第6話
「どういうことだ?」
純粋な疑問だった。蛇に良く似た魔物……蛇ではないため便宜上、ノヅチとでも名付けようか。(槌に似ているからだ。野生の槌。野槌。ノヅチ。我ながら安直だと思う。)ノヅチに噛まれた左腕は感覚を無くし使い物にならなくなったはずだ。
実際、力を入れようとしてもピクリともしなかった。痛みは感じていたが感覚は一切なかった。俺は医師ではないがある程度の知識はある。おそらく切断することも考えなければならないほどの怪我だったはずだ。
それが治っている。あれほどあった痛みもすっかりなくなっている。
もしかして、今の魔物も怪我も全て幻覚だったのか?
思わずそう思い左腕をジッと見つめる。良く見るとうっすらとだが歯型が付いているのを見付けた。今までの人生で腕に歯形なんて付けられた記憶はないため、これはやはりノヅチによるものだろう。ともすれば当然、今のは現実となってくる。
現実、なのか?
あれだけの怪我が一瞬で治るようなことが起こりうるのか?
魔法という言葉が浮かんできたが、自分には回復魔法は使えない。いや使えたとしても回復魔法というものは治癒力の促進でしかない。治りやすくなるものではあっても治るものではないのだ。
「……まあいいか」
分からないものは分からない。今重要なことは、左腕がこれからも使えるということだけだ。儲けものだと思うしかないだろう。そしてもう一つ。
その場に立ち上がり体をほぐすように伸ばす。
そして一度座りまた立つ。さらにその場で飛び上がる。最後に手にした棒を軽くふるう。
「やっぱりさっきより、体が軽い?」
ほんの少しだが、ノヅチと戦う前より体が軽くなっている気がする。
気のせいかもしれないが、そんな気がする。
「……まあいいか」
疲労感もない。体も動く。戦う意思も、目的も、俺には残っている。
それならば戦うしかない。戦って戦って、強くなるしか俺に道は残されていないのだから。
「そうだろ?」
そう言って、目の前の壁を睨む。
かすかに光る壁、その一部が少しずつだが黒く染まっている。
これが、誕生の瞬間なのだろう。壁から生き物が生まれるなんて俄かに信じがたい話だが、見てしまっている以上認めるしかない。
何度殺しても生まれ出ると父は言っていた。その話を聞いた時はいよいよ頭がおかしくなったかと心配したものだ。壁から生き物が生まれるなんてそんな馬鹿な話があるわけがないと思っていたが……なるほど、生まれる以外にも表現のしようがあるだろとも思っていたが……なるほどなるほど、実際に見てしまうと生まれる以外に表現のしようがないものだな。
やがて壁はぐにゃぐにゃと蠢き、母が子を送り出すかのようにノヅチが産み落とされた。
先手必勝! ノヅチはまだこちらに気付いていない。
後ろからそろりと近付き、手にした棒を渾身の力を持って頭に叩きこむ。
バキッという音とともに、棒はノヅチの頭部にめり込んだ。
叩きこまれたノヅチは何が起きたのか分からない様子で、ふらふらと頭を震わせながらその口をこちらに向けた。
やはり目はないようだ。あるのかすら分からないが、その小さそうな脳でも脳震盪くらいはおきるのだろうノヅチを見ながら、そんなことを思う。
頭が妙に冴えわたっている。
さっきノヅチを殺してからやはり何か変化したのだろうか。
ノヅチはこちらに大きな歯を向けて威嚇している。しかしやはり体が上手く動かないのだろう。それ以上の事はしようとしない。それならば……右腕を大きく振り上げ、棒を頭に叩き込む。バコっという音とともに再度ノヅチの頭に棒がめり込んだ。
ノヅチがひるむ。もう一度叩きこむ。ひるむ。叩きこむ。
九度繰り返したところでノヅチは大きく痙攣し、動かなくなった。
隙を突いたことによる、無傷の勝利だった。
ノヅチが光となって消えるその様子を今度はじっくりと観察する。
体全体が発光し、同時に消えていくのが分かる。
それはどこか、降雪期に降る雪のように儚く美しい。
毎年かかさず妹と初雪を見てきた。両親が死んだその年も。
空から大量に降り注ぐ神秘が妹は大好きで、年齢以上に大人びている彼女がその時だけは子供のようにはしゃいでいた。
その姿が酷く儚げで眩しくて懐かしい。
ふと気付く。大気に混ざるように消えていたノヅチの光の粒子が不思議な動きをしている。何かを探しているような……
そしてやがて光の粒子は消えるのをやめ、光を触手のようにこちらに伸ばしてきた。
不思議と避ける気にはならない。
永いようで短いこの時間が、ひどく大切なものに思えた。
胸の辺りまできても触手はその動きを止めない。それどころか、俺の胸にするりと入り込んできた。
それでも身動き一つしない。当然のように動くソレを当然のように受け止める。
全ての触手が入った瞬間、体が薄く光った。
「……おおお!?」
自分の体が光るという初めての体験に驚きを隠せない。
「ッ!!」
そしてやはりと気付く。森山に囲まれた生活と緊張戦いによる興奮によって、今の自分の感覚は鋭い。体がさっきよりもわずかに軽くなり、連続で叩きつけたことによる右腕の痺れが綺麗になくなっていた。
普通ではないことだ。
いくつか仮説を立ててみる。
一つ、この洞窟では何故か、戦闘終了時に全回復する。
一つ、この洞窟では何故か、戦闘勝利時に全回復する
一つ、この洞窟では何故か、戦闘勝利時、敵のなにかを吸収し、その分だけ体の回復に当てる。
「うーん……」
俺はあまり頭は良くない。ぱっと思いつくのはこの程度のことだ。一番それっぽいのは最後のヤツなんだけど……
検証するには負けなければならなく、魔物との戦闘による敗北とはほとんどが死に繋がる。
しかもこれらは所詮、仮説の域を出ない。つまり
「まあいいか」
ということだ。
分からないのなら分かる時に考えれば良い。
少なくとも今、試しに負けてみることなんてできないのだ。
「それに、お待たせするなんて申し訳ないしな」
そう言って、上を見上げる。
天井の壁が蠢き、魔物を生み出している。
すでにその口は見えているが、残念なことに棒は届きそうにない。
それなら、落ちた瞬間を……狙う!
右腕に力を込める。
そして、天井からノヅチが吐き出された。
跳躍するようにノヅチに向かう。
まだヤツは空中にいて身動きが取れない。
俺は棒を思いっきり横に薙いだ。
「……ふう。案外楽に倒せたな」
息を吐き、光の粒子を体に受けながら言う。
いつの間にか独り言が癖になってしまったようだ。
横に薙いで壁に叩きつけられたノヅチをすかさず追い殺す。やはり全部で十回ほど叩かなくては死なないようだ。
そして殺した後は体が軽くなり、疲れも取れる。この調子なら何度でも戦えそうだ。
「ふふふふふふ」
思わず笑ってしまう。
何度もノヅチを殺して、真正面からでも圧勝できるようになろう。
目下の目標は……千……いや一万だ!
残り9997体。殺しまくってやる。
「よーし、やるぞー!!」
今の俺はきっと、穢れを知らない子供のように爽やかな笑顔だろう。
「……うおおおおおおおおお!!」
爽やかな笑顔とか……何考えてるんだ気持ち悪い!
興奮しすぎておかしなこと考えてしまった。
あー恥ずかしい!
その後しばらくの間、その場にうずくまって悶えていた。