禍転
「おい、聞いたか?」
時は幕末。
「あぁ、また出たらしいな」
そこには、人々を脅かすモノがいた。
「今度は三丁目の大福屋の親父が神隠しに遭ったんだと」
――――妖怪、天狗。
「絶対に“天狗”の仕業だろ」
空を飛び、人間よりはるかに強い力を持ち、
「怖いよな。“天狗狩り”は何やってるんだ……」
そして、
「本当だよ。ちゃんと仕事しろっての」
“神隠し”の能を持つ妖怪に人々は怯えていた――。
禍転
「夜六、おめぇ、なんで舞台に来なかった! 代役は立てねぇといけねぇし、おめぇ目当ての客は帰っていくし大変だったんだぞ!!」
「……うっさいなぁ、おいらは前々から言うとる。吉衛門さの脚本以外では出んと。いくら吉衛門さの息子でもなぁ、あんたの話には虫唾が走るさかい出たあない」
おいらはゆっくりと木の上で煙管を吹かす。
「俺の脚本のどこがダメなんや!」
「全部や。話も繋がっとらん。人情味も感じられん。おいらはただの役者やけどな、あんたよりはエエ文章書ける自信あるで」
ニヒヒと木の上から、下で吠えるダメ義兄に笑いかける。
「なん、だと。おめぇ、拾い子のくせして……」
「なんや僻みか、義兄ちゃん? 悪かったなぁ、実の息子を差し置いておいらたち拾い子が可愛がられて」
口ではそう言うが、事実はそうではない。吉衛門さは確かにおいらたちを拾って可愛がってくれた。だが、実の息子である吉乃助にもしっかりと愛情はそそいでいた。
「お、おめぇらなんか、おめぇらなんか!」
「……吉衛門さがおらんからってこの“大吉座”を好きにできるなんて思うなよ。ここ数日でわかったやろ。おめぇでは吉衛門さには、親父には敵わないって。さっさと吉衛門さを返せ」
木を揺らしていた吉乃助は急に揺らすのをやめた。そして、挙動不審になる。
「な、なんのことだ、夜六? お、親父は突然失踪したんや。あ、あぁ、そうや! 神隠しに遭ったんや! そ、そんな親父の行方を俺が知るわけないやろ!」
「まぁ、エエよ。あんたが知っとろうが知ってまいが、おいらたちには関係ない。おいらたちはおいらたちで吉衛門さを探すだけや。実の息子が探さん分もなぁ?」
「ひっ……」
情けない悲鳴を上げて吉乃助は後ずさる。
「あ、そーや、吉乃助。おいら、まっちゃんか佐倉さんが書くんなら出るでなー。考えといてや、――自分の未来も」
「ひぃ、ひぃぃ……」
逃げていく吉乃助をひらひらと手を振って見送る。
大の大人が情けないなぁ。
「やーっつあん、アホをからかうのもいい加減にしたりーよ。可哀想やん」
口ではそう言いつつも笑いはこらえられない様子で秀作――弟でもあり親友でもある――が歩いてきた。
「ダアホ。あいつは吉衛門さを消したんやぞ」
おいらたち捨て子を拾い、育ててくれた吉衛門さ。捨て子を実の子のように可愛がり、一流の役者まで育ててくれた吉衛門さ。その吉衛門さが十日前、着物一枚を布団に残して消えた、文字通り。
「証拠があるわけやないやろ」
「あいつの態度が証拠やろ、どう見ても!!」
巷では最近噂の“天狗”にさらわれたなんて言うやつもいるらしいが……おいらは絶対に信じねぇ!
「でもそれだけじゃ岡っ引きも取り合ってはくれんさ。それよりも、有力な情報見つけたで」
「ほんまか!?」
秀作の言葉に思わず煙管を落としかけ、木からも落ちかける。
「ほんまや。やからはよ、やっつあんは木から降りんさい。危ないわ!」
「おう、すまんすまん。で、情報は?」
木から飛び降りて秀作に詰め寄る。
情報、情報! 情報!!
「…………とりあえずな、やっつあん。次の公演には出たり。話はそれからや」
「なんやと!? 吉衛門さの命がかかっとんやぞ! それに、あいつが書いたやつではおいらは演技せんって決めとんのや!」
「次の公演の脚本はまっちゃんのや。やっつあんが吉乃助に言うとった言葉、そのまんま返したる。親父がおらんからって“大吉座”を好きにできるとは思うなよ。お前は大吉座の役者や。いくら吉乃助が気に入らん言うてもな、一役者が頭領に逆らったらあかん。これは、絶対や」
きっと睨まれておいらも思わず黙る。秀作の言うことは気に食わないが事実だ。
「次の公演はきちんと出ること。これが情報をやっつあんに教える条件や。呑めるか?」
「……わかったわ。やから、はよ情報を教えろ……」
「…………はぁ、お前ってやつは……。親父をさらったのは、“天狗狩り”を行っている盗賊団。規模は……四十から五十人。全員手練れだよ。単独にしろこちらの精練にしろ半端な人数じゃかなわねぇ。やっつあん、お前ならどうする?」
“天狗狩り”を行う盗賊団? そんなものごときにおいらたちの吉衛門さは、おいらたちの親父は捕まったのか?
「やっつあん、落ち付け。目の色薄くなってるぞ」
「んあ……あぁ」
秀作に言われて初めて自分が興奮していたことに気付いた。
「興奮すると目の色が薄くなるなんてどっかの妖怪みたいやの」
「アーホーか。ただの体質や。妖怪なんてんなわけあるかい。アホなこと言うとる前に吉衛門さ助けやんと」
「そやなぁ」
煙管から火種を落とす。
カンという音がやけに大きく聞こえた。
大きく息を吸う。そして、目を見開き舞台に飛び出す。
「よっ、夜桜!」
「待ってました!!」
観客の囃子声が聞こえた。
おいらは舞う。
飛んで、歌って――。
夜に咲く桜のように美しく、夜に散る桜のようにはかなく、夜桜の名に恥じぬように。
人々に、夜桜の生きざまを見せつけるように。
「ありがとう、夜桜!」
「また見に来るわ!」
名残惜しそうな声を聞きながらおいらは舞台袖に下がった。
「夜兄、お疲れ様」
「まっちゃん!! めっちゃエエ台本やったよ! 吉衛門さの背中も見えてきとるんとちゃうの?」
「いや、俺はまだまだだ。父さんの背中も見えない、遥か後ろだよ」
松郎――まっちゃんはさびしそうに笑った。
そのさびしそうな笑顔の理由はなんとなくわかるような気がした。
まっちゃんはおいらたち拾われ子の中でも一番年下で吉衛門さにもよくなついていたから、十八になった今でも父が恋しいんだろう。
「安心しい、まっちゃん。吉衛門さは夜六兄ちゃんが必ず連れ戻したるさかいに」
煙管をふかして笑えばまっちゃんは途端に不安そうな顔をする。
「夜兄……剣術、できないだろ? 不安だ……」
「ちゃんと練習しとるわ!! 綾にも教えてもろうとる!」
「それ、どうなの? 綾、女子だけど……」
「うるさい! あいつが一番上手いやでしゃあないやろ!!」
そう叫んだ瞬間だった。真横から飛んできた拳にまっちゃん丸ごと吹っ飛ばされる。
「馬鹿ども、裏で騒ぐな!! 夜六! すぐに来いと言っただろ!! そんなことも守れないのか!!」
大吉座一の剣術使いで誰よりも漢らしい女性、綾がそこに立っていた。ちなみに綾もおいらたちと同じ拾われ子だ。
「わ、悪い綾姐さん……」
そそくさとまっちゃんは逃げ出し、おいらは綾に捕まえられ引きずられて外に放り出される。
「三秒で構えろ! さもなくば叩きのめす!!」
できねぇくせにという言葉は飲み込み、すぐさま懐から短刀を取り出して構えた。
「いくぞ!」
綾はおいらに接近して刀を振るう。
避けきれなかった刃が皮膚を傷つけ、血が流れた。
くそっ。元々、短刀と刀やとおいらのが不利やのに……。
「どうした? 防戦一方だぞ!?」
「うるせぇ!」
短刀を力任せに振るいだす。
力で勝るおいらが一気に有利となり、どんどんと綾を追い詰めていく。
「止まれ、夜六!」
その一言と共に綾に短刀を吹っ飛ばされた。
「何度言えば分かる!! 力づくで剣を振るうな!! アタシ相手なら通じるけどな、同じ男なら通じないぞ!! あとは腰が高すぎる。もっと落とせ」
「うーい……」
なんでこいつは女のくせにこれほど強いのだろうか。
ビュッ!
