…なんでこんなことになったんだ…


思えば数ヶ月前、家を出る時にも色々あった。


高槻家は、国内外でホテルからショッピングモールまで様々な事業を展開する大企業だ。


そこの御曹司が高槻貴文。


社長である父を継ぐのは長男がいるので次男である貴文は、後継者になる必要もなく、ただただ居づらい堅苦しい実家から逃げるべく大学院進学を機に家を出たのだ。


一人暮らしでかなり舞上がっていた貴文の前に現れたのが、先程の家政婦、源まどかだった。


確かに家事はできない貴文だが、せっかくの一人暮らしを邪魔されたくない。

父親に言っても家政婦を解雇する許可は降りないだろう…何としてでも彼女の方から出て行ってもらわねば。



そう決心した貴文は、部屋を出てリビングへ向かう。


途端に、美味しそうな香りが漂って来た。


「おい、お前」


「はい、貴文様」


「………俺はお前に家政婦の仕事をさせる気はない!貸せ!」


持っていた包丁を奪いとる。

………持ち方がよくわからない。


長ネギを切って味噌汁であろう液体に入れるだけだ。それがこんなにも遠い。


包丁を持ち固まる貴文を見て、まどかは静かに近寄り、包丁を持つ手を取った。


「……なっ」


突然の密着に焦って思わず腕を引きそうになる貴文をまどかがぐっと抑える。


「貴文様、包丁の持ち方はこうです。まな板に対して少し斜めに立つと、切りやすくなります。」


丁寧に教えてもらった通りにやるとスイスイ切れた。

それを鍋に入れ、味噌汁を完成させる。


「雇い主様からは貴文様が自立するためにやろうとすることは止めるなと仰せつかっております。その一歩をこんなにも早くご自身から踏み出されるとは、流石でございます。」


「なんだと⁉︎」


貴文はただ手伝っただけになってしまったことに気づき、肩を落とす。

ガッカリしたらお腹が減って来たので、おとなしくテーブルに並べられた夕食に手をつけた。


貴文の大好物ばかりな上、味付けまで好みを把握しているらしい。

貴文は無言で綺麗に平らげた。


「…ご馳走様」


感謝の念を捨てる程、屑では無い。

渋々そう言うと、まどかはきょとんとした。


初めて表情らしい表情を見せたまどかを食い入るように見てしまった貴文だが、まどかはすぐにいつもの無表情に戻り、「お粗末様でございました。」と頭を下げた。


次の言葉がないとわかるとまどかはもう一礼して食器などの後片付けに入ってしまう。


手際良く作業を進めるまどかを暫く眺めて居たが、ふとあることを思いつき、声をかけた。


「それが終わったら俺の部屋に来い」


「かしこまりました。」


踵を返した貴文は口の端をあげ、自分の作戦を反芻していた。


まどかはすぐに部屋にやってきた。

生真面目なノックに入室の許可をすると、静かに入ってくる。


「失礼致します。貴文様、ご用は何でしょう?」


一人には大きいベッドに腰掛けている貴文が手招きすると、まどかはすっと傍に寄った。


貴文は、そんなまどかの手首を強く掴み、ベッドに押し倒した。


「これ以上俺に構うっていうなら、ここでこの家での思い出作ってやってもいいぞ?それが嫌なら自分から出て行け。」


突然両手首を抑え貴文の体の下に組み敷かれたまどかは、ただ貴文を見つめていた。


その漆黒の瞳を息のかかる距離で見つめて返答を待っていたが、まどかは微動だにしない。


「恐れ入ります。これは契約外です。」


「は?何言って…」


返そうとした貴文の見ている景色がぐるんとひっくり返った。


逆に組み敷かれる形になった貴文は、まどかの体の柔らかさを感じ、顔を赤くして憤慨する。


「何すんだよ!」


「申し訳ありません」

そう言ってあっさり解放するまどか。


「…おい、お前。歳はいくつだ」


「20になりました。」


年下にやり込められた事がどうしようもなく恥ずかしくなり、貴文は顔をかかえた。


「では、今日はこれで失礼致します。明日の朝は何時にご出発ですか?」


「明日は11時…って来るつもりか⁉︎きたら後悔するぞ!」


優雅に礼をして出て行くまどか。

外はもう真っ暗だが家は近いんだろうか?


ふと心配になる。


いやいやあんなやつどうでもいいだろう、と首を振る貴文だったが、気になったら他のことが手に付かない性分だったので、仕方なく様子を見に後を追った。



マンションのエントラスを出たところで、近くの公園のベンチに腰掛けるまどかを見つけた。


……何してるんだ?


ぼうっとして宙を見つめていたと思ったら、そのまま手荷物を膝にかかえ、こてん、と寝てしまった。


「…………は?」

あまりの光景に言葉が出ない貴文。


「いやいや、若い女が夜中に公園で寝るとかあり得ないだろ!………あ〜くそっ!」


「おい!……おい!源まどか!」


ぺちぺち頬をたたく。


女性に対してどうかと思ったが、既に女性らしい行動をしていないまどかが悪いと思い気にしないことにした。


「ん……」

ゆっくり目を開けたまどかの瞳が貴文を映す。


「…たかふみ、さま?」


ぱちぱちと瞬きをしながら少しろれつが回らない様子で名前を呼ばれ、貴文は思わずドキッとしてしまう。


「あのなぁ!一応女がこんなところで寝るヤツがあるか!家帰って寝ろよ!電車まだあんだろ!」


「……ないんです。」


「あ?」


「家が、無いんです。」




かなり重たい沈黙が落ちる。




其の後何とか気を立ち直らせて話を聞くと、天涯孤独だった両親を事故でなくし、賃貸だった家を追われ、

住み込みのバイトで生活してきたもののお金が底をつきたところで、高槻奏ー貴文の父に拾われたのだそうだ。


淡々と話すまどかを静かに見つめ、貴文は盛大にため息をついてから思いっきり息を吸い込み、怒鳴った。


「給料が入るまで公園で暮らす気だったのかこの馬鹿!そんなもん親父に言えばお前の住むとこくらい何とかしてくれんだろうが!」


「職までいただいて、それはあまりにも無礼なことです。」


「ふざけんな!…あーーーーもうわかったよ!じゃあうちに住み込みで働け!」


「え…でも、ご迷惑で「かなり迷惑だが仕方ないだろ!いいから戻るぞ!」」


強引に腕を引かれてまどかは足を動かす。力強さに少し戸惑いながらも、その手の熱さがじんわりと胸に広がっていく。


「貴文、様…ありがとうございます…。」


夜風に消え入りそうな声でそう言った。


ひたすら周囲の面倒にならないように生きてきたまどかにとって、それは初めて人に心を開いた瞬間だったのかもしれない。

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