第56話
「本来アレクの龍の因子によって変化するはずのあなた心身に、アレクの中にある僅かな人間味が残った。それは龍に殺された人間で、龍を恐れる人間で、故にあなたは今脅迫じみた苦しみに襲われているのだと思うわ。私は、俺は、人間だ。人間じゃなくちゃいけないってね」
「それじゃあ……アレクさんも?」
「アレクは違うわ。自分以外の人間を内包していながらも、全く人間でなくなった事を忌避していない。妹を殺したのが人間であるかもしれないという事実と、凶悪なまでの復讐心が、自分の中にある人間を完全に否定しているの」
インシだかナイザイだか良く分からないが、なにやら褒められているような気がする。
「まあ気に病むことはないわ。その竜の身体と心にまだ慣れていないだけで、夜が明ける頃には自分が竜だという事が馴染んでくるはずよ。そして竜が馴染めば、ルサルカのその不安も消える筈よ。……ちょっと。なにニヤニヤしてんのよ?」
俺達の顔を見渡しながら話していたメアが、俺の顔をジトッとした目で睨んで来た。
なんのことかと思い手を口元にやると、口角が上がっているのが触ってとれた。
またいつの間にかニヤニヤしていたらしい。まあ褒められているのだからニヤけるのも仕方ないことだと思う。
「ふふん。つまり俺は凄いってことだな!」
「はあ!? なっ! バッ!! ……いや、そうね。事実、あんたは凄いと思うわ」
俺の言葉に驚いたような顔をしていたメアの放った言葉に、今度は俺が驚かされた。
「おいおい。熱でもあるのか?」
「ないわよ!! ……人が偶に褒めてやればこれだ! というかあんたも自覚しなさい! あんたは龍の中でも異端なのよ。あんたは龍でありながら人間でもある。さっきあたしが言ったこと、覚えてる? あそこでは、龍は倒した同族の知識、経験、意識、存在そのものを自らに上乗せしていくって言ったわよね?」
「あ、ああ」
そこは覚えている。自分でも自覚があるからだ。龍を倒せば倒すほど身体は強くなっていくし、まるで長い年月を生きてきたかのように精神が成長していくような感覚もあった。倒した龍が、自分を敬っているのを感じてとれた。知らなかった龍のことを、気が付けば知っていた。
「あんたは人間でありながら龍なの。龍でありながら人間でもあるって言った方がいいかしら? まあどっちでもいいわ。重要なのは、あそこで龍は、倒した同族の知識、経験、意識、存在そのものを自らに上乗せしていくという点。人間がなにを殺しても、獣人がなにを殺しても、あそこで得られるのは肉体的な加算のみ。分かる? 龍であるアレクオレスにとってだけ、人間は同族なの!」
「……分かる、と思う。だけど俺、あそこで人間なんて殺してないぞ?」
あそこで殺したのは龍だけだ。
「必ずしも人間を殺す必要はないの。龍はね、食べたものを消化はするけど、排出はしないの。水分は出すんだけどね」
「……? 言ってる意味が分からないが」
「だからね……その……は……けどだ……のよ」
俺の質問に、メアが真っ赤になりながらぼそぼそと呟く。
圧倒的に強化された俺の耳でも聞き取れないほどの小ささ。
口を動かしただけで声として出して無いんじゃないのかと疑うほどだ。
「は? なんて?」
「だ、だから、しょ……けど……はしないの」
「は?」
「おしっこはするけどうんこはしないのよおおおおおお!! 何回も言わせんじゃないわよ!!」
「お、おお。すまん」
「じゃなくて!! 重要だけど! 重要なのはそこじゃないの!!」
ふーふーっと声を荒げながら彼女は言う。
何が琴線に触れてしまったのかは分からないが、とりあえず深呼吸してもらう事にした。
「……ふう。それでね。龍が排せつをしないってことは人間であった成分?みたいなものは龍の中にいつまでも留まってるってことなの。つまり人間を殺した龍を殺したあんたは、間接的に人間を殺したことになるのよ」
「なるほど。……言いたいことはなんとなく分かったけど、人間を殺したから何だって言うんだ? 龍と比べると人間なんて微々たるものだろ?」
「肉体的にはね。でもその代わり人間には技術がある。あんた、急になにかが出来るようになったりしていない?」
「なにかって?」
「なんでもいいわ。家事でも炊事でも。とにかく龍じゃできないことで、今までの自分じゃ出来なかったとこが出来るようになっている筈なのよ」
それを聞いてふと思い出した。
あの洞窟で槌を使っていた時、ヴィーヴルとギーブルの突進を捌いたことがあった。あの時、円を描くように槌を廻すことで攻撃を避けなかっただろうか。
自分で気付いたような気がしていたけど、今こうして考えてみれば、最初から知っていたような気もする。
オルトロスを使った時もそうだ。
俺は剣を使ったことなんてほとんどないのに、まるで自分の手の一部のように扱う事が出来た。龍が殺した人間の中に、剣の達人でもいたのかもしれない。
「その様子だと思い当たることがあるみたいね。その程度には、あんたは凄いのよ。一応理解しておきなさい」
そこまで言うと、メアは立ちあがってパンと手を叩いた。
「それじゃあ今日は寝ましょう! 龍は必ずしも毎日の睡眠を必要としている訳じゃないけれど、今のルサルカには睡眠が必要よ。ヴィーラも寝ているし、これでお開きにしましょう」
メアの言葉に反応してヴィーラを見てみると、姉の裾を握るようにして彼女は寝ていた。
静かだなーとは思っていたが寝ていたとは。それだけ、今日が疲れたという事なのだろう。
それを見て、ルサルカがあらあらといいながらヴィーラの頭を撫でる。微笑ましい光景に思わず笑みが浮かんだ。
「そうだな。それじゃあ寝るか」
「はい。そうですね」
「そうね。あの子達も、そろそろ街を焼き払ったかしら? 明日が楽しみね」
街へ行った四頭の龍達に意識を向ける。
あれから数刻は経っていた。早ければもうすぐ終わるかもしれないな。
そう思った時、こちらに向かってくる三頭の龍の気配を感じた。あの龍達だ。
三頭しか感じられないことにも疑問を感じるが、それ以上にその気配の弱弱しさに不安を感じた。まるで死にかかっているような……
ズドンと地面が揺れた。
恐らく龍の気配を追ってこっちに来ていたが、魔法陣のせいでここを見付けることが出来なかったのだろう。
ふらふらと上空を漂っていたかと思うと、家の近くの森に、落ちた。
降りたのではなく落ちたのだ。
それが確信できるほどの衝撃に、メアが慌てて家を飛び出す。
「ルサルカはここに居てくれ! ヴィーラを頼む!!」
ルサルカにそう告げて、俺も家を飛び出した。
すぐさま走っているメアの隣に並ぶ。
「なにが起こったんだ!?」
走りながらメアに問う。
「分からないわ! でも!」
「……ああ」
普通じゃない。
家から少し離れた森の中。焦りながらもたどり着いたそこ。
認識疎外の効力の及ばないギリギリの位置に、その姿はあった。
「え、へへ、へ。……すみま……せん。やられちゃったっす」
血だらけの体躯、千切れかけた翼。今にも尽きてしまいそうにか細い魔力。
街へ行った筈の龍達の、変わり果てた姿がそこにはあった。