顔のすぐ横を刀が通過。頬から血が流れ、刀は近くの木に突き刺さった。
「あ、あの、綾、さん……? 刀って普通投げられるもんとちゃう気が……。あ、いえ……」
「夜六、お前今女のくせにって思ったろ!?」
「いや別にそないなこと思って、あ、いや、すいやせん思いましたほんまにごめんなさい!!」
抜かれた脇差に土に頭をつけて謝った。本当、この人怖い。
「アタシはそう思われるのが一番嫌いだっ!! 二度と思うなよ! ――あと、一対一ならもう十分強くなった。実戦でも使えるはずだ。明日からは一対多を教えるからな。アタシの出番だから行くぞ」
「……ありがとーな、綾」
「うるさい」
綾は木に刺さった刀を抜くと舞台の方に去っていった。
おいらは飛ばされた短刀を拾っておもむろに木の上に向かって投げつける。
「秀作、隠れとらんと出て来い」
「あー、なんやバレとったんかぁ……」
へらへら笑いながら、軽業師らしく、身軽な動作で飛び降りた。
「おいらが謝った時に笑ったんが聞こえたからなぁ」
「あぁ、それか。ついついな。さすがのやっつあんも綾の姐さんには敵わんか」
「あいつに勝てるやつは兄妹にはおらんよ。それより、秀作」
「なんや?」
真面目に、しかし淡々と告げる。
「みんなを頼むわ」
秀作の細い目が見開かれた。が、すぐにいつものような笑顔を浮かべる。
「行くんか?」
「あぁ」
「綾、明日からは一対多を教える言うとったのにエエんか?」
「一対一ができれば十分や。戦える。時間が惜しいんや」
短刀を鞘にしまった。そのまま懐に入れることはせず、手の中で弄ぶ。
「そっか。わかったわ。三男坊やけど俺に任せとき。万一の時は俺がみんなを幸せにしたる。でもな――親父連れて帰ってこんだら承知せんで。ずっと恨んだるさかい。約束やで?」
「努力は、する」
必ず助けて出してやると意気込むおいらと、どうせ無理だろうと諦めているおいら。矛盾した二人がいた。
できるような気も、できないような気もしていた。
「夜六……無理するなよ?」
「あぁ」
弄んでいた短刀をきちんと握りしめ、おいらは駆け出した。
町外れ。吉衛門さをさらったという天狗狩りどもの隠れ家近くの木の上、そこにおいらはいた。
木の陰に隠れて見ている限りでは手練ればかり。人質は地下牢にいるようだった。
「綾の稽古、もちっとだけちゃんと受けときゃよかったか……」
一対多は厳しいかもしれん。
早まったか。来るの早すぎたか。
「でも、おいらは負けんよ。絶対、吉衛門さを連れ帰ってみせる。秀作に、恨まれっから。まっちゃんに言うたから」
短刀を抜き、ゆらりと舞い下りる。
「大吉座二枚目、夜桜こと夜六。我らが父、吉衛門を返してもらいに来た!!」
大声で叫び、走りだす。
あらかじめ見つけておいた行き止まりの道まで駆けた。
「残念だったな。その先は行き止まりだ!!」
「そんくらい知ってらぁ!!」
狭い道で身をひるがえし、短刀を構えた。
後ろには下がれない。しかし、狭いため、向こうは一人ずつしかおいらにかかってこれない。
まさに、おいらの領域だ。
「町一番の色男が何の用だ!?」
「さっき言ったやろ? それとも馬鹿やで聞こえんかったんか? 父親を返してもらいに来たんや」
「ばっ……。まぁいい、アレか。よくここだとわかったな。証拠は一切残してなかったんだと思うんだが……」
「身の軽い三男坊がおるからよ」
頭領らしき大男は笑う。
「それにしても、どうして一人で乗り込んできた? そんな細長い身体一つで乗り込まずに、大男でも連れてくれば良かっただろうに」
油断、してるな。身体が大きいだけがすべてとか、馬鹿や。
「おめぇらなんざ、おいら一人で十分やからな」
頭領らしき男の眉が少し動いた。
さてはて怒るのだろうか。
「――飛んで火にいる夏の虫、だ。一人だと都合がいい。殺すなよ、捕らえろ」
飛んで火にいる夏の虫……? それってどういう?
あと殺すなってどういう意味や? なめられとるのか?
とか、考えたいことはたくさんあるけど……。
「あぁもう、面倒くせぇ!!」
刀を薙ぎ払い、武器をなくした相手を思い切り蹴りつけて飛ばす。斬りつけ切り伏せどんどんと怪我人の山を築いてゆく。
「おらおら、おいらみたいな役者にやられてて天狗狩りが務まるのか!?」
「うるせぇ!!」
刀の斬撃をそらして相手の懐に入った。
力尽くで薙ぎ払おうとする相手の手首を短刀の柄で勢いよく打つ。骨の折れる嫌な音がして、手から刀が落ちた。
「どけっ!!」
手首を押さえて苦しむ相手を次々迫る敵の方へ蹴り飛ばせば将棋倒しのように倒れた。
これは、綾のおかげで、このままなら……。
タァン!!
乾いた音が響く。
「え……?」
煙たなびく長い棒を抱えたものがおいらの方を向いていて、おいらの肩からは赤い血が噴き出し……。
「…………っ!! ぁっ……!!」
声にならぬ悲鳴が漏れる。
痛い、痛い。なんだこれは。痛い、辛い、嫌だ、死にたくない。痛い痛い痛い……!
「残念だったな、色男。行けると思ったかもしれないが、こちらには“銃”があるものでな。信丸、勝康。弾を抉り出して軽く手当てをしたら父親と同じ牢に放り込んでおけ」
「「はっ!!」」
じゅう……? なんだよ、それ……。
薄れゆく意識の中でそんなことを思った。
「やろく、や六、夜六……夜六!!」
「き、ち衛門……さ?」
最後に見た日の身の着のままで、最後に見た日よりもはるかにやせ細って、おいらたちの育ての親、吉衛門がそこにいた。
「夜六! お前、なんで、なんでここに……!!」
「助けに来たんさ! 吉衛門さが、親父がさらわれたから!」
縛られていて、肩が痛くて、吉衛門さの元に上手く近付けない。縛られていない吉衛門さがおいらを支えてくれた。
「アホ!! ほっといていいんだ。俺より、お前のが……。夜六、血出てるじゃないか! 痛いか? 大丈夫か?」
肩を見ればまだ、ポタポタと血が落ちている。弾と呼ばれた物はもうないらしくて、痛いがえぐられる感じはなかった。
「じゅう、いうやつにやられたんや。ほんまに痛いけど、大丈夫。こんくらいの痛み、なんともない」
「銃か……。あれは遠距離から攻撃できるものだ。刀とは違う。さすがのお前でも……。それより、夜六お前頭痛はしないか?」
頭痛……? なんか、身体が上手く動かない気はするが、それだけだ。
「特に、なんともねぇや」
「嘘、だな。顔色が悪い。……仕方がないか」
吉衛門さはため息を一つつくと陶器の欠片らしきものを手に取った。
そのまま自らの手首に落とす。
「……つっ」
小さなうめき声と共に、血がにじみだした。
「吉衛門さ、何を!?」
「このくらい平気だ。それより、飲め」
目の前に手首を突き出された。おいらは困惑して吉衛門さを見つめ直す。
「なんで? は?」
「お前は血を失いすぎてるんだ。だから、飲め。多少危険はあるが、たぶん大丈夫だろう。飲め。死にたくはなかろう」
「嫌だ。そんなことできっか! はよ血ぃ止め! 吉衛門さが死ぬ!」
首を振って拒む。そんなことやれるわけねぇ。
「このくらいじゃ死なない。いいから飲め。早く! 俺の言うこと、聞け!!」
強い口調。きつい視線。おいらは素直に負けを認めた。
「……わかった」
目の前の手首に、血が出ている部分に、口をつけて含む。
……うまい。ものすごく、美味しい。今まで食べた、飲んだ、どんなもんよりも美味い。
美味イ。美味イ。モット寄越セ。モット飲マセロ……。
「――オイラニ……寄越セ!!」
