夜道での危機
西暦2122年の今年は、昔は日本の国土の一部だった場所に、カルマ共和国という都市国家が成立して30年である。
カルマ共和国は、最裕福層の住む第一地区、その周りを取り囲むように位置する第二地区、さらにその外周に存在し、際貧困層が住まう、一番巨大な第三地区に分けられている。
ここは、最も巨大で最も貧困が蔓延している、第三地区である。
夜も更けた頃、路地を一人の少女が足早に歩いていた。
彼女の名はジェイド。
15歳とまだ未成年であるが、訳あってこの第三地区に一人で住んでいる。
いつもなら家に着いて寝ている時間帯であるが今日は仕事が長引いてしまったのだ。
(やっぱり仕事場に泊まればよかった)
ジェイドは内心後悔していた。
俯いて急ぎ足で歩いていても、路地の端に横たわる多くのホームレス達が嫌でも目に入る。
そして自分が肩からかけているバックへ、視線が注がれているのを感じる。
家に無事につく事を祈りながら、ジェイドはますます歩調を早めた。
しかし、恐れていた事態が怒った。
ジェイドの行く手を塞ぐように、屈強そうな三人の男達が、路地に立ち塞がった。
男達の顔も見ないまま、なるべく自然な風を装いーそれは無理な話ではあるのだがー元きた道を引き返す。
心臓の鼓動が早くなっているのを感じる。
男達から姿を隠す為に、路地を左へと曲がる。
自分がターゲットにされていない事を祈ったが、その祈りは届きそうになかった。
先程とは別の路地を行くジェイドの前に、またしても別の男達が立ちふさがっている。
ジェイドは全速力で走り出した。
叫んで助けを呼びたかったが、そんな事をしても誰も助けてくれないという事は、ここに3日も住めば分かる事実だ。
恐怖と興奮で身体中の感覚が麻痺している。
できるだけ路地をジグザグに曲がる。
三週間前から行方不明者になっている仕事場の友人の事が頭をよぎる。
ここで捕まったら、私も行方不明者になるのだろうか。
突然身体中に衝撃が走った。
気付いたら、倒れていた。
横の路地から飛び出してきた男に横から体当たりされたのだと一瞬遅れて理解する。
「いたぞーっ、ここだっ」
ジェイドの手をしっかりと捕まえながら、男が仲間に向かって叫ぶ。
ジェイドは半狂乱になって暴れる。
それが無駄だと分かると、男の腕に力一杯噛み付いた。
男は悲鳴をあげ、ジェイドは一瞬力が緩んだ隙をついて逃げ出した。
しかし直ぐに再び、襟首を掴まれてしまう。
「このガキ」
男は怒鳴りながらジェイドの両腕を後ろ手にひねり上げる。
「はなせっこの野郎」
やがてジェイドの周りに、複数の男達が集まってきた。
皆、その顔に汚らわしく卑しい笑みを浮かべている。
逃げなくてはという思いと、もう駄目だという絶望感がジェイドの頭の中で交差する。
「連れてけ」
ボスらしい男の声と共に、男達はジェイドを掴んだままぞろぞろと移動しだした。
荷物は奪い取られ、中を勝手に漁られている。
ジェイドは目に涙が浮かんでくるのを感じた。
何処につれていかれるの?売春宿?精肉所?色々聞きたかったが、声になりそうになかった。
「てめえ、何してんだここで」
俯いていたジェイドは、先頭をきっていた強盗の男の声に、顔を上げた。
そこにはジェイドを奇襲した集団とは明らかに身なりの違う、黒尽くめの男が立ち塞がっていた。
「じゃまだっつってんだろうがよオ」
先頭にいた男が、そう威圧した次の瞬間、黒尽くめの男は最小限の動きで、その体格のいい男を気絶させて見せた。
男が地面に倒れ込む振動が、足から伝わってくる。
ジェイドに分かったのは、一瞬手を振り下ろしたかのように見えた事だけだった。
あっけにとられた男達は次の瞬間に我に帰り、やっちまえ、という声と共に黒ずくめの男に総攻撃をしかける。
ジェイドは咄嗟に目を手で覆い隠した。
怒声や悲鳴や殴るような音が聞こえてくるのを暫く聞いた後、指の隙間からそっと様子を伺う。
黒尽くめの男は倒されていなかった。
それどころか、明らかに素人ではない動きで、強盗達の攻撃を受け流しつつ、強烈な打撃をお見舞いしている。
あんなにいた数がぐっと減って、減った分は地面の上で伸びている。
強盗が最後の一人になるのは時間の問題だった。
ボスらしき男は、情けない悲鳴をあげた後、ノックアウトされた。
ジェイドは呆然とその場に立ち尽くしていた。
しかし黒尽くめの男もいつまでたってもその場に立ち尽くしているので、ジェイドは強盗達につまずかないよう注意しながら、おそるおそる男に近付く。
絶対絶命の時に救って貰える程の貸しを誰かに作った事は、ないはずだ。
男の顔に見覚えがないか確かめる為に、ジェイドは男の顔を舐めるように見回すが、初めて見る顔だ。
「あんた、誰?」
少々無礼な質問のしかたにも男はあまり動じず、腑に落ちない表情のジェイドと視線を合わす以外の反応は特にしなかった。