第51話
家に着いたのは陽も落ちようかという時間だった。
途中でのんびり歩いているのだから姉妹を背負う必要が無いことに気付き、姉妹を下ろして四人で並んで歩いたからか、こんなに遅くなってしまった。
その時に話していたのは他愛もないようなことばかりだ。
どんな色が好きか、晴れの日と雨の日どちらが好きか。言ってしまえばどうでも良いような内容だ。
俺たちに聞きたいことが沢山あるだろうに、姉妹もそんなくだらない話に乗ってくれている。それが存外に楽しい時間だった。
「見えた」
焼ける様な太陽に照らされて真っ赤に染まっているように見える木々の向こう、生い茂る緑の中ぽっかりと切り取られるように拓けた場所に青い屋根の小さな平屋が一つ見えた。
体感的にはそんなに経ったとは思っていなかったが、事実上一年以上ぶりに見る我が家に胸の内になにやら込み上げてくるモノを感じる。
「ここが」
ルサルカが感慨深そうに呟く。
魔の森に人が住んでいたということに酷く驚いていたから、実際に家が建っているのをみて何か思う事でもあるのかもしれない。
「あそこの家は?」
そんなルサルカを見ていると、メアが平屋の奥を指差しながらそう聞いてきた。
そこには古ぼけて今にも崩れそうな家が二戸ほど建っている。それを見てまた懐かしさを覚える。
「父さんの友人が住んでいた家だね。十年以上前まではここには家が全部で五つあって、小さいながらも村として機能していたんだってさ。俺も父さんから聞いた話だから詳しくは知らないんだけどね。二つほど取り壊したらしいから今はもうこれしか残ってないんだ」
「今は誰も住んでないの?」
「みんな死んじゃったんだってさ。俺が小さかった頃だからイマイチ覚えていないんだけどね。家の近くで誰かに遊んでもらった記憶が微かに残ってるよ」
「ああ、だからあんなにボロボロなのね。人が住まなくなった家は何倍もの速度で老朽化が進むって母さんが言ってたけど本当なんだ」
へーっと面白そうに家を見ながらメアが言う。
「まあいいわ。ここで立ち話もなんだし入ってから話しましょう。いいわよね? アレク」
「ああ」
その言葉に頷いて姉妹を呼ぶ。
なんだかポケーっとしているが大丈夫なんだろうか。
一年ぶりに入った家は、何も変わっていなかった。
妹がよく立っていた台所に、二人が隣合って座っていた四人がけのテーブルが目に留まる。
両親が時間と金をかけて作ったと自慢していた魔法陣の影響か、埃一つ無い。
あの日のまま時間が止まっていたように。この風景はあの日と同じだ。
本当ならここでいつものように朝食をとって、いつものように今日が始まる筈だったのに。
そう思うだけで、あの黒鎧に対する殺意がメラメラと湧いてくる。
「ちょっと、なに突っ立ってんのよ」
テーブルの前でボーっとしていた俺を訝しげに思ったのか、メアがイライラした風に背中を突いてくる。
「あ、ああごめん。じゃあ……そこのテーブルにでも座っててよ。今、お茶でも入れてくるから」
メアの顔を見ずにそれだけ言って台所に行く。
悲しいという感情と怒りの感情を混ぜたような顔をしていると思うので、彼女らには見せたくなかった。
台所でお茶を用意する。
来客用の物など無いので、湯呑は両親と妹の物を使う事にした。
それについて思う事がない訳じゃないけど、あの三人なら別にいいかなと思ってしまう辺り、俺も変わっているなと思う。
「ハイ。お茶受けは無かったからこれしかないけど」
そう言って座っている彼女らの前に湯呑を置き、俺も席に着く。
隣でメアが、あんたお茶入れられるのね、なんて言いながら二ヤけているのに少しムッとする。
「じゃあ、えっと、なにから話そうか」
それに文句を言うと負けた気がするので、俺はメアを無視してそう切り出した。
「あ、あの!」
「ん?」
最初に声を上げたのはルサルカだった。
「初めにお礼を言わせて下さい。私と妹を助けて下さって、ありがとうございます! あなた達が来てくれなかったら私達、きっと助からなかったと思います」
「あ、ありがとうございます」
立ち上がって言う。姉のその様子を見て、妹も慌てたように立ち上がって頭を下げてきた。
「それは道中何度も聞いたよ。俺も俺なりの都合があって助けたんだ」
「それでも、です。言わせて下さい。何度感謝しても感謝しきれないくらい感謝しているんです」
ルサルカのその言葉に少し笑ってしまう。
「あ、あの。アレ、ク……さん?」
それを不思議に思ったのか、怪訝そうな顔をしてルサルカが聞いてくる。
「ああすまない。なんだか可笑しくてね。っと、きちんとした自己紹介がまだだったね。俺の名前はアレクオレス。気軽にアレクと呼んでくれて構わないよ。よろしくね」
「は、はい! よろしくお願いしますね、アレクさん。私はルサルカと言います。それでこの子が妹の」
「ヴィーラはヴィーラって言います。アレクお兄ちゃん! よろしくお願いします」
ヴィーラはそう言うとぺこりと頭を下げる。ルサルカもいつの間にか頭を下げている。
なんか頭を下げるのが好きな二人だなあ。
「それで、ええと」
「メアお姉ちゃんはメアお姉ちゃんでいいんだよね!?」
顔を上げたルサルカがメアの方を向いて困った顔をしていると、ヴィーラがメアにそう言った。
ぱちくりという言葉が似合いそうな表情を浮かべたメアは、可笑しそうに笑う。
「ああ、そうね。あたしも自己紹介がまだだったわね。じゃあ改めて、あたしの名前はメア。あなた達の言う龍神、エキドナ母さんの産み出した、新西暦史上最古の水龍よ」