飲マセロ飲マセロ飲マセロ飲マセロ飲マセロ飲マセロ飲マセロ飲マセロ飲マセロ飲マセロ飲マセロ飲マセロ飲マセロ飲マセロ飲マセロ飲マセロ飲マセロ飲マセロ飲マセロ飲マセロ飲マセロ飲マセロ飲マセロ飲マセロ飲マセロ飲マセロ飲マセロ飲マセロ飲マセロ飲マセロ飲マセロ飲マセロ飲マセロ飲マセロ飲マセロ飲マセロ飲マセロ飲マセロ飲マセロ飲マセロ飲マセロ飲マセロ飲マセロ飲マセロ飲マセロ飲マセロ飲マセロ飲マセロ飲マセロ飲マセロ飲マセロ飲マセロ飲マセロ飲マセロ飲マセロ飲マセロ飲マセロ飲マセロ飲マセロ飲マセロ飲マセロ飲マセロ飲マセロ飲マセロ飲マセロ飲マセロ飲マセロ飲マセロ飲マセロ飲マセロ飲マセロ飲マセロ飲マセロ飲マセロ飲マセロ飲マセロ飲マセロ飲マセロ飲マセロ飲マセロ飲マセロ飲マセロ飲マセロ飲マセロ飲マセロ飲マセロ飲マセロ飲マセロ飲マセロ飲マセロ飲マセロ飲マセロ飲マセロ飲マセロ飲マセロ飲マセロ飲マセロ飲マセロ飲マセロ飲マセロ。
「止まれ。止まれ! 止まれ、夜六!!」
「飲マセロ、寄越セ。オイラニ、寄越セ……!」
血ヲ、飲マセロ。オイラニ、寄越セ。
「夜六!! 夜六!! 夜六!! ――目を覚ませ、夜六!!」
身体から力が抜けた。ぶっ倒れたまま見上げれば青い顔の吉衛門さ。
「どうしたん?」
「いや、別に特には何もだ。それよりも身体はどうなんだ? 楽になったか?」
身体……見れば肩の傷は癒えかけていた。力も沸々と湧いて出てくる気がする。痛みもなくなっていて……。
なんで? 今の今まで、血が、出てたのに……。
「相変わらず、傷が癒えるのは早いみたいだな。まぁ、いい。身体本調子ではないとはいえよく動くだろ? 逃げろ」
「は? それ、吉衛門さも行くゆうことやんな……?」
どう考えてもそうとは受け取れなかったけれど、震え声でそう尋ねた。
「俺は行かない。身体も大分と弱ってきていてお前についていける自信がない。だから置いていけ。お前だけ逃げろ。あいつらの目的はお前だ。お前が捕まらない限り俺は殺されない」
「身体弱ってきてんだろ!? だったらおいらと一緒に。だって、おいらは吉衛門さを助けに来たんだ。言うたんだ。秀作に、綾に、まっちゃんに、吉衛門さを連れて戻るって。おいらが捕まらない限り吉衛門さは殺されない!? そんなこと関係ねぇ!!」
「おいらは、吉衛門さを連れて帰る!!」
荒い息を吐きながら吉衛門さをじっと見つめた。吉衛門さは我に返ると、苦笑して軽くため息をつく。
「絶対に、譲らないのか?」
「譲らんねぇ!」
「そうか……。まぁ、俺がここで死んでも殺されても、変わりは、ないか。手段はある。最終手段は使いたくはないが、まぁ、逃げられるだろう」
「ほんまに!? なんで最初から言うてくれんの?」
不機嫌な顔をすれば吉衛門さはバツが悪そうな顔をした。
「お前に無理をさせるからだ。俺はこの通り、もう四十だ。身体もうまく動かないし、何よりここでの生活で弱ってきている。逃げるとなればお前に運んでもらうしかない。だからだ」
「別に言うてくれたら喜んで運ぶわ! そのくらいなんやって言うん!?」
「お前の身体能力は高いが、さすがに俺を運んで速さは出せないだろう。お前にも危険が及ぶ。それは嫌だ。だから、約束だ。お前に危険が及ぶようだったら俺を見捨てて、置いて逃げろ。いいな?」
嫌や。吉衛門さ見捨てて逃げる? そんなことできるか。意地でも、この命に代えてでも連れ帰ったる。
そんな気持ちを口に出すことはせず、おいらは頷く。
吉衛門さは満足そうに微笑んだ。
「それじゃあ、作戦を話そうか。まず、だな。好機は明日だ」
「明日?」
「そう、明日だ。お前が捕らえられたから俺はもう用済みなんだよ。だから明日処刑される」
「処刑!?」
思わず、体を乗り出してぶっ倒れた。おいらを縛る縄を苦々しく見つめる。
「吉衛門さ、こいつ外してくれよ」
「無理だ。俺にそんなものを切る力はない。それに怪しまれる」
「……そもそもこんな話しとって大丈夫なんか? 見張りとかはおらへんの?」
「地下牢だからな。上で見張っておけば他に出口はない。だから見張りはいない。こんな話していても大丈夫だ」
へぇ、地下牢屋とそんな利点があんのか。便利やなぁ……。
ってそんな場合やない。
「処刑ってどないいうことや!? ふざけんな!! おいらあいつらぶちのめす!!」
「それは無理だろ。おとなしく聞け。あいつらはお前から気力を奪おうと、お前の目の前で俺を殺そうとするはずだ。だから、殺される前に俺が少しだけ、時間を稼ぐ。その時間でお前は縄を引きちぎって俺を背負って走り出せ」
「…………それだけ?」
「それだけだ」
それって作戦もくそもねぇんじゃねぇのか……?
怪訝な顔をするおいらを吉衛門さはゆっくりと撫でた。
「たったこれだけだが、お前がいないとできないことだ。明日は頼んだぞ」
「……わかったわ」
後ろ手に縛られた手の中に何かを入れられた。見れば陶器の欠片。
「これで切れ。あげられる時間はそれほどない。早く切れよ」
できんのか?
「おう」
助けられんのか?
「じゃあ寝ろ。明日のためにも」
おいらは、吉衛門さを連れて帰れんのか?
「また明日」
大丈夫なんか?
「また明日」
おいらは吉衛門さに倒され、その横で吉衛門さも横になった。
絶対、絶対に吉衛門さと一緒に大吉座に帰るんだ。
弱気な自分を奮い立たせるように気合を入れておいらは眠りについた。
「おい、起きろ! 起きろ!!」
「なんや……?」
怒号で目を覚ました。蹴飛ばされて完全に覚醒。頭を振りながらじっと蹴飛ばした相手を見る。
「昨日の……頭領さんか。何の用や?」
「いいざまだな色男。何の用かって? 簡単だ。父親とのお別れの時間さ」
「なんやて!?」
とっさに慌てた表情、そして怒りの表情を作る。
「ふざけんな! 吉衛門さは関係ないやろ!」
「用済みを解放するのも面倒だし、お前の目の前で殺せばしばらくおとなしくするだろ? ほら、立て!!」
蹴飛ばされて無理やり立たされた。吉衛門さはすでに立ち上がって悲しそうな表情で笑っていた。
「吉衛門さを、殺すな!! おいらたちの父ちゃんなんや! 待っとるやつもおるんや! やから!!」
「くどい。そいつは殺す。これは決定事項だ。お前がいくら喚いても変わらない。変えたければ……その状態から俺たちを倒してみろ」
汚い笑い声が通路に響く。あぁ、耳ふさぎてぇ。
「ほおら、外だ」
まぶしい光に思わず目をそらす。
しばらく視界は白で埋め尽くされていたが……なんとか元に戻った。そこには天狗狩りたちが無数、それこそ本当に数えられないくらいに、いた。
「なっ……」
おいらは、ここを、ここを、吉衛門さ担いで……。
不安げな顔を吉衛門さに向ける。大丈夫だというように微笑まれた。
「どうだ、すごいだろう? こいつらはみんな俺の仲間だ。変な気を起こそうとするなよ? すぐさまズドン、だ」
ズドンというのは昨日の“じゅう”とやらのことだろうか。あれはほんまに痛かった。できればやられたくはない。
「じゃあ、お待ちかねの処刑の時間だ!!」
吉衛門さが俺の十尺(三m)ほど先に座らされた。
おいらも座らされる。見つからないように手の中の欠片を握り直した。
大丈夫、おいらはやれる。助けられる、絶対。
自分に言い聞かせて少しずつ縄にこすり付け始めた。
「あー、そのことやけど、ちょっとだけ待ってくれへんかなぁ」
吉衛門さのゆっくりとした言葉。演技するときに使う口調。
それが、響いた。
――作戦、開始だ。
「俺ん息子にいくつか言いたいことあるねん」
「なんだ? 昨日の夜十分話しただろ? あれほど時間をやったんだからな」
はよ、はよ切れろ。はよ切れてくれ。頼む。
必死で縄をこする。――一本目が切れた。
「よし」
小さくつぶやいて二本目に取り掛かった。足のは歩くときに切られていて本当に運がいい。
「あー、こいつ、痛みではよ寝てしもたんや。やから話し全くできてなくてなぁ。少しでええでさせてくれん?」
「……まぁ、いいだろう。最期の語りだ」
吉衛門さはおいらの方を向いて笑った。
「――初めて拾うたとき、お前だけは泣かんと俺を見上げてきよった。そんとき俺は思うたんや、こいつは大物なるゆうてな。そん期待通り、お前は育ってくれた。俺はほんまに嬉しかったで」
二本目、切れた! 最後の一本!
吉衛門さの話に耳を傾けながら必死に縄を切ろうとする。
「お前は、これからいろんな苦労するやろ。でもな、それは全部大切なことや。投げ出すん違うてな、全部受け入れて糧にせい。食らい尽くせ。ほんで、弟たちを守ったってくれ。幸せにしたってくれ。これが、俺の願いや。……ありがとうな、頭領さん。話させてくれて」
「構わない……が!」
強く手を掴まれた。手からは陶器の欠片が落ちる。
恐る恐る顔を上げると、にやけ顔の頭領。
「父親の最期のいい話聞かずにお前は何やってるんだ、色男さんよ」
……っ! 見つかった……。
どうする? 引きちぎるか? まだ太い無理だ。じゃあ、このまま駆けるか? 手が自由でない状態じゃ危ない。
じゃあ、じゃあどうすれば!!
「おい、信丸。縄かせ」
「へい」
ぐるぐると思考が頭を駆け巡る間に、先ほどまでよりもきつく、多く、縄が巻き直された。
…………おいらは、吉衛門さを助けられなかった。
「ごめんなぁ、秀作、綾、まっちゃん、一花、かんちゃん……」
独り言のように、言葉が漏れる。
一滴、また一滴と涙が零れ落ちる。
もう、おいらには無理だ。どうしようもない。手詰まりだ、王手だ。助けるすべがもうない。どうやっても吉衛門さを助けて逃げだすなんてできっこない。俺が弱いせいで、手際が悪いせいで、吉衛門さは、吉衛門さは……。
「なぁ、頭領さん。も一つだけ、こいつに送ってええ?」
場違いにのんきな吉衛門さの声。顔を上げても、困ったような顔をしているだけで、死への怯えは一欠片も見えなかった。
「あ? ……さっきまではこいつ、聞いてなかったからな。特別に許可してやるよ」
「ありがとおございます」
吉衛門さがおいらの方を向いた。
涙まみれのおいらとは正反対に、吉衛門さの顔は綺麗だった。
「――俺、お前を拾うた時に絶対、ヒトとして育てよう決めたんや。そんでも、この状況でどうこうはいっとられん。やから、俺は諦める。覚悟も決める」
真正面から見据えられ、涙が止まった。吉衛門さはいつも通り、大吉座にいたころのように、笑った。
「お前の本当の父が遺した言葉と、真の名を送ろう」
「てめ、やめろ!!」
制止の言葉を振り切って、吉衛門さは声高らかに叫んだ。
「――――生きろ、夜叉丸!!」
すべての景色が、止まった。
昨日、感じた力が身体の中で暴れだすのがはっきりとわかる。
頭の中を記憶が駆け巡る――。
「帰ったぞーって、夜叉。そんなところで何してるんだ?」
「あ、とーちゃん。あんね、おいら“つばさ”出そうとしてるんだ」
おいらはとーちゃんに駆け寄って抱き付く。
とーちゃんは優しくおいらの頭を撫でてくれた。
「翼、か……。白い翼は天狗の証やもんなぁ。お前も出したいよなぁ。でもまだ無理や」
「なんで!?」
「夜叉丸、おめぇはまだ六つだ。おいらが翼を出せるようになったのは十の時。やからまだ無理や。今は飯食って、一杯寝て、大きくなり。強くなり。ほな、母ちゃんとこ行くで」
「うー、はーい……」
しょんぼりしたおいらを見かねたのか、とーちゃんがおいらをひょいと抱き上げ、肩車までしてくれた。
「うっわぁ、高い高い! わーい!!」
「あんまりはしゃぐとおっこちっぞー。母ちゃん、今日の飯は?」
「あら、お帰りなさい。今日は鮎の塩焼きよ」
「おいら、塩焼き大好きー!」
天狗のとーちゃんとヒトのかーちゃん。おいらはその二人のとこに生まれた。そして、山奥で平和に暮らしていた。
あの日までは――。
山を颯爽と駆け上がり、家の戸を開いた。
「かーちゃん、帰ったよー!! あんね、おいら、木と木の間飛び移れるようになったん、や……」
戸の先で、飛び散った赤いもの。倒れているかーちゃん。
おいらのことをいつも褒めてくれたかーちゃんは何も言わない。動かない。
「かーちゃん? かーちゃん! かーちゃん!!」
飛びついて肌に触れた。その冷たさに思わず手を引っ込める。
かーちゃんが、かーちゃんが……。
おいらは立ち上がった。
かーちゃんを助けないと、とーちゃんを呼ばないと。
おぼつかない足取りで庭に出て大きく息を吸う。ただ、声を出すんじゃない。天狗の力を意識して……。
『とーちゃん!! かーちゃんを助けて!!』
叫んだ。山がざわめき、ふもとで仕事をしているとーちゃんの所まで声を届けてくれるはずだ。
力が抜けておいらは座り込む。
心のどこかではわかっていた。かーちゃんは冷たくなっていて、生きていないって。
でも、でも信じたくなかった。
かーちゃんは生きてるって信じたかった。
一陣の風が吹く。
「夜叉丸!! どないした、夜叉!?」
荒い息を吐いて、白い衣と翼を赤い血で濡らして、とーちゃんは帰ってきた。
「とーちゃん、それ、血……?」
「ん? あぁ、これか。ヒトがな、襲ってきたんや。おいらは何とか逃げ切ったんやけど、仲間がな……。それより、母ちゃんを助けてって、どない意味や?」
こっち、とおいらはとーちゃんの袖を引っ張った。
少しだけ安心した。とーちゃんはヒトを殺していないようだったから。
「かーちゃんが」
戸の先を見ると、とーちゃんは息をのんだ。そして、かーちゃんの手を取る。
「…………ダメや」
とーちゃんはかーちゃんに手を合わせると立ち上がった。おいらの目にもとーちゃんの目にも涙が浮かんでいた。
「……なんでや。なんで、こいつが殺されやなあかんのや!! こいつはヒトやぞ!? それに、おいらは、おいらたち天狗は何もしとらへん。怖がらせやんようにこうやって山奥で暮らしとったのに!!」
「とーちゃん」
とーちゃんの言うことはよく分かった。おいらも知ってたから。よくわかってたから。おいらも泣いているから。でも、
「かーちゃんじゃないヒトのにおいがする」
「ヒトが近くにおるんか……。しゃあない。行くで」
とーちゃんはおいらの手を掴むと足早に歩き出した。
「かーちゃんは!? かーちゃんはどうすんの!?」
「置いてく。死んだんや。どうしようもない」
「でも!!」
「夜叉丸!!」
目を、見られる。じっと。震えた手がおいらの肩を掴んでいた。
「わかってくれ。わかってくれ、なぁ……」
「……わかった」
とーちゃんと二人、庭に立つ。おいらはとーちゃんに抱きしめられ、とーちゃんは背中から天狗の象徴でもある翼を出す。
「夜叉、聞け。これからふもとに下りる。下りたら絶対においらの事をとーちゃんって呼ぶな。ヒトの子に徹しろ。エエな?」
「とーちゃん……?」
「――おめぇは、おめぇだけは人の子としてでも生きてくれ。生き延びてほしいんや……。わかったな?」
「……わかった」
色々と言いたいことがあったけど飲み込んだ。言えるわけがない。泣きそうな、悲しそうな顔見て言えるわけが。
「飛ぶぞ!」
「あい!」
目をつぶってしっかりととーちゃんに抱きつく。
背中に当たる風がとても速く進んでいくことを伝えてくれる。
「……とーちゃん」
「なんや?」
「だいすき」
「おいらもや。大好きやで、夜叉」
おいらを支えていた片手を離し、頭を撫でてくれた。
すぐさま抱きしめ直され、降下していく。
「もー着くで。みっつ、ふたつ、ひとつ。ほら、着いた。目ぇ開けてエエよ」
そっと目を開いた。見えたのは、ずっと遠くから見ていた村。家々。人。眠っている同い年くらいの子供たち。
「こん子らたぶん捨て子や。捨てられた子供。おめぇも捨てられた子供の一人の振りしろ、エエな?」
おいらはこくりと頷いた。
「うまいこと行ったら帰ってくる。無理やったら……こん子らと幸せになり」
「と
しーっと言われながら口を押さえられる。
「約束、やろ。またな。生き……」
言葉が途中で止まった。
とーちゃんの胸が赤く染まる。そして、
“い き ろ 、 や し ゃ ”
とーちゃんの口が動いてにっこりと笑った。
そのままとーちゃんは倒れる。赤い血を流しながら。涙を流しながら。微笑みを見せながら。
「こんな小さな子供を神隠しする気か? この化け物め」
とーちゃんと比べるとずいぶん小柄なヒトだった。
そいつは刀からとーちゃんの血を拭っておいらたちに笑いかけてきた。
「危ないところだったな。化け物は俺が“殺し“た。もう大丈夫だぞ」
……化け物? とーちゃんが、化け物?
とーちゃんが? とーちゃんが!?
「とーちゃんは……」
「……?」
涙は出てこない。その代わり怒りが徐々に湧いてくる。
「トーチャンハ、化ケ物ジャナイ。トーチャンハ、トーチャンハ……」
「化ケ物ジャナイ!!」
――悪しき存在、天狗を滅する。それが、自分、天狗狩りの存在意義だと思っていた。
だから、餓鬼に覆いかぶさっている天狗を斬って、ずっと起きて見ていた餓鬼に笑いかけた。
ただ、それだけだ。それだけなのに。
どうしてこの餓鬼は、殺気をまとっている。
どうしてこの餓鬼は、ゆらりと立ち上がっている。
どうしてこの餓鬼は、雄たけびを上げながら血を流している
どうしてこの餓鬼は、目を“紅く”染め、“白銀の翼”を広げているんだ!
「くそっ!!」
刀を抜いた。そのまま構える。
餓鬼……俺にもこんくらいの息子がいるから殺すのは忍びないが、やるしか、ない……。
「オイラタチハ、何モシテイナイ!! ナンデ、ナンデ殺サレナケレバナラナインダ!! トーチャンハ何モシテイナイ!! カーチャンハ、ヒトダッタ。ナノニ!!」
血を流し、翼をはためかせ、涙を流しながら、餓鬼は叫ぶ。
「オイラタチハヒトヲ怖ガラセナイヨウニ、山奥デヒッソリト生キテキタノニ。オメェラノ生活ヲ何モ脅カシテイナイノニ」
耳を貸すな。貸してはならない。
頭では分かっているのに身体が動かない。
「平穏ヲ望ミ、山で暮ラシテキタオイラタチト、容姿ニ怯エ、力ニ怯エ、何モシテイナイオイラタチヲ殺ス……」
「イッタイドッチガ化ケ物ダ!!」
飛びかかってきた餓鬼を斬りつける。
腕を傷つけたが、傷はすぐに癒えた。
「くそっ!! 強すぎる!!」
力に飲まれて暴走しているからか、この餓鬼の話では混血であるからか、その両方か。いずれにせよ、今まで斬ってきたどの天狗よりも強いことは確かだ。
腰に付けた箱から呪符を取り出し、餓鬼に投げつけ印を切る。
「急急如律令呪符退魔!!」
「グッ、グルアアアァァァァ!!」
一瞬ひるませることはできたが、それだけだ。何の損傷も与えられていない。
「卑怯だろ!!」
大抵の天狗はこれで損傷を与えられ封じやすくなるのに!!
呪符を自分の周りに投げ、四縦五横に切る。
「臨兵闘者皆陣裂在前!!」
焼け石に水だろうが、ないよりはいいだろう。
左手の親指を噛んで血を流すとその指で刀をなぞった。
「解!! 急急如律令!!」
一瞬でかなりの力をとられふらつきながらも殴りかかってくる餓鬼を斬る。多少動きが鈍くなった。
この術は、血を用いた“禁忌“の術は、効く。
拳を避けながら自分の掌を刀で切る。
「悪いなぁ、餓鬼。その力、封じさせてもらうわ」
「ガァァァアアア!! グルァァァアアア!!」
刀を、落とした。そのまま爪で裂かれるのもいとわず天狗の餓鬼を抱きしめた。
「ウガァァアアアア!!」
暴れる餓鬼を抑え込みながら額に俺の血を付け、口の中にも血を流しこみ、飲ませる。
痛む身体を無視して印を切った。
「己が血において、汝が力を封ず。急急如律令呪符退魔」
額に呪符を貼り付ける。少しもしないうちに暴れていた餓鬼の体から力が抜けた。
俺も朦朧とする意識を振り払って少しだけ力を抜く。
呪符がはらりと落ちた。
「…………っ!!」
白銀の翼を失った餓鬼は、俺の血にまみれた餓鬼の顔は涙であふれていた。
どう見ても普通の餓鬼にしか見えなかった。
力を封じた今、俺が刀を振り下ろせばこの餓鬼は死ぬ。なんの抵抗もできず、餓鬼の父親と同じような姿になるだろう。
だが……。
「餓鬼。名前。お前の名前は?」
「な……まえ……。おいら、なまえ……。とーちゃん、さいご……よんで、くれた。おいら、やしゃ……やしゃまる……」
「夜叉丸、か」
名を知った。これで、術を用いてこの餓鬼を殺すことも、記憶ごとすべて“封じる“ことも可能だ。
本来は殺すのが原則だ。天狗は“悪”であるから。
でも俺はこの餓鬼を殺すのが忍びない。
俺がこの餓鬼の父親を殺したから。目の前で。この子の言ったことがなぜか心を締め付けるから。息子がこのくらいの年だから。
「年はいくつだ?」
「……むっつ」
小さな声で答えた。
息子と同じ年か……。
「お前は、生きたいか? ほとんどの天狗はお前の父のように死ぬ。殺される。お前の仲間はいなくなる。それでも、生きたいか?」
餓鬼の目に殺意が宿った。そのまま俺に襲いかかろうとするが、力を封じたため、俺の腕の中で起き上がることすらできなかった。
「お前はっ、おいらが必ず殺す!! とーちゃんの仇だっ!! とーちゃんは、最期においらに言った、生きろって。だから!!」
「――そうか。だが、餓鬼、今のお前に何ができる? 俺に力を封じられた只の小さな餓鬼だ。術なんざ使わなくても俺はお前を殺せる。それでも粋がるか?」
猫のように威嚇しながら餓鬼は頷く。目の中には強い光が宿っていた。
「じゃあ、殺してみせろ。俺はお前を生かす。力も記憶も全部封じてお前をヒトとして育てる。だから、いつか封印を解くか解かれたときにお前が俺を殺せ。いいな?」
俺は何を言っているんだ。何度もそう思った。でも、俺はこの餓鬼を殺せない、いや、殺したくはないし、何より、この餓鬼になら殺されてもかまわないと思っている自分がいた。
「あいつらも俺は拾う」
俺はいまだに眠っている小さな餓鬼たちを指差した。五人いる。
「お前は今日からあいつらの兄貴だ。あいつらの手本となれ。お前はこの記憶を失うが……魂に刻んどけ」
餓鬼はこくりと頷いた。
「お前の記憶を封じるぞ。お前の名をもって。新しい名は……や、や……夜六。夜六でいいか」
血を額につけ、その上から呪符を貼り付けた。
「汝が真の名をもって、汝の記憶を封ず。急急如律令」
餓鬼は目を見開き……気を失った。額の血を拭い微笑みかける。
「しばらく寝てろ。んで……ヒトとして、生きろ」
父親の遺言なんだろう?
刀をおさめ、帯紐で餓鬼を背中に固定して残りの五人を……起こすか。無理だ。全員背負ってとか無理だ。
「おい、おい、起きろ」
「んう……? おじさん、誰?」
「おじ……俺は吉衛門だ。天狗狩り。ここは危ない。俺がお前らを拾う。育てる。だから、立て」
訝しげに俺を見つめる六つの目と起きる気配のない赤ん坊二人。
「おじさんが天狗じゃない、っていう確証とかないし、もしかしたら人攫いかもしれない。だから行かない」
えらく、賢い餓鬼だ。怒りを覚えるくらいには。
「この通り、俺は天狗狩りだ。さっさと立ってくれ。俺はすぐに頭領のところに戻りたいんだ」
左腕に巻きつけた天狗狩りの証である腕輪と呪符を見せる。
それでもこの餓鬼の疑いは終わらない。
「天狗狩りだからといって、僕は……」
「あぁもう面倒くせぇ!! 俺には息子が一人いる! そいつとお前ら同じくらいの年なんだ! 殺せるか! 売り払えるか!! さっさとついてこないなら置いてく。今までどおり、食うものに困りながら盗みでも何でもやってろ!!」
赤ん坊二人を抱き上げさっさと歩いていこうとする。
「…………なんで僕らを助けようとするんですか? 人は忌み嫌いこそすれど、助けてくれようとはしなかった」
「この餓鬼と約束したんだ。お前らの兄貴となれ、ってな。あと、あれだ。そんな村の片隅でひっそりしてたら天狗に攫われる可能性があるだろ。俺はもう、餓鬼の泣く姿なんざ見たくねぇ」
背中の餓鬼……夜六の泣き顔を思い出しながらため息をつく。
「…………それだけですか?」
「そんだけじゃ信用に足りないか?」
餓鬼は首を左右に振った。
「信用、します。助けようとしてくれたのはあなただけだから」
餓鬼は立ち上がるとあと二人も立たせた。
「僕は、秀作です。こっちの子は萱蔵。こっちは綾です」
右手にいる男が萱蔵で、左手の女が綾か。両方小さいな。
「いくぞ」
「あ、あの、その子たちは名前がわからなくて……。あと、ありがとうございます」
「礼なんていい。ついでだ」
手を振って歩きだす。さほど立たないうちに頭領の待つ俺の所属する天狗狩り集団の隠れ家に着いた。
「おいおい、吉。その餓鬼はなんだ?」
「あー、こいつら、天狗にさらわれかけとったんですわ。危ない思うて拾うたんです」
「育てんのか? お前が?」
「へぇ」
がははと大きな声で笑われる。人を馬鹿にしたような笑いだ。
食ってかかろうとする秀作の首根っこを掴み抑えた。
「無理だろ。お前には無理だろ。そんな大量の餓鬼、食わせられんだろ。むしろ食う気か?」
「まさか。そんなことしませんわ。ちゃんと育てます。父親が一座の頭領しとるんでその跡でも継いで育てるんで大丈夫ですわ」
後ろで小さなうめき声が聞こえた。帯紐をはずして下ろしてやると予想通り夜六の目が覚めていた。
「夜六。目、覚めたんか」
「ん? ここ、どこ……?」
「気にせんでエエよ。もう帰るでな」
一撫ですると俺は頭領に向き直った。
「継ぐ……お前、天狗狩り辞める気か!?」
「そうです。こん子らのためにも危ないことしてられんので」
刀を突き付けられた。喉元に。気にせず頭領に笑いかける。
「こん刀なんですか?」
「お前は、うち一番の術師だ。勝手に辞めることは許さねぇ!!」
「そうですか。じゃあ、勝負や。規則通り」
赤ん坊を秀作と綾に預けてゆっくりと腰から呪符を取り出した。
「――貴重な戦力をこれ以上欠く覚悟があるなら」
印を切る動作をしただけで頭領は一歩引いた。
戦うまでもないな。
「エエですか、辞めても?」
頭領は目をそらして頷く。
「ほな、今までありがとおございました」
ぺこりと頭を下げて綾から赤ん坊を受け取り夜六の手を引き歩き始めた。
「く……くそがぁ!!」
「急急如律令」
無様な叫び声とともに飛んできた呪符を振りかえることもなく撃ち落とす。
「命惜しくないんか?」
振り返ることはしない。
「…………」
「そうか。さー、みんな帰ろかー」
それ以上呪符や剣が飛んでくることはなかった。
家に帰ると妻に天狗狩りをやめたこと。餓鬼を拾って、こいつらを父親の跡継ぐことで育てていくつもりだということを伝えた。
前々から天狗狩りをすることに反対していた妻は喜んで赤ん坊たちの世話を始めた。
餓鬼たちには実の息子と分け隔てなく愛を注いだ。
俺は、赤ん坊に松郎、一花と名付け役者や脚本を書きながら平穏に暮らしてきた――。
「悪いな、夜六。お前を……ヒトとして育てきることはできなかった」
あの時と同じように能力に飲まれ、紅い瞳を光らせながら、白銀の翼を広げる夜六を見つめて小声でつぶやく。
そして、
「頭領さん、どうするんです? あん子、止められますか?」
かつての上司、いまだに頭領をしている今回の首謀者に笑いかけた。
「吉……てめぇ……」
「天狗攫うたらこんことなるくらいわかっとったんちゃうんですか?」
なにも返さない。
すでに異形の者と化した息子に目を向ける。
「本当に、どっちが化け物だったんやろうなぁ……」
夜叉丸は思うがままに力をふるう。力に飲まれているから。
「夜六の封に気付いて、夜六が大人になったら俺をだしにあいつを売って稼ごうか、か。俺、あんたのことはずっと嫌いだったよ」
銃を弾き飛ばし、傷も瞬時に回復。
……やっぱりあいつは強いな。
あらかたの人間を吹っ飛ばした夜叉丸がこちらに気付いた。
「どないします? 頭領さん。あいつに勝てるんですか?」
「く……くそっ!!」
頭領は刀を抜き夜叉丸に飛びかかっていき……瞬時に刀を折られ軽く空に放り投げられた。
「あー、あの頃でも反則級だったのに、今じゃもう敵わないな」
「コ、ロス……」
夜叉丸は、縛られていて抵抗できない俺の首を掴み、持ち上げた。首吊りのような状態になり、どうしても息が上がる。
「父親のこと思い出したからな……。エエよ、殺し」
あぁ、苦しい。本当に苦しい。息ができない。
「約束だから。気にしない。お前は夜叉丸だ。殺せ。父の仇を取れ」
「トーチャンノ、仇? 殺ス、殺ス……!!」
徐々に首に力が加わっていく。意識がもうろうとし、視界に白いもやがかかる。
「……大好きだ、夜六」
必死で笑みを作り――俺は意識を失った。
「……大好きだ、夜六」
ソイツハ、笑ッタ。オイラガ首ヲ絞メテイル男ハ、笑った。――吉衛門さは、笑った。
「吉、衛門さ……」
手から力が抜ける。
目の前に吉衛門さが落ちた。
「おいら、何を……」
なんで、吉衛門さを、殺そうと……?
おいら、吉衛門さに名を呼ばれて、それで、それで……。
「吉衛門さが、とーちゃんの仇……」
よみがえった記憶の一部を口に出す。
信じられない。でも、でも、記憶はそう告げていて。
「あぁぁああああああああ!!」
嘘や嘘や嘘や!! そんな、そんなことって……。
血にまみれた己の手を見つめる。
たぶんおいらは殺した。ヒトを。おいらは……。
「―――――――――っ!!」
かーちゃんは他の天狗狩りに殺されたんやと思う。おいらに残されとった唯一の肉親はとーちゃんだけだった。そのとーちゃんを目の前で奪ったのは吉衛門さ。でもおいらを今までヒトとして育ててくれたのも吉衛門さで……でも、でも……。
……恨んどるんよ。吉衛門さのこと、おいらはたぶん恨んどる。殺したいとも思うとる。でも、でも、おいらは、吉衛門さがおらんだらここにおれへんかった。天狗狩りに殺されとった。とーちゃんと同じように死んどった。
おいらは、おいらは本当にどうすれば、エエの……? おいらは、どうすればエエんよ……。教えてぇ、とーちゃん、かーちゃん、吉衛門さ……
「……好きに、生きればいい」
「吉衛門さ!?」
顔を上げ、吉衛門さを見る。
荒い息は吐いていたが、確かに生きていた。
「俺を、殺したければ、殺せ。そいつらを、殺したければ、殺せ。飛び立ち、一人で暮らしたければ、そうしろ。俺は、止めない。お前を、お前の、意思を、尊重する」
お前は、どうしたい?
問われた内容を頭で繰り返す。
おいらは、どうしたいか。
とーちゃんの仇? もちろん取りた……かった。でも、時間が経ったからかそこまで積極的に取りたい気はしねぇ。
あたりを見回す。転がるヒト。吉衛門さを傷つけたヒト。おいらを利用しようとしたヒト。おいらが傷つけたヒト。こいつらを殺してぇか? 否。
一人で暮らしてぇか? ……積極的には思わねぇ。でも、おいらがいればきっと大吉座の皆に迷惑がかかる。だから、出て行こう。
吉衛門さを大吉座に届けて。秀作たちとの約束を守って。
「吉衛門さを連れて帰る。吉衛門さはおいらの仇や。でも、おいらの、おいらたちのたった一人の育ての親や。おいらには殺せん……」
背中の骨に力を入れ、翼を出す。あん頃はあんなに苦労して出したがっとったのに、今じゃ一瞬や。
「――そうか」
短くそう言うと、吉衛門さは体勢を崩しながら立ち上がった。
「どこ行くん?」
「少しだけ、待ってろ」
おぼつかない足取りで吉衛門さは歩く。そして、倒れているヒトの元に行き、一人一人の手首のあたりを握った。
「吉衛門さ、何しとる?」
「生きてるか確かめてるだけだ。大丈夫。致命傷負ってるやつはいない。お前は誰も殺していない。無意識のうちに力を抑えていたんだろ」
「生き、てる……?」
おいら、殺してないのか? 誰も?
「殺してない。だからそこまで気に病むな。帰るぞ、夜六。……夜叉丸の方がいいか?」
「夜六、でいい」
涙を拭き吉衛門さを見た。吉衛門さはいつも通り笑っている。
「ありがとお、吉衛門さ」
「構わん」
そっけない返事が嬉しかった。
おいらは飛ぶために吉衛門さを抱きしめる。
「……飛ぶ」
「あいよ」
地面を蹴って大空へと飛び出す。翼をはためかせる。
あのときはおいらがとーちゃんに運んでもらっていた。それが今はおいらが育ての親を運んでいる。記憶が封じられていたとはいえ、時というもんはあっという間やな……。
「吉衛門さ、あいつら放っといて大丈夫なんか?」
「大丈夫だ。そもそもあいつらがやったことは人さらい。お役人に見つかったら大変なのはあちらも一緒。お前のことは存在すら口に出さんだろ。内輪で言われるだけだ」
そのことが嬉しいのか悲しいのかおいらにはよくわからなかった。嬉しい気もするし悲しい気もする。胸の中がもやもやした感じだった。
「空を飛ぶってのは気持ちいがいいな」
「…………」
「夜六?」
「もやもや、しとるんよ。よくわからんの。おいら自身も。どうしていいかとか、よくわからんのやよ」
気持ちの整理がつかへん。全部。たぶんそんな感じや。
「したいように動けばいい。さっきも言っただろ。お前は、やりたいようにやればいい」
「その、やりたいことがわからんのやよ……」
「だったら、一番これをした方がいいと思うように動け。一番いい結果になるように動け。それが最善だと思うように動け」
吉衛門さは微笑んだ。
「それが一番だ。それが一番良いことに繋がる。きっとな」
「…………うん」
おいらは吉衛門さを強く抱きしめ直し、降下する。
見えてきたのは、町。まだ人々の居ぬ町。
おいらたちが育った町。
「降りんで」
「おう」
その町はずれに降下した。見慣れた家。舞台のある会場。
おいらが育った家だ。
「着いた。帰ったよ。おいらたちの家に」
「おう。ありがとう、夜六」
おいらは吉衛門さを降ろした。吉衛門さは笑っておいらの頭を撫でる。
そして、大きく息を吸った。
「帰ったぞー!!」
「……ただいま」
小さな声でつぶやいた。
無駄な事とはわかっているが翼もしまう。
「父さん!!」
真っ先に飛び出してきたのはまっちゃんだった。笑いながら泣きながら吉衛門さに飛びつく。
「おかえりなさい、父さん! 父さん……っ!!」
「ただいま、松郎。悪かったな、心配かけて」
次々とみんなが飛び出しては吉衛門さに抱きついていく。
おいらはそれを遠くから眺めた。居心地の悪さを感じた。
「おかえり、やっつあん。ちゃんと約束守ったやないかい」
「…………秀作」
秀作は勢いよく何度もおいらの背中を叩く。
「どないした、元気ないやん。せっかく吉衛門さ連れ戻したのに」
「……ちょっとな」
「もっと喜ばな。な、やっつあん」
「勝手に出ていきやがって、この馬鹿野郎!!」
「へ、は?」
横から跳んできた拳においらと秀作は吹っ飛ばされる。転がって……木にぶつかって止まった。
「あ、綾……」
「全部、全部教えてなかったのにっ! 心配したんだぞ、この馬鹿野郎!!」
「……俺巻き添え?」
悲しそうな秀作の声。涙まじりの綾の声。
「綾、悪い。でも、時間なくて」
「そんなの、関係ないっ! 心配したんだからな!!」
立ち上がって綾の元へ向かう。そして頭を撫でた。
「ごめんなぁ、綾」
「二度と、二度と勝手に出ていくようなことするな!! 馬鹿夜六!」
「……ごめんなぁ」
綾。その約束は、守れそうにないんや。
「秀作、後は頼むわ。みんなをよろしく」
「は?」
背中に力を入れた。翼を出す。天狗の証である翼を。
「おいらはっ、天狗だっ!」
そして、飛び立つ。
「ずっと、おめぇらを狙ってた。神隠ししてやろうってな!」
木の上から皆を見下ろす。
「ずっと反吐が出てた! のんきな生活にな!! 何も知らずのんきに暮らしやがって!!」
悲しそうな吉衛門さの視線とおびえるような皆の視線。
「もうそろそろ飽きたから出ていくわ!! 神隠しする価値のあるやつもいないようだしな!!」
うん。これでいい。これでいいんだ。
「さよならや!!」
これがおいらの思う最善。
翼をはためかせ、木を蹴りだし飛び立つ。
「秀作、やれ」
「あいよ。急急如律令呪符退魔」
飛び立った瞬間、横手から飛んできた呪符にはね飛ばされ危うく落ちかけた。あわてて飛んできた方向を見る。
そこにいたのは呪符を構えた吉衛門さと秀作。
なんで、秀作が……!? それよりもっ!
「それがお前の選択か、夜叉丸」
「あぁ、そうや。なんか文句あんのか? 好きにしろ言うたんはあんたや!!」
「確かに言ったな。だが……」
秀作が印を切っているのが見える。おいらにたいした損害を与えることはできないだろうが用心に越したことはない。
「嘘ついてまでいなくなる必要はないと思ってな。お前のことを必要としてるやつがここにはたくさんいるんだ。だから、お前がそんな去り方するなら――撃ち落とさせてもらう。秀作」
「うーい。己が血を用いて汝が力を奪え。急急如律令」
「己が力を用いて汝が力を奪え。急急如律令」
「ちっ!!」
飛んでくる呪符をよけ、かかとで撃ち落とす。触れたところから身体を揺さぶられた。一瞬だったにもかかわらずかなりの力を奪われて身体がふらつく。くそっ……。
「短刀置いてきたのが間違いだったな」
下では吉衛門さがおいらの短刀を振って笑っている。
よくよく考えればどうしておいらは対抗しようとしたんだ。ここから逃げ切ればいいだけじゃないか。
「逃がさんよー、兄ちゃん? 己が血を用いて汝を捕らえよ。急急如律令」
「誰が、捕まるかっ!!」
飛んできた呪符を今度は触れることはせず、ただ避けた。そしてそのまま逃げるために方向転換。高速で翼をはためかせる。
「二人、いるんだぞ」
刹那。吉衛門さが飛ばしたであろう呪符に触れられた。一切気付くことができず、さして抵抗もできず、おいらは落ちた。
地面に這いつくばって皆を見る。
「情けないな、夜叉丸。大見得切ってそのざまか」
「吉、衛門さっ!!」
睨みつけるが、その視線をもろともせず吉衛門さは微笑んだ。
「秀作。任せてばかりで悪いが」
「大丈夫。これが、弟の役割やから」
秀作に顎を引かれ血を流しこまれる。あわてて吐き出そうとしたが口をふさがれ鼻もふさがれ、息ができない。仕方がなく飲み込んだ。
「悪いな、やっつあん。そん力封じさせてもらうわ」
「なっ……なんでっ、おめぇ術がっ……」
「術? あぁ、昔から親父に教えてもろうとったんよ。――万が一ん時にやっつあんを止めるために。俺は昔から知っとったで、やっっあんが天狗やってこと」
「んな、馬鹿な……」
「事実や」
額に血を塗られその上から呪符を貼り付けられる。これ、はがして逃げないと、おいらは力を奪われる。封じられる!!
「無駄や。抵抗せんとき。己が血と汝が真の名において、汝が力を封ず。急急如律令呪符退魔」
「うがぁぁぁあああああ!!」
身体中の、力という力が、呪符に取られ、て……。苦しい。痛い。やめてくれ。やめてくれ。苦しい。身体が……。
翼が呪符に引きずられるように戻っていく。やめてくれ……。
「や、めろぉぉぉおおおおおおおお!!」
「嫌や。残念やったな、やっつあん。全部いただいた」
おいらの顔を真正面から見つめて秀作はにやりと笑った。
「親父、封じた。これでやっつあんは……人や。夜六ってゆう只の人や」
「ありがとな、秀作」
「いえいえ」
吉衛門さに頭を掴まれ無理やり立たされた。そのまま頭を下げさせられる。
「みんな、すまなかった! こいつを拾ってから十七年間、俺は皆を騙し続けた。こいつが……夜六が天狗であるということを伏せ、ヒトとして育ててきた。皆に言うべきだったのに、黙ってて本当にすまなかった、この通りだっ!!」
……そっか。おいら、知らなかったとはいえ、みんなを騙してたことになるのか。
頭を下げさせられながらふとそんなことを考える。
おいらは、異形の者や。妖怪や。ヒトじゃねぇ。とーちゃんみたいに殺されんのか。皆、力におびえて……まぁ、いいや。
ここでみんなに殺されんなら別に悪くない。
「顔上げろよっ、親父っ!!」
「吉乃助……」
顔を上げさせられた。そこにはいつも通りの仏頂面の義兄がいた。
こいつ、吉衛門ささらったのに一枚噛んでたくせに、なんでこんなにも堂々と……!
噛みつかんばかりに睨みつけ、吉衛門さに耳打ちしようとする。
が、吉衛門さ自身にさえぎられた。まぁ聞けと目が言っている。
「夜六!! 俺はおめぇが大嫌えだ! それはおめぇが天狗だからとかそういうんじゃねぇ、ただ単に気に食わねぇからだ! おめぇのが俺より何でもよくできる、だから嫌いや!!」
「にい……?」
思わず昔の呼び方が出た。それだけ吉乃助の顔は昔とそっくりだった。初めて会ってすぐの顔だった。
「天狗だった? それがどうした! 俺がおめぇを嫌いなことは変わりゃしねぇ! 天狗だからといって、なんも変わりゃしねぇ!! おめぇは、おめぇだ!! だから頭なんて下げてんじゃねぇよ!」
「……。父さん。夜兄。俺も正直びっくりした。でも、吉兄の言う通りだ。夜兄が天狗であろうとなかろうと、何も変わらない」
まっちゃんはそう言って微笑んだ。
「吉乃助、松郎。ありがとな。夜六、お前はさっき何を言おうとした?」
あぁやって言われた後に……言いにくい。けど、吉乃助が、あいつらを手引きしたのは、態度で見え見えで……。
「吉乃助が、手引きした。天狗狩りのやつらを、手引きした!!」
「……夜六、お前はそれを見たのか?」
「見てない。でも、吉乃助の態度が。おいらが問い詰めたときの態度が!!」
「態度だけじゃ証拠にならんやろ」
「やけどっ!!」
だって、でも、あんときの吉乃助の態度は、絶対に……。
「ぷっ、くくく、はっはっは。ずいぶん、演技上手くなったなぁ、吉乃助。やっつあんも騙されとるけ、ほんまに才能あるんちゃう?」
「おめぇに言われると微妙に自信なくすわ」
大声で笑いあう秀作と吉乃助。え、どういう……?
「あれは全部、やっつあん焚き付けるための演技や。俺が吉乃助に頼んだ。騙されよったなぁ、やっつあん」
「……秀作?」
おいら騙されてた、のか……。秀作と吉乃助に?
「ふ、ふざけんなぁ!! おめぇら、なんでっ!」
「アホか。吉乃助が普通に頼んでやっつあんが自分から動くか? 自分で動けってふて寝やろ。かといって吉乃助に助けられっかってそりゃ無理や。やったら焚き付けた方が早いかな、思うて」
ありがとうな、やっつあん、騙されてくれて。と秀作は馬鹿にしたように笑う。
「秀作の馬鹿野郎!! おいらもおめぇのこと大嫌いや、吉乃助!!」
「馬鹿で結構」
「大嫌いで結構」
いまだに拘束を解いてもらえてないせいで殴りに行けないのがすごく恨めしい。
「いいか、吉乃助、夜六、秀作?」
「いいよー」
「……ん」
「あいよー」
吉衛門さがみんなの前に立った。
「解。放て」
いきなり拘束を解かれ、体勢を保てず思いっきり地面に顔を打ち付ける。痛ぇ。無茶苦茶痛ぇ。
「夜六はこの通り天狗だ。といっても混血だが。皆に危険が及ぶのは重々承知してる。が、俺が拾い、ヒトとして育てるという約束をした。頼む、この通りだ。力も封じるし、俺と秀作の二人でちゃんと危害が及ばないようにする。だから、」
「夜六を、ここにこのまま置いてやってほしい」
吉衛門さは、地に頭をこすりつけてみんなに頼む。なんで、そうして、そこまでしてくれるんさ……親父。
「俺からも頼むわ。ちゃんと管理するさかい、置いてやってください」
秀作。
「俺も……。夜兄はいい人だと思う、から」
まっちゃん。
「……こいつは大嫌いだが、俺からも、頼む」
吉乃助。
「「「「お願いします」」」」
一人、頷いた。また一人、また一人と頷いていく。
「みんなの意見だ。受けとめろ、夜六! お前は、ここにいてもいい。むしろ、いてくれ!! 二度と出てこうとするな! 次出てこうとしたら、アタシがぶん殴ってでも止めるからな!!」
綾……。
なんで、みんな……なんで。
「おいらは、おいらは天狗なのに……なんで、みんな、こんなに……。みんなを、傷つけるかもしれん。殺したるかも、それこそ神隠しに遭わせたるかもしれん、なのに」
頬を伝う、涙。止まらない。止めたくても、止まらない。
「馬鹿やな、やっつあん。決まっとるやろ、そんなの」
「「「「「家族だからだ」」」」」
みんな、卑怯や……。なんで、なんで……。
おいらは、天狗で、とーちゃんも、ヒトに殺されてそれで……。
「くよくよ悩むな、夜六。お前の好きなように進め」
「ぼーっとしてると、俺が二枚目の座頂くからな」
「やっつあん、呆けとんなら術で嫌がらせしてもええ?」
「夜兄は優しいから、優しい天狗の代表になればよくない?」
「悩んでんなら、アタシが相手してやろうか?」
ほんまに、ほんまに……。
「――――ありがとお」
おいらは、天狗で、でも、ヒトで……。
だからこそ、何かの懸け橋になれたらエエなと思う。
終
どうも、お久しぶり?です。宮村灯衣です。
今回の作品、割と好きに書きなぐったわけですが、面白くなってましたかね?
楽しんでいただけたら幸いです。
今回の小説の舞台は幕末。ですが、パラレルというか、なんというか、こことは違う昔です。こういう小説は初めてなので書いてて楽しかったです。
そして皆さん気付いていただけたかどうかわからないのですが、今回の小説は外来語を使っていません。正しくは、カタカナで表記される言葉、ですかね。表現の一部としてはカタカナを使いますが、言葉としては使っていません。だから色々と工夫が必要で苦労しました。
あと、設定の付け加えとしては、夜六くんが強いのは、混血だからです。血が混じると強くなります。
夜六くんにかけられた術は血を飲むこととしっかりと意思を持って名を呼ぶことで解除されます。
基本的には陰陽道の呪文ですね。
えーと、題名の禍転は禍を転じて福となす、からです。
天狗とヒトの混血であって封印が解除されたことが禍、そのおかげで家族の絆が深まったことがきっと福です。
このくらい、ですかね。
あ、何かあれば質問でも感想でもどしどしください。大喜びで答えます。
では、この辺で。
次回作でお目にかかれますように。
読んでくださった方に最大の感謝